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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
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57伝 はじめての終ともだち






 大きな長筒みたいな側壁に沿った形で階段がある。ぐーるぐると緩やかに円を描いている階段を下りながら、アラインがぽつりとつぶやく。


「……ちゃんと、仕切りはあったのか」

「そりゃ、普通あると思う」


 誰だって、誰も彼も心の中に一直線に通していたらやっていけないはずだ。それこそ何か壊れている可能性だってある。いつだって「いらっしゃい!」な雰囲気のお母さんだって、私達とお散歩中に変な人が現れたら、私達を抱えて凄い速度で逃げだしたものだ。そして次の日、筋肉痛に悶え苦しんでいた。

 後に変質者と罪名がついていたその人を捕縛するお父さんの顔は、娘の私をぎゃん泣きさせたくらい怖かった。ちなみに、彼は人妻が好きだったそうです。お母さんは人妻の名称凄いとしきりに感心し、湿布しまくっていた。お母さんが湿布くさくて、私はさらにぎゃん泣きした。





「俺の時は滑り台だった」

「一直線だね。むしろ階段を下りてきてもらう時間も惜しいとばかりに一直線だねいらっしゃいませ」


 長筒は等間隔で塞がれ、ちょうど階段がある場所だけ扉があって先に進めるようになっていた。ほらね、私だって誰彼かまわず受け入れていらっしゃいしているわけじゃないのだ。

 まあ、その仕切りの中心部分は、何か凄く熱いものが通り過ぎたみたいに溶けているわけなんですが。不法侵入です。おかえりください。





 人の心の中に勝手に侵入して、思ってもいないことを散々音にさせた人を追いだそうと最深部目指して下りていると、アラインがまたぽつりと声を出した。今はしんっと静まり返った場所だから小さな声もよく響くし、アラインの声は元々とても通る綺麗な声だからこんな状況で聞き逃したりしない。


「お前の」

「私の?」

「中にあれだけいた人間はどこに行ったんだ」

「私に聞かれましても……私も一つ聞いていい?」

「何だ」

「なんで手、繋いだままなの?」


 私は、自分の心の中なのに私より詳しいアラインに手を引かれて歩いている。私はずっとこの心を持ってはいるけれど、何度も中に潜って大歓迎を受けていたアラインのほうが断然詳しいのはまあ分かるし、そこに不平不満はない。だけど、小さい子どもみたいにずっと手を引かれている今の現状に疑問はあるのだ。

 アラインは視線を落として繋がっている手を見て、また上げてきた。


「嫌なら離す」

「嫌ではないけど不思議ではあるかな」


 隠すことでもないから素直に言うと、アラインは私よりよほど不思議そうな顔をしたから、私もさらに首を傾げる。


「お前」

「私」

「離すと砕けるだろう」

「どうして心底不思議そうに恐ろしいこと言うの!?」


 きょとんとしたちょっと幼く見える顔を可愛いなとか思ってる場合ではなかった。


「溶けるのか?」

「人を氷みたいに言わないで!?」

(ほつ)れるのか?」

「私を何だと思ってる!?」

「もろい」

「もろくはない! 少なくとも、転んだ程度で砕けないくらいには普通の人間です!」


 誰かアラインに、人間の通常強度を教えてあげてほしい。

 どうしたものかと悩みながら手を引かれていた私は、悩みに気を取られすぎて、不思議そうな顔をしたアラインが無造作に伸ばした手に気付かなかった。


「ひえぅ!?」

「柔いだろう」

「なんで脇腹掴むの!?」

「柔らかい最たる箇所だろう?」

「そしてくすぐったい最たる箇所でもあるね! せめて肩にしてくれるかな!」

「そこは骨だろう?」

「普通はお肉もある、よ……待って、私普通だから。これ普通だから! 別に私が特別柔らかいわけでもふくよかなわけでもないし、もろいわけでも柔いわけでもなくて普通だから!」


 誰かアラインに、人間の……人型の通常体型も教えてあげてほしい。


「アラインとかトロイが痩せすぎなだけだよ! それに私、戦闘職じゃないし。あと、男の子とじゃそりゃ違うよっ……やめて、不思議そうな顔でお肉つままないで! そりゃ贅肉が一切ない引き締まった肉体美じゃないけど、これ必要分なお肉だから! なかったら骨と皮だけになっちゃうから!」


 ちょっとそこら中の人にお願いできないものだろうか。大人も子どもも、男も女も、老若男女彼を抱きしめてくれたら、私が普通だと分かってもらえるはずだ……腕のお肉ひっぱらないで!

