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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第一章 始まりの森 終わりの夢
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6伝 はじめてのお弁当







 休みなく馬を走らせたとしても宿がある町につくのは夕方以降になる。だから、その前に軽く昼食を取ることになった。勿論、お腹を鳴らしている私は諸手を上げて賛成した。



 今更どうにもならないけど、それでも出来る限り土をはたいて汚れを落とす。その間にトロイが見つけてくれた平らな石に座る。固着の関係で隣はアラインだ。

 やわらかそうな新緑色の草がなだらかな丘一面を覆って、風が気持ちよさそうに流れていく。所々に揺れる一輪花が可愛い。ここが違う世界じゃなかったら、ちょっとしたピクニック気分になれたのに。後、出来れば私が泥だらけじゃなくて、お隣が固着した初対面の無表情の人じゃなければピクニックだった。




 向かいでは、トロイがうきうきと鞄を開けた。嬉しそうな顔にほっこりしながら後に続き、ぐうぐう鳴るお腹の為にいそいそとお弁当を取り出す。こんな事態でもお母さんのお弁当は楽しみだ。お腹が落ち着けば、心だって少しは落ち着くだろう。

 でも、うきうきと膝に乗せてようやく違和感に気が付いた。むしろ、なぜ今の今まで気付かなかったのか。お弁当が重い。

 袋の中にあったのは、いつもの丸い楕円形の箱ではない。四角い二段重ねの箱。お父さんのだ。同じ職場の友達と食べるから量が多い。成人男性二人分だ。


「お母さん間違えたんだなぁ」


 偶にあることなので、特に驚きはしない。前はお兄ちゃんのが入っていた。二段だった時は変則技として、私の元にはごはんのみという悲しい事態に陥ったこともある。即行お兄ちゃんの教室に駆け込んだ。一歳違いでよかった。


 大きなお弁当の包みから、かさりと転がり落ちた小さな紙を広げる。遠くから嫁いできたお母さんは、字の勉強をかねて毎日お弁当に短い手紙を入れてくれるのだ。

 でも、時間がない時は『トマト!』だけしか書かれてなかったりする。手紙というよりメモ帳だ。『帰り際にお塩調達してね!』の時は、ただのおつかいだった。たまに『姉上となるよ!』とか重要案件もさらっとお弁当に託されるから、なかなか侮れなかったりするけど。

 同じ条件下で知らされたお父さんはもっとびっくりしたはずだ。箸箱の中にお箸が入っていなかったお兄ちゃんは別の意味でびっくりしたと思う。



 そんな、メモ帳だったりおつかいだったりびっくり箱だったりな手紙を広げる。


『今夜は早急に会いたいです』


 おお、お母さんったら情熱的。私は照れた。でも、ここで油断してはいけない。手紙には裏面があった。


『鍋の予定表です』


 おお、お母さんったらいつも通り。私は静かに頷いた。

 でも、一つ心配がある。お父さんへの手紙がここにあるということは、私への手紙がお父さんの手に渡っているということだ。

 店に新設されたかふぇのレシピを教えてもらえるとうきうきしていた私を見て、お母さんは何やら勘違いしていた。水を飲みに行った私は、台所に置きっ放しになっていたそれを見てしまったのだ。

そこには文字配分を間違えたらしい手紙があった。


『愛した人ができました』


 間違って持たされた娘へのお弁当に、妻からこんな宣言が入っていた父の心境や如何に。

 自分に回ってくるのならいいやと思って放置したつけが、まさか威力を増してお父さんに回ってしまうとは。お父さんは強いから致命傷にはならないと思うけど、全治一週間で済めばいいな。


 鍋どころの話ではない。表に入りきらなかったのであろう、裏面に一文字だけ書かれた疑問符がやけに意味深に見えた。

 向こうでも今は昼時なのだろうか。お父さんは今頃、両親共通の親友と顔を見合わせて固まっているかもしれない。修羅場だ。何故普通に『好きな人ができましたか?』と聞いてくれなかったのか。何故愛を選んでしまったのか。何故疑問符だけを後ろに回してしまったのか。それならばせめて最後に無理矢理でも『か?』とつけてくれたらよかったのに、何故疑問符だけ、しかも裏面に回してしまったのか。今夜は修羅場だ。お兄ちゃん、弟妹を連れての外食をお薦めします。



 どちらにしても、私が帰れなかったら鍋どころの騒ぎではないだろう。玄関の扉は閉めたから、お母さんはたぶん私がいなくなったことに気づいていないと思うけど、帰ってこなかったら分かることだ。

 でも、異界に落ちたなんて誰が予想つくだろう。前例があるからと意外と皆予想がついたらどうしよう。

 でも、誰も予想できなかったら? そうして誰も私を見つけてくれなくて、いつしか誰も私のことを探さなくなったら。もう二度と会えなくて、帰れなくて、そんな日が当たり前になったら、私はどうしたらいいんだろう。





