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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
54/81

53伝 終ひとりさま



 毎日、それはそれは丁寧に磨き上げられているはずの部屋の中には、毎日毎日備え付けのように酒瓶が転がっている。そのまま飲めば身体を焼くほどに高い度数の物から、婦女子が好むような砂糖菓子のように甘い酒まで。酒であれば調味料でさえ手を出すシャムスの部屋を見たエーデルは、まるでゴミでも見るかのようにシャムスを見た。シャムスは親指を立ててにかりと笑い、それに答えた。勿論、ぶっ飛ばされた。

 椅子の上を占領している酒瓶を机に乗せて、腰を下ろす。足元に転がっているシャムスの横に転がっている空き瓶を足先で転がしていると、聞き慣れたノックが聞こえた。

 許可を求める声に是と答えると、深く頭を下げたザズが要件を告げてきた。おやと瞬きしたが、あの子どもがこの類の話をできる相手は酷く限られているし、かろうじてできるかもと思える者も闇人の出迎え準備で忙しいだろう。


 エーデル達は、闇人を出迎えない。闇人が到着してから出ていく。迎え入れはするが訪問を待ちはしないということだ。くだらないことでも、聖人は闇人を、闇人は聖人を、上にも下にも置けない。まして人間の前で、どちらかに優劣がつくような振る舞いをしてはならないのだ。

 だから闇人の到着まで暇を持て余していたエーデルは、ザズに背を押され、おずおずと部屋に入ってきた新緑色の子どもを快く出迎えた。





「失礼します……あの、六花さんは?」


 身の置き場がなさそうなのに、ぎゅっと服を握り締めて必死に言い募る子どもに、どうしたって声音は優しくなる。

 エーデルは膝を折って床につけ、トロイに視線を合わせた。


「少々疲れてしまったようで、私の部屋で寝ていますよ。シャムスの部屋は、ほら、この惨状でしょう?」


 揃えられた掌で示された部屋を見て、トロイは言葉を選んで口を閉ざすことを選んだ。どう控えめに言葉を選んでも、荒れているか汚いかのどちらかだった。物のほとんどない部屋に慣れているトロイの眼には、足の踏み場もないように見える。

 困ってしまった子どもに、エーデルはにこりと微笑む。そして、起きるのが面倒になったらしく、床に転がったまま酒を飲み始めたシャムスの首根っこを掴み上げる。


「トロイ、そんな湿気た顔してると運も逃げてくぜ。よし! 来い! 飲むぞ!」

「よし、行け、落ちろ」


 淡々と紡がれたとは思えぬ勢いで、背負い投げの要領でシャムスの巨体が宙を舞う。しかし、シャムスは酒瓶を手放さない。有利な体格の差を利用して、体重をもろにエーデルへとかける。踏ん張りきれずによろめいた胸倉を掴み上げ。


「嫌だね、俺は酒を飲む!」

「…………後で覚えておきなさい、シャムス・サン」


 いつもとは逆に、背筋どころか心臓まで凍りつきそうな声を残したエーデルを、窓の外に放り出した。


「エーデル様――!?」


 凍りついたトロイは、ザズの絶叫にびくりと跳ね飛んだ。

 はっはっはっと豪快に笑うシャムスの向こう、開け放された窓に突進したザズ達側仕えは、必死に窓枠を掴んで下を覗きこんだ。


「シャムス様が落ちたぞ!」

「落とされたぞ!」

「またか!」

「違う!?」

「違うぞ!?」

「エーデル様!?」

「エーデル様が落とされたぞ!?」

「ご無事か!?」

「シャムス様ならともかくエーデル様は!」

「あ、無傷だ」

「すげぇ!」


 下から聞こえてくる声に、ザズ達はへなへなとしゃがみこむ。しかし、すぐにはっと飛び上がり、慌てて階下に駆けていく。階段昇降運動の開始である。

 酒瓶を蹴飛ばして慌ただしく消えていく側仕え達をぽかんと見送ったトロイの肩を、太い腕ががしりと囲んだ。


「うし! 飲むか!」

「飲ませたら今日が貴方の命日ですからね!」


 見えるはずも聞こえるはずもない距離から部屋の様子を察し、怒声が響き渡る。シャムスはやべぇと肩を竦め、どこからともなく正真正銘ジュースの瓶を持ってきた。


「死にたくねぇから、お前これな」

「あ、あの」

「ん?」

「エーデル様、は」

「ああ、あいつは頑丈だから大丈夫大丈夫。俺、あんな頑丈な奴見たことねぇわ。はっはっはっ!」


 頑丈な人を見たければ、鏡を見ればいいと思う。

 トロイは渡されたジュースの瓶を両手で持ち、胸中に浮かんだ言葉をそっと飲みこんだ。






「師匠の馬鹿ぁ!」


 壁に叩きつけたクッションは、ぼすりと鈍い音をたてて壁から落ちた。自分で投げつけておいて自分で広い上げる悲しみを噛みしめていたトロイは、後ろから羽交い絞めにされた。