 繋いでいた手を振り払い、つまんでくる手を握りしめる。一部掴み損ねて、中指と薬指だけ握ってしまったけれど、解放してまたつまんできたら困るからそのまま握って歩き出す。アラインは特に文句は言わないけれど、まだなんとなく不思議そうな顔をしているように見えて不安になる。何故かとても幼い子どもを相手にしているような気分になってきた。このきょとんとした顔のせいだろうか。一応釘を刺しておこう。


「……私以外の女の子にやったら捕まるからね? 駄目だよ?」

「お前以外の強度を確かめる必要性のある事態が起こるとは思えない」

「私の強度も確かめなくて結構です!」


 力を籠めて言い放ったのに、アラインはどちらかというと不審そうに自分の指二本を握る私の手を小指でするりと撫でた。


「お前、そんなに力を入れたら折れるんじゃないのか?」

「私の指、不良品にも程があるんじゃないの!? 今までばかすか胸を突くわ、指を捻り上げてきてたのに、今更変な心配しないで大丈夫だから! いや、別に殴れって言ってるわけじゃないけども!」


 喋りながらも順調に進んでいたアラインの足がぴたりと止まる。根が生えたみたいにぴたっと動かなくなった身体を引っ張れず、自然私の足も止まった。


「お前」

「……待って、なんか嫌な予感してきた」

「最初からあんなに柔らかかったか?」

「この世界に来てお肉ついたみたいに言わないで! むしろ痩せたよ! いっぱい食べて肥え太れって言った手前なんとなく言えなかったけど、やーせーまーしーた!」

「森で担いだ時は全く思わなかった」

「……それ、私に全く興味がなかっただけじゃないの?」


 ああ納得みたいな顔をされた。納得してもらえてほっとすべきか、本当に全くこれっぽっちも興味なかったんだなと悲しめばいいのか。それとも、今は興味が湧いているらしいことに喜べばいいのか……もういいや、喜んどこう。


「わーい……」

「他者に柔らかいと認識されるのは嬉しいことなのか?」

「凄まじい誤解を招きそうな言い方やめてください」


 投げやりに喜んでおいたら、ひどい誤解を招きそうな疑問を真面目な顔で投げられた。


「柔らかい云々はともかく、興味を持ってもらえたことを喜んだんです」

「他者に興味を持たれるのは喜ばしいことなのか?」

「まったく興味を持たれないよりは嬉しいと、思う」


 アラインはちょっと考えた。そんな難しいこと言ってないと思うけど、とりあえず嫌な予感はしてきた。


「……それは、年齢は関係あるのか?」

「年齢」

「性別は?」

「性別」

「年上、年下、異性に興味をもたれるから嬉しいのか、それとも人種すら拘らず興味を持たれるという事象自体が嬉しいのか?」

「どんどんややこしくしないでください! アラインが私に興味持ってくれたことが嬉しかったんです! それ以上でも以下でも、以外でもありません! 年齢も性別も聖人も人間も関係なく、アラインが、私に、興味を持ってくれて嬉しかったのっ! 分かった!?」


 お願いだから真面目に訳の分からない方向へ捩らないで、素直に額面通り受け取ってください。

 必死の願いを、視線と言葉に込めてぶちつけた私に、アラインはちょっと考えた。嫌な予感再び。いや、三度。


「忌み子に興味を向けられて嬉しいのか?」

「待って! それたぶん振りだしに戻ってる!」


 この時点で、私は一つの可能性に気づいてしまった。

 誰かアラインにいろいろ教えてあげてほしいと思っていたけれど、もしかしてこれ、教えるの私……?


「責任重大すぎる!」

「振り出しが?」


 この、ある意味小さな子どもより無知な人に、私が?


「無謀だ……お肉つままないで!」

「……これは肉なのか? 水じゃなくて?」

「強度だけじゃなくて触感も確かめなくていいから! 筋肉ないだけだよ、ごめんね!」

「……針が刺さったら空気が抜けないのか?」

「中身ちゃんと入ってるから抜けるのは血だけで……あれ? ある意味水で正解……いや、いやいやいや」

「……お前、この柔さで今までどうやって生きてきたんだ?」

「普通に、普通に、ふっつうに! 歩いて走って転んで生きてきました! そしてほんとに、ほんっとうに私に興味なかったんだね! 異世界人にもっと興味持って! ぼろ雑巾にする前に!」


 誰か、ここで引っ張っられているのはぬいぐるみでも玩具でもなくて、普通の、大変一般的な生きた人間だということを彼に教えてあげてくれないだろうか。

 切実に。そして早急に、できるならぼろ雑巾にされる前に!


