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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
50/81

49伝 終わった黒白







 じゃらじゃらと点数になる印章を数えていたシャムスさんは、ぱぁんと自分の太い腿を打った。


「最高得点102。つまり、弟子分しか奪われてないザーム組が逃げ切ったわけだが……お前ら、それどうした?」


 まじで噴き出す三秒前みたいな顔したシャムスさんに、トロイが困ったように私達を見上げてきた。

 両手を後ろで組んで背筋を伸ばしてるアラインと、前で組んでへらっと笑う私は声を揃える。


「分かりません」


 頭の左半分が黒いアラインと、頭の右半分が真珠色になった私は、シャムスさんの爆笑を一身に……二身に受ける羽目となった。





 大広間みたいなところで、印章を持って集まった人達の視線が背中に突き刺さる。

ある程度点数を集めた人が名乗りを上げて、それより下の人は声を上げはせずに後ろの人に場所を譲って下がっていく。そうして誰が整備しているわけでもないのに混雑なく点数が高い人が分かっていった。

 そんな経過を経て、100点なんてつけられた私が残っているアライン組が勝ったわけだけど、参加者達はまだこの場に残っている。ひそやかな悪意の声に、声無き阻害を突き刺してくる瞳の中で、目が合えばさっと逸らしていくのは私が大泣きした現場にいた面子だ。

 どうやら気まずいらしい。こっちだって子どもみたいに大泣きしちゃったところを大勢に見られて気恥ずかしいけれど、泣いた理由に関しては何一つ反省してない。ちょっと熱くなった頬を誤魔化して、お腹を抱えて大爆笑しているシャムスさんに視線を戻す。



「すげぇ、すっげぇ混ざってる!」

「うるさいですよ、貴方も裏庭の土と混ぜて差し上げましょうか」

「生き埋め予告も気にならなくなるくらいおもしれぇっぶ!」


 軽やかに入った裏拳でシャムスさんを黙らせたエーデルさんは、長い裾が床につかないよう器用に腰を折り、私達を覗きこんだ。


「瞳は染まっていませんね。でしたら深刻な事態ではありません。上がった新密度が、肉体にも影響を与えただけでしょう。すぐに戻りますよ」


 そう言うと、流れるように背を伸ばして、綺麗な指から発したとは思えない音量で手を打ち鳴らした。大広間中の気配を打ち破るような音に、ただでさえ集中していた視線をそのままに意識までもを掻き集める。けれど、集めた視線を受けたのは、頭を振りながら立ち直ったシャムスさんだ。


「よし! てめぇら思う存分遊んだな! 遊んだ後はぱぁっとやりたいところだが、今はあいにく忙しい。遊んだ後は仕事だ! んでもって、やることやったらまた遊んで、寝るぞ!」


 大きな拳をぐっと握って一歩踏み出したシャムスさんの動きが止まる。ぱちりと瞬きして、「あ!」っと大きな声を上げた。


「俺としたことが、大事なことを忘れてた」

「どうせ大したことではないのでしょう」

「酒だ! 遊んで仕事して遊んで、飲んで寝るぞ!」

「本当にどうでもいいことでした。皆も忙しくなりますが、もう一仕事です。万事恙なく終えれば、また遊びましょう」


 その声を皮切りに、全員が踵を鳴らすように足を揃え、左手を腰に、右手は拳を握った状態で胸の真ん中につけた。男も女も関係ない動作に、きっとこれがこの国での敬礼なのだろう。アラインもトロイもしているからどうしようかと思ったけど、こういうことは意味も分からず真似するのはあんまり宜しくないとお父さんが言っていた。その国によって文化と歴史が違う。当然敬礼の意味合いも変わってくる。中には、首に手刀を当てて、あなたに首を捧げますなんて敬礼もあるらしい。この敬礼が、ぎっくり腰になるまで働きますという意味が含まれていないとは限らないのだ。

かといって、皆が敬礼している場所で私だけ何もしてないのも頂けない。私、そんなにどころか全然全くこれっぽっちもえらくないのである。


 ちょっと悩んで、お母さんの国で万能の「おじぎ」でいくことにした。ちなみにこれ、立ってやる場合と座ってやる場合、それぞれやり方があった。確か「めんせつまにゅあーる」で習ったと言っていた。