 ぽかぽかと降り注ぐ陽気を全身に受けているのに、ぞっと背が冷えた。

 慌てて頭を振って埒もない考えを捨てる。帰れる方法を探す為にも、アライン達と一緒に彼らの皇城へと向かうのだ。だから今は、とにかくお腹をいっぱいにしよう。お腹が空いていると碌なことを考えない。腹空いては宿題もできぬ。腹が満ちてもできぬものはできぬ。……お弁当食べよう。


 二人分のフォーク入れから一本取り出して、ふへへと笑う。ご飯だ、ご飯だ。

 トロイも可愛らしい柄の紙袋を開くと、そこから取り出した薄茶色の物体を嬉しそうに口に運んでいく。思わず二度見した。手元を見て、もう一回トロイを見る。何回見直しても、状況は変わらない。

 薄く延ばされた生地を適度に焼き、さくさくとした食感を生み出すそれを、私の世界ではこう呼んだ。

 気のせいだろうか。クッキーに見える。


「…………トロイ? それ、お弁当?」

「六花さんも一枚いりますか? いま人気のお菓子屋さんのなんですよ!」

「トロイ君!?」


 それは決してお弁当ではない。食事ですらない。おやつと呼ぶ。異世界だったらありなのかもしれないけど、さっきトロイ自らお菓子屋さんって言った!

 弟子の食事に師匠は何も言わないのかと隣を見たら、無言で水筒を傾ける師匠がいた。その手にも膝上にも他の飲食物は見つけられない。

 嫌な予感がひしひしとしてくる。


「…………アライン、お弁当は?」

「師匠は昨夜食べたから、たぶん今日は何も食べませんよ?」

「アラインさん!?」


 駄目だ、この師弟。私は確信した。

 食事事情が滅茶苦茶すぎる。聖人というのがどういうものか分からないけど、食べなくて平気なはずない。だってアラインはひょろひょろに痩せているし、トロイも八歳のわりには小さい。六歳くらいに見える。

 好きな物だけ食べる弟子と、そもそも食べない師匠。最悪の組み合わせだ。誰か注意してくれる口うるさい大人はいなかったのか。いても聞かなかったのか、さあ、どっちだ!


 私は両手で顔を覆って項垂れる。トロイが心配して声をかけてくれるけど、いままさに心配なのは君です。そして、君の師匠です。

 指の隙間からトロイを見て、クッキーを見る。横目で水筒を傾けているアラインを見て、膝上を見て、アラインを見て、私はため息をついた。


「…………アラインに質問があります」


 無言が返る。視線だけはかろうじてこっちを向いたので構わず続けた。


「私、捕まったりとか殺されたりとか、そういうの、悪いことしないとされないよね?」

「…………どういう意味だ?」


 あんまり長く喋ると早々に無視されそうだからと短縮したら、削りすぎて説明が足りなかった。


「馴れ馴れしかったり、口うるさい世話焼きおばちゃんみたいなことして、捕まったり、殺されたり、置いていかれたりしますか」

「…………今の状態でお前を投獄すれば俺の身動きが取れなくなる。処刑ならば死体を引きずることになって面倒だ」

「例えが一々怖い!」

「師匠が! 師匠が会話を!」


 驚愕に慄く弟子の言葉もすごく怖い。会話しただけで弟子に驚かれる師匠。一体全体どんな暮らしをしてるんだろう。

 それも凄く気になるけど、今は大事なのはそっちじゃない。私はお弁当の一つをアラインの膝の上、一つはトロイの手に、蓋は引っくり返して自分の膝上に乗せた。そして、それらを三等分に分配していく。フォークは二本しかないけど、お母さんの故郷の文化であるお箸が入ってたから、私はそれを使うことにする。元々二人用のお弁当だったから取り箸用だ。

 取り箸の役割も果たしてもらおうと、お箸でせっせこ分けていく。


「…………何をしている」

「これ男の人二人分だから、三人で分けようかと」

「必要ない」

「たぶん食べられないものないと思うけど、トロイ……野菜戻しちゃ駄目」


 せっせと分けていると、緑色がせっせと戻ってくる。びくりと揺れた瞳が縋るように見上げてくるけど、野菜には出戻り禁止令を出した。


「食べちゃ駄目なのとか、どうしても口に合わないの以外は食べようよ。トロイ、朝は何食べたの?」

「え? プリンです」

「ピーマン山盛りの刑です」

「あ、やだっ、いや、やめてぇ!」


 半べそのトロイに容赦なく緑色を積み上げる。

 救いを求めた弟子の懇願の瞳を受けて、師匠は嘆息した。


「……やめろ」

「やだ」


 即答だ。アラインはちょっと眉を寄せたけど、そんなもので怯む余裕は、今の私にはない。ぐーとお腹から大爆音が聞こえてきた。


「アラインは私の話聞いてくれないから、私も聞かないことにした。気を使ったり、遠慮してたら死ぬってよく分かった! それと、完全に私の事情で申し訳ないんですけど、私いま、何故か尋常じゃないくらいお腹空いてるんですよ。そんな横で、水だかお茶だか知らないけどそれだけで済ませてる人がいたら見てるだけでお腹空く。だから、ごめんだけど食べて。もりもり食べて。さあ食え、それ食え、肥え太れ!」