「それと、たぶん、私よりトロイを気をつけなきゃいけないと思う! 子どもだし!」

「そういうものなのか?」

「そういうものだよ」


 不思議そうな顔で腕を見比べているアラインに、がっくり肩を落とす。

 そういうことは小さな頃にお父さんやお母さんに抱きしめられたり、小さな子を抱きしめて知ることなんだろう。他者の体温も、柔らかさも、硬さも、厚みも。荷物とは違うのだと、自分とも違うのだと、人は温かくて柔らかいけどもろくはないのだと。

 それを知るにはどうしたらいいのか、私は知っている。つまり、実践あるのみだけど……。


「っていうか、私、抱きつくの初めてじゃないんだけどね!」

「何がだ?」


 きょとんとしているアラインを見ていると、もうどうでもよくなってきた。あ、でも、お肉つままれるのは全然どうでもよくない。

 ぺしりと指をはたき落とし、適当に手を繋いで歩き出す。


「今度、抱っこ大会しようよ。あんなお城いっぱいじゃなくて、局地的なものでいいから。とりあえず、私とトロイくらいはちゃんと、ちゃんと、ちゃんとっ、興味持って抱っこしてよ!? 荷物担ぐんじゃなくてね!?」


 エーデルさんやシャムスさんなら、嬉々として参加してくれそうだ。むしろアラインが抱っこされるんじゃないだろうか。シャムスさんなら高い高いまでやってくれそうだ。小さな子どものように抱き上げられ、無表情で固まるアラインを想像したら、なんだかおかしくなってきた。

 今のばたばたはいつ落ち着くのか分からないけれど、式典が終わったら余裕ができるとエーデルさん達が言っていたから、その時に提案してみよう。

 楽しそうな未来を思い描いて、ふへっと笑う。

 

「おんぶくらいなら私でもできるかな。アラインひょろっひょろだし」

「駄目だ」

「なんで?」

「折れる」

「私、そんな怪力じゃないよ!?」

「お前の背骨が」

「折れないっ!」


 駄目だこれ。抱っこ大会は早期に開催する必要がある。

 超特急で開催して、超特急でアラインの中の私を頑丈な虫に……せめて人型にしてもらえたらなと思う。











 中心部分が溶けてはいるものの、ちゃんと存在している仕切りを何かとても珍しいもののように見ているアラインに手を引かれて階段を下りていく。鍵付の扉は家主である私がいるからか、お客さんがアラインだからか、通るときだけ扉が消えて素通りだった。

 だから、大変あっさりと目的地に辿りつけた。仕切りのせいで底が見えなかったけれど、階段は突然終わる。さすが私だ、底が浅い。どうやらここが最奥であり、私の最深のようだ。



 私の心の中心は、何色といえばいいのか分からない場所だった。夕日より淡くて、朝日よりは濃い、よく分からない色だ。自分の心の中をじっくり見物したいような、どうでもいいような。興味はあるけれどそれどころじゃないような。





「ですから、忌み子という者はこの世から排除されるべき存在なので痛い!」


 両の手を組み、跪いた身体を少ししならせ、哀れな子羊みたいな声と瞳で祈るように懇願していたファナティカーの頭にじゃがいもが直撃する。


「これは神の御意思であり痛い!」


 にんじん、たまねぎ、りんご、鍋、フライパンまで飛び交う。

 色鮮やかな武器が宙を舞う光景を見つめていたアラインは、ちらりと私を見た。


「…………道理で上に誰もいないはずだ」


 そう呟いて戻した視線の先には、よく分からないものがあった。

 真円というには盛大に欠けているのに、それ自体は一つの形として完成しているようにも見える。言うならば丸みを帯びた菱形としか言いようのない不思議なそれは、物質自体もよく分からない。水晶のようにも見えるのに、私の知っている何でもないものにしか見えない。よく分からないものは、とても大切なものに見えるのに、この世の何よりも価値がないようにも見えた。


 そのよく分からないものの前で、まるで悲劇の主人公を演じているように大仰に嘆いているファナティカーに、色鮮やかな武器が直撃していく。


「ああ! なんという悲劇! 異界の方に我らの言葉が通じない!」


 涙を散らしたファナティカーの頭に、洗濯ばさみがすこーんと直撃した。





 よく分からない菱形の前には、ずらりとたくさんの人がいた。家族や友達だけじゃない。お母さん達の友達まで含めて、私が今まで出会ってきたいっぱいの人達が仁王立ちになって、思い思いの武器を掲げている。元から武器を持っていたお父さんや騎士や軍士の人達だけじゃなくて、普段は武器なんて包丁くらいのお母さん達までいろいろ持ってるから、もうこれ戦う準備じゃなくて生活しているだけと言われたっておかしくない。

 インク瓶に、香水瓶に、本に、おもちゃに、包丁に、鍋に、人参に、牛蒡に、大根に、田芋に蓮根に……献立は根菜煮かな?

