64伝 はじめての咎人
その下から現れた顔に、トロイがひっと声を上げた。動揺が走り抜けたのが私にも分かった。アラインも、火綾でさえも目を瞠ったのだ。
深緑の髪に深い深い藍瞳。吊り上った狐面よりはなだらかな傾斜を描く瞳と、通った鼻筋。ともすれば好青年に見える爽やかな顔立ちは、引き攣った悲鳴をあげ、今尚かたかたと震えるほどの恐怖を齎すものには見えなかった。
違和感といえばただ一つ。
その顔に刻まれた、赤黒い紋様だった。
瞳を避けてはいるものの、顔の上半分に刻まれた傷痕のような紋様は、痛々しくもありながら統一性を持った芸術品のようだ。生々しい色で左右対称に刻まれ、美しいのに、おぞましい。
「お前、咎人か」
火綾は、さっきまで浮かべ続けていた笑みを消した。
『とがびとって、なに?』
頭の中で聞くと、咎人だと、こわばった声音が返ってきた。
それは、許されざりし罪を犯した者が刻まれる刺青。その烙印を受けたものは、残りの人生を人として生きることなど許されず、蔑まれ、苦しみ、もがき、傷つき。そうして死んでいかなければならない。
それは、極刑よりも酷い刑の証。
最も重い罰である刺青を、命からではなく天から下された者は、烙印を背負いし者だ。神から直接刻み込まれたそれは、魂への烙印。神に徒なすものに刻まれた絶対の楔。その者、神に逆らいし者。その者、神を裏切りし者。
その者、神を憎みし者。
神が創り治める世界で、親を憎む子どもは許されないのだ。
神に反逆の意在りとなった瞬間、それは刻まれる。
この世界が出来て、幾千年。
その烙印を受けた者は、まだ、いない。
いない、はずだった。
淡々と、教科書か何かの内容をそのまま暗唱してくれたのは、アラインが動揺していたからだろうか。
「……お前が咎人となると話は別だ。この世に生きとし生きる命は、何があろうとお前を殺さねばならん。それが世界に生きる命の務めだ」
火綾はさっきまでの余裕を全て消し、長い刀を引き抜いた。緩やかに反った片刃の黒は、まるで黒い三日月のようだ。
全ての視線を一身に受ける青年は、仮面から手を離した。右に黒、左に白を纏った仮面は、地面に落ちる前に砕けて消えた。
「お前はいつだって我儘で、暴力的で、享楽主義で、血狂いだ」
リヴェルジアはまるで埃を振り払うかのように袖で宙を払った。それだけで黒炎が掻き消える。
刀を構えた火綾に、リヴェルジアの口元が歪み、にぃっと口角が上がる。
「だからあんたは一人なんだ」
「第一級戦犯として、ここで果てろ」
「だからあんたは生きてる」
静かに抜かれた刀の切っ先を向けられても、リヴェルジアの嘲りは消えなかった。否、あれは嫌悪だろうか。
最大限に込められた侮蔑を、青年は放った。
「だからキルシェ王帝は、最後まであんたを見なかったんだ」
「お前は……誰だ」
目に見えて、火綾の表情が変化した。瞳が、激怒に燃え上がる。
一歩踏み出したリヴェルジアの口元から嘲りの笑みは消えない。
「婚約者だったのにね。あのまま王帝が生きていれば、あんたが生涯の伴侶となるはずだったのに、王帝は一度もあんたを見はしなかった。ずっと、ずっと、一度も。でもね、可哀相なんて思わないよ。だって僕は、ずっとあんたが大嫌いなんだ。初めて会ったときからずっと、死ねばいいと思っていた」
「お前は誰だ!」
「僕? そうだね。もうシャムス達に見つかってしまったから、隠す理由もない」
禍々しさを放ち、抉れたような刺青の中で、瞳が動く。
「やあ、火綾。僕の兄上と姉上を殺して保った世界は快適かい?」
彼は皮肉るように口端を上げ、怒りの表情から、見る見る間に驚愕へと変わった火綾を見ていた。
「ヴァルト……ヴァルト・ケラソスかっ……!」
火綾の瞳が、痛いほどに見開かれた。それに過ぎるものは、驚愕か、怒りか、憎悪か。
