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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
59/81

58伝 はじめての強度確認難航中




 友の抱擁は大空振りしたはずなのに、私の腕は胸に何かを抱え込んだ。温かくて柔らかくて軽くて薄い。この温度を知っている。

 子どもだ。


「あれ? トロイ?」

「放して、六花さん、放して……」

「ごめんごめ……アラインは!?」

「放してぇええ!」


 前にいたはずのアラインがどこにもいなくて慌てた拍子に更に抱きこんでしまったトロイは、死にそうな声を上げた。ごめん。

 目覚めた時にアラインがいないと嫌な予感しかしない。今までの経験上、干からびた人参並の重さになっているからだ。これ、下手に動いたらまずいのではないだろうか。いや、むしろ、胸元にいたら既にまずいのではないだろうか。だってトロイはどこも掴めないまま両手を広げ、身動ぎ一つしないで固まっている。


「え、わた、私、アライン潰し……」

「恐ろしいこと言わないでください!」


 さっきアラインに言った言葉が胸元から飛んできた。死にそうな声を上げていたトロイの元気が復活したからアラインの無事は証明されたけど、じゃあアラインはどこにいるんだろう。

 首を傾げながら、もう一個気になる点があることに気が付く。私いま、何に寝転んでいるんだろう。妙に何かが刺さる。


「そろそろどけ」

「そこにいたの!?」


 ベッドじゃなかった!

 下から聞こえてきた声にぎょっとして、トロイを抱えたまま飛び起きる。手の力が緩んだ隙に、トロイは腕の中から転がり出た。そのまま扉を開けて部屋を飛び出していってしまう。ごめん。

 直接ごめんと伝えるのは後回しにして、ある意味潰してしまっていたアラインを振り向く。

 私が下敷きにしていたらしいアラインが身軽に起き上がった広いベッドには見覚えがある。初めてお城に来たときに寝ていた、エーデルさんのベッドだ。

 なんで私、アラインの上に寝てたんだろうと思いつつ、とりあえず謝る。


「ごめん。重かったよね」

「いや」

「あ、羽のように軽かった!?」

「紙屑みたいだった」

「意味合いは変わらないのにっ!」


 言い方って大事だと思う。例え方って大事だと思う。凄く、凄まじく大事だと思う!

 きょとんとしたアラインの前で、わっと顔を覆って嘆いていると、さっきトロイが駆け出して行った扉が勢いよく開いた。ちょっと勢いがよすぎたみたいで、蝶番がたてちゃいけない音を出す。バギョッていった。

 原因であるシャムスさんの後ろから入ってきた、エーデルさんの眉間に隠しようもない皺が寄る。


「シャムス、後で修理をお願いします」

「おう! 面倒だな!」

「誰の所為ですか、誰の」


 てっきり蹴りか、裏拳か、最悪窓から一本背負いかと身構えていたのに、エーデルさんはさらっとその話題を流した。


「ファナティカーは取り除けても、目覚めまで時間がかかるかと思ったのですが……やけに早かったですね? 仲直り、できましたか?」

「あ、はいっ! あの、エーデルさん!」

「はい、何でしょう?」

「あの、私、アラインとですね!」

「師匠と?」


 ずいっと、一歩どころか二歩ほど踏み出してきたトロイと、堂々と三歩踏み出してエーデルさんの横に並んだシャムスさんにちょっと仰け反る。かなり近かったので、エーデルさんが無言でシャムスさんの首根っこを掴んで後ろに引っ張ってくれた。でも、気のせいか、エーデルさんも半歩ほど近くなっている。

 そうか、みんな心配してくれていたんだなと、心の中が温かくなった。だからこそ、早く皆に伝えなければ。

 私は、アラインの手を掴んで繋ぎ、前に突き出した。アラインは抵抗もせず、引っ張られるままだ。その目が『折れないか?』と言っているような気がして、頑丈さを伝える為にぎゅっと握りしめる。



「アラインと、友達になったんですよ!」



 意気揚々と宣言した部屋の中はしんっと静まり返る。そうだろう、驚いただろう。何故なら私も驚いた。どうだと三人を見上げていると、一人がふるふると震え始めた。


「わ、わあっ! すごい、すごいです! 六花さんすごいっ!」

「でしょう!?」

「はいっ!」

「トロイも友達になってほしいんだけど、どうでしょう!」

「はい、はいっ!」


 さっきは逃げ出したトロイは、そんなこと忘れたのか、目をきらきらさせて飛びついてきた。もちろん両手を広げて受け止めた。その際に友達の手をぽいっと離してしまったのは申し訳ないと思っているので、じっと見てくるのはやめて頂けないでしょうか。


