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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
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50伝 はじまりの絶望



「六花、お前……どうしたんだ」


 無表情というには少し感情が出過ぎた顔で覗き込んでくるアラインの腕を掴む。そうして身体を支えても、震えは止まらなかった。


「だって、なんで」

「六花?」

「仲良しだったよ」

「……六花?」


 視線の先にあるのは、世界を救った王と皇の肖像画。

 白を基調とした服を纏い、その光沢が負けているほどの美しい真珠色の長い髪の、まるで少女のような少年。身体に纏うどの宝石よりも輝く翡翠の瞳の、美しい皇の肖像画。

 黒を基調とした、母の故郷の伝統衣装に似た服を纏う、流れるような黒髪の女の子。艶やかな黒髪を背に流し、引き込まれそうなほど深い紫色の瞳の、美しい王の肖像画。

 年の頃以外、正反対の二人。皇と王は、世界に身を捧げるその時まで、決して交わるはずの無かった存在。

 けれど、同じ耳飾りを分け合った仲良しの二人を、私は見たのだ。


 世界一美しい二枚の肖像画より、白い粉つけて楽しそうにしていた二人のほうがよっぽど、よっぽど、綺麗だったのに。


「晃嘉と桜良は、凄く、仲良しだったんだよ」


 かしゃんと、薄硝子が砕け散った音がした。

 小さな光を中に含んだ不思議な置物の位置を調整していたエーデルさんの手から滑り落ちたのだ。いつだって涼やかに色を流していた瞳が見開かれ、私を見ている。青い人が何かを言おうとした姿が橙色に消えた。

 その巨体でどうやったらそんな動きができるのだと、脳が理解できない一歩を踏み出したシャムスさんが距離を詰めてくる。目が見開かれ、獲物を見つけた肉食獣よりまっすぐに、ぎらぎらとした視線に、息が止まった。


「シャムス様」


 止まった息を再開かせてくれたのは薄い背中だった。私の前に場所を移動したアラインが、いつもと変わらない声音でもう一度繰り返す。


「双龍様」


 思わず目の前の、背中で余った生地を握り締める。トロイもさっと私の後ろに回ってズボンを掴んだ。トロイこそ師匠を掴めばいいのに、何故私のお尻の生地を掴むのか。そう思う余裕ができたのは間に薄い背中が挟まってくれたからだ。



 エーデルさんは砕け散った破片など見向きもせず、感情全てが削ぎ落された顔を。シャムスさんは、全ての感情を張り付けて、私を見ていた。


 怖いと思うべきだったのかもしれないけれど、二人から発せられた感情は、怒りには見えなかった。それが何かと聞かれると分からない。けれど怖くはなかった。ただ、気おされるほどの激情を受け止められなかった私を、アラインは隠してくれた。

 何かの感情で凝り固まったのか、全てが噴出したのか。私には表現できない顔でいたシャムスさんが、見開いていた瞳を閉じた。瞬きというよりは、無理やり何かを押し込めたような動きだ。そのまま片手で自らの顔面を覆った。分厚い掌が容赦なく打ち付けられ、鈍く痛そうな音がする。長い長い息を吐き、体中の力を抜いていく。


「……悪い。怖がらせるつもりは、なかった。悪かった」


 大きな男の人が、大人の男の人が項垂れる様子は、酷く不安になる。

 アラインの表情は変わらなかったけれど、私とトロイの不安げな顔に、シャムスさんはもう一度悪いと謝った。


「その名を、年若いお前から聞くのか……三百年前を生きた者ではなく、この世界で一年も過ごしていないお前から聞くとは、思わなかったな」


 両手で髪を掻き上げたシャムスさんの顔は、いつものからりとした豪快なものだった。何かを飲みこんで、大人に戻ってくれた人に感謝する。彼らの、大人が弾けさせた感情を受け入れるどころか、受け止める器量は、私にはなかった。


「どこで、知った?」

「あの……夢、で」


 ふざけるなと怒られそうな答えしか返せなかった私の後を、アラインが継いでくれた。


「俺が切り離された夢か……アマルの蜜を知ったのもそれだったな」

「そう、それ、で、あの……牛乳に入れたらおいしいものを桜良と話してて、教えてもらったんです。晃嘉は、アマルの蜜と果実酒で漬け込んだ果実を使ったケーキだけ食べるって誓った次の食事は青野菜一色だったって、それで」