 またすっこーんとファナティカーの頭に何かが当たる。弟が投げたカブトムシだった。カブトムシは当たった後にぶぶぶぶとどこかに飛んでいく。どこかに……あ、やめて、こっち来ないで!

 お父さん達はともかく、他の人の投擲能力も命中力もこんなに高くなかったはずだけど、みんな見事な投擲能力だ。何故かナツカまで百発百中でおしゃぶり投げつけている。ナツカはもうおしゃぶりをしてないのに、私の中のナツカはまだちっちゃな赤ちゃんの印象らしい。




「俺が力ずくで追いだしていい、か……どうして泣くんだ」


 ぎょっと後ずさろうとしたアラインは、自分が手を握っているから離れられないことに気づいたらしく、なんとも奇妙な表情を作った。

 否定する気力もなくて、ずびっと鼻を啜り、適当に目元と頬を擦る。


「お母さん達が、いる」

「……お前が心に抱えたものであって、本物じゃない」

「分かってる」


 だから寂しいけど、やっぱり嬉しくてほっとした。

 皆がいる。この世界のどこにもいない皆が、私の大切な人達がいる。ここにいる。私の中にちゃんといてくれる。

 当たり前のそれが、どうしようもなく嬉しかった。


「……お前の心の最終防衛線だ」

「……うん。最強でしょ!」

「うるさい」


 空いているほうの手で顔を拭おうとしたら、もう一本空いていた手に先を越された。瞬きした拍子に残りの雫が落ちて、それもごしりと擦り取られる。自分の涙なのに、拭う手が出遅れるなんてとおかしくなって、思わずふへっと笑う。


「うるさいのは仕方ない。だって最強だからね!」


 どうだ、不法侵入者。私の心の防衛力はものすごく強いのだ。すごく他力本願の防衛力だけど、私が何より誇る最強最高の軍団である。これ以上心強い存在があるだろうか。

 私の自信満々の声に、アラインは最強軍団に視線を向けて、逆にファナティカーは最強軍団から視線を逸らし私を見て、目を丸くした。






 地面すれすれの金髪は、私の心の中でも遠慮なくきらきらして存在を主張していた。橙よりも黄色を前面に押し出した金色で、集中的に光りを当てたらちょっとした目くらましになりそうだ。


「これはこれは異界のお嬢様。お迎えに上がろうとしていたところなのですが待ちきれませんでしたか?」


 大仰な動作で紫と金で彩られた長い裾を派手に翻したファナティカーは、悪びれる様子もない。少しくらい申し訳なさそうにしてくれたら私だって……別に許しはしないけど、少しくらいはこう……絶対に許せない言葉を言わされたから絶対に許しはしないけど……。

 許さなきゃいけない理由を作ってくれなくてありがとうございます。


「出ていってください」

「そのように急かさずとも、ご希望通り必ずや故国へ送迎いたしますとも」

「帰りませんから必要ありません。私の中から出ていってください」


 招いていません。受け入れてもいません。そのつもりもありません。

 そう立て続けに言い立てる必要はなかった。私がここにアラインと現れたことで、彼もそう分かっていたのだろう。特に驚く様子はない。


「友達ごっこはお終いでございますよ、異界のお嬢様。いや、恋人ごっこのつもりだったのでしょうか?」

「ごっこも何も、友達にすらなれていませんが」


 友達要請すら即時却下されている私を嘗めないでほしい。

 胸を張って宣言すれば、ちょっと眉を上げられた。なんですか、事実ですよ。


「それなのに残られる? 異界のお嬢様の思考は良く分からないものですねぇ。それに、分かっておられないようなので申し上げますが、あなたを故国に返して差し上げることができるのは、我らが神より直接御力を授かれる教会のみ。そのわたくしを拒めば、二度と戻る手立てはございませんよ?」


 繋がっていた手が少し引かれた。アラインは、馬鹿だと思う。約束は、一度で充分だ。必ずと、アラインがそう言ってくれたのなら、私はそれを信じる。だから、大丈夫だと確認させてくれなくたって平気だ。

 それに、もし、もしも一生帰れないとしたら。それはとてもつらいことで、きっと私は一生泣いてしまう。それでも。


「アラインを傷つける為だけに私を返そうとする人に、戻されたくありません」


 ここにいるのは、とても美しい人だ。晃嘉や桜良、アラインやトロイ、エーデルさんやシャムスさん。みんなみんな綺麗だ。この人だって綺麗だ。神様が、自分が愛する人や近しい人に美しい姿をあげたのかもしれない。