「いーぞ、トロイ! 師匠の悪態つけるようになったら半人前だ!」


 それ以前は産まれていないヒヨコらしい。それはただの有精卵だと思ったけれど、トロイは口には出さずに飲みこんだ。



 六花が寝ているというエーデルの寝室とはわざわざ反対方向の壁に歩み寄り、心なしか音量を下げつつクッションを投げつけたトロイに、シャムスは苦笑した。なんとも気苦労の絶えない子どもだ。


「師匠も、六花さんに帰ってほしくないと思ってたのに……」

「あいつは望んだことがないから分からないんだろうな。求めた自分を知らないから」


 自分が一番知っているはずのことが、アラインには分からない。彼が生きてきた中で、そんなものを考えることはなかった。あっても無意味だったどころか、あってはならないと周囲から言い含められてきたからだ。だから知らない。

 知らないことは、分からない。


「俺は似た子どもを二人知ってるぜ。ま、両方五歳位だったし、一つだけ貫いていたものはあったが」


 まだ年端も行かない幼い子どもだった。世の中の酸いも辛いも知らないはずの、幸せを約束されているはずの子ども達。なのに、彼らは何も望みはしなかった。何も期待せず、何も信用せず、何にも希望を見出さなかった。

 彼らは祈りはしなかった。だが、貫いた。

 ただ、生あることのみを。


「お前から見ればあいつらは大人かもしれねぇが、いざ自分が十五だの十七だのなってみろ。大して大人でもないことに気づくからよ。俺らだって、晃嘉を連れて城を出たのはアラインくらいの年だったが、そりゃあもうガキだったぜ」


 トロイの額を軽く小突き、シャムスは目を閉じた。

 血と狂気の中で生きることを強いられ、両種族の宿命を背負い、それでも死だけは選ばなかった幼い命。命を狙われ続けても、幼い手を血で濡らしても。愛なんて知らなくても。 

 ただ生きた。


「あいつらにも、そんな時代があったんだ。子どもの頃のあいつらはそうだったんだよ」


 お前の師はその頃の二人によく似ていると呟いて、否、似ていたと笑った。








 お節介なのは分かっていたが、年寄りなのだからこれくらいの世話は焼かせてほしい。

 エーデルは目的の姿を見つけて微笑んだ。


「アライン。少しよろしいですか?」


 やけに騒がしい周囲には慣れていても、それが自分に向けられる嫌悪の声でないことを少しだけ不思議に思っていたアラインは、いつものように笑顔を浮かべて歩いてくるエーデルに姿勢を正した。

 側仕えも連れず、シャムスも隣にいない。アラインでさえ彼が一人で歩く姿に違和感を覚えるほどに、珍しい姿だった。


「場所を変えましょうか」


 ザズ達がエーデルを呼ぶ声がする。よく見れば、いつも身綺麗にしている裾が少し汚れていた。アライン以外の誰かが見たのならばぎょっとするようなことでも、見たのがアラインならば特に変化はない。汚れているなと思うだけだ。

 適当に使われていない部屋に入ったエーデルは、さてとと前置きして本題に入った。


「六花、泣いていましたよ」

「え……?」


 剣帯に下げられた剣が、かつんと壁にぶつかる音が響いた。珍しい失態にエーデルは苦笑する。無機質だった紅眼が、理解できない言葉に揺れていた。


「そんなに動揺するのなら、言うのではありません。心にもないことを言って、後で後悔するのは貴方なのですよ?」


 アラインには、何が六花を泣かせてしまったのか分からない。六花は寂しがっていた。元いた世界へ帰りたいと泣いていた。それは当然のことだ。帰る方法が見つかるから帰るだけだ。それなのにどうして泣くんだ。


「あいつは、寂しいと言っていました」


 この世のありとあらゆる色を内包した極彩色の中で、同じほど多種多様な人間が笑っていた心の中。何ならないんだと探してしまいそうになるほど、物が音が色が人が溢れ返る六花の心の中。あれだけのものを常として生きてきた六花が、何一つ持たない状態で他世界に放り出されれば不安に思って当然だ。寂しいという感情が募ってもなんらおかしなことはないはずだ。

 帰ればいい。出会う前に戻るだけだ。何も変わりはしない。帰って、望んだ場所で笑っていればいいと思ったのに。

 どうして、泣くんだ。




「アライン、貴方はどうしたいのですか?」

「どうしたいとは」

「貴方は六花に帰ってほしいのですか、帰ってほしくないのですか」


 突きつけられた質問に、アラインはいつものように口を開いた。


「ど」

「うでもいい、は無しですよ? 関係ないと言うことは許しません。六花は貴方の半身です。関係ないことは在り得ません。私は、貴方の気持ちを問うているのです」


 困惑による沈黙で黙り込んだアラインを、エーデルは微笑んだまま静かに待った。

 何も望んだことがないから分からない。ああ、あの子もそうだった。出会ったばかりの幼い第六皇子は、何を選ばせてもどうでもいいと答え、頓着するのは毒が入っていないか、暗殺されにくい場所と、そんなことだけだった。