 両手を揃え、腰を曲げてぺこりと頭を下げる。それを合図にしたわけではないだろうけれど、そうして遊戯は終了して、参加した人達は解散となった。





 終了宣言がされたので、人の塊は徐々にほどけていく。双龍の二人は後片付けとかこれからのこととか、ザズさん達に色んな指示を出している。突如として行われたことだったけれど、誰も慌てた様子も驚いた様子もないことから、皆の手慣れ具合が窺えた。

 ぞろぞろと人が移動していくと、音だけじゃなくて空気までもが動く。人が起こした風で揺れる前髪をなんとなく眺めていると、横髪がばさりと落ちてきた。アラインから貰った髪留めで止めていたはずの髪が落ちてきて、驚いて両耳を押さえる。


「あ」


 小さなトロイの声に振り向けば、小さな弟子に向けて掌を差し出している師匠がいた。その手の中には、トロイの剣帯飾りと私の髪飾りがあった。トロイが慌てて印章と髪飾りを受け取り、髪飾りを私に渡してくれる。


「……そうか、お前にも渡したな」


 ぽつりと呟いたのはアラインだ。なんでも、師弟の証のような物は、それを作り出した人が回収できるらしい。印章を奪われていたトロイの物をいつものように回収したら、いつもはいなかった私の分まで強制回収されたらしい。

 自由になった髪を左右両方持ち上げてみる。色の違う髪は、自分のものだけどちょっとぎょっとした。でも、真珠色が綺麗だから思わずにへっと笑う。


「私たち髪の色両極端だから、おそろいって実はすごいよね」

「いいなぁ……」


 自分の髪の毛をつまんで肩を落とすトロイの前に影が落ちる。

 私達より四歩ほど離れた場所に立っていた二人が近くに来たからだ。黄色に近い金色の三十歳くらいの男の人と、その弟子の少年である。男の人は、背も高いし体格もがっしりしてるけど、聖人の特徴なのか、身体を鍛えてる人も全員がどこかすらりとしていた。シャムスさんだけむきむきだ。アラインは痩せすぎである。

 102点を集めた師弟の片方は、私も知っている人だった。


「グランディール!」

「……僕の呼び名を改めたのは何よりだ」

「ごめん、あれ、お母さんの真似だったんだ。可愛いから私も大好きだけど、嫌だったならごめんね。でも長いからグランって呼んでいい?」

「ちゃん付けでなければ何でもいい」

「ラン」

「グランはどこへいった!」

「ランディ!」

「グラン」

「ディ!」

「グラン!」


 何でもいいって言ったのに、グランは細かい男だ。でも、それを指摘するより大事な用事があるから置いておくことにした。ぱっぱっと服の裾を直して、背筋を伸ばす。


「ちょうどよかった。あのね、私グランに言いたいことあったんだ」

「……何だ」


 グランは何故か警戒するように顔を固くした。首を傾げつつ、勝手に進める。この機を逃すと、次にいつ会えるか分からないからだ。


「あのね、お城まで連れて帰ってくれてありがとう!」

「…………は?」

「おかげで、早めにお風呂入れて、ぐっすり眠れた。どうもありがとう!」


 両手を揃えて頭をちょいっと下げると、解けた髪が落ちてきた。耳にかけつつ頭を上げると、グランはぽかんと私を見ていた。馬鹿をやらかした時にそんな表情を頂いてはきたけれど、今は別におかしなことはしなかったはずだ。この「おじぎ」がいけなかっただろうか。でも、さっきエーデルさん達にした時、二人は「へぇ」という顔はしたけれど「お?」という顔はしなかった。背後から今もひそひそとした声が聞こえてくるけれど、この動作に対して何か言っている言葉はないようだ。

 それなのに、グランはぽかんと、ぽかんと私を見ていて。


「グラン?」


 首を傾げて問うと、はっと意識を戻し、何だか機嫌が悪そうな、気分が悪そうな、居心地が悪そうな、ともかく具合が悪そうな顔をした。

 名前を呼ばれたグランは、とにかく調子が悪そうな色合いを更に濃くしてしまった。なんだか追及してほしくなさそうな雰囲気だけど、体調が悪いのなら休んだ方がいいと声をかけたほうがいいのではないだろうか。