 でもこの人は、その美しい顔を、ひどく歪に笑わせる。



 私に酷い言葉を言わせている間、私の中にいるこの人は喜びに満ちていた。

 アラインがこの先、得るかもしれなかった可能性を摘みとれる喜びに。アラインと手を繋いだ私がいなくなり、アラインが一人取り残されることで得るかもしれない痛みを与えられる喜びに。私が彼にあげられるはずもないような途方もない幸福を勝手に夢想し、それを永遠に潰えさせることのできる喜びに、満ち溢れていた。

 それなのに、どうしてこの男の手が取れるだろう。家が、家族が、故郷が恋しいと。それはどうしたって事実だけれど、どうして、それが、アラインを無碍に扱うことで喜びを得る人に協力する理由になるだろう。


「出ていってください」


 たぶん、通じない。私はファナティカーの事をなんにも知らないのに、その確信があった。

 この人には、通じない。

 最初から分かろうとしない人には、なんの言葉も行動も、届かない。

 驚愕に見開かれた瞳すら、まるで戯曲のように大仰で。いま私と手を繋いでくれている人の無表情で固まってしまっていた姿は、ああびっくりしたんだなってあんなにも思ったのに。


「これは……弱りましたねぇ」


 困った困ったと前面に押し出して身体をしならせたファナティカーは、またばっと裾をひるがえして顔を上げた。まるで何か名案を見つけたかのような輝かしい顔で。



「一目見たその時から貴方が好きになってしまい、何時如何なるときも頭から離れることはありません! どうかわたくしの恋人になってくださいませ!」



 頭が湧いたことを言った。







 すこんすこんと頭に直撃し続けていたものが途絶えたのは、私の思考が止まったからだろうか。心と頭は違うと思っていたけれど違ったのだろうか。


「…………六花」

「…………なに?」

「……到底こなし切れるはずのない課題を嫌がらせで押し付けられたトロイみたいな顔をしているぞ」


 それはさぞかし、死んだ魚のような目をしていたことだろう。そんな顔をしている自覚はある。

 何言ってるんだこの人と思いながら、なんだかひどく疲れて別の話題に乗っかる。


「…………それ、いつのこと?」

「弟子になって半年くらいの頃だ」


 やっぱりアラインは見ていないようでちゃんと見ている上に、ちゃんとしっかりきっちり覚えている。これは馬鹿やらかしたら未来永劫記憶されてしまうのではないだろうか。今更かな。




「あの、ファナティカーさん」

「なんでしょう、麗しき異界のお嬢様!」


 両手を広げて身体を捻った格好のまま停止していたファナティカーは、私の声に合わせてぐるりと一周して同じ格好に戻った。ねじまき人形でこんなおもちゃがあったような。いっぱい回したくて、加減せずねじを巻きすぎて壊してしまい、泣きながらお父さんに持っていったものだ。お父さんが直そうと受け取ってくれたそれは、通りすがりのお母さんが「ほあちゃあ」と掛け声をかけて叩いたら直った。

 あの時は嬉しかったけど、これは直してくれなくていいなと思う。


「そういうことに疎い私でも、わあいって浮かれあがれないくらいどう考えても嘘としか思えないこと言われましても……」


 照れどころか恐怖すら浮かばない。白けすらしないのだから凄い。この場にあるのは疲労感だけだ。

 溢れ出る疲労感だけを乗せて言えば、ファナティカーの目が見開かれた。そのことに驚く。これは、本当の驚愕だ。いまのやりとりのどこに驚く要素があったのだろう。

 ファナティカーは、今までに比べたらひどく小さな、普通の声音と抑揚で呟いた。


「なんと……忌み子の相手はこれで心変わりするものなんですがね」

「おざなりすぎませんか!?」


 えぇ―……と、呆れなのかやっぱり疲れなのか分からない声が漏れる。別に心の底から好きになってほしいわけじゃないけど、なんというか、もうちょっとくらい気合い入れてもらわないと揺れ動くどころか、凍りついた上に砂風が通り過ぎていくだけだ。


「なるほど……異界の人間とはこういうことですか……これはまた……」

「何にしてもお受けできませんし、とりあえず出てってください。ここは私の心の中です。誰にいてもらいたいかは、私が決めます」


 話は全部それからだ。それ行けすぐ行け、とっとと出てけ。

 何かにしみじみ頷いている暇があるのなら高速で出ていってほしい。そもそもが不法侵入だ。今なら罰金はとらないけど、居座るようなら法外な金額の延滞料金とってやる。

 何はともあれ、とっとと出ていてほしい。もう疲れたと、顔にも声にも雰囲気にだって溢れだした私に、手を握ったままのアラインの声が降ってきた。


「六花」

「……はいはい」

「お前を攻撃しないと再度誓った上で、実力行使に出ていいか」

「誓ってくれなくてもアラインはそんなことしないって信じてるからもうそのままお願いします……」


 ひどく疲れた。

 どうしてだろう。人間の相手をしているように思えない。こんなに、ここにいる誰より大きな声で動いて喋っているのに、「会話」をしているように思えないなんておかしい。けれど、この存在が私の中にいるのが気持ち悪くて堪らないくらい、異質で、奇妙に思えてならないのだ。

