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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第四章 始まりの霧 終わりの鹿
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77伝 私の願い始






 私はぽつんと立っていた。

 きょろきょろ周りを見回しても誰もいない。お城の庭に面した通路に、一人で立っていた。

 首を傾げていたら、見慣れた背中を見つけてほっとする。


「アライン」


 声をかけながら追いかけると、アラインはいつも通り立ち止まってくれた。当たり前みたいに振り返ってくれることが嬉しい。いつまで経っても嬉しいから、もしかするとずっと嬉しいが続くのかもしれないことが、嬉しい。


「アライン」


 嬉しさが隠しきれずに笑ってしまう。そして、隠す必要もない。だってアラインは、ちょっとびっくりするくらい自分に価値を見出してくれないから、大好きだよって、大切だよって、愛してるよって、隠すどころか全面開放して伝えないと伝わらないのだ。

 私が笑うと、控えめではあるけれどアラインも笑ってくれた。

 ああ、嬉しいな。嬉しい。大好き。

 湧き上がる嬉しさのまま飛びつこうとした私の足が、ぴたりと止まった。


 アラインの横に、女の子がいる。

 足元まである長い黒髪の、少し痩せた、けれどとても綺麗な、女の子。


「アライン……?」


 女の子は、私を見てにこりと笑うと、アラインの腕にするりと自分の腕を絡めた。


「わたし達、結婚するの」


 女の子は、にこりと言った。


「ずっと一緒にいるの」


 アラインに寄り添い、二人の隙間を無くして、女の子は笑う。


「みんな祝福してくれてるの」


 女の子は、幸せそうに笑う。

 どこからか、沢山の拍手が聞こえてきた。おめでとう、おめでとう、素晴らしいことだ、運命だ、おめでとう、こうなるために生まれてきた二人だ。

 そんな声が、拍手が、どこからか割れんばかりに起こる。


「これからは、ずっと一緒にいられるの」


 女の子は、幸せそうに笑う。


「幸せ」


 女の子は、幸せそうに笑う。





「…………アライン?」


 やっと、声が出た。どうしよう。息が、できなくて。視界がぐるぐるして。胸が熱いのに、冷たくて。胸の中に氷が張りついているみたいに、うまく、動かなくて。熱いのに、冷たくて、ぐるぐるして、痛くて、気持ち悪い。吐きそう。アライン、なにこれ。

 アラインは、女の子を見て、私を見て、ゆっくりと瞳を閉じた。

 そして開かれた瞳を見て、私は息を呑んだ。この瞳を知っている。

 はじめて会ったときの、何もない、紅瞳。

 アラインの足が一歩引かれた。女の子は、まるで溶け合うように寄り添い、一緒に下がる。


「まっ、て」


 喉が、引き攣る。


「やだ」


 身体が震える。


「待って」


 痛い。


「待って」


 寒い。


「やだ」


 怖い。


「いかないで」


 悲しい。


「いかないで」


 苦しい。

 苦しい。

 苦しい。

 寂しい。

 淋しい。



 怖い。



 手を伸ばすのに、必死になって駆け出して、手を伸ばすのに。

 届かない。


「アラインっ!」


 この世界に来てからずっと、凍りついた私の手を取ってくれていた熱が、消えた。









『──────』


 何か、聞こえる。


『──────』


 誰かの声が、聞こえる。


『──────っ』


 何? 誰?


『──────っ!』


 なんて、言って。



『逃げて、六花っ!』







 びくっと身体が跳ねる。

 いつの間にか詰めていたらしい息がどっと吐き出されると同時に、胸を押さえる。息が、ちゃんとできているか分からなかったのだ。どっどっと鳴り続ける心臓の鼓動を無理やり押さえつけるように胸を握り締める私の手を、温かな掌が包んだ。


「六花」

「アラ、イン」


 後ろから覗き込んできた紅瞳を見て、強張っていた身体中の力がすとんと抜けた。その途端、握ってくれた手だけじゃなくて、背中も、お腹も、全部が温かいことに気づいた。

 凭れた背中はアラインの、抱えたお腹はトロイの体温が、私を温めてくれている。トロイはちょっとずり落ちてしまったのか、私のお腹を枕にすぅすぅと寝息を立てていた。むにゃむにゃと口元が動いていて、可愛い。

 思わず口元が緩んだ私の頬を、温かい物が擦った。それが、私の手を握っていないほうのアラインの指だと気づくのに瞬き一回分の、指の意図を気づくのに一呼吸分の間が必要だった。