 何を話せばいいのか分からず、あったこと全部話してしまっていると、ちりっと砕けた薄硝子が擦れ合う音がして、視線を向ける。


「…………二人は、どんな様子でしたか」


 まだ呆然としたエーデルさんは、それでも静かに、私が怖くないよう穏やかな声音で話してくれた。いつもの優しい心遣いが、ありがたかった。


「晃嘉が、イチゴダイフク全部食べちゃったんです」

「イチゴダイフク?」

「お母さんの故郷のお菓子で、晃嘉全部ぺろりと食べちゃったのに、桜良は晃嘉は甘党だからってけろりとしてて、それで、耳、飾り、一個ずつで。あの、それで」


 仲良し、でした。

 これだけは絶対に伝えなければと、混乱してぐちゃぐちゃになった説明とも呼べない何かの最後に絞り出す。

 エーデルさんの左右対称に整った涼やかな顔が俯いて見えなくなった。


「当然、ですよ。だってあの子達は、幼馴染で、恋人だったのですから…………最期の日、互いの心の臓を貫くまで、ずっと」


 え、と、吐息のような声を漏らしたのは、私だったのかトロイだったのか。たぶん、アラインではない。だってアラインは、呼吸すらしていないかのように全ての動作を止めていた。強ばったというよりは凍りついたように身動ぎ一つしない背中が冷え切っていく。


「エーデル」


 いつの間にか私達の後ろ、扉の傍に移動していたシャムスさんが咎めるようにエーデルさんを呼んだ。けれどエーデルさんは緩く首を振り、ぐしゃりと前髪を握り締めた。


「……どうせ、黙したところで手出しするつもりですよ。この場に現れた以上はそういうことなのでしょう。…………三百年前、停戦の使者を殺し、あの子達から全ての道を奪い取ったように」


 初めて聞く、低く呻くような声に身を竦ませる。けれど、それは私に、アラインにトロイに向けられたものではなかった。エーデルさんの射抜くような視線は私達を通り越し、シャムスさんまでをも通り過ぎ、その向こうで悠然と微笑む長い金髪の青年を向いていた。

 いつからそこにいたのか、豪奢な廊下の中でぽつんと佇む唯一の生物は、けれど何より高価な置物のように、編みこんだ金髪を床すれすれで揺らしている。


「わたくしども卑小な人間は、ただただ神の御意思に従ったまでのこと。敬愛すべき我らが二帝の犯そうとした大罪を未然に防ぐことのできた僥倖は、わたくしの長い人生の中でも輝かしい栄光として残っております。なればこそ、わたくしは今こうして幹部を名乗らせて頂いているのです」


 踊るように、紫と金の裾が揺れた。まるで舞台のようだ。役者のように大仰な動作と物言いをして、一人立つその人が酷く異質に見えた。何がおかしいのか分からない。色はきらびやかではあるけれど、品のある服と動作と物言いをする青年が、美しく豪奢な廊下にいる。それなのに、酷く不気味で奇妙だ。戸惑って視線を彷徨わせた私は、自分の弱さを後悔した。せめて逃げずに青年を見ていれば、こんな激情に気づくことはなかったのに。


 トロイが私の腰にしがみつく。ふらついてアラインにぶつかりながら、視線を外せない。


 青が、橙が、燃えている。

 仄暗い炎を瞳の奥に、全てを舐めつくす激情を瞳の中に宿し、怨嗟と憤怒をない交ぜにした感情を形にして、そこにいた。


「嗚呼、お懐かしい。貴方々は三百年前もその目でわたくしを見ていらっしゃった。わたくしを殺そうと叫ぶ貴方々の声は、今でもこの身を震わせるほどです」

「……てめぇと会う時間を割くくらいなら、意味もなく壁眺めてるほうが有意義だ。とっとと失せろ」

「大変不遜であり、非常に残念なことなのですが、今回はそちらのお嬢さんに用があって参りました」


 息を詰めていた私より、私にしがみついている腕が先に反応した。抱きついていた力がぎゅっと強くなると同時に、紅瞳が降った。降ったのに気付いたのは、私も見上げたからだ。