視界に映るそれを認めたくないとでもいうように、火綾の瞳は見開かれたままだ。だが、それは現実だった。
「まさか……死んだ、はずだ。三百年前のあの時、俺がお前を殺したはずだ! 何故成長して今に生きている!」
「あんたのせいだよ。あんたらが兄上と姉上を生贄に捧げたおかげでね!」
いつの間にか握られていた二股の武器が翻され、火綾はほとんど反射でそれを受けた。深い藍色の瞳を、火綾は確かに見たことがあった。
誰もが愛し、誰もが惹かれ、誰もが跪いた王帝。なのに誰をも寄せ付けず、彼女の隣りにあれたのは、地上で共にあったという最東の森の長の子だけだった。
「最東の森後継者……キルシェ王帝の、認めた、義弟」
口に出すだけで苦行とでもいうかのように搾り出された言葉を受けて、リヴェルジアは体重をかける。耐え切れなくなった火綾の足は、地面に線を描きながら後ろに下がった。動揺が腕を、思考を、全てを鈍らせる。
「弟、だよ。そして晃嘉兄上の。エリシュオン兄上でもいいけど」
名がどう変わろうが、彼にとって、愛した兄姉であることに何の変わりも無かった。
だが、そう言える存在は、広大な世界の中で、本当に少なかったのだ。
「あの御方とあの男は、何の関係も無い!」
轟いた怒声を、リヴェルジアは鼻で笑った。
「それはあんたらの都合だろ。あんたらは欲しかっただけだ。絶対的な皇が、王が。それを兄上と姉上に押し付けて、二人を引き離したんだ」
穿たれた咎人の刻印が、血を流す。神によってつけられて何百年も経過した筈の刻印は、今尚生々しく血を流す。それは、彼らの心に刻み込まれた痛みの形のようだった。
「僕は、聖人も闇人も人間も嫌いだ。……憎むよ。二人の嘆きも絶望も、何一つ理解しないで、守られることを当然として。兄上がどれだけ泣いたのか。姉上がどれだけ哀しんだのか。そんなこと何も知らないで、知ろうともしないで」
「あの方は我らの王だ! そう神により定められ、生まれてこられた方だ!」
「姉上はそんなこと望んでいなかった!」
激情がその場に満ちた。
普段は冷静すぎる程の冷徹さで生きる二人が、喉を裂くほどの激情を露わに叫んでいる。彼らの普段を知る者がここにいれば、それはとても異様に見えただろう。だが、彼らは三百年も前から拒絶しあっている。何があろうと相手の主張を認めることはない。
「あの御方は自らが王である事を知っていて、そうして生きる事を選ばれた! 自らの意思で、我らと共に在る事を誓われたんだ!」
「あんたらがそう仕向けたんじゃないか! 姉上からそれ以外の道を奪い取ったのはあんたらだ! そうだよ! 姉上はあんたらの王になる事を受け入れた! でも、本当はずっと、森に帰りたかったんだ! 父上と、シャムスと、エーデルと、一緒に。みんな一緒に居たかったんだ! 姉上は、姉上はっ……兄上と殺し合いたくなんてなかったのに!」
三百年経って尚、あの悲痛な慟哭は、リヴェルジアの耳に残っている。
「姉上は森で幸せだった。兄上と幸せだった。兄上は姉上を愛して、姉上は兄上を愛した。それだけだったんだ。それだけしか望みはしなかったのに! あんたらは、あんたらがしたことはなんだ! 僕の大事な二人を憎しみ合わせて、そうして生き伸びた咎人はお前らだろうが!」
いつも優しく笑う兄姉だった。手を差し伸べて、抱き上げて、頭を撫でてくれた。二人で睦みあうより、弟の面倒を見ることを楽しみにしていた。どこかに遊びにいくのなら連れていき、エーデルとシャムス仕込のいたずらも教えてくれた。両方から手を繋ぎ、いろいろなことを教えてくれた。
本当に優しく微笑む二人で、目に見えたべたつきを好むわけではなかったが、目が合えばにこりと微笑み合うような穏やかさで、互いを愛した。
二人でいると楽しそうで、幸せそうで。幸福を形にしたようだと思った。幼心に、幸せが形になったのなら二人の姿をしているのだろうと思った。
でも、もう聞こえない。