「泣いてないよ?」


 ちょっと笑ってしまったのに、アラインは後ろから私を覗き込んだまま、頬と目元を擦っている。くすぐったくて小さく笑いながら身動ぎしたら、トロイが唸ったので慌てて動きを止めた。

 どうしたものかと考えて、傾けているアラインの耳元でこしょこしょ話す。


「ごめん起こした?」

「元々起きてはいた」


 私の視線を辿ってトロイを見たアラインも、私と同じように耳元でこしょこしょ話す。吐息が温かくて、声音も言葉も全部が温かく感じた。寝起きでぐずぐずまどろんでいるときと同じ、緩やかな温度に、心の底から安心する。


「どうした」

「──何が?」

「六花」

「……起こしてごめんね」

「六花」

「トロイが起きちゃうから、ほら、もう一回」

「六花」


 寝ようよ。

 そう続けようとしたのに、アラインのほうが早かった。ほんのわずかな動きも見逃さないといわんばかりの紅瞳が、じっと私を見ている。指もまだずっと私の目元と頬を擦っていて、涙を探っていた。

 困って視線を彷徨わせた私は、ぎょっとした。


「アライもが」


 思わず叫ぼうした私の口を、目元を擦っていたアラインの掌が塞いだ。


「トロイが起きる」


 確かに。こくこく頷くことで静寂を約束した私に、アラインは口を塞いでいた掌をのけてくれた。





 私達が向けた視線の先では、この不思議屋敷の代名詞とも呼べる、大移動が行われていた。家具どころか、壁も階段も廊下も大移動である。階段が逆さまに壁から生え、包丁の群れが泳ぎ、壁が何枚も重なったまま飛んでいった。大量のぬいぐるみがぐるぐる渦巻きを描き、縦になったベッドが積み重なり塔を作っている。



 上も下も、ぐるぐるぐるぐる、ふよふよふよふよ、何一つ定まらないまま動き続けている。全てがでたらめだから、全部迷子で、全部正解に見えてしまう。そんな中を、私達が入ったバスタブが船のように漂っている。

 こっちのほうがよっぽど夢みたいなのに、と、思ってしまったのがいけなかった。ぴくっと強張ってしまった頬に、アラインが気づいてしまった。


「六花」

「…………夢を、見た気がする」


 観念して、アラインの耳に唇を寄せる。こしょこしょと話してもアラインはくすぐったくないらしい。私はちょっとくすぐったいのだけど、これは個人差なのか、鍛えたらどうにかなる問題なのか。どっちなんだろう。


「夢?」

「あんまりちゃんとは覚えてないけど……怖かった気が、する…………それと、桜良に呼ばれた気がする」

「王帝に?」

「うん……たぶん……」


 桜良だったように思うけど、夢は目が覚めた途端恐怖だけを残して散ってしまったから、うまく掴めない。

 覚えているのは、酷く恐ろしい悲しさと淋しさだけだ。

 だから、私の言葉を待っているアラインに、困る。夢は散ってしまったのだから。

 困っている私の視界に、宙を漂う何かが見えた。私は、困っていることも忘れてなんともいえない顔になってしまった。


 なまめかしい肌色が、シャボン玉のように下から上へと飛んでいく。シャボン玉は、見れば懐かしさや微笑ましい気持ちになるけれど、この平らで肌色の物体は、全く微笑ましい気持ちにならない。

 別に誰が悪いわけでもないけれど、なんとなく気まずくなる。ちらりとアラインを見たら、紅瞳が通り過ぎていく肌色を追っていた。


「……気に、なる?」

「気にはなる」


 アラインは、私の目元を擦っていた指を上に向けた。その先では、シャボン玉が割れるように肌色の大軍が弾けて消えていく。


「あの絵はあの位置で消えるが、さっき上がっていた階段はもう少し手前で消えた。それは偶然なのか、それとも大きさによって消える位置が決まっているのか。消えた物はまたこの空間に現れる物もあれば、現れない物もある。そこに大小の規則性は今のところ見つけられない」

「あ、はい」


 確かに気にはなるけど、別にあの肌色がどうのこうのじゃなかった。アラインはいつだって変わらない。いやそりゃ、出会ったばかりの頃とは全然違うけど、そういうことじゃなくて……出会ったばっかりの頃だって、根っこは変わらなかった。





「アラインはさ、ああいう絵、どう思う?」


 もう気になったのなら聞いてしまうのが早い。気になるものは気になるし、いくら考えたってアラインの考えは分からない。だったら聞いてしまうに限る。失礼かなと思ったし、私自身も少々結構かなり気恥ずかしいけど、アラインは真面目に取り合ってくれると思うから。

 私の質問に、アラインは少し考えた。


「俺は芸術の類は分からない」

「芸術」

「骨董品の類も分からない」

「骨董品」

「家具配置の良し悪しも分からない」

「家具配置」


 どうしよう。大丈夫かなこの人。

 私は、さっきまでの気恥ずかしさを忘れかけた。気恥ずかしさより何より、アラインが猛烈に心配になってきた。でも、待ってほしい。そういった類の教育を、するの? 私が? もう一度言う。するの? 私が? 説明を? 私が?