「……肋骨折れてないか?」

「折れないっ!」


 無用な心配するのも止めて頂けないでしょうか。





「…………大変素晴らしいことなのに、何故でしょう。大変物足りません」

「こいつらトロイと同年齢なのか? 欠片も色がついてねぇとは、ある意味すげぇな」


 ひそひそと嘆いている二人に首を傾げていると、アラインが耳元に唇を寄せてきた。


「双龍様が何を仰っているか分かるか?」

「分かんない」


 素直に答えたのに、アラインはちょっとびっくりした顔をした。大きくなった紅瞳の中で光がくるりと泳いだ。


「お前でも分からないことがあるのか?」

「過大評価と過度な期待はご遠慮ください!」

「少なくとも他者の感情の機微を察する能力は、お前のほうが明らかに高い」

「うーん!」


 それはその通りだと思ってしまうのは自意識過剰ではないはずだ。だからといって、今のアラインにその通りと言ってしまったら、額面通り受け取ってしまいそうで怖い。普通の会話は妙な方向に捻じ曲げて難解にしてしまうのに、どうしてこういうことは素直に受けてしまうのか。

 ほどほどに、適度に適宜各自判断でお願いします。





「まあ、それはともかくとして、二人とも動けるようでしたらお仕事ですよ」

「おう、そうだそうだ。地界がどうにもこうにもきなくせぇみたいでな。何人か出して様子見させるからお前も顔出しとけ」


 よく見たらシャムスさんの服装がえらい人みたいになっている。何がどう変わったかと問われれば、ボタンが閉まっているの一言に尽きた。エーデルさんはいつもと変わらない。エーデルさんはともかく、シャムスさんは襟元まできっちり締まった服で、少し窮屈そうにしている。

 でも、二人の服装より言葉のほうが気になる。


「きな臭いんですか?」

「闇人共が現れねぇ」

「……それ、大事(おおごと)じゃないんですか?」

「すっげぇ大事だな。エンデが一周してくるのに、三日前から現れるならともかく遅れてくるなんて、天地がひっくり返ったくらいありえねぇ。つまり、天地ひっくり返ったな、こりゃ! だっはっはっ!」

「大事過ぎますよ!?」


 慌てて靴を履いてベッドから飛び上がる。アラインのほうが紐多いはずなのに私と同時に履き終わったのはちょっとだけ謎だった。







 早足で、といってもトロイと私がついていける範囲の速さで、誰もいない廊下を歩く。

 この状況になるまでに、アラインが私を担ごうとして全力でお断りした。私という人間は、歩いただけで骨は折れないし、首も取れない。シャムスさんを持ち上げることは叶わないかもしれないけれど、自重を支えるくらいは余裕なのだ。そう分かってもらうまでに、シャムスさんから大地を揺るがさんばかりの爆笑と、エーデルさんからお腹を抱えるくらいの失笑と、トロイから目玉が飛び出さんばかりの憧憬を頂いた。アラインはトロイを抱っこしてあげたらいいと思う。



「ちなみに、どうやって六花担ぐつもりだったんだ?」


 アラインはちょっと考えて私を持ち上げた。意識ある人間を、了承も取らずとりあえず持ち上げるのはどうかと思うけど、言葉のあやではなく文字通り担ぎ上げるのもどうかと思う。

