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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
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48伝 はじめての笑顔







 衣擦れの音も呼吸の音も止まり、部屋の中がしんっと静まり返る。

 もう起き上がってもいいはずなのに、アラインは私を胸に押し付けた体勢のまま微動だにしない。せめて上からどいてほしいと思っていたのに、全ての機能を停止させてしまったかのような人にそれを言うのは酷かもしれない。


「…………ねえねえ、アライン」

「なん、だ」


 どいてより酷かもしれないけど、今が一番いい気がするそれを、私はアラインに伝えることにした。思いが丸見えでも分かってくれないから、心と口両方で。


「私、口でも態度でも好きだって伝えてるし、頭で考えてること全部だだ漏れで、心の中でも諸手上げて大歓迎してる。これ以上、どうすればいい? どうすれば信じてくれる? 私どうしたら、これ以上どうしたらアラインに伝えられるの? これ以上、どうなればいい? どれくらい私を、何を曝け出したら、好きだって、アラインという一人の人間……聖人が、大好きだって、信じてくれる? これ以上、あなたとどうなれば、何が繋がれば、伝わるの?」


 友達になりたいって、好きだって、口に出したよ。態度どころか、心まで全開になったよ。

 それでも、駄目かな。私は全部曝け出してもアラインへのなにものにもなれなくて、どんな肯定にも、何の理由にもなれず、出会えた意味を見つけられないのかな。


「好きになってなんて言わない。いや、好きになってくれたら嬉しいけど、そうじゃなくて。せめて、私がアラインを大好きだって、それだけは信じてもらえないかな。同じもの持ってなんて言ってない。ただ、私の気持ちだけは、ほんとだって分かってほしい」


 馬鹿な頭だから、賢いアラインが納得できる言葉なんて使いこなせない。でも、心まで全部筒抜けだから、言葉は理由にならないのだ。

 私のことなんか信用しなくていいよ。してほしいけど、できないならそれでもいいよ。でも、どうか、私の無力で無知でちっぽけでどうでもいいような肯定が、あなたの中に誰かを、トロイを受け入れる何かにはなれないかな。繋ぎとか、梯子とか、とっかかりとか。そんな、ちょっとした何かにはなれないのかな。

 じっと見上げていた紅瞳が、初めて瞬きした。そして、吐息と一緒にごつりと額が。





 何も変わらない灰色の世界。

 風が吹くわけでも、光が差すわけでも、花が咲くわけでも。

 嵐が訪れるわけでも、闇が落ちるわけでも、穢れが湧くわけでも。


 変わらない灰色の世界。濃淡すらない、澄んだ空気の世界に、二人分の白がはためく。私とアラインの二人分の黒い影が、太陽もないのに伸びている。向かい合った私達の後ろに向けてそれぞれ伸びる影は、何に照らされて影を作り出しているのだろう。


「……こんな心の、何がいいんだ」

「味があると思います」

「お前の」

「私の」

「精神の色鮮やかさが濁る」

「味が出る上に綺麗な空気が追加されて、益々のご清栄をお慶び申し上げてほしい」


 私は適当な裾と袖と長さの白いワンピースで。アラインは最初に会った時の格好をそのまま白にしたような服で。全部白一色だけどマントまであるのに、私はワンピース一枚だ。私の装備の貧弱さが目立つ。

 全身がシーツのような色だと、その髪色が際立つ。光沢をもたない白の中で、ひときわ輝く真珠色。

 一歩進まなくても届くその手を両手で握る。


「こんなに広いんだから変わりたいなら何にでもなれるけど、変わらなくても好きだよ。私は、今のアラインも大好き。一緒にいるのも、会話も、楽しい。額は痛いけど、これも、実はけっこう楽しい。嘘じゃない。無理もしてない。ほんとだよ。トロイだって、アラインが大好きだよ。私よりずっと前から、アラインが大好きだよ」