 その事実に気づいて愕然とした。気合を入れるとき、立ち直るとき、気を奮い立たせるとき、頑張るとき。両手の拳を握りしめていたのに、いつから、紅瞳を見上げて安心するようになったのだろう。

 そして、紅瞳はいつから、こんな、当たり前のように私の反応を確認してくれるように。ぐしゃりと歪んだ私を見て、呆然と手を、繋いでくれるように、なったのだ。



 心臓が、どくりどくりと、ねばっこく糸を引くように鳴る。早鐘のように鳴り響かず、不安を形にしたような音に気持ちが悪くなった。お腹の中がぐるぐるして、胃の中が引き絞られるこれは、不安よりも恐怖に近い。


「そうだろうな。てめぇらは年頃の奴らの仲を引き裂くのが趣味だからな。今度はどんな胸糞用意してきやがった」

「なんと……わたくしはこんなにも神に従順に、ひいては世界の安寧を、その延長線上にある人々の平和を、こんなにも愛しているというのに。ああ、こんなにもこんなにも、貴方々を神に次ぐほどに心より愛しているというのに、未だわたくしの愛は貴方々に届かない! なんたる悲劇なのでしょう!」

「てめぇのご託ほど耳障りなものはねぇな。とっとと要件を終わらせて失せろ」


 舌打ちしたシャムスさんに、ファナティカーは悲し気に肩を竦め、優雅な礼をした。


 ああ、どうしよう。気づいてしまった。何故かいま、この時、気づいてしまった。

 そして、気づいたことに、気づかれた。

 アラインの唇が薄く開き、呼吸のような音が紡がれる。聞こえるはずのない小さな声だったのに「六花」と、呼ばれたのが、分かった。


「喜びなさい、異界の娘。神の御業を持って、あなたを故郷の界に返して進ぜましょう」


 あなたとの別れが傷になると、一生癒えるかどうかも分からないほどの傷になるのだと。アラインは、私の心の深くに錨のように根をおろし、楔のように入りこんだのだと。

 何が、大丈夫だろうか、だ。私が、大丈夫じゃないくせに。アラインと別れたら、もう二度と会えなかったら、私は大丈夫なんかじゃないと。


 気づいて、しまった。







 静かな部屋の中には、温かな液体が流れ落ちる音だけが響く。無駄な動作は一切なく、洗練された流れで私とアラインとトロイ、そして彼ら二人分のお茶を淹れてくれたエーデルさんからカップを受け取ったシャムスさんが配ってくれる。

 向かいの長椅子に座っているシャムスさんの隣に腰を下ろしたエーデルさんは、私達に勧めた後、自分のカップを一口飲んだ。


「…………少し、昔話をしましょうか」


 持ったままのカップを揺らし、揺れる湖面を見ていた視線を上げて、エーデルさんは微笑んだ。


「昔話、ですか?」

「ええ。この世界の者なら誰でも知っている物語ですよ。最後の皇帝と王帝のお話しです」


 微笑むエーデルさんの後ろには、この世で一番美しい黒白が、何の感情も浮かべず描かれている。


「三百年前、正確には三百十年ほど前か。第二皇子の謀反により当時の皇帝陛下を含めた全ての皇位継承権を持つ者の殺害。第二皇子の武力と恐怖による統治がその後十年続いた」


 アライン達は当然知ってるよなと問うシャムスさんの言葉に、師弟は静かに頷いた。


 継承権を持つ者は全て殺されたとされたが、実際は、当時六歳の末の第六皇子に仕えていた二人の聖人がエリシュオンを逃がした。己達の片翼を犠牲にして、逃げ延びた。

 一人は最高の知を誇り、一人は最強の武を誇る、若き聖人だった。二人は、後に双龍と呼ばれることとなる。

 それが、私達の目の前にいる二人だ。


「時を同じくして、地界で王帝陛下の弑逆。王位は、第一王女ではなくまだ幼い当時六歳の第二王女に託された。それを認知しなかった第一王女が放った刺客を全て殺し、第二王女は地上へと逃亡。そして、この世で唯一、四つの種族の枠組みから外れる東西南北の森にある神殿に逃げ延びた。その昔、神が降臨したと伝えられる、守人のみが入ることを許された森の、最東の森に、キルシェは現れた」