 いつも通り肩に担ぎ上げられ、アラインの薄い背中をぺしりと叩く。


「折れ」

「ないっ! 折れる心配するならもうちょっと丁寧に担いで!」


 それだけじゃないけど、とりあえず基準がおかしい。絶対大丈夫な指が折れる心配をするくせに、何故抱き上げると形容できる程度には丁重に扱ってもらえないのか。

 やり場が無くなってぷらぷら揺らしている手の裾がトロイに引っ張られる。


「六花さん六花さん」

「うん?」

「師匠が戦闘以外で人を持ち上げてる段階で破格の扱いですよ?」

「……戦闘では持ち上げてるの?」

「え? 剣に刺さった敵が抜けなくて、こう……」

「あ、ごめん待って。聞きたくないかもしれない」


 可愛い顔でさらっと血生臭いことを説明してくれようとしたトロイをそっと遮る。戦闘職を師に持つ子どもは大変だ。


「アライン、それでは荷物ですよ。どうでもいい男を担ぐならそれでいいですし、シャムスなら足だけ掴んで引きずっても構いませんが」

「よくはねぇな!」

「女の子はもう少し丁寧に扱いなさい。横抱きですよ、横抱き」

「横、ですか……」


 担ぎ方を改めて抱き方に変えようという心掛けは大変宜しいと思う。けれど、人の首根っこを摘まみ上げて位置調整を試みるのは如何かと思う。

 更に、何はともあれ、これ横抱きじゃない。横持ちだ。

 確かに横向きではある。縦ではない。けれど、横向きに抱きかかえられたはずの視界に床が映っているのはどう考えてもおかしい。


「……アラインさん、大変です。裏表が逆です」

「お前は背が裏なのか?」

「少なくとも表ではないです」


 肩担ぎを例えるなら狩られた動物だけど、今これを例えるなら獲られた魚である。誰か彼に正しい横抱き、というか、普通に人間を抱き上げる方法を教えてあげてほしい。人を抱き上げる際に支える位置として、胸上と太腿はどう考えてもおかしいと、早く彼に教えてあげてください。

 大爆笑する前に。



 シャムスさんは息も出来ないくらい笑っている。びちびち跳ねて止めを刺してやろうかと思っていたら目が合った。にっと太陽みたいな顔で笑ってくれたから、思わずにへらと笑い返す。太陽みたいな笑顔がにやっと歪むと同時に、シャムスさんが消える。

 そしたら、視界が揺れた。また地震かと思ったけれど、私よりアラインがびっくりした顔をしている。そんな状態でも私の位置と向きを調整してくれたアラインに感謝した。


「こうだ、こう! アライン、覚えろ!」


 私の下にびっくりした顔のアラインがいる。アラインが私ごと横抱きにされているのだ。もしかしてこの状態で運ばれたから目覚めのあの状況が出来上がったのだろうか。

 二人を抱き上げて平然としているどころか、かなり楽しそうなシャムスさんがアラインに説明している。でも、アラインは硬直したままだ。


「お前は俺みてぇに力あるから、どう持とうが持ち上げられるのがまずかったな。いいか、基本は背中と膝裏だ。ここ持っときゃ体重が分散されるから抱かれるほうの負担も少ない。相手が立ったままでも、膝裏さえ支えときゃ持ち上げられる。その場合は肩か頭かを貸しだしてやれよ。膝裏だけ抱え上げられて姿勢を保てる女は少ないからな。がきは体重が軽いからいけるかもな。短けぇし!」

「短、い」

「おう。抱き合いたきゃ尻押さえとけ! 尻!」


 にかっと笑ったシャムスさんの頭が引っ叩かれる。


「言い方があるでしょう、大馬鹿者。アライン、赤子の場合は首を支えてくださいね。まだ身体ができておらず、頭を支えきれませんので」

「首……」

「ど、どうして僕を見るんですか!?」


 シャムスさんに下ろしてもらったアラインから下ろしてもらう二段階を得て、ようやく地面に足をつける。その間も、師匠からじぃっと視線を貰い続けている弟子は泣きべそをかき、自立歩行に入った私の後ろに逃げ込んだ。


「師匠に見て頂けるのは嬉しいですけど、僕は赤ちゃんじゃありませんからね!?」

「子どもも赤子も似たようなものじゃないのか?」

「だいぶ違いますっ…………違いますからね!?」


 なんとかしてと必死に見上げられても、私にだって荷が勝って、勝ちまくっている。大勝利している荷は、私には重すぎる。

 なんとかしてと、トロイからの救援と私からの援軍要請を籠めてエーデルさんを見ると、なんかにこにこしていた。


「それにしてもアライン、どういった心境の変化ですか? 友達要請を却下し続けていたのに」

「友であれば、外敵の排除行為を六花の許可を取らず実行できるかと」

「普通に守りたいって言えよ……」


 がっくりと太い首を落としたシャムスさんの言葉に驚く。


「そうなの!?」

「それ以外に何があるんだ?」

「……私、だまし討ちで友達になっちゃったかもって思ってた」

「俺から要請したのに何故だ?」


 きょとんとされて、継続した援軍要請をエーデルさんに送る。一人だと自分がなんとかしなきゃと気張るけれど、誰かがいたらつい頼ってしまう。それも頼りがいがある大人の人なら尚更だ。しかし。


「そうですよ、そうやって自分達で頑張りなさい」


 援軍要請、笑顔でぶった切られるの巻!