 何も求めなかった。何も願わなかった。ただ生きていければそれでいいと、まだ年端も行かない幼子は色のない瞳でそこにいた。

 一歩違えば優柔不断ですよと言った時の、子どもの顔は忘れない。



「アライン。いきなり全てを出来るようになれとは言いませんが、少しずつ色々なことを知っていくといいですよ。そのきっかけは、貴方の前に現れたでしょう?」

「……言っていることが、よく、分からないのですが」

「失くしたくないのなら手を伸ばしなさい。帰してやりたいのなら、そう伝えなさい。求めなければ何一つ手に入ることはない。そして、伝えなければ何一つ伝わりません。まずは願い、そして動く。その後で後悔なり照れるなりなさい」


 せめて、今ここにいる子ども達にだけでも手に入れて欲しいと思った。彼らがどういう結論を出すにせよ、望みに沿って行動してほしい。それが己のエゴだと分かっていても、エーデルはそう望んだ。


「……求めたものを失って、心に血を流すのはあの子達だけで充分ですよ」


 エーデルは、今まで何も望まず生きてきた青年をまっすぐに見た。


「叶えられる可能性があるのならば進みなさい。それが赦されるのなら……貴方の望む未来を求めてください」


 ただ共に在りたかった。あの子達にはそれすらも許されなかった。そして、そんなちっぽけな願いすらも、エーデル達は叶えてあげられなかったのだ。何を望んだことのなかった二人の幼子が、唯一求めた小さな夢。たとえこの命を引き換えにしても叶えてあげたかった。神に反旗を翻しても、何を犠牲にしても、叶えてあげたかった。

 なのに、全てを引き換えにしたのは子ども達だった。叫んでもがいて、それでも理から抜け出せなかった。ならばと、子ども達は決断した。望んだ小さな幸せを殺し、世界を救うことを。

 そうして遺された者達は、三百年深い嘆きに縛られ続けてきた。 



 エーデルが口を閉ざせば音を発する者はいなくなり、部屋の中はしんっと静まり返った。おかげで、外の音が良く聞こえる。慌ててエーデルを探すザズ達のばたばたとした声が近づいてきた。


「申し訳ありません、アライン。私にはこの程度のことしかしてやれないのです。ですから、不甲斐ない私達の援護など期待してはいけませんよ? 貴方が、六花と話しなさい。全てを切って閉ざすのではなく、きちんと話して決めなさい。女の子の扱いに慣れていないのは重々承知していますので泣かすなとは言いませんが、泣かせた者は泣きやませるまでが役目ですよ」


 返事をしないアラインを咎めることなく、その肩を軽く叩き、エーデルは部屋を出ていった。扉が閉まる寸前にザズ達の泣きそうな声が滑り込んでくる。だが、アラインはそれらが聞こえてはいても聞いてはいなかった。


「…………泣いた?」


 寂しいと言っただろう。この世界にいることが、誰もいないことが寂しいと。


 誰もいない部屋は静かで、当たり前だったこの静寂が久しぶりだと感じる自分がいた。

 六花は初めて会った瞬間から騒がしかった。最初から遠慮なんて全くなかった。その代わり、アラインを恐れもしなかった。

 うるさいのは、慣れている。物心ついた頃から、もしくはそれ以前から恐怖され続けてきた。この紅い瞳は不吉だと、死を呼ぶ呪いだ災いだとうるさかった。歩くだけで、そこにいるだけで、生きるだけで。周囲はいつもうるさかった。


 顔は知っていても、その手に抱かれた記憶なんて無い両親。母親と誰かの会話は、過ちだったと罵りあう姿だけ。だから、幼い頃から一人で生きた。恐れたければ勝手にすればいい。誰も俺に近づかなければいい。それですべて事足りた。暴言を吐き勝手に騒いでいるくせに、視線をやるだけで呪われたとうるさい。ああ、だったら初めから関わらなければいいだろう。


 一人でいい。どうせ一人で生きてきた。一人で生きて、一人で死ぬことが聖人の、人間の、闇人の、世界の安寧だと言われ続けてきた。何も願わない、望まない。そうして訪れる終わりを待っていたのに。


 静かになった廊下へと出て歩き出す。かつんと固い靴の音を立て歩き始める。そして、その速度に首を傾げた。

 歩く速度が落ちている。弟子を取った後も、大して変わることはなかったというのに。ああ、それを言えば、あのうるさい奴は更にうるさくなった。

 誰がいてもいなくても、その存在を認識していても意識に入れておく必要なんてなかったし、いようがいなくなろうがどうでもよかった。はずなのに。


 身体のどこにも他者が触れないという当たり前の状態が酷く寒々しく、アラインは何もぶら下がっていない胸元を握り締めた。






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