二人がヴァルトを呼ぶ声も。互いを呼んで微笑む声も。残ったのは怨嗟の果ての虚無だけだ。慈しむように紡がれていた互いの名が、憎しみを篭めて真名を叫んだ。偽りの名ではなく、定められた二人の名を。
そうして、己が心を壊して世界を救った。
ヴァルトは、リヴェルジアは、それが何より許せない。何一つとして、許せないのだ。
「僕は世界の平和なんて求めてない。世界なんて壊れてしまえばいいんだ。二人の絶望だけじゃ飽き足らず、更なる犠牲を求めるこんな世界必要ない。これ以上あの人達から何を貪り食うつもりだよ。命に、人生に、心じゃ足りないの? そんな醜悪なものがまだ続いていくというのなら、僕が全部壊してやる。あんたらが正しいと、絶対だと信じていること全て、僕が終わらせてやる! 神なんて僕が殺してやる! 死んでしまえ、壊れてしまえ、終わってしまえ! あの人達を犠牲にして守られたものなんて、存在する事すら認めない。全て滅ぼしてやる! 笑うな、幸せを得るな、新たな幸福を育むな! 兄上の悲哀で、姉上の嘆きで、己の幸せを得た分際で、幸福になろうなんておこがましいんだよ! 二人の願いを貪って得た命なんて、そうして続いていく平穏なんて、早く途絶えてしまえ!」
全てが馬鹿らしかった。平和を唄い、罪を裁き、正義を説く者達は、リヴェルジアの愛した人を生贄にして生きているのだ。それを誰もが当たり前として受け止め、気にも止めない。そうして忘れていくのだ。ああ、そんなこともあったねと、平然と忘れてしまうのだ。
そんなことは許せない。許さない。
振り抜かれた刀から距離を取ったリヴェルジアの着物が翻る。黒の着物には綻び一つ存在しない。
「…………その着物」
「そう、二人の片翼の毛で織られた着物だよ。姉上がくれたんだ。お前如き格下に敗れるものか」
今はもういない二匹の獣が存在していた時に、互いの服を織り上げるつもりだったのだ。だが、一着を縫い上げることしかできなかった。女物でごめんねと寂しげに笑った姉がこの着物をくれた時、彼女は既に諦めていたのだ。
敵の帝の名を叫び、剣を向けあった。
急所を狙い、一瞬の隙あらばその場で命を奪うほどの全てを篭めて。
二人はそうして殺しあった。だが、ヴァルトは見ていた。知っていた。真名を叫ぶ二人は、まるで泣き叫んでいるかのようだった。
ヴァルトは見ていたのだ。聖人でも闇人でも人間でもない、森の民、最東の長の子として。誰よりも傍で。
誰にも気を許さなかった、誰にも気を許せなかった、最後の王帝の傍で。
肌が裂けて、血が流れ。
けれど、キルシェは止まらなかった。
そしてそれはエリシュオンも同じこと。
一閃しただけで地は裂けた。闇人に向けて放たれたそれを、王帝は自ら前に立ち、止めた。そして自らも刀を振るい、闇を放ったそれは一直線に皇帝へと伸びた。
躊躇いなど無い。あるのは憎しみよりも深い業。
殺し合えと、どこからともなく声が聞こえる。抗う術はとうの昔に消え失せていた。
「貴方を殺さなければ!」
「お前を殺さなければ!」
その血をこの身に被るまで、走り続けなければならないんだ。
だって、そうしなければ、
何時まで経っても。
俺は
私は
「「終われない!」」
エリシュオンの為に
キルシェの為に
桜良の為に
晃嘉の為に
貴方を
お前を
私を
俺を
殺して
リヴェルジアは忘れない。誰もに忘れさせてなどやらない。知識として知っているだけの過去になどさせてやらない。教科書に載っている、文字だけの歴史になどさせてやらない。
動乱が終わったと勘違いしているのなら、誰もが安穏としているのなら、この手で再び動乱を起こしてやる。何もかも終わってなどいないことを思い知らせてやる。今尚、この瞬間も鎖に繫がれた人がいることを。それを忘れて、幸せを享受する奴らを。どうして許せるというのだ。
決して、忘れさせてなどやるものか!