 ぶった切られたのでうおおおと嘆きながらトロイに差し戻していると、必死の懇願が続いていてうおおおとまた自分に差し戻す。ちらりとアラインを見上げると、黙って返事を待っていた。

 アラインは返事待機だから仕方ないとしても、トロイは必死に、双龍の二人はにこにこと私を見ている……どうしてみんな私を見るの!?


「アラインには言いましたが、私達は不甲斐ない大人ですから、頼りにしてはいけませんよ。私達ができることならば手を貸すことに吝かではありませんが、できることは酷く少ない……というより、何もないに等しい。ですから、できる限り自分達で頑張りなさい」

「おう、お前に妙なもん飲ませた罰も謹慎までが限界だしな」


 やれやれと竦められた肩に、ぱちりと瞬きをする。

 それどころじゃなくて忘れていたけれど、そういえば私にあれを飲ませたのはザズさん達だ。知らなかったのならともかく、彼らはそうと知っていて私にあれを渡した。

 私、嫌われるようなことしたのかな。嫌われるほど関われなかったようにも思うけれど、何が気に障るかなんて他人には分かりようもないことだ。私が悪いことをしたのなら謝るけれど、納得できないのなら、謝らない。

 お互い謝って終わらせましょうと先生に言われた時、始めて胃の痛みを知ったあの事態を引き起こしたあの子に、絶対謝らなかったように。頑なと言われても、それが集団生活を送っていくために必要な和であり、許しは尊い行為なのだと言われても、私はずっと彼女に怒っている。いつかもっと大人になったら、許す時は来るかもしれない。来ないかもしれないけど、少なくとも、私は今でもずっと怒っている。

 たぶん、いま私の心の中ではあの仕切りが凄い勢いで閉まっているのだろう。見えないけれど分かる。嫌われたかもしれないと傷つくより先に、心が閉じていく。

 シャムスさんは苦笑して、固くなった私の顔をつっついた。


「あいつらは俺らの側仕えだけど、仲間じゃないんだよ」

「ですから、話を聞かせたくない場合ではシャムスを落としていたでしょう?」

「…………はい?」


 真剣に聞いていたのに話が繋がらなくて、素っ頓狂な声が飛び出てしまった。

 エーデルさんは内緒話をするように、人差し指を立てて唇の前に立てる。


「これを知っている者は聖人でもほとんどいないのですが、私達は神の理に反して晃嘉と桜良を一緒にさせてあげたいと思っていましたし、今でもその気持ちに変わりはありません。いわば世界の反逆者です。けれど、私達を処刑してしまえば聖人の反発は必至。シャイルンが揉めれば地上の統治が揺らぎ、闇人との力関係に差が現れる。それはどうあっても避けねばならぬ、と、教会は考えるのです。ですから、代わりに監視がついているのですよ。それがザズ達です。彼らは聖人ですが、皇ではなく神に仕えています。普段は私達に尽くしてくれていても、神を通した命令であればそちらに従う。そして、私達にそれを裁く権利はない、ということですよ」


 まるで悪戯を共有するみたいな可愛らしい笑顔を向けられても、どういう反応を返せばいいのか分からない。困ってアラインを見上げたら何の反応もない無表情だった。知っていたのだろうか。驚きを共有できなさそうだと視線を下げてトロイを見る。こっちは全身強張らせた息をしているかどうかも定かではないある意味無表情だったので、そっと背中を擦っておいた。ごめん、私じゃそこまで驚けない。