 どうしようと躊躇している私に、グランは何だかこの話を終わらせたいような、何か言おうとしているような、微妙にそわそわしている。


「トロイ、どうだ。息災であるか?」


 私も何か言おうとしたけれど、息を吸ったところでグランのお師匠さんの言葉が降ってぴたりと止めた。トロイは手を揃えて軽く上体を傾けたままで答える。おじぎを途中で止めたような動作に、この世界にもおじぎに似た挨拶があるのかなと思った。


「……はい」

「そうか。だが、何かあればすぐ言いなさい。子どもは大人の事情に気を回さずともよいのだからな。気兼ねなく言ってくれればいい」

「……バトラコス殿に置かれましても、どうぞご息災であられますよう」

「先が楽しみな少年に息災を願われると嬉しいものだな。元気が出るよ、どうもありがとう」


 グランのお師匠さんは、にこにことトロイの頭を撫でている。それなのにトロイはちっとも嬉しそうな顔をしていない。まるでその手がとても重いものであるかのように俯いていた。


「この後食事でもどうかねと誘いたいのだが、あいにく忙しくてね。もう行かなくてはならない。用があればいつでも訪ねてきなさい。歓迎するよ」


 そう言って、人の良さそうな笑顔をにこりと浮かべた。


「グランディール、そんなところに立ち尽くしてどうした? 靴紐でも解けたか?」

「……いえ」


 何故か引き攣ったグランとトロイに首を傾げつつ、バトラコスさんにおじきする。

 くすくすと、多方面から笑い声が聞こえてきたけれど意味は分からない。


「初めまして、六花・須山・ホーネルトです。お弟子さんにはお世話になりました」


 小さく下げた頭を上げたら、バトラコスさんはいなかった。既に歩き出した背中を覆ったマントが、床につくかつかないかの位置でひらひら揺れている。マント長いなぁという感想を思い浮かべていると、視界半分にグランが入ってきた。


「……その、だな。ホーネルト」

「六花でいいよ! 六花!」


 口籠ったグランに、バトラコスさんから声が届く。


「グランディール。騎士たる者、独り言が多いのは頂けないぞ?」

「は、い」


 …………なるほど!

 そこに至ってようやく、バトラコスさんから完全無視されていたことに気づいた。

思い返せば、彼が話しかけていたのはトロイだけで、アラインにすら一瞥も寄越さなかった。

 アラインを見上げると、何故か私を見ている。バトラコスさんへの感想は特にないようだ。ぎりっと歯を食いしばったのはトロイだけで、アラインはじっと私を見ていたから私もじっと見上げる。

 聞こえていた笑い声の意味がようやく分かった。どうして嘲りが含まれているんだろうと思っていたのだ。

 ちらりと私を見て、何か言いたげな視線を残したグランは、結局何も言わずに師匠を追おうと背を向ける。

 その背に向けて、すぅっと息を吸う。


「グラン! グランのお師匠さん老眼みたいだから、眼鏡かけるようにお薦めしたほうがいいと思うよ! あと、耳が遠いみたいだから、今度から挨拶するときは大声にするって伝えてね――!」


 グランはつんのめった。

 大丈夫かなと心配になったけれど、じっと見下ろしてくるアラインも気になる。どうしたんだろう。無表情で私を見下ろしている。どうすればいいのか分からないから、自分の黒いほうの髪を持ち上げてみる。


「黒光りぃ」

「ぶっ……」

「自分で言っといてなんだけど、今はその色が自分の頭にあるって覚えてる!?」


 アラインの心の中での私は、見た目はほわほわしてたのに動きがあれな悲しい代物だった。それの何がそんなにお気に召したのかは分からないけれど、あれが私なのは純粋に悲しい。でも、アラインが笑ってくれるのは真実嬉しい。

 口元を押さえて顔を背けたアラインに嬉しくなってふへへと笑う。あと、グランは盛大に転んだ。




 会場中がしんっと静まり返る。どこかでグラスが砕け散る音が響く。どこかどころかあちこちで連なる。なのに静まり返っているこの矛盾。誰かがごくりとつばを飲み込んだ音まで聞こえてくる鎮まりっぷりだ。