 トロイは、驚愕した視線を師へと向けた。師は弟子に向かって小さく首を振って、己も知らないことを伝えた。私は元々を知らないから、その件に関しては驚愕しなかった。

 思わず見そうになる紅瞳から無理やり視線を外す。無意識にその瞳を探して、視線が彷徨う。



 白を基調とした服を纏い、その光沢が負けているほどの美しい真珠色の長い髪の、まるで少女のような少年。身体に纏うどの宝石よりも輝く翡翠の瞳の、美しい皇の肖像画。

 その隣にあるのは、黒を基調とした和風な服を纏った、凛とした女の子。真白い肌の中で仄かに色づく唇を固く閉ざし、引き込まれそうなほど深い紫色の瞳の、美しい王の肖像画。


 年の頃以外、全て正反対の二人。けれど、同じ耳飾りを身に着けた、二人。


 聖人の皇エリシュオン・ハィリヒ・カイザー。

 闇人の王キルシェ・ドゥンケル・ケーニヒ。


 皇と王は、世界に身を捧げるその時まで、決して交わるはずの無かった存在だ。最後まで交わらなかったはずの二人がとても仲良しだったと、私は不思議な夢の中で知った。そして、それは事実だった。あの二人は、とても仲良しだったのだ。


「キルシェはそうやって森の長の養子となった。……その後に、俺らがエリシュオンを連れて逃げ込んだんだ」


 シャムスさんが掌を開くと、どこからか古い地図が現れた。見たこともない大陸の形だ。知らない名前の土地が連なって、知らない川が陸を割り、知らない形の海がある。私が生まれなかった世界の全容は、やっぱり私が全然知らないもので。それなのに、今は痛みすら感じない。ここが知らない世界だという事実より、もっと痛いものが胸の中に渦巻いていた。

 太い指が地図の中をとんっと指す。


「ここであいつらは育ったんだ。二人とも互いの素性は知らなかった。何も知らずに、いや、知らないからこそ。惹かれあったんだ」

「……愛しかった。あの子達が誰よりも、何よりも。たとえ有り得なかった出会いでも、赦されなかった想いでも、叶えてあげたかった――……」


 きっと、彼らだけに向けられる柔らかな微笑みを浮かべて、青年達は無表情の黒白を見上げた。柔らかな優しい笑み、それを受け止めるべき子ども達はここにはいない。

 だって二人は、三百年前に奪われてしまったのだから。







『お前にこの世界はどう見える?』

『貴方は、誰?』


 それが、始まり。

 その後、森へと逃げ延びたエリシュオンは晃嘉に、キルシェは桜良と名を変え育つこととなる。






 そこは、深い深い森の中だった。清廉な空気を纏い、どこか壮大で偉大で、思わずひれ伏してしまいそうになるほどに神々しく。

 そんな森に、彼らはいた。


『ねえ、父上、兄上と姉上は? 今日は予定なにもないって言ってたから、遊んでもらうんだ!』

『あー……とりあえず二人一緒にいることは間違いないな』


 慕う兄姉を探す緑髪の子どもの頭を、森の長はくしゃりと撫でた。子どもはくすぐったそうに笑った。


『いたいた! 脱走逢引組がいたぞっぷ!』

『うるさいですよ。おやおや。微笑ましいですねぇ』


 爽やかな風の吹く丘の上から愛しい子ども達を見つけて、橙と青は優しく微笑んだ。




 清々しい空気漂う森で、暖かな木漏れ日に抱かれて、白と黒が寄り添い眠る。


『んー……いい天気。ねぇ、今日は何する?』

『昨日蕾だった花が咲いているか見に行ってもいいけど、とりあえず昼寝でもしよう』

『賛成』

『可決、だな』


 黒色の少女と真珠色の少年は、手を取り寄り添って、二人同じ夢を見る。叶わないと知りながら、いつか終わると知りながら。


 されど人は、泣きながら夢を見る。





 


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