「俺は、忌み子だぞ」

「私は迷い子だよ」


 それが好きにならない理由になるかな。

 本当は、私が無知だからかもしれない。この世界の事情だけじゃなく、もっといっぱい、人生経験的な意味でも、無知で無謀で、そして馬鹿だから。事の重大さも深刻さも分からなくて、何にも分からなくて、ただアラインだけしか知らないから。だから、簡単にそう言えるのかもしれない。

 でも、誰かを好きになるって、好ましいって思うのはそういうことだと思うのだ。

 誰かが言っていたこととか、他の人の態度で判断するんじゃなくて、実際に自分が見たこの人を、自分が会って話したこの人を好きだと。自分で知ったこの人が好きだと思った心を信じようと。

 誰かを信じて好きになるって、そういうことだと、思うから。


「好きだよ、アライン。私は何もできないかもしれないけど、ほんとだけは渡せるんだよ。だから、私が持ってる唯一くらい、信じてもらえないかな。……要らないかもしれないけどね!」


 沈黙に耐えられず、ぺらぺらと付け足してしまう。私のほんとなんか貰ったって役には立たないだろうし、うるさいのは確定だし、むしろ邪魔なのは自分でもよく分かっているのだけど、なんというかこれだけ広いお心をお持ちのアラインさんなので、私の役立たずでちっぽけなほんとを適当に片隅辺りに放り出しといてもらえたらいいなと、思う。好きも嫌いも居場所を見つけられないこの心の中に、どんな立ち位置でもいいから、私もお邪魔させてもらえたら、たぶん、とても、嬉しい。


「駄目、ですか、ね?」


 思考がだだ漏れなのは嫌だし、恥ずかしいし、取り繕えないのはやっぱり身のやり場がない。でも今だけは、私のへたくそな言葉では伝えきれない本当が、歪むことなく、嘘偽りを疑われることなく伝えられることを嬉しく思う。


 アラインは何も言わない。何も言わず、ただじっと私を見下ろしている。逸らす理由もなく、綺麗な紅瞳をじぃっと見上げていると、薄く開いた唇が一度閉ざされ、長い息を吐いた。


「お前は」

「……私は」


 一拍待ったけれど、やっぱり返答がないと続けなかったアラインに苦い物が込み上げてきた。でも、苦い物は、すぐに気にならなくなった。


「馬鹿だな」


 私を見下ろすアラインが、なんだか不思議な顔をしたからだ。

 唇は横一直線になっているのに、何故だか、食い縛っているような、笑い出す寸前のような。僅かに細まった目蓋の中で、紅瞳が窮屈そうに揺れて、でも紅瞳の中で光が揺れて。不思議そうな顔をした私が、消えた。





 ごぽんと、泡が膨らむような音が耳の中に入りこむ。

 私の身体は、灰色の水の中に沈み込んでいた。灰色だったはずなのに、周囲の光全てを遮断したのか、真っ黒な闇が広がる。そもそも光はどこにあるのか。太陽なんてどこにもなかったのに、何が遮られて真っ黒になったのか。

 混乱して、思いっきり息を吐きだしてしまう。ぼこんぼこんと気泡が私から飛び出していく。でも、すぐにおかしなことに気が付いた。気泡が飛び出していって苦しくなった私の身体は、反射的に息を吸い込んだ。すると、足りなくなった空気が、なんら不自由なく身体の中に取り込まれていく。

 息ができる。

 そう気づいた時、灰色の水が大きく揺れた。何か強い力が肘を掴み、凄まじい力で身体が重力に逆らっていく。


「六花!」


 気泡が上がらない場所、水のない灰色の世界に片手で釣り上げられた私の前には、私を吊り上げたアラインがいる。事態を把握できずに下を見て納得した。さっきまで私が立っていた場所に、ぽっかり穴が開いていた。四角い、人が四人も入ればいっぱいになりそうな小さな穴だ。

 灰色の水が波打って深さは見えないけれど、息ができたし、今こうしている灰色の世界とあんまり変わらない気もするから、怖くはなかった。ただし、何故かびしょ濡れだ。ぼたぼたと水を滴らせる。

