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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
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55伝 終前の言葉






「ザズ」


 いつも豪快な笑い声を上げるシャムスとは思えないほど薄暗い声で呼ばれたザズは頭を上げない。他の者もだ。


「…………申し訳ございません」

「謝罪は俺らが受けるものでもなけりゃあ、誰が何を目的にやらかしたかも分かり切ってるからどうでもいい。お前らは神の名の元にって名目掲げた奴の命令で何やったかだけ簡潔に答えろ」

「は。下りました命により、飲料を」

「分かった。てめぇらは十日側仕えから外す。式典終われば三日謹慎。下がれ」

「は」


 淡々と、シャムスが言っているとは思えない淡白な声音で沙汰が下る。ザズ達は何も言わずに深く深く頭を下げ、まるで壁に溶け込むみたいに物音ひとつ立てず下がっていった。

 深い溜息はエーデルのものだ。


「ファナティカーの血でも混ぜられていたのでしょう。あれは、一滴あれば人間を傀儡に出来ますし。全く、愚物らしい術ですよ」

「傀儡に成り切ってないのは六花が異界人だからか?」

「アラインが混ざっているからかもしれませんが……あれが六花の意思ではないと一目瞭然なのは、六花の中にはあり得るはずのなかった言葉だからでしょう、あの拒絶反応は。そして、私達がそんな野暮いわずともアラインが分かっている理由は、アラインが誰より知っているはずですよ」



 家族を、恋人を、友を、全てを亡くしたかのように、この世の終わりに一人取り残されたかのように泣いている六花を、唖然と凝視していたアラインは、弱り切った顔で一歩踏み出す。

 シャムスのこともエーデルのことも、既に頭にないのだろう。何かで頭をいっぱいにするような経験をしたことがない子どもは、いざ自分がそうなるとそうなっていることすら自覚できていない。

 二人は余計なことをしてアラインの集中を途切れさせるつもりはなかった。

 アラインは六花しか見ていない。どんな者も出来事も、何一つとして、空っぽであり続けたアラインの意識を奪い去ることはできなかった。それだけがアラインの生きる術であり、この世界の正しさだったからだ。


 だが、今この時、アラインの意識全ては奪われた。殴りつける嵐のように、全てをかなぐり捨てて水を求めるかのように、根こそぎたった一人に縫い付けられた。今までの十七年を底から引っくり返すような衝撃に曝されたアラインは、今が人生の分岐点となる。

 どう転ぶか、それは二人次第だ。だから双龍はじっと気配を殺した。

 この世界に全く関係を持たなかった少女が、この世の理に無理やり縫いこまれた。それでも最後まで異を唱える心のままに涙を流す、その意味であるアラインが動かなくてどうする。


 この結果次第で、二人の関係には片翼以外の名がつくのだろう。それが他人となるか別の何かとなるかは、やはり、何もかもが初めてのアラインにかかっていた。









 私の口が言葉を紡ぐ。勝手に嫌悪が雪崩れていく。私の心を置き去りにして、私の大好きな人を貶めていく。

 さっきあれほど泣いたのに、桶どころか井戸をひっくり返したみたいな涙が止まらない。胸の内から溢れだした涙で息も出来ないのに、口からは私では辞書を引かないと出てこないような単語を交えた言葉が飛び出していく。身体も顔面も強張り、頬や額から首筋まで、長さの足りない紐で引っ張られているような引き攣りでぐしゃぐしゃになっているのに、口だけはなめらかに動くのだ。


「お前なんて世界に存在してはならない生き物だ!」


 私の声が。


「生まれてきたことを世界に詫び、恥じろ!」


 私が。


「そうして全ての忌み子を道連れにして失せるべきだ!」


 大好きな人を貶める。





 嫌だ、こんなの嫌だ。

 せっかく同じ言葉を話せるのに、どうしてこんな言葉を叩きつけなければならないのだ。同じ言語を解しているのなら、好きだよって伝えて、これおいしいねって笑って、今度の約束をしたい。また買い物行こうねって、カーテン見ようねって、クッションもあったらいいねって。そんな明日の約束を、今度の約束のために使いたいのに、どうして私はアラインを詰っているのだろう。

 せっかく言葉が分かるのに、相手を貶めるためにしか使えないなんてもったいないじゃないか。こんな、一生使わなくたって生きていける言葉じゃなくて、もっと、もっと優しくて、温かくて、柔らかくて、甘くて、素敵な言葉はたくさんある。

 洗いたてのシーツのような、お風呂上りの弟妹のような、焼き立てクッキーのような、ご飯の匂いをしたお母さんのような、屋台の揚げ菓子を内緒でくれたお兄ちゃんのような、インクと鉄の匂いがするお父さんのような、そんな言葉をいっぱいいっぱい知っているのに。アラインに伝えたいのは、そんな、私が貰った優しくて温かくて、いい匂いのする柔らかい思いなのに。