 アラインに? 



 無理。




 いやでも、絶対無理だって思う私でも心配になってしまった。この人、大丈夫かな。シャムスさん辺りが頼まれなくても教えてくれそうな気がするけれど、エーデルさんという名の鉄壁が立ちはだかった場合は分からない。


「アラインは…………いや、やっぱり無理。ごめん。寝よう」

「これが収まるまで寝るつもりはない」

「あ、そっか」


 バスタブがひっくり返りでもしたらおおごとだ。中途半端に壁から生えられても困るし、時々飛んでくる様々な物にも気をつけなきゃいけない。何故私はこの光景を見ながら、普通に寝ようとしているのだろう。慣れ過ぎだ。

 順応。それは素晴らしい言葉であるけれど、しちゃいけないものも確かにある。


 それに、アラインが寝ないのに私だけおやすみなさいとなるわけにもいかない。アラインは優しいから、特に何も思わず寝かせてくれるだろうけど、私が嫌だ。

 となると、何か話題変更が必要だ。どうしようかなと考えていたのがまずかった。というか、アラインのほうが早かった。


「俺が何だ」


 良くも悪くも、話題変更に出遅れた私をそっとしておいてくれるアラインではない。そんな気遣いが出来る人でも、どうでもいいやとほっとける人でもない。良くも悪くも。


「六花」

「いや、あの、ね?」

「何だ」

「だから」

「何だ」

「ね?」

「六花」

「いやあのだからね?」

「六花、分からない」


 私もどうしたらいいか分からない。

 耳元でこしょこしょ話すのはくすぐったいし、アライン温かいし、階段がらせん状になってドリルみたいに壁にめり込んでいくし、アラインは引かないし、トロイは気持ちよさそうに寝ている。

 あ、もうどうでもいいや、という気持ちになるには充分すぎる環境が整っていた。


「アラインは、恋人欲しいって思う?」

「何がだ」

「何がだ!?」


 恋人欲しいと聞かれて、そう答えた人を初めて見た。恋人欲しい? って聞いたのも初めてだけど、この答えが一般的でないのは確かだ。

 びっくりして、ちょっと身体を離して振り向く。トロイが起きないよう微調整しながら振り向いた私を、アラインは不思議そうに見ていた。そこに照れも気まずさも感じられない。

 私は、心の底から心配になった。だってこの人、心の底から『何がだ』って思ってる。



 周囲は今も、ぐるぐる不思議屋敷の本領発揮中。今は寝起きで、恐らく深夜で、背中のアラインは温かい。お腹のトロイも温かい。……もういいや。明日の朝恥ずかしさに身悶えたとしても、深夜のノリで誤魔化してしまおう。アラインは深夜のノリが通用しない気もするけれど、その場合は、ちょっとずるいけど寝ぼけてて覚えていませんを通させてもらおう。

 そんなこと真面目に考えていた私は、なんだかおかしくなってしまった。私、何考えてるんだろう。

 いきなりくすくす笑い始めた私に、アラインは不思議そうだ。私は、笑いながらアラインを背凭れにする位置に戻った。



「アラインも、いつか女の子と恋人になるのかなーって思った」

「何がだ」

「そういえば、夢もそんなのだった気がする」


 小声でこしょこしょと笑いながら言った私に、アラインは変な顔をした。あ、理解できないって顔してる。可愛い。アラインはやっぱり、無表情より感情が出ているほうが小さな子どもみたいで可愛くて好きだ。


「…………そんな夢は見なかったぞ」

「そういえば、夢って基本共通なんだっけ……私、アラインが主体の夢見たことないんだけど」


 首を傾げたら、紅瞳がふいーっと彷徨った。


「…………アラインさん?」

「…………お前にはいかないよう、俺の夢は留めている」

「ちょっと!」


 私の夢だけ見放題なのは納得がいかないし、そんな調整が効くなんて聞いてない。じとーと見つめ続けていたら、紅瞳が彷徨いに彷徨って、一度の瞬きを経て、何事もなかったかのように戻った。