 アラインは、私を吊り上げたまま微動だにしない。おかげで私の足はぷらぷらと揺れている。二人で足元の四角い穴を見つめて、揺れる水の音を聞く。


「ねえ、アライン。潜りたい!」

「……お前に躊躇はないのか」

「躊躇する間もなく足元抜けたのに今更です」


 揺れる灰色の水から視線を上げたら、同じタイミングで紅瞳も上がってきた。へらっと笑ったら呆れたように紅瞳から力が抜ける。私の笑顔の効果は抜群だと思っていたけれど、ぼたぼた水を滴らせ、濡れた頬にべったり髪を張り付け、へらへら笑って釣り上げられている女に、呆れ以外の何を浮かべればいいのかと気づく。


「ねえねえ、アライン! 潜りたがぼぶ」


 ずっと潜りたかったし、ようやく掴めた足がかり。喜び勇んで飛び込みたい私の願いは本心で、叶えられて嬉しい。それは本当だ。だけど、いきなり手を離すのはどうかと思うのである。






 どぽんと、巨大な泡が膨れ上がったような音がする。粘着質とまではいかないけれどとても重たい音だ。水は身体に纏わりつくことはないのに、とても重い。でも、冷たくない。温かいかと聞かれるとそれも首を傾げるけれど、寒くはなかった。

 重たい水が全身を撫でるように揺れて、私の前にアラインの身体が滑り込んできた。鉄壁に囲まれ四角い穴は、私達二人が入ってもぶつからない広さはあるけれど、すぐに背がつくほどには狭い。


「アライン」


 思わず呼んで、驚く。声が、出た。水の中でまるで地上のように発せられた声に、アラインは驚きはしない。もしかすると、私の心の中でも似たようなことが起こっていたのかもしれない。それを考えると、さぞやうるさかったことだろう。大変申し訳なかった。反省はしているけれど改善の期待はしないでください。


「見える」


 真っ黒な闇の中、アラインの姿が、その紅瞳が唯一の光のように。発光しているわけではないのにはっきり見えるその人にも私が見えているのだろうか。まっすぐに伸びてきた手が私の手首を握る。


「見える?」

「見える」

「なんで?」

「分からない」


 じゃあ、一緒だね。

 声に出してないのにアラインが頷いて。そうだなと言ったのが、声に出してないのに聞こえた気がした。

 どうやって会話しているのかが分からなくなる。アラインも私も、声に出していないのに言葉になって、聞こえていないのに届いていると確信していた。だから、どうやって会話してるかなんて気にならなくなる。だって、言葉が届いて、届けてもらって、そうしてやっていけるなら、方法なんてどうでもいい。

 周りは真っ暗で、すぐ後ろには鉄壁があって。どこまで続いていくか分からない穴の中。なのに私は、恐怖どころか落ち着くとすら思っていた。寒くも温かくもない水の中で、確かに温かい温度が私の手首を掴んでいる。

 潜っていかなきゃいけないのに、何故かお互い相手の目を見ていた。アラインの瞳に私の水色が映っていて、きっとその中には彼の色が映っているんだろうなと思うと、思わず笑ってしまう。

 真っ暗なのに相手がはっきり見える。その不思議をどうでもいいと思うのは、アラインが見えているのが嬉しいからだろう。

 ふへっと笑った私の視界の端を、何かぼんやりとした光が通り抜けていった。アラインしか見えない漆黒の中を、まるで蛍ような淡い光を放つ、新緑が。


「え……?」


 丸い、ほのかな光だった。触れたらほどけてしまいそうな、わたがしよりもほわっとして、やわくもろく、不安になるほど小さな光だ。けれど、漆黒の中においては確かな光としてこの場に漂っている。


「…………トロイ?」


 小さな新緑色の光が、くるりと回って、ふよふよと漂う。

 足元を見れば、薄らと光る橙色と青色があった。小さくほのかな色が、他にも微かに、目の錯覚かと思えるような小さな光が瞬いている。数えてしまえるほどの小さな光が、それでも、光が、真っ黒だからこそ見える小さな光が。