 そしてトロイは泣いた。泣いて私の腰にしがみついてきてつんのめる。私の腰で泣き顔を隠すのは別にいいけど、鼻水は……まあ、それも別にいいけど、飛びつく前の予告は欲しかった気がする。

 踏ん張りきれず、笑っているアラインに突撃をかました私は、避けるでも支えるでもない身体で鼻を打った。

 痛みに呻きつつ見上げると、くるりと魚が泳ぐ紅瞳が私を見下ろしていて、痛みも忘れて嬉しくなる。身体の横にだらりとぶら下がっている手を握り、無意味に揺らす。


「何だ?」

「特に意味はないよ!」

「そうか。うるさい」

「あ、はい」


 笑顔はすぐに引っ込んでしまったけれど、紅瞳には美しい魚が泳いでいるからいつまでだって見ていられる。


「アラインって笑うと可愛いね!」

「そうか。お前はいつでも声がでかくてうるさいな」

「そこはお前も可愛いなって返すところだと思うよ!」


 期待を籠めてじぃっと見上げると、紅瞳は逸らされることなく見下ろしてくる。その瞳を見ていると、何故だか弟妹達を思い出した。だって、瞳がまっすぐなのだ。思い返せばずっとそうだった。アラインは、会話はぶち切ったけれど、その紅瞳はずっとまっすぐに私を見ていた。



 どこからかごくりと息を飲む音が連なる。それが近い場所でも響いたから思わず身体を捻る。私の腰に抱きついていたトロイは、「前、六花さん前見てください!」と必死に口をぱくぱくさせた。でも、近い場所で他にも聞こえて、横を向く。

 見たこともないほど真剣な顔で前のめりになっているシャムスさんの口をエーデルさんが後ろから塞いでいる。シャムスさんの顔がへこむ程の力が籠められているように見えて心配だったけれど、「前、前を向きなさい」とこれまた口をぱくぱくしていたので、前を向く。

 私と一緒に余所見していたらしい紅瞳が、同じタイミングで元の位置に戻った。


「お前は」

「私は」

「笑うと」

「笑うと!」

「うるさいな」

「ありがとう! …………あれ?」


 なんか思ってたのと違う気がする。

 首を傾げた私の後ろでトロイが脱力して、ズボンを握ったままずり落ちていく。待って、それをされると私は立派な痴女になる。

 慌てて片手でズボンを押さえていると、横から温泉が噴き出したような音がした。見ると、シャムスさんが笑い転げている。そして、そのシャムスさんの服で濡れた手を拭き終わったエーデルさんは、無言で巨体を背負い投げした。一本。しかしエーデルさんは止まらない。倒れた胸倉を掴み、二本目も恙なく終了した。







 分厚いふかふかとした絨毯は、一歩一歩慎重に踏み出した衝撃どころか音すらも吸収してしまうらしく、外からの音がほとんど聞こえない。それは絨毯のせいだけじゃなくて、ここがお城の最深部だからかもしれない。

 延々とまっすぐだったような気もするし、延々と曲がり続けた気もする。広い広いお城の奥深く、まるで世界に私達しかいないような錯覚すらもたらす静かな豪奢。壁も床も天井も、絨毯も絵画も置物も装飾品も。全てが美しい静寂だ。

 トロイは緊張した面持ちで、少し強張った手足を揺らして必死に後をついてくる。アラインは元々無口だけど、こんな雰囲気では私だって緊張して口を噤む。


「なあ、やっぱあそこの色、黒がよくねぇか?」

「そうですねぇ……紫も捨てがたいんですが」

「俺の色をいれるか!」

「この世の調和が一気に乱れる世迷い言は慎みなさい」

「そこまでか!? おい、そこまでか!?」


 しかし、まったくいつもと変わらないお二人のおかげで過度の緊張はしていない。それどころか、今から向かっている最後の皇と王の絵が飾られている部屋は、昔は当たり前のように聖人と闇人しか入れなかったけれど目の前の二人が人間にも公開したとかそんな情報まで仕入れてしまった。更に、今回の突発的鬼ごっこは、国長の誰かが聖人のメイドに尊大な口を聞いたところを純血派の誰か、まあグランのお師匠さんだったわけなんだけど、が、見てしまって、全員殺せと激怒したのを宥めさせるために人間全員に謹慎させたとか、闇人も到着してがっちがちの警備になる前にどたばたさせてエグザムの出を窺ったり、教会へはただの嫌がらせだったりとか、そんな情報まで仕入れてしまった。