 こんな、吐くたび自分の中に、へどろが重石みたいに溜まっていき、どろどろとした淀みの中で悪臭を漂わすような言葉を、どうしてアラインに叫ばなくてはいけないんだ。


 それならいっそ分からないほうがいい。今だけ言葉が通じなくなってくれないだろうか。今だけじゃなくても、こんな言葉を聞かせるくらいなら、一生通じないほうがましだ。いっそ喉を潰してほしい。舌を引っこ抜いて、一生喋れないようにしてほしい。そうしたら、こんな言葉をアラインに言わなくていいのに。


 私は酷いことを、酷い言葉を吐き続ける。汚い言葉は自分も穢す。自分を、穢す。相手を貶めるために吐いた言葉は相手ではなく自分を地の底へと貶め、相手を傷つけるために吐いた言葉は自分の未来を傷つける。

 だけど、今はそんなことどうでもいい。私が、私の口が、私の声が、アラインを貶めることを目的とした言葉を吐いていることが、何より、許せない。




 私は醜い言葉を、聞くに堪えない悪臭のような言葉は撒き散らす。

 それなのに、アラインは弱り切った顔している。怒りでも悲しみでもなく、心底弱ったと、困り切った顔を。


「六花」


 常にぴんと張りつめていた眉根が下がり、一文字にぴたりと閉じられていた唇は頼りなげに薄く開き、水のようだった紅瞳はぐしゃぐしゃになって汚泥を撒き散らす私を映している。


「何でだろうな」


 静かな声に、私は怨嗟のような言葉を返す。汚泥を撒き散らしながら、涙で溺れる。嫌だ、嫌だ、こんな言葉吐きたくない。アラインに、こんなひどいこと言いたくない。他の誰にだって言いたくない言葉を、こんな使ってはいけない言葉を、どうしてアラインに言わなくちゃいけないんだ。


「お前が言っているそれは、聞き慣れた言葉のはずなのに」


 こんなもの聞き慣れなくていい。聞き慣れちゃ駄目で、でも聞くたびに傷ついてほしいわけじゃなくて。

 いっそ殴り飛ばしてほしい。殴られたら全身震えてがくがくになって何もしゃべれなくなるから、こんな言葉吐けなくなる。手拭いを口の中に捻じ込んでくれたっていい。なんなら頭ごとぶん殴って気絶させてくれないだろうか。

 こんな言葉を誰かに、アラインに吐くくらいなら、今すぐ寝室に戻って窓から飛び降りたほうがましだ。


 死ねと、吐き気を催す声音で叩きつける自分の声に、お前が死ねと心が叫ぶ。アラインにそんな言葉を吐くお前が死んでしまえ。せっかく言葉が分かるのに、その僥倖で人を貶め、誰かを傷つけることを目的とした言葉を吐くだけしかできないのなら、いっそ死んでしまいたい。


「それなのに」


 どうしたらいいのか分からなくて、ぐちゃぐちゃに泣き喚く。言葉だけは淀みなく流れ出る私に、アラインは肩を落として困った。




「好きだと言われているようにしか聞こえないんだ」




 好きだよ、ほんとだよ。

 アラインが大好きだよ。


 言ったよ。いっぱい言ったよ。そう思った時に、伝えたい時に、いっぱい言ったよ。言葉が通じるって嬉しいなって思った。いっぱい、ちゃんと、間違わず自分の言葉で伝えられることが嬉しかった。


「ごめん。俺は、お前を侮った」


 何のことだろうと首を傾げたいのに、私の中から飛び出したのは酷い言葉で。

 だけどアラインは困るだけだ。


「お前が嘘を言っているとは思わなかった。けれど、誰もが当たり前に言っていた言葉で、お前がそんな、そんな痛みを感じるほど心底から言っていたと、思っていなかった」


 また一歩長い足が前に出て、私の身体は勝手に後ずさる。近づくなと私が叫ぶ。

 駆け寄りたいのに、勝手に足が下がる。

 伝わっていた。ちゃんと、伝わった。自分が吐いた言葉で胸の内に薄汚いものが溜まってはち切れそうだけど、嬉しい。痛いくらい、嬉しい。その気持ちのままに駆け出して、思いっきり飛びつきたいのに、嬉しいって伝えたいのに、私の口からは耳を塞ぎたい言葉が飛び出していく。


「俺はお前を見縊っていた。お前の本心を、侮った。今なら、分かる。お前を見て、分かった。いまお前が言っている言葉は、本当に、お前の言葉ではないんだと。お前が俺に向けた感情の中に、いま言わされているものは本当に欠片もなかったのだと、俺が、嫌悪以外の心を向けられることがあると……そう、お前が教えてくれた。お前がそう、示してくれた。だから、分かる。分かるから……そんなに泣く必要は、ないんだ」


 歩を詰めたアラインの腕が、飛びのこうとする私の腕を握り締めた。温かな体温に触れられた場所から身体全体に鳥肌が走っていく。首元まで泡立った様子が見ただけでも分かるだろう。皮膚の下を虫が這ったみたいな不快感と一緒に肌を泡立てた私を見て、アラインは困り切った顔で、小さく笑った。苦笑を、初めて、見た。