「…………なぁんだ」


 拍子抜けして、体中の力が抜ける。

 馬鹿みたいだ。私なんていらなかったじゃないか。私なんかがへたくそな言葉で、心で、必死になって押し付けようとした肯定なんてなくてもよかったのだ。本人がそうと気づいていなかっただけで、ちゃんと、明るいものも可愛いものも、温かいものも、あったのだ。

 馬鹿みたいだ。必死になって、私の勝手な思い込みで、必死に押し付けようとしなくても、よかった。ああ、本当に良かった。


「よかったぁ」


 漂う新緑を、瞬く橙を、青を、驚いたように見つめ、緩慢な動作で持ち上げた掌に嬉しそうにすり寄る新緑に瞬きをした紅瞳。もろく見える新緑は、長くも細い指の間をすり抜けたりせず、確かな質量を保ってその手にすり寄っていた。

 水の中なのに、ばらばらと水が落ちる。私の瞳から、何故か光りを放つ雫が。


「綺麗」


 出会ったばかりの私が見つけられなかっただけで、アラインの中にはちゃんと寂しくないものがあって。固く固く閉ざした鉄壁は、拒む為のものではなかったのかもしれない。優しい彼が、厳しい人生の中で得たものを、大事に守っていたのだ。


 私にだって分かる驚きを顔に浮かべていた紅瞳が私を見ていることに気づいて、ふへっと笑う。寂しくないんならそれでいいのだ。固く分厚い鉄扉で大事に守っているものがあって、アラインが自分が大事にしているものがあるのだと知ってくれたことが、何より嬉しい。

 抱きつきたくなるような嬉しさが身の内から湧き出してくる。


「綺麗だね、ねえ、アライン、綺麗だね!」


 漆黒は、この光を美しく見せるためのものだとさえ思える。そして、そんな考えが、そんなわけないと言いきれないような人だった。

 嬉しくて嬉しくて、自分の心の中に驚いているアラインを見たらもっと嬉しくて、溢れだした喜びは何故か光の気泡になった。ぽこぽこと感情が泡になって湧き出してくるから、何だか自分が沸騰しているみたいだ。

 私の気泡でちょっと明るくなった四角い穴の中を、何か影がさっと動いた。びくっと視線で追うと、鉄壁に何か黒い塊が引っ付いている。


「これ、なに?」

「さっきから身体にぶつかっていたのはこれか」

「え?」


 周りが真っ暗だったから見えなかっただけで、どうやらアラインは気づいていたようだ。でも、私は全然気づかなかった。アラインにだけ体当たりかましていたらしい黒い塊は、かさかさかさと鉄壁を這い回る。その動きに、何だか嫌な予感がした。


「……なんだか、ゴで始まってリで終わるあれを思い出させる」


 そう呟いたら、黒光りしながら飛んできた。トロイのほわほわした新緑と同じような見た目なのに、黒光りしながら飛んでくる様子は退治しようとするとなぜかこっちめがけて飛んでくる奴を思い出させて悲鳴を上げる。


「ぎゃあああ!」


 思わずアラインの腕にしがみついて回避すると、あろうことかアラインはその黒を掌で捕まえてしまった。黒い光は、嬉しそうにびびびびと跳ね回り、ぐるぐるとアラインの腕の周りを螺旋の動きで回っていく。


「……黒?」


 それを見ていたアラインがぽつりと呟き、私を見た。その視線に、凄く、凄まじく嫌な予想が浮かび上がる。できるなら、一生だって気づきたくなかった。いや、でも、ここにいることは喜ばしいの!?