 それ、アラインはともかく私が聞いてよかったんだろうかと不安になったけれど、片翼だからいいのだそうだ。アラインが聖騎士だから、それと同等の権利が得られるらしい。片翼である特典が豪華すぎる。何の努力もせずに得られた特典にやったねとなるような、その過程にぼろ雑巾を経ていることを考えるとやったね……となるような、何ともいえない気持ちになった。


 ちなみに、鬼ごっこの締めくくり会場に現れなかったロイさんとは、この廊下に入る手前で遭遇した。遭遇したというより、ロイさんとざます君がそこで待っていたのだけど。

 なんでも二人は、わざと警備を薄くしてエグザムを誘い込んでいたところへの連絡役を担っていたそうだ。だからお城中走り回っていたけど、それでもアラインがどこにもいないから不思議だったらしい。いましたよ。凄くいましたよ。あなた方と同じ部屋にいましたよ! とは言えなかった。





 人間に公開するときはこの道を使わず、適当に繋げて入れるんだぜとか、シャムスさんがそんなことを教えてくれる。でも、何をどう適当に繋げるの説明が一切ないから、適当に繋げる以外のことは何も分からなかった。


 そんなこんなを経て進んだ長い廊下の先は、突然途切れた。

 最初は突き当りだと思った。だから左右どちらかに曲がるのだと思ったのに、道はそこで途切れ、私達の前にあったのは天まで貫きそうな大きな扉だった。大きな芸術品を飾っているのだと言われても納得してしまいそうな美しい模様が隙間なく彫り込まれたそれを、扉だと認識するまでに一拍を要する。もうこれだけでここまで来た価値があると疲れも吹っ飛ぶ。

 開いた口を閉じることも忘れて上まで見上げていた私に、シャムスさんは満足げに頷いた。そしてアラインは無言で片手を上げ、私の顎を下からぱこんと閉じた。お世話かけました。




「中はもっとすげぇぞ!」

「別にシャムスは凄くありませんがね」

「この扉運んだの俺なんだぜ、六花!」

「運ぶための空間を繋げたのは私ですがね」


 息ぴったりな会話を繰り広げながら、シャムスさんが一人で扉を開ける。私の身長の何倍もある扉は、下だけ押されてもしならないくらいの厚さがあった。私どころかシャムスさんくらいの厚みがある。いくら重厚でも程があるのではと思えた。それなのに一切軋まず無音の扉が凄いのか、それを設置した技術が凄いのか、まったく重さを感じさせず開いたシャムスさんが凄いのか。

 とりあえず全部凄いことは分かった。




「さあ、どうぞ」


 優雅に流された手が示すままに一歩踏み出す。視界は、色鮮やかな垂れ幕で覆われていた。布はまるで飴細工のように透明度が高いのに、幾重にも重なることで巧妙に奥を隠している。床には厚手の絨毯も敷かれ、部屋中をこれでもかと布が彩っているのに、窓がない部屋とは思えないほど空気が澄んでいる。埃っぽさなんてこの世にはないんじゃないかとさえ思えるくらい、汚れや生活感とは無縁の部屋だった。

 手前の刺繍と奥の刺繍が重なって一つの絵を作り出している事実に気づいて、彼らがこの部屋に砕いた心にごくりとつばを飲み込む。


 豪華なだけじゃない。豪華なのも高そうなのもそうだけれど、この場にいる自分が場違いだと思うのはそれが理由じゃない。ここにいちゃいけない。そう思うのは、たぶんそれだけが理由じゃなかったのに、うまく説明できない。