 このまま流す気である。


 突っ込んでもよかったけれど、気づいていても流す方法もあるのだとアラインに知ってもらいたいから、ぐっと堪える。情けは人の為ならず。お母さんの故郷の言葉だ。

 ここで情けをかけていれば、今度私が流してほしい話題のときに流してもらえるかもしれない。うむ、今の私の場合、情け関係なく、ただの打算である。




「アラインって意外と、ぐいぐい来られたら訳分からないまま付き合っちゃいそうで心配。勢いある女性に言い寄られても、流されちゃ駄目だよ。ちゃんと好きな人と付き合わなきゃ駄目だからね」


 これは本当に心配だ。だってこの人は、泣きながら好きで好きでたまらなくて夜も眠れないから付き合ってほしいと言われたら、付き合ってしまいそうな不安がある。


「俺は忌み子だぞ」

「あ、久しぶりに聞いた。私ね、迷い子。でも、好きになるってそんなの関係ないよ。だって聖人だって闇人だって、お互い好きになるんでしょ?」

「…………だとしても、俺はよく分からない」


 あったか師弟に挟まれて、なんだか眠くなってきた。でも、まだ屋敷中ぐるぐるしている途中でアラインは寝ないのだろうから、私も眠るわけにはいかない。でも、少しとろとろと眠気を宿したまま話していると、なんだか思考までふわふわしてしまう。

 いつもなら恥ずかしくて絶対にできないけれど、今の状況と、寝起きと、声を潜めるという背徳感あるやり取りに、浮かれてしまうのかもしれない。声を潜めるという行為が、隠し事をするための物だと、子どもだって知っている。夜に布団の中で、両親に起きているとばれないように隠れてこそこそ遊ぶ楽しさといったらない。

 今は、なんだかそんな気分だ。声を潜めているのは、トロイを起こさないようにしている気遣いのはずなのに、なんだかいたずらっこみたいな気分になってくる。

 それなのに、アラインが近すぎてくすぐったい。深夜独特の、わくわくするような、倦怠感が溢れているような、変な時間が流れている。




「よく分からないからって押されちゃ駄目だからね? ちゃんと、好きな人と付き合わなきゃ。こうして欲しいって言われたことに付き合うんじゃなくて、恋人って、お互いがしたいことをするんだよ。出来るからするんじゃなくて、したいからするんだよ。譲ったり、譲られたり、守ったり、守られたり。アラインすごく強いから、言ったら言っただけ戦ってくれそうだけど、アラインが戦いたくないなら戦わなくていいんだからね? それは駄目だからね? そういうのは、アラインが忌み子だからとか、聖人だからとか闇人だからとか、全然関係ないことだからね?」


 どうしよう。言えば言うほど心配になってきた。こういう話題ちょっと気恥ずかしいなとか思っていたけれど、いざ話しだしてみたらどんどん心配になってきた。だってアライン、きょとんとしてる。


「アラインはもっと、恋人とかそういうんじゃなくても、出来るからするんじゃなくて、したいからすること、しなきゃ駄目だよ。アラインいろんなこと出来るから、頼まれればもしかしたらなんでも簡単に出来ちゃうかもしれないけど、それが簡単に出来ても、したくないならしなくていいし、しちゃ駄目だってこと、忘れちゃ駄目だよ」


 強くて、頭がよくて、優しくて、自分に価値があると思っていない人。……あ、駄目だ。本当に心配だ。いつか悪い人に騙されてしまいそうだ。悪い女の人に騙されたらどうしよう。騙されてるって分かってるのに、分かっていて利用される道を選んでしまいそうで怖い。


「アラインは凄いから、利用しようって人が出てくるかもしれないけど、したくないならしなくていいんだって忘れちゃ駄目だよ。私もトロイも、エーデルさんもシャムスさんも、アラインが利用されたら許せないし、怒るし、その人に特攻かけるよ、絶対」

「お前は特攻すると死ぬから駄目だ」

「死なないよ!」


 小さな声で叫んだ私にアラインは、「お前、器用だな」と驚いた。

 可愛い。可愛くて、愛おしい。守ってあげたいなと思う。この先、この人が傷つかないように、悲しい思いをしないように、侮辱されないように、酷いこと言われないように、酷い言葉に慣れてしまわないように。