「これ私!?」


 叫んだ瞬間、視界が真白く染まった。






 目の奥をつきんと痛ませるそれが太陽の光だと気づくと同時に、部屋の中に戻っていることにも気づいた。同時に、顔面に押し付けられた布の感触を感じるや否や、もう反射的にそれを掴んで身体に巻きつける。目の前でも同じような音がしているけれど、その姿をあまり想像しないよう心掛けて、悲しいかな、慣れてしまった一連の動作を終える。


「前、向いていい?」

「…………ああ」


 やけに間の開いた返答に、またねえねえアライン攻撃が必要な時間がやってきたのかとも思ったけれど、今はそれどころじゃない。

 上げた顔から見える景色が高い。ぺたりと座り込んでいる場所は相変わらずシーツの中だけれど、見渡す限りの白い海は足元に広がり、私の視界にはベッドとその先にある床と机まで見えている。後ろから入ってくる風は心地よく髪を揺らすだけで、その程度の風で暴風になる恐れは、もうない。

 どこまでも連なるシーツの皺という名の山を、あっという間にくるくると丸めとって洗濯籠にぽいっと放り込める手を呆然と見つめる。そこには繋がる手はない。目の前で、私と同じように布を身体に巻きつけ、私を見ている同じ大きさの人の手は、布と自分の口元を押さえている。

 アラインが押さえつけていなくても、私達の身体の大きさは揃っていた。


「戻ってる……」

「ああ」

「私の頭の中、うるさい?」

「遮断した」

「まるでうるさいから遮断されたかのようだけど……あれ? 事実? まあそれは置いておいて、それよりなにより、私ゴキブリみたいだったんだけど!?」


 何だか奇妙な呼吸音が聞こえたと同時に、失礼しますと叫び声のような声掛けと一緒に扉が開かれる。私の大声にいても経ってもいられず飛び込んできたトロイは、何故か一瞬息を飲み、でもすぐに状況を把握して喜んでくれた。


「安定したんですね! よかったぁ! あのままずっと師匠と六花さんの大きさが安定しなかったら、僕、小さなお二人を快適に運べる籠を買ってこようかなと思ってたところで……師匠?」


 不思議そうな声音に、視線をアラインに戻す。アラインは口元を抑えたまま、扉とは反対側に顔を向けていた。


「……アライン?」


 沈黙が返る。いや、ただの沈黙ならまだいい。

 私は自分が半眼になっていくのを感じた。


「………………どうも、ゴキブリッカです」

「くっ……」

「嬉しいは嬉しいんだけど、喜ぶに喜べないのもまた事実!」


 アラインの肩が震える。漏れ出た呼吸音は、トロイが飛び込んできた時の音に比べれば控えめだけど、現象は変わらない。



「ふ、くっ……ははっ!」



 俯いていた頭が、常にない動きで上がる。さらりと流れる真珠色の下で、瞳に入りこんだ光という名の魚がくるりと泳ぐ。常に横一直線だった唇が開き、口角は控えめな弓なりで。

 その顔を見たら、すとんっと肩の力が抜ける。力が抜けて落ちていく腕を捻り、細い骨みたいな腕をぺしりと叩いて終わりだ。だって、他のことがどうでもよくなるくらい、嬉しいじゃないか。

 そう思ったのは私だけではなかった。


「師匠が、笑ってる」


 呆然と、呼吸よりも密やかな言葉が幼い子どもから零れ落ちる。大きく見開かれた瞳からは感情が溢れだす。どんなに零れ落ちても途切れることはないそれは、目には見えないものだ。けれど、私が流した涙などよりよほど尊く、美しかった。きらきらと、まるで光のように、こんなに明るい場所でも輝いていて。真っ黒な中じゃなくてもちゃんと輝いてると、教えてくれた。


「は、はは……あははっ」

「六花、さん……ふふ……あはは、は、うぇ……ひっく、あはは」


 もう笑うしかない。アラインが笑っているから、私も笑って。そうしたらもう、トロイも笑うしかなくて。

 ベッドの上、布きれ一枚羽織っただけで笑い合う私達を見ていたトロイは、その場でへたりと座り込み、しゃくり上げるような笑い声を上げた。






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