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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第一章 始まりの森 終わりの夢
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5伝 太陽終ふたつ





 木々の間隔が広くなり、ちらほら空を望めるほどになった頃、森の終わりは唐突に、けれどはっきりと訪れた。鬱蒼とした森がぴたりと途絶えたのだ。木々は勿論、背の高い草すら生えていない。低い芝のような草がなだらかな丘一面に続いている。景色を遮るものがないから、とても遠くまで見えた。でも、どれだけ遠くまで見えても、私が知っている景色は一つもない。


 私達を担いだままのアラインは、素早い動作で森と向き直る。宙を切るような素早さに、置いてけぼりになったマントの裾が定位置に戻るまでにふわりと一拍を要した。

 何をしてるんだろうと首を傾げながら、視界いっぱいに広がるまるでトロイの髪みたいな新緑色の景色を眺める。

 少し、ほっとした。

 森を散策するのは嫌いじゃないし、別に珍しいものじゃないから怖くもない。でも、それは心に余裕がある時であって、寄る辺すら心許ない時は人里に下りたい。人が恋しいのだ。そう思うのは愛して育ててもらったからだろう。心許ない時こそ一人になりたい時もあるのだと思うほど傷ついたことがなかった。それはきっと、とても幸せなことだった。





 アラインの足元が光る。なんだろうと目を凝らす。踊るようにしなやかに、ただ歩くように無造作な左足が振り下ろされた。足が地面に触れた箇所から光が広がり、森と平原をくっきりと線引きする。光の線が森との境界を走り抜けていく様に、私の心臓は跳ねあがった。同時に手足も跳ねる。


「今の何!?」

「師匠が森を閉じたんですよ」

「魔法!?」

「え? 術です」

「魔術!?」

「術ですってば! なんで魔つけるんですか!?」


 顔の前で両手を組み、今度こそときめきで高鳴る胸の鼓動を自覚した。

 凄い。魔法だ。物語の中でしか見たことのない魔法が、目の前で繰り出されている。手品ではない。魔法だ。凄い。

 生まれて初めて見た魔法の存在にひどく興奮する。


「凄い! 初めて見た! ねえ、アライン! 他に何ができるの!? 空飛んだり!? 炎出したり!? あ、ご馳走出せる!? お腹空いた!」


 後頭部の傍で興奮したのがいけなかったのだろう。興奮して背中をばしばしと叩いた上に、足をばたつかせたのもいけなかった気がする。ついでに頭もがんがん当たったのも良くなかったと思われた。

 淡々とした一言と同時に、私の身体から手が離される。


「…………うるさい」

「ぎゃ!」


 ある意味当然の所業を予測できなかった私の身体は、支えが無くなったことにより肩からごろりと転がり落ちていく。浮遊感にひゅっと息が鳴る。

 地面に激突する寸前、首根っこを掴まれて地面と愛し合うことは免れた。ただ、首が激しく締まる。求めるべきは、空気か、自由か。

 下りていけなくなった血が頭の中で熱を巻く。掴まれた首根っこがぐるりと回されて、更に追い打ちをかけられた。


「ぐえっ」


 年頃の乙女としてあるまじき声が出た。潰れた蛙としては及第点だったと思う。


 ぱっと手を放された一瞬で、アラインの腕は再び私のお腹を抱えていた。解放された首を押さえて数回咽る。文句を言うべきか、落とされなかったお礼を言うべきかちょっと悩んだ。

 悩みながら首を上げると、逆光を背負った紅瞳が無言で私を見下ろしている。気持ち悪い呻き声あげるなでも、お前馬鹿だなでも、お前不細工だなでもなんでもいいから、せめて何か言ってほしい。