 どうしたら守れるのかなんて分からないけど、心からそう思う。




「…………お前は」

「ん?」

「誰かと、付き合うのか」

「私は、好きな人と付き合うよ。守ってあげたい人と一緒にいる。私がそうしたいって思った人と、生きていきたい。守れるかは分かんないけど、分かんなくても、そうしたい人と、一緒にいたい…………アラインも、そうじゃなきゃ駄目だからね。特にこういうことは、誰が泣いても、傷ついても、アラインがしたくないなら、駄目だよ。アラインがいたい人と、そ、そういうことしたい人と、一緒にいなきゃ、駄目なんだよ。頼まれたから、出来るから、だから一緒にいるっていうのは……駄目だよ。少なくても、私はやだ」


 これを言ってしまった以上、押して押して押して、泣き落として付き合ってもらう道は無くなった。

 だって、嫌なのだ。アラインは自分の人生を価値ある物だと、大事な物だと思ってくれないけど、私はそれじゃ嫌なのだ。大事にしてほしい。大事にされてほしい。アラインの意思を、アライン自身が尊重してほしい。

 私以外の人とどこかに行ってしまうのも、凄く、嫌だけど。本当に、泣き叫んでしまいたくなるほど、苦しいけど。

 アラインが自分を大事にしないのは、もっと悲しい。



「私は……アラインとこうやって引っ付いてるの、す、好きだけど…………アラインは、したくないなら、しなくていいんだよ。私、足元で丸まって寝たって平気だよ。そうやったら早いからとか、しなきゃいけないとか、便利とか、そんなことの前に、アラインがしたくないならしなくていいっていう選択肢があるって、アラインはちゃんと知ってなきゃ駄目だからね」


 恐らく、この人が選べたことはあまりなかったのだろう。でも、選べるのだと知ってほしい。自分の意思で、気持ちで、選ぶことができる事柄は世界中に溢れているのだと、アラインは知っていなければならない。知ってほしいと私が願うより前に、知るべきなのだ。だってそれは、誰もが持っている正当な権利なのだから。


「だから、言ってね。私、聞くから。アラインの言いたいこと、全部、なんでも」


 それが仮令、私以外の人といたいという願いだとしても。

 私は、絶対に叶えてみせる。アラインが、自分の意思で選んでいいのだと、選べるのだと知れるのなら、私は絶対にアラインの意思を歪ませない。





「…………お前はいつも、分からないことばかり、言うな」

「私が、アラインを好きだからだよ…………大事にしたいの。大事にさせてね。大好きだから、アラインが嬉しくなる手伝いがしたいんだよ」


 好き。アラインが好き。大好き。

 どこにもいかないで。ここにいて。一緒にいて。私と一緒にいて。私で嬉しくなって、私と嬉しくなって。

 私を好きになって。

 そう縋る未来はいま、自分から捨てた。元よりそんなこと、望んではいない。

 アラインが選ぶのなら、自分の意思で、こうしたいからと選ぶのなら、私は決してその背に縋らないと決めている。



 ちょっと悩んで、未だ引き剥がされないのをいいことにアラインの首筋に擦り寄る。温かい。

 いつか、誰かがこうすることになって、アラインがそれを許し続ける日が来るのかもしれない。そのとき私はどうするんだろう。

 アラインがそれを教えてくれたとき、ちゃんと喜びたい。よくできましたって、言ってあげなきゃ。だって、私が教えたのだ。それをアラインが考えて、真面目な人だからきっといっぱいいっぱい考えて、そうして出した答えなのだから。凄いねって、えらいねって、おめでとうって、幸せになってって、言ってあげなきゃ。そう言ってもらえることなんだよって、アラインに知ってほしいから。

 全部あげると、決めたのだ。私が今までの人生で教えてもらってきたこと、全部、根こそぎ。

 温かいこと、嬉しいこと、それが当たり前なこと。

 全部、全部、教えてあげると、決めたのだから。





「…………六花?」


 俯いたまま動かない私を覗き込んでくる紅瞳を、掌で塞ぐ。家具が未だ飛び回る中で視界を塞いでしまったのに、アラインはそれを振りほどこうとはしなかった。


「ごめん、アライン。私やっぱり、ちょっと眠たくなってきたから、寝るね。ごめんね、おやすみ」


 俯いたまま、一方的に話を切る。黙ったまま動かなくなった私を、アラインはそれ以上追いかけてこなかった。

 だけど、黙って私とトロイを抱き直した温もりが、どうしようもなく愛おしくて、私は穏やかに眠るトロイに雨を降らせないよう、必死に堪えた。









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