 無言で掌に炎を纏ったアラインに、ファナティカーは何事か考えていた動作を止めた。


「いくら片翼とはいえここは女性の中、我が物顔で力を使い、少女の中を蹂躙するのは如何なものでしょう」


 片翼でも何でもない上に顔見知りと呼ぶことすら怪しい私の中で好き勝手してる人が凄いことを言う。

 私が浮かべた何とも言えない顔に、ファナティカーはくすりと笑った。


「わたくしといらっしゃい。わたくしならば、いつでも貴女を故国に返して差し上げられますし、忌み子の片翼が受けるべき迫害ではなく穏やかな暮らしを約束できますよ。罵声ではなく称賛が、嫌悪ではなく憧憬が、泥ではなく金色が貴女を彩るでしょう」

「……私の母は、遠い異国から父の元に嫁いだ人だから、故郷を離れる心構えはいろいろ教えてくれました」

「でしたら分かるでしょう。この世界の全てが貴女に告げたはずです。忌み子のあるべき姿を」

「両親はお前が見つけた正しさを信じなさいって教えてくれました」


 欲しいものはそんなものじゃない。罵声も嫌悪も泥も投げつけられたくはないけれど、代わりとしてあげられたそのどれだって欲しくない。欲しいのはそんなものじゃない。失いたくないものは、そんなものなんかじゃない。


「だから、あなたとは行けません。行きたく、ありません」

「しかし、それは忌み子ですよ?」

「私が誰を好きで、誰が大事かは、私が決めます」

「うーん……ここまで言ってわたくしを好きにならなかった者はいないのですがね。そろそろ、わたくしの元にくるための障害となる忌み子の事が疎ましくなりませんか?」

「だからおざなりすぎじゃないですかね……」


 適当にも程がある上に、それは言っちゃいけないんじゃないだろうかというネタばらしも二度目だ。この人もしかして、誰かとちゃんとお付き合いしたことがないどころか、友達もいるか怪しいんじゃないかと思えるくらい、どうにも何かがずれている。

 何かがずれきった、会話と呼んでいいのか分からないものでも一応話しているからか、ファナティカーを燃やさず動きを止めているアラインに助けを求める。ちらりと見上げると、視線が合わなかった。紅瞳は、私の心の根幹を守っているお母さん達がいる場所を見ている。じーっと見ているのは何かを見定めようとしてるのか、それとも、何かを探しているのか。

 どうしたのと聞きたい。会話なら、アラインとしたい。

 だから、もう本当に出ていってもらおう。時間を心を、割くのも裂くのも、相手はアラインがいい。


「お母さんはどこでだって生きていけるって言った」

「素敵なお母様ですね。だから貴女もこんなにも素敵なお嬢様なのですね」


 するりと呼吸するように心にもないことを言うファナティカーには、もう付き合わない。


「でも、誰とだって生きていけるとは言わなかった」


 だから、もう出ていって。あなたがいることも、あなたといることも私は望んでいない。

 どうしてきょとんとしているのか。どうして断られないと思ったのか。どうしてそんな言葉で私が彼を好きになると思ったのかとても不思議だけれど、それを解明しようと思わないくらい私は彼に興味がない。そして、私の中から即座に出ていってほしいくらい、嫌いなのだ。


「出ていってください。私はあなたの為に時間を割かないし、心も砕かない」


 最後の言葉と同時にファナティカーの身体が炎に包まれた。全身を炎で染め上げたファナティカーは、燃え上がる自身は欠片も気にせず、呆然と私を見ている。

 そして、自分の中で何かを納得させたらしく何度か頷いた。


「……なるほど! いつも一筋縄でいっていては成長できないということなのですね! これは神がわたくしにお与えになった試練! わたくしが今よりもっともっと輝くためにお与えくださった、神の愛! おお、神よ! わたくしは必ずや貴方様のご期待に沿える結果を携えて御身の元へ参りましょう!」

「すっごい前向き!」

「では、異界のお嬢様! 後ほどお会いしましょう!」

「え」


 いずれまたどころじゃなくて、後ほど?