 それこそ天地がひっくり返ったかのような驚愕を身体全身で表しているトロイになれるほど、私はこの世界に馴染んでいなかった。


「あの……じゃあ、シャムスさんを落としているときは全部演技なんですか?」

「いえ? いらっとしたら落としますよ?」

「え!?」

「おう! たまにそこにいるだけで落とされるぜ!」

「いらっとしたので」

「ええ!?」

「まだ酒飲みてぇ時はエーデルを落とす!」

「酒瓶で頭かち割ってあげましょうか」

「空のやつならいいぜ!」


 きらりと白い歯を輝かせたシャムスさんに舌打ちしたエーデルさんは、くるりと回れ右して私を向いた。大変麗しい真顔に、意味もなく許しを請いたくなる。


「六花、異世界にこの馬鹿の鉄頭をかち割れる酒瓶はありませんか?」

「まず鉄をかち割れる存在がお父さんしか思い浮かびません、すみません!」

「お前の父ちゃんすげぇなぁ」

「はい! お父さんは凄いんです! あ、シャムスさんに似てるおじさんも割れるかもしれません。お酒好きなおじさんです」

「だっはっはっは! そいつと酒飲みてぇな!」


 そうなったら、きっと楽しいだろう。けれど、ごきりと手を鳴らしたエーデルさんを見ると大惨事の予感しかしない。

 ある意味一触即発の双龍にはらはらしていたら、視線を感じた。見上げると、紅瞳がじっと私を見下ろしている。用があるなら口に出してほしいけれど、気づけたからよしだ。


「俺も割れる」

「あ、はい」


 気づけたのはよかったのだけど、言われた内容はさっぱり理解できなかったから全然よくなかった。

 服の裾を引っ張られて下を向く。


「あの、僕はまだ割れませんけど、いつか立派に割れるようになります」

「あ、はい」


 鉄を割れることは必須ではないし、重要箇所でもないのだけど、私はそれをこの師弟にどう伝えればいいのか。

 何故か鉄を割れる及び鉄を割る宣言をしてきた師弟の視線を受けながら、必死に考えていた私の背中が引っ叩かれる。折れた。否、弾けた。


「いっ……!」

「ま、世間なんてもんは茶番で回ってやがる。その中でてめぇのほんとだけ間違えなけりゃ、後は適当な茶番に乗っかってやり過ごせ。どの茶番も気にくわなけりゃ、てめぇで茶番作っちまえ!」


 吹っ飛ぶ前に、咄嗟に差し出されたアラインの手で止まる。初対面で人をあれだけぼろ雑巾にしてくれたアラインが、咄嗟に私を支えようとしてくれたことがどれだけありがたく、そして胸躍らせることか、私は知っている。

 なのに、湧き上がる感情はそれじゃない。


「うぶっ」


 アラインの支え方も、それじゃない。

 差し出された掌がちょうど顔面を覆っていて、首がぐきっていった。できればもうちょっと位置を下げてほしかった。せめて胸かお腹で支えてくれたら首は守られたはずだ。人を支えるのにこんなに不慣れな人間を、私は知らない。


「…………六花?」

「…………はい」

「…………折れたか?」

「…………ちょっと危なかった」


 恐る恐るといった風に、そろぉりと下りていく掌で塞がれていた視界が開ける。私を覗き込む紅瞳があまりに頼りなくて、思わず噴き出す。


「でも、ありがとう!」


 漂うように彷徨った手を追いかけて握り締めた私の後ろで、ごきりと凄い音が鳴った。


「だから、子どもを貴方の力で引っ叩くなとあれほど!」


 エーデルさんの言葉が途中で途切れた。特大雷が落ちたかと思うほどの勢いで、世界が揺れている。自分が飛び上がったみたいなのに、地面が落ちていったようにも思える、世界が掻き混ぜられるかのような揺れだ。

 立っていられなくて、そういうつもりじゃなかったけど既に掴んでいた手にしがみつく。アラインでさえも体勢を崩し、背中を壁に当てることで転倒を防ぐ。トロイは私のお尻にしがみついていた。これで私が体勢を崩したらトロイを潰してしまう。慌てて片手を身体の後ろに回してトロイの背中を掴む。なんとか前に持って来ようとしていると、アラインに凄い力で引っ張られた。腕が引っこ抜けそうな力でトロイと一緒に抱え込まれる。薄い身体に肩と頬をつけて、慌てて見上げた紅瞳は、見たことがないほどの鋭さで周りを見回していた。

 エーデルさんも背中を壁に当てていたのに、シャムスさんだけは一人不動のまま両腕を組んで、何故か胸を張っていた。凄い。


「おうおう、派手にやってやがるな!」

「笑い事ではありませんよ。今日を狙い、シャイルンを、更には城を正確に狙って揺らすなんて芸当、神脈が見えていないとできるはずがありません」

「おう! じゃあ、俺らと同じなんだろうよ」


 二人が何を言っているか分からなくてアラインを見上げても、首を小さく振られた。仕方なく視線を戻すと、エーデルさんが嫌そうに眉を寄せている。


「それこそ、笑い事ではありませんよ」

「だっはっはっ! そうだな! 何はともあれさっさと行って、とっとと解決して、たっぷり酒だ!」

「貴方、今日だけで何本飲んだんですか。鉄瓶なら許可しましょう」

「やなこった。鉄錆びくさい酒なんざうまくもねぇからな!」


 からから笑ったシャムスさんは、窓の外を覗きこみ豪快な口笛を吹いた。口笛というよりは獣の咆哮に近い唸り声だったけれど、唇の形は軽快な口笛そのものだった。


「すげぇな。ここを森にするつもりか?」

「森は好きですが……あれはまた、凄いですね」


 背の高い二人の間から窓の外を覗きこんだ私とアラインは、「あ」と声を揃える。外が見えなくて後ろをうろちょろしてるトロイには悪いけれど、これ、急いだ方がいいんじゃないだろうか。