 お互い無言で、見上げて見下ろし合う。どうしていいか分からなくて、とりあえずへらりと笑ってみると見事なまでに無視された。


 道端の石ころにだってもう少し慈愛を籠めた視線をやるのではあるまいかそうでもないな石は石だし。

 石ころに愛着を持つとすれば、一度も溝に落とすことなく家まで蹴って帰れた石くらいだろう。あの石は現在、庭のどこかで今日も悠然と混ざっているはずだ。どれだったかは既に分からない。だって特徴も何もない普通の石ころだったのだ。ついでにいうと、石は一度も落ちることなく家に辿りついたけど、私とお兄ちゃんは溝に落ちて辿りついた。更にもういっちょいうと、買い物から帰ってきたお母さんも落ちていた。あの日は我が家の溝落ち日として語り継がれている。我が家の溝落ち日は、月一か二の頻度で現れることをここに告白いたします。



 何の反応も返さず歩き始めた相手への不平不満は、とりあえず降ろされて困らない位置にきてからにしよう。

 そう決めて、視線を前へと向けた。さっきまで後ろ向きに担がれていたけど、今は前に向けて小脇に抱えられている。森には背を……お尻を向け、平原に向けて進んでいく。


 少し離れた場所に繋がれた馬が見えた。薄青色の馬は珍しいけど、この世界だと普通なのかもしれない。この距離からでも鬣と尻尾が風になびくさまが良く見える。見慣れた馬より長毛で、美しい馬だ。


 ここは生まれ育った世界じゃない。同じ言葉で会話して、同じ姿形の人がいたとしても、細部までそっくり同じじゃないのだろう。だって、既に歴史が夢物語のようだった。そっくり同じどころか、見るもの全てが違うことすら覚悟しなければならない。

 今ならお母さんの『あのね、六花。順応。これさえあれば平気、大丈夫、完全』と繰り返していた言葉の重さが分かる。次に大事なのは『まあいいか』と思える適当さだそうだ。

 とりあえず、馬の外見が少々見慣れないことは『まあいいか』の範囲内である。




 木々は極端に少なくなり、なだらかに広がる平原の中に道は見えない。ここは街道から外れているのかもしれない。どこまでいけば人里が見えるのだろう。地理がまったく分からないから、どこを向けば北かすら分からない。

 疲れ切った精神は、ぶつりと思考を放棄する。分からないものはどんなに考えても分からない。アラインが歩く振動に身を委ねてぼんやりと景色を眺めていると、私が黙り込んだことを心配したのかトロイが声をかけてくれた。優しい。


「六花さん、大丈夫ですか? お腹空きましたか?」

「お腹……空いた気がする。なんで!?」


 トロイのお尻へ返事を返すと同時にお腹が鳴ってびっくりする。さっき朝食を食べたはずなのに何故か胃が空っぽだ。うげろっぱしそうになっていた私の中身はどこにいった。家出? 


「トロイ、いま何時くらい? 私さっき朝ごはん食べたのにお腹空いた」

「え? ……師匠、ちょっと失礼します」


 お尻が身動ぎして、その上にひょこりと頭が見えた。さっきの私みたいに上体を上げたようだ。足の裏を師匠につけないよう気をつけながら身体を支えたトロイは、眩しそうに片手で影を作って空を見上げる。


「お昼過ぎくらいじゃないですか?」


 太陽の位置で時間を把握したトロイにつられて視線を上げる。故郷からとんでもないくらい離れても空は変わらない。この空が続く先のどこにも私を知っている人が、私が知っている人がいないだけだ。

 それでも、変わらないものを見ると心は落ち着く。これで空の色が黄色だったら立ち直れなかったかもしれない。青でよかった。雲は白でよかった。

 青色に澄み渡った空。ぷかぷか浮かぶ白い雲。のびやかに空を舞う鳥。さんさんと輝く二つの太陽。


「…………なんで太陽二つあるの?」


 頭上にはさんさんと輝く太陽が二つ仲良く並んでいた。てっきり世界の終わりかと思ったけど、二人の様子を見るにこれが普通らしい。眩しさとは別の意味で眩暈がした。


「六花さんの世界って、太陽一個だけなんですか!?」

「一個だよ!?」

「……寂しくないんですか?」

「今の今まで太陽の孤独に思い至らなかった冷たい人間で、本当にすみませんでした」


 自分が無情で冷酷な人間になった気分である。

 そしてもう一つ、とても気になることがあった。


「馬遠い!」


 ちょっと離れた場所に繋がれていると思った馬まで、歩けど歩けど辿りつかない。歩いているのはアラインだけど、それでも気になるくらいには歩いた。それなのに、どうして馬まで近づけないのだろう。もしや、のんびり草を食んでいるように見せかけて横滑りに離れていっているのか。さすが異世界。馬の走り方まで違うのか怖い。馬がそんな走り方で近づいて来たら、泣き叫びながら逃げ出す自信がある。