「俺が触れて笑う人間は、お前くらいだ」


 勝手に振り払おうとする私の腕を掴んだまま、アラインは上から覗き込んだ。その紅瞳に、綺麗な光を放つ紅瞳に、ぐちゃぐちゃになった私が映っていた。何日も寝ていないみたいにやつれて、目も落ち窪んだ酷い形相でぐちゃぐちゃに泣いている。

 なのに、笑ってる。馬鹿みたいに嬉しそうに、笑ってる。


「お前の存在が世界の汚点だ」


 好きだよ。


「忌み子が存在すること自体が神への冒涜だ」


 好きだよ。


「この世に生あることが世界に仇なす害悪だ!」


 アラインに会えて嬉しい。

 ほんとだよ。


 悪臭みたいな言葉を撒き散らして離れようともがく私を、アラインが抑え込む。普通に抱きしめられているみたいなのに、身体が動かせない。関節を抑え込まれているのだろう。これを抱擁と呼ぶ人はきっといない。これぞまさしく拘束。


「……同感だ」


 小さな身動ぎしかできない私の肩に額をつけたアラインの小さな声が、髪を揺らして伝いあがり鼓膜を震わせた。何に同感したの。私が口に出した言葉にしたのなら頭突きしたい。

 身動ぎする私の肩に、額の重さと温かさが広がっていく。


「少し、楽しかった」


 少し。私は大変楽しかったよ。


「多分」


 それすら曖昧だった。

 そして、アラインは調整できるようになった、私から雪崩れ込む思考を読んでいるのだろうかという疑問を浮かべた私の肩が軽くなる。


「お前といるときに感じたあの感情が、楽しいと定義されるものなら」


 まずはそこから曖昧だった。

 顔を上げた紅瞳は、思ったより近くに止まったまま話を続ける。


「お前に俺は必要ない」


 続いた言葉に反論したかったのに、私の口から飛び出したのは酷い言葉を制限なく叫び続けたせいで掠れ、奇妙になった呼吸の成り損ないだった。アラインは今の私に答えなんて求めてないのか、元々求めてないのか分からないけれど、特に気にした風もなく続ける。


「それが前提であることは忘れないでくれ。これはお前を縛るための縄でも、選択を制限する楔でもない。お前は聞き流せばいい。お前の何かを天秤にかけさせたいわけじゃ、ない」


 口籠る様子が珍しくて、思わずまじまじと見上げてしまう。その間も、私の口からは勝手にろくでもない言葉が滑り出てうるさい。うるさい、黙れ。アラインの声が聞こえない。

 ほとんど会話をしなかったというアライン。たくさんの言葉を飲みこんで、それが当たり前になっているアラインが、言葉を選びながら、それでも私に何かを伝えようとしてくれているのに、私の声が邪魔だ。せめて聞き逃さないよう、必死にアラインの声を捉える。


「お前が持っているものに比例できるほどの何かを渡せるわけがない。お前が得るはずだった得難いものを失わせ、不利益ばかりを被らせる。俺が渡せるもの全てを渡しても到底届くはずがないと分かってる。それでも」


 何が言いたいのか分からない。私がうるさいのを差し引いても意味が分からないのは、理解する頭が私にないからだろうか。


「もう少しだけ、残ることは、できないか」


 自分の頭の悪さに絶望している間に降ってきた予想だにしなかった言葉を聞いて、見上げた紅瞳の中で私の水色が瞬きした。


(すべ)があると分かったいま、お前が帰りたくなった時は、何をしてでも必ずお前を故郷に返す。俺が持つ全てで誓約する。聖騎士の地位も、命も、全てを懸ける」


 なんてことを言うのだ。なんてものを、私に懸けた。もう少しと、そう言ったくせに。そのたった少しのために、今尚彼を罵る私との時間のために、何を。

 そう言いたいのに私の言葉が出ない。私の声も喉も勝手に使われていて、私の言葉がアラインに届けられない。言いたいことどころか、返事すら届けられない状態の私に、言いたいことだけ言わないで。いや、アラインが言いたいことがあるのはいいことだし、それを伝えてくれたのは嬉しいから、言いたいことだけ言ってもいいけどせめて私の言葉も聞いてほしい。

 声は出ているのに私に主導権がないことが、胸を掻き毟りたいほどもどかしい。必死に声を出そうとしている私の手足は、アラインを押しのけて拘束から逃れようと必死で。

 ばらばらになった心と身体が忌々しくて、それすら涙になってしまった私の頬を、アラインの腕がごしりと擦った。指で拭うという選択はないらしい。


「返事は」


 嫌な予感がする。頭を後ろに倒したアラインを見て、嫌悪ではない別の何かで口元が引き攣った気がした。


「お前の中で聞く」


 嫌な予感はばっちり当たっていたのに、口は勝手に別の言葉は垂れ流すからちょっと待っても言えない。

 がつんとぶつかり合った額と散った星に、とりあえず思う。

 これ、そろそろ別の方法考えませんか?








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