 まだ上からしか見たことのない正門と城までの広い広い場所に、ぽっかり穴が開いている、と、聞いていた。

 けれど、ここから見えるのは穴なんかじゃない。たくさんの根が、地の底から這い出て天を目指している。まるで大木がひっくり返ったみたいだ。何本どころの話じゃない。何百本、何千本もありそうな根は、何百年もの歳月が過ぎているみたいにめきめきと太さも長さも増していく。

 遠目だと蔦にも幹にも見えるけれど、葉っぱが一枚もないからやっぱり根なのだろうか。


「おーおー、すげぇ。火綾の奴らはあれに襲われたか。アライン、あれ硬かったか?」

「鋼ほどには」

「それならば、騎士見習いは下げたほうがよさそうですね。あれをどうにかしないと、様子見すら出せないのが困りものですが」

「俺が」

「地界に六花を連れていくつもりですか? 人間はあの瘴気の中では生きられませんよ。今回は地上で討伐隊に加わりなさい。さあ、急ぎましょう」


 急かされて、さっきより早く小走りで地上に向かう。はっとなったアラインは私を見て、何かを考えた。そして、走りながら掌をくるりと回す。そこにあったのは、さっき私が砕いてしまった髪飾りだった。


「つけてろ」

「あの、壊してごめん」


 ファナティカーに操られていたとはいえ、酷いことを言いながら踏みにじった。ごめんともう一度繰り返した私に、アラインは走りながらきょとんとした。


「壊させたのに、どうして謝るんだ?」

「え!?」

「俺が作ったものをお前の力で壊せるわけないだろう」

「こ、壊れないままじゃ駄目だったの?」

「踏んだらどうせ作り直すだろう?」

「……ありがとう」

「何がだ?」


 もう渡さないという選択が、アラインの中に最初からなかったことが嬉しかった。なんだか泣きたくなるくらい嬉しかったのに、当の本人はきょとんとしていた。


「トロイどうしよう。アラインが可愛い」


 ずびっと鼻を啜った顔を、今更だけどアラインに見られたくなくてトロイに向ける。走りながら髪を捩じり一纏めにして、貰ったばかりの髪飾りをぱちりと留めた。そっと手を外しても、アライン印の髪飾りはやっぱりぴったり留まってくれた。

 トロイは私を見て、アラインを見て、もう一回私を見て胸を張った。


「お言葉ですが六花さん。師匠はかっこいいんです!」

「そっか。アライン、カッコイー!」


 胸の前でぱちぱちと拍手したら、もっともっともっと心を籠めてくださいとぷりぷり怒られた。アライン、カッコイ――――!!!!!


「ちなみに、アラインは六花をどう思います?」

「どうとは」

「他の奴に六花を説明するならなんて言うかってことだな。俺のおすすめは粋がいいだ!」


 アラインはちょっと考えた。


「柔らかい」

「待って! それ、なんか無性に恥ずかしい!」

「だ――はっはっはっはっはっはっ! 腹いてぇ――!」

「同感ですが、いい加減うるさい」


 片耳を塞いで眉を寄せたエーデルさんは、笑い転げるシャムスさんの胸倉をむんずと掴み、流れるように背負い投げた。お腹を抱え大声で笑いながら、シャムスさんが消える。笑い声だけが尾を引くように延々と響くけれど、廊下はしんっと静まり返った。

 ぱんぱんと両手をはたき、麗しい笑顔がくるりとこっちを向く。


「酔っ払いがいないだけで気持ちどころか空気まで澄んだ気がしますね。さあ、私達も急ぎましょう。ですが、転ばないよう足元に気をつけてください。焦らなくても大丈夫ですからね。何なら、トロイは私と手を繋ぎますか?」


 優しく穏やかな声音で差し出された手を、トロイは真っ青な顔で見つめた。ふる……ふる……と、小刻みなのに緩慢な謎の首振りで断わっている弟子を見もせず、その師匠はシャムスさんが消えた窓をじっと見ている。


「六花」

「嫌な予感が」

「お前は落ちたら折れるか?」

「死ぬ!」


 過度の心配は無用だけど、強度への過度な信頼もやめてほしいと思う。

 切実に!







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