 怖い想像にびくびくしていた私の疑問は、そこから更に歩けど歩けどを繰り返して解決した



 目の前に聳え立つ薄青色の巨体を見上げる。がくりと首を折り曲げてようやくその顔を確認できた。


「馬大きい!」


 自分の想像していた大きさでは遠近感も狂うというものだ。

 知っている馬の二倍、下手すると三倍以上はある巨体は、待たされたことにご立腹なのか、ふんふんと鼻息を噴きながら地面を掘っている。故郷での主な移動手段は、徒歩、馬車、馬、驢馬。そういう文化圏なので、大人しいものが嬉しいという条件はあるものの、一応は馬に乗れる私でさえ遠慮したい物件だ。そもそもこれは馬なのか。象だといわれても驚きはしない。


 馬は気を抜くと髪を食べてくる生き物だけど、これだと頭ごと食べられそうだ。ずらりと並んだ牙が怖い。なんで? 草食なのにそんな尖った牙は必要ですか? 草をすり潰すためには平たい歯が必要なはずなんですけど、なんでそんな食いちぎってくれるわ! みたいな歯をしてるんですか草食なのに…………草食ですよね? あの、私全然美味しくないし、アラインがりがりだから食べるところ少ないし、トロイだって小っちゃくて絶対お腹膨れないと思うから食べないほうがいいからね食べちゃ駄目だよ食べないでくださいお願いします。

 巨大な馬に意識を奪われていた身体が一瞬宙に浮いた。というか、落ちた。


「ぶべ」


 小脇に抱えられていたから肩にいた時より低かったとはいえ、油断していたので腹打ちした。足を滑らせて驚いた豚の鳴き声としては及第点だろう。


「師匠、せめて六花さんには予告してあげてください!」


 同じように手を放されたトロイは、予測していたらしくぴょんっと飛び降りて綺麗に着地する。お見事。私はお無様。


「トロイは身軽だねぇえええ!?」

「あっ、ちょっ、六花さぁあああん!」


 地面と愛し合うことには慣れてきた。這い蹲ったままトロイへ拍手を送っている視界が横にぶれた。俯せのまま引きずられることには慣れていない。

 馬に繋いでいた荷物を取りにアラインが動いたのだ。ずべべべべと引きずられる。痛いのは顔かお腹か心か。とりあえず、土の匂いは覚えた。草の汁の匂いも覚えた。故郷と変わらなかったのに、嬉しさとか懐かしさはちっとも感じなかった私は多分正常だと思う。


 ぺっぺっと小石と土を吐き出し、何事もなかったかのように荷物を開けているアラインの背中を睨み上げる。確かにぱっと立ち上がらなかった私も悪いけど、すったかすったか引きずるのも問題だと思う。

このやろうの思いを籠めて千切った草を投げつける。草はゆるやかな向かい風によりへろりと方向転換して、私の頭に降り注いだ。

 草を張り付けた私をちらりと見下ろしたアラインは、特に何の反応もなく水筒を傾けて喉を潤した。いらっとしたのでもう一度千切って投げつけると、今度はちょっと強めの向かい風でぺたぺたと顔面に張り付いた。いたずらな風さんは、顔のいい男の味方らしい。是非とも性格も考慮して頂けると嬉しい。それでこっちの味方になってもらえるほど素晴らしい性格をしている自信がないのが難点ではあるけど。それに、アラインのこれは性格の問題なんだろうか。いじわるしてるわけじゃなさそうなのが余計に手におえない。

 怒りとやるせ無さと虚しさを籠めた拳で地面を穿った私のお腹から、空腹を告げる虫がぐーと鳴いた。

 お腹空いた。中身は一体どこに家出したんだろう。





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