「姉上の悲しみを。兄上の絶望を。誰も理解せず当たり前のものだと言い切る。あんたらは、力のある者がその身を犠牲にして自分達を守るのが当然だと、平然と二人を神に差し出したんだ。二人がどれほどの痛みに叫んだのか知りもしないで!」
あんなに泣いていたのに。
リヴェルジアが知る中で、最も強い二人が。幸せを諦めてしまうほどに。互いを殺す約束を、互いに殺される約束を。生きる理由にしてしまうほどの絶望が。
「お前らは、弱さを武器として強さを責めた。弱さを盾ではなく槍として、二人の強さを責めたてたんだ。弱さは正義か? 強さは罪か? 弱者が犠牲になれば強者の罪で、強者は弱者の為に犠牲になるのが正しい姿だと平然と言い放った。弱者は己の願いの為に全ての方法を用いるが許され、強者は自分の願いの為に己が持ち得るものを使うことすら罪だと、当たり前のように言い切った! それこそが差別だろう! それこそが身勝手な傲慢だろう!」
当たり前だというのか。あんなに優しい二人が。あんなに想い合った二人が。剣を向け合うことが、当然の悲劇だというのか。強制的に憎しみ合わされたことが、罰だというのか。愛し合ったが故の、想い合ったが故の、当然の咎だというのか。
二人はただ、好きになっただけだったのに。
「僕が望むのは世界の平和じゃない。僕は、僕はあの二人が幸せなら……それでよかったんだ」
世界の誰が救われても、どれだけの人間が幸せになっても。彼も、彼の愛した人々も。決して幸せになりはしないのだ。誰よりも幸せになってほしいと願った愛しい存在の犠牲の上に成り立つ世界で、憎み嘆くことしか、赦されなかった。
否、本当は憎むことすら、赦されていなかった。愛し合った二人が罪だったのだと言い切るこの世界では、悲しむ事すら許されない。だが、リヴェルジアはもうそれを嘆いたりしない。彼だって、この世界の何もを許せないのだ。
「忘れるなんて許さない。終ったことになんてさせない。絶対に許すものか」
二人が手を離すことを決意した日々から幾月か時は過ぎて。地界に連れられて見たものは、誰も寄せ付けず、絶望のままに終わりを望む姉だった。
二人が殺しあうことを受け入れた後、地界から地上の城へと走った。そうして見たのは、双龍がいて尚、笑うことの出来なくなった兄だった。
それを正義と呼ばないで。
それを別れと呼ばないで。
それを明日と呼ばないで。
私達が。
俺達が。
殺しあう明日を、憎みあう宿命を。
そんなものを、未来と呼ばないで。
叫んでいたのに。ずっとずっと、二人は叫んでいたのに。声は許されること無く、神の使徒により奪われ、世界には黙殺された。祈る事すら赦されなかった二人が、それでも願った夢を。小さな、誰もが当たり前に手に入れるちっぽけな幸せを。
「……赦さないよ」
赦されないと、ただそれだけで。奪い尽くした奴らなんか。
繋がれていたはずの二人の手は静かに離れ、次に交し合った手には刃が握られていた。微笑んで絡めあっていた指は、次に向かい合った時は互いの血に塗れていた。そして、それをもう何も感じなくなっていた二人が、ただ悲しかった。
「火綾、僕はあんたらを許さない。この世界に生きるもの全てを許すものか。あの人達の犠牲の上に成り立つ全て、滅んでしまえ」
怨嗟が口を開く。生きながらにして放つ怨念が、破滅を呼んだ。
「おいで、クレアシオン」
怨嗟を纏いながら、その名を呼ぶときだけは柔らかさを纏った声と同時に、鮮血が舞った。
己の腹から突き出した白銀の錫杖を握り締めた火綾は、口内にせり上がってきた液体を堪えずに吐き出した。自らが焼きつくした大地に、今は鮮やかな赤を撒き散らす。次第に黒ずんでいく前に、喉から、腹から、新たな血が溢れだした。
一歩踏み出したリヴェルジアを前に、火綾が制したのは剣を構えたアラインのほうだった。
「手を出すな、忌み子が。貴様と関わるほど、落ちてはいないぞ」