 この男に食べさせなければ。何が何でも食べ物を胃に詰め込まなければ。

 何故か使命感のような強い意思が湧き上がる。初対面の人に対して強迫観念に似た感情を覚えるのは異様だし、そう思うのに、とにかくお腹が空いている。

 もう何日も食べていないような酷い空腹だ。生まれて初めて感じる耐えがたい飢餓感を持て余す。食べなければ。そして、食べさせなければ。


「はい、フォーク持つ。向き合う。いただきます!」


 打ち合わせた手に箸を挟み、ぽかんとした師弟を置き去りに一人で勝手に過程を進めていく。森を出た瞬間からそれとなく感じていた飢餓感は、もう耐えがたいまでに膨らんでいた。これは飢えだと自覚する。お腹が空いただなんて軽い言葉では表せない。(かつ)えであり、飢えであり、ひもじさだった。



 お母さんの故郷の味を追求したお父さんとその親友によって生み出された味噌で漬けた豚がおいしい。醤油をちょっと垂らしたほうれんそうのおひたしもおいしい。ピーマンともやしの野菜炒めは大半トロイの元へと嫁いだけれど、これもおいしい。苦いのが苦手な子ども達とお母さん自身のため、徹底的に苦味を排除されているので食べやすい部類だと思う。甘めの卵焼きも最高だ。しょっぱいのも好き。


 でも、大好きなおかずが入っているのに味わって食べる余裕がない。噛み締めるのも惜しくて、次から次へと口に運んでもまだ足りない。お箸は一時も休まずに私とお弁当を行き来していた。

 急いではないのに手が止まらない。早すぎて喉に詰まる。慌ててアラインの水筒を奪った。中身はお茶みたいで香ばしさが強いとしか分からない。だって一気に飲んでしまった。

 私の手から水筒を奪い返したアラインは、そのまま中身を飲み干した。膝上を見ると、一番多く配分したはずのお弁当が半分以上なくなっている。



 トロイはフォークに刺した海老団子を口元に運ぶ途中で宙に止め、ぽかんとしていた。何せ、食事を抜くことが当たり前で、取っている方が稀である師が、凄い勢いで食事をしているのだ。

 何か声をかけてあげたいけど、私もそれどころじゃない。貧血みたいにふわぁと意識が飛んでしまいそうなくらいお腹が空いてる。一拍も止まらず食べ続けてると、トロイも雰囲気に呑まれたみたいで、次から次へと口に詰め込み、喉が詰まった。慌てて自分の水筒を開けて傾ける。なんとか一命を取り留めたけど、そうこうしている間に私達のお弁当は見事空になっていた。


 ほぼ同じタイミングで食べ終わって顔を上げる。一拍置いて、私のお腹が鳴った。


「お腹空いた」

「ええ!?」


 空っぽのお弁当箱と私の顔を交互に見られても困る。三人で分けたとはいえ、いつもの量より多かった。それなのに足りない。お腹が鳴っちゃうくらい飢えが止まない。さっき食べた分が全部なかったことになったみたいだ。お腹が空っぽで、足らない足らないと叫んでいる。

 私だって一応曲がりなりにも年頃の乙女。体型の悩みは尽きないはずなのに、そんなことが片端に過りもしない。とにかくお腹が空いたの一言に尽きる。飢えが止まらない。お腹が空いて、空いて、堪らない。

 飢餓感を持て余してる私の横で、アラインが無言で立ち上がった。引きずられると身構えた私を見下ろして、雨のような一言を落とす。


「町まで戻る」


 トロイの口からぽろりとピーマンが零れ落ちる。


「師匠がっ、師匠が声掛けをっ、凄い!」

「引きずられてることには変わりない!」


 声はかけようが、相手の用意が整うまで待つという行為は欠片も存在しなかった。おかげで私は、馬まで歩き始めたアラインにしっかり引きずられた。







 トロイは慌てて残りの弁当をかきこんで飲み下す。急いでいたので、気が付いたときにはピーマンを全て食べていた。

 褒めてもらえるだろうか。

 空の弁当を他の分と重ねながら、ちらりと二人を見た。師匠は天変地異が起こっても無理だろう。しかし、六花なら褒めてくれるかもしれない。よしと気合いを入れて二人の元に駆け寄る。


「あ、あの! 僕、ピーマン全部食べました!」


 思い切って伝えてみたが、見えない力により馬の腹横で宙づりにされて怒っている六花に気付いてもらうまで数分を要した。ちなみに、あまりに騒ぐからとアラインが一度馬から降りたことにより、もろに地面と愛し合い、顔面を押さえて悶えていたので、そこから更に数分が必要だったりする。







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