「いや、ちょ、どっちかというと二度と会いたくないんですけど!」

「それではしばしのお別れです。わたくしを愛するようになる方!」

「すっごい前向き!」


 あまりにあんまりな台詞を残して、ファナティカーの身体は溶けるように消えた。まるで熱したフライパンの上を滑っていた一滴の水のように徐々に小さくなり、不意に掻き消えたのだ。

 心の中から異物が消え失せて喜んでいいはずなのに、どっと疲れてそれどころではない。願いが叶ったのに、湧き上がってくるものは「えぇ――……」という呻きだけで、気が重いままなのはどういうことだ。






「……アライン、ありがとう」


 それでも目的を達したことには変わりない。ぐったりしながらお礼を言ったけど、返ってきたのは沈黙だった。あれっと首を傾げる。ちょっと前まで当たり前のように無言が返っていたのに、いつのまにか返事があることが当たり前になっていた。これは久しぶり……というほど久しぶりでもないけれど、ねえねえアライン攻撃の出番か。


「ねえねえアライン」

「六花、質問がある」

「あ、はい」


 どうやら考え事をしていたらしい。無言対応かと早とちりしてしまって申し訳なかった。その見極めができるようになるにはどうしたらいいんだろう。私もアラインの心の声が聞こえたらいいのに。あ、でも難しいこと考えてたら流れ矢で私だけ知恵熱出すのも困る。

 そんなことを頭の片隅で悩みながら見上げたら、紅瞳はまだ私の中のたくさんの人を見ていた。話しているのに視線が合わないのは珍しい。


「お前の中に、俺はいないのか?」

「え?」


 その声に何かが滲んだような気がした。気のせいだろうか。

 ようやく合った視線を覗きこみ、思わず噴き出しそうになった。


「す、拗ねてる?」

「これがそう表現される感情なら。片翼という特異な状態にも拘らず、俺の中にだけ存在している現状が不公平だとは思っている」

「……ゴキブリみたいな動きだったけどね」

「……どんな姿でもお前はお前だろう」

「普通なら喜べる台詞なのに、喜ぶに喜べない!」


 複雑な気持ちをうまく消化できず悶える。


「……今は、変わっていると思うぞ」

「え? ほんと? どんなの? ちょうちょ?」

「もろい虫」

「せめて鋼の虫にして。せめて」


 べしりと繋いでいた手を解いて、お母さん達に近づく。いつもみたいに、にっこにこしてるお母さん。静かに笑ってるお父さん。結構笑ってるお兄ちゃん。歯抜けの顔で笑ってる弟達に、涎ついて笑ってる妹。みんな笑ってるのは、これが私の中のみんなの印象だからなのだろうか。

 本当のみんなじゃないと分かっているけど、思わずふへっと笑って返す。


「ねえねえアライン」

「何だ」

「……あの、ゴキブリッカは怒らないから、こっちも怒らないでね?」

「……何だ」


 お母さん達にちょっと寄ってもらって、それを取り出す。アラインが首を傾げかけて、ぴたりと止まった。



 屋根が腰の高さになる、玩具にしては大きく、実物にしてはやけに小さな木の家だ。家は断面が見えていた。台所に、寝室に、階段に。小さな家具の中で、その家具が小さく見えない大きさのアラインが座っている。

 ぬいぐるみに囲まれて。


「…………六花」

「…………はい」

「説明を求める」

「たぶんなんだけど……こう……小さいアラインが凄く印象に残ったんじゃないかなと……それで、あの……たぶん、こう………………お人形さんみたいで可愛いなと、思った上に、守らなきゃなとか思ったんじゃないかな、と」


 小さな小さなアラインは、ちょこんと椅子に座り。ふわふわのぬいぐるみの中で淡々としている。でも、目が合えば小さく笑ってくれる。可愛い。


「……お前の中で俺はどんな印象なんだ」

「なんかこう、ある意味トロイより子どもみたいな…………待って、ごめん、言い直す。えーと……えーと…………」

「………………おい」

「待って、えーと、印象ね、印象……」



 いっぱい食べていっぱい眠っていっぱい笑って、満たされて過ごしてほしいとばかり思っていた。だからだろうか。どうしても小さな子どもの印象がちらつく。身長的には全然小さくないけど。