火綾は言葉と血を吐きながら、未だリヴェルジア目指して動き続ける白銀の錫杖を握り締めた。腹を貫いて尚、一滴の汚れすらなく光り続ける白が忌々しい。
「この……エンデと引き換えでさえなければ圧し折ってくれたものをっ……」
「エンデなら、ここにあるさ」
淡い桃色が散る黒い裾を揺らし、ぱんっと合わさった掌が徐々に開かれていく。隙間から伸びる物は、全ての黒の中で一等輝く、まるで光のような黒だった。
腹から抜き取ったクレアシオンを地面に突き刺し、身体を支えた火綾の目は、徐々に姿を現していく黒い錫杖に縫いとめられている。
「エン、デ」
「シャムス達の手に渡っているのならともかく、封地から出てさえいれば呼べるさ。エンデが教会に居たがるわけがない」
色以外は、クレアシオンと全く同じ形状のエンデは無機物として当たり前の静寂を保ち、動くことはない。
「キルシェ様のエンデに触れるな!」
「あんたの物じゃない。姉上の物何一つ、お前らが持つ資格なんてないんだ」
クレアシオンは掴んだ火綾の手は、灼熱を抱くかのように焼け爛れていく。それでも火綾は決して手を離さない。
「……返せ。それは、お前らが持っていいものじゃない。エンデも、クレアシオンも、姉上と兄上の心そのものを、お前らが好きに掲げていいわけがないだろうがっ!」
放たれた怒気を宥めるように輝くエンデに視線を落とし、リヴェルジアは火綾と同じものを刻印から落とした。ぽたりと、赤が散る。傷は、まるで昨日今日刻まれた傷のように生々しく抉れ、新しい血を垂れ流す。それでも、リヴェルジアは笑った。
「……長かった。神脈を乱して、世界中に残滓を散らせて……兄上、姉上、やっと、やっと、世界を壊せる。エンデとクレアシオンがあれば、世界を壊し、神を殺し…………貴方達を解放できる」
死しか救いがないのなら、せめて死だけは救いであるべきだ。それなのに、死んで尚、終われない。魂が滞留し、巡ることも続くことすらできず。リヴェルジアの兄姉は、世界の苗床になって朽ちていく。
リヴェルジアを、エーデルを、シャムスを。世界は、二人が愛した命を人質に、二人を命の贄にした。二人が愛し、二人を愛した命に刻印を刻んで尚、殺さず、されど生かさず、世界に止め続けたのだ。
「火綾、お前が闇人の存続に必要である以上、どうせ殺せないように世界はできている。だから、先に世界を壊す。それまで、精々余生を楽しめ」
もう一歩踏み出し、リヴェルジアは優しく微笑んだ。
「クレアシオン」
火綾の手を焼き続けたクレアシオンは、今度は掴んだ腕を頓着しない力で呼ばれた方向に向かう。腕が千切れんばかりの力に、火綾は血塗れの手を片方開き、リヴェルジアに黒炎を振りかぶる。
軽く袖を払うだけでそれを退けたリヴェルジアに、血霧交じりの怒声が叩きつけられた。
「エンデが貴様の手にある以上、たとえ死んでも渡すものか!」
怒声の強さと同じ勢いで黒炎が溢れだす。その身体のどこに収まっていたのかと首を傾げるほどの声量と黒炎に、真冬のような気温が上昇する。地界の夜が沸騰していく。長く地界を統治してきた男の力は地界によく馴染む。駆け抜けた力の奔流に気づいた闇人の気配が近づいてくる。
轟かせた闇をそのままに、火綾は自らを焼き続けるクレアシオンを全ての意思でねじ伏せて、振りかぶった。
「何でもすると言ったな、小娘! 生かしてやった恩を、ここで果たせ!」
闇人は、そう叫ぶや否やクレアシオンを人間に向けて叩きつけた。
森人は、走り出すや否や闇人の頭を渾身の力で殴りつけて顔を上げた。
聖人は、自分達を抱えた師の足に灼熱の炎が影となり絡みつくのを見た。
合いの子は、地から這い出た黒炎に絡め取られた足を無理やり捩じり、闇人に背を向けて二つの塊を胸に抱え込んだ。
人間は、合いの子をすり抜けて自らの胸に突き刺さった白銀の錫杖を見て、ぱちりと瞬きした。