 怖いくらいに想いが詰まった部屋だと、この世界の人間じゃなくたって、一見しただけで分かる。分かってしまう。

 想いを詰めた筆頭である二人が、ひょいっと布を持ち上げて示してくれたって、足が進まない。だって、綺麗なのだ。綺麗で、寂しい。

 ここは、彼らの大切な人の、墓標だ。




「行くぞ」


 立ち竦む私の手を握ったアラインが一歩踏み出すから、私の足も勝手に進む。

 シャムスさんが吹いた口笛の音が部屋の中に響き渡り、その後頭部を引っ叩いたエーデルさんの手刀が掻き消した。


 引かれる手を呆然と見下ろす。繋がった手から順繰りに視線を上げて、細い腕を、尖った肩を、白い頬を、綺麗な紅瞳を、見る。

 出会ったばかりの時、人を散々引っ張り回して傷だらけにした人が。行くぞって言った。行くぞって言ったのに、手を引いた。手を引いて、一緒に連れていってくれる。前は置いていく意思はなかったのに当たり前のように置いていった人が、今は、行くぞって言って。

 たぶん、これは、凄いことだ。何が凄いと、どうして凄いと、言葉でも気持ちでも説明できないけど、凄いことだって、私の何かが知っていた。


「ト、トロイ」


 溢れだした凄いを一人で抱えきれず、立ち尽くすトロイに助けを求める。溺れるように宙でもがく私の左手を、慌てて駆けだしたトロイが握ってくれた。

 驚愕と泣き笑いと、なんだかよく分からない感情でぐしゃぐしゃになったトロイの瞳に映る私はきっと同じ顔をしている。

 でも、嬉しい。とても嬉しい。そうだ、これは嬉しいだ。私は、私達は今、凄く嬉しい。

 足がふわふわするのは絨毯がふわふわだからじゃない。頭も、足も、なんだかふわふわして、なのに繋がった両手の温もりだけが、私を地面に縫いとめるかのようにはっきりしていた。


 シャムスさんもエーデルさんも何も言わず、少し目を細めて私達を見ながら布を上げていく。雲のように、美しい霧のように、部屋を彩っていた布先には、二枚の大きな絵があった。




 天まで届くような何画にもなった天井に至るまで、全てが美しい部屋の中で、そのどれもを霞ませる二人の絵があった。

 綺麗な聖人という種族が、闇人いう種族が、この世の美の集大成で作り上げた部屋でも足りないと口を揃えるほど、美しい二人。

 見惚れた。たぶん、見惚れたけど。でも。

 呆然と見上げる私は、美しい二人への感想より別のことがぐるぐる頭を回っていた。


「耳、飾り」


 同じ耳飾りが、二人の耳にある。


「絵を隣同士に並べることですら、抗争に近い抗議や反対が相次ぎまして。そこまでいうのなら揃いの飾りを書き足して差し上げましょうと描かせました」

「ちなみに、まだ言うようなら衣装も髪型も全部一緒にしてやると言ったら黙ったぜ!」


 絵の二人は、同じ耳飾り二組で両耳を彩っている。でも、私は同じ耳飾りを見たことがあった。

 一組を二人で分け合っていた、仲良しだなと思った二人を、見たことが。


「六花?」


 私を呼んだのはアラインだけだったけれど、エーデルさんもシャムスさんもトロイも、皆が私を見ている。絵の二人までもが視線を向けているみたいで、私の顔はぐしゃりと歪んだ。


「……なんで」


 殺し合ったと言っていた。

 血を血で洗い、命を命で贖った、泥沼のような戦いをした二人だと。

 聖人と闇人は嫌い合っていて、憎しみ合っていて。停戦から三百年経っても合いの子であるアラインが酷い迫害を受けているような種族を、聖人を、闇人を、背負っていた二人だと、聞いた。

 神様が相容れぬものだと定めた生き物を象徴する二人だと言ったのに。


「なんでぇ……!」


 甘党で、甘いケーキばっかり食べていきたいという駄目な宣言した次の献立まで知ってたじゃないか。あんなに仲良しだったじゃないか。

 二人でいることが当たり前のように隣に座って、頬に口づけを送り合っていたのに、なんで。どうして。

 どうしてその二人が、殺し合った二人として、既に失われた命として絵の中にいるのか。


 どうして、あの美しい黒白が。



 晃嘉と桜良が、ここにいるのか。



 私には、分からなかった。








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