「六花」

「え?」

「全部漏れてる」

「え!? 私の心の中だから私の心の声がもろに音に!?」

「普通に口から出ていた」

「すみませんでした」


 思考に集中するあまり、口を閉じることを忘れていたらしい。馬鹿、ここに極まり。

 アラインは淡々とした中で器用に作り上げた呆れ顔で私を見下ろしていた。まあいいか、笑っておこうとにへらと笑う。ため息つかれた。


「お前は」

「私は?」

「そんな相手と友達になりたいのか?」


 何を言われたか分からなくて、思考が止まった。


「な、なりたい」


 頭を通さず、勝手に口から言葉が飛び出す。でも止めようとも思わないから引っ込めない。


「なりたいっ!」


 なりたい。すごく、なりたい。

 アラインの初めての友達になりたい。二番目でも三番目でも百番目でも、アラインの友達になりたい。


 言葉が頭を回ったと同時に、アラインの両手を握る。この骨みたいな細い身体からどうしたらそんな力が出るのかといつも不思議だったけれど、今はもっと不思議になるくらい弱く弱く握り返してくれた。そんな程度じゃ折れたりしないから、もっと思うままに握ってくれて構わないのに、まるで壊れ物のように触れられてくすぐったくて堪らない。


「なら、なるか」

「なる!」


 友達はなろうとしてなるんじゃない。気づけばなってるものだって言うけど、でもそんなのどうだっていい。気づけばなってるものなら、なろうとしてなったものだって友達だ。

 なりたくてなったものなら、それはもう、素敵な友達でしかない。



 私の心は単純なもので、さっきまで疲れ切っていた砂風はどこへやら。あっちこっちで花が咲き喚く。凄い勢いで花畑が広がっていくと思ったら、壁からも空からも降ってきたから、もうこれ咲いているというより湧き出ている。

 でも嬉しいからいいや。目に見えて嬉しさに満ち溢れているけれど、それで足りる私じゃない。当然口からも溢れ出る。


「嬉しい! アライン、私、嬉しい!」


 両手を握ったままぴょんぴょん飛び跳ねている私と違い、アラインは無表情のままだ。でも、突き放す頑なな色はどこにもなくて、安心して飛び跳ねていられる。どんなにぴょんこぴょんこしても、アラインは揺れもしないのだから体幹がしっかりしすぎじゃないだろうか。


「でも、どうしていきなり友達になってくれたの? すごく嬉しいけど」

「ファナティカーが」

「ファナテイカー?」


 予想だにしていなかった名前が出てきて、一瞬、だれ? と思ってしまった。誰も何も、さっきの迷惑に前向きな人だ。


「お前の中で力を使う理由として片翼だけでは弱いと言っていた。友なら可能かと」

「…………友達はそんなに万能な何かじゃありません」

「そうなのか? そもそも、友は何をするんだ?」

「え? 話して、遊んで、ご飯食べたりする?」

「……それは今とどう違うんだ?」

「友達って名乗れる!」

「それは嬉しいことなのか?」

「私はすごく嬉しい!」


 まあ、どんなきっかけであろうと友達になってしまえばこっちのものだなんて、詐欺師みたいなことを考えてほくそ笑む。にんまりと悪役みたいな顔をしていると、アラインはよく分からないと続けた。


「片翼とどう違うんだ」

「神様が決めたとかいう関係じゃなくて、私達がなりたくてなった関係で繋がってますよって名乗れる。私はそれが、すごく嬉しい」


 仲いいんだよって、仲良くなりたくて仲良くなったんだよって、みんなに言える。別に名乗ることが大事なんじゃないし、片翼と友達のどっちが上とかでもないけれど、私はアラインとの関係を人に尋ねられたなら友達って答えられるほうが嬉しい。


 この場にいない、正真正銘小さな子どもを思い出しながら達成感を噛み締めた。

 ちょっとアラインの勘違いというか、無知な部分を逆手に取っただまし討ちみたいな形ではあるけれど、トロイ、私はやりました。これで君とも友達になれます。私はついに、友達0人から一歩踏み出したのである…………そういえば、トロイどこだろう。



 アラインの心の中であれだけ探した小さな子どもを、まさか私の心の中でも探すことになろうとは。

 でも、心配は杞憂で終わった。トロイはちゃんと、すぐに見つかる場所にいた。師弟だし、なんとなく二人で一組の印象があるからか、アラインと一緒にいたのだ。

 正確には、アラインを囲むぬいぐるみの一つに混ざっていた。大変可愛い。

 ちょこちょこしたトロイがぬいぐるみに埋もれながら、ぬいぐるみに埋もれたアラインを隣に嬉しそうに座ったのを見て、嬉しさが最高潮に達した。

 今いるこの場が私の中心のはずなのに、ぶわっと身体の中心から湧き出した喜びを抑えきれず、ぱっと両手を広げる。


「アライン大好き!」


 勝手に抱っこ大会を開催した私に対して、アラインはいつもと変わらない淡々とした声で「戻る」と宣言した。

 そしてぐらりと揺れた視界の中、大きく広げて飛びついた私の両手は見事に宙を切ったのである。






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