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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
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46伝 はじめての心の中



 そこには誰もいなかった。握りしめていたのは骨みたいなアラインの手首ではなく、纏っていた布でもない。纏っていた布で縫い上げたかのような真っ白なワンピースだ。すとーんと下まで下りる、面白味も色気も欠片もないワンピースを見下ろす。色気は元からないけれど。

 フリルや襞があれば少しは可愛いのになぁと裾を持ち上げてみると、いつの間にか腰回りがくしゃりと絞られ、スカート部分には襞ができていた。

 ぎょっと飛びのいたけれど、そもそも自分が着ている服が原因なので飛びのいたところで当たり前のようについてくる。足にふわふわと纏わりつく布に混乱して、あっちいってと手で払うとスカートが消えた。やめて戻ってきて!


「ごめんなさい私が悪かったです!」


 ぎゃああと悲鳴を上げるとスカートが戻ってきた。なんの予告も予兆もなく形を変えたスカートにさっきまで脅えていたけれど、今は消えて戻ってきたスカートを恨みがましくも必死に掴む。そしてそのままへたりこむ。


「……び、っくり、した」


 スカートと、ついでに、どっどっとめちゃくちゃに鳴り響く心臓も掴んで息を吐く。何が悲しくてひとり痴女をしなくてはならないのだ。

 鳥肌立つ腕が剥き出しで、ワンピースの袖は肩を少し越えた辺りまでしかないことに気づいた。もしかしてと、ぽつりと呟く。


「袖が、長いと、嬉しい、ような、気がひぃっ!」


 言い終わらないうちに、ばびゅんと高速で袖が伸びる。せめてふわりと現れてくれたらよかったのに、色んなものを縒り合せるようにあっという間に生地が伸びた。手首を通り越し、レースで手の甲の半分まで覆った袖を見て、私は目を閉じ、ふっと笑う。


「忘れよう」


 難しいことは分からないのである。

 きっと魔法とか夢とか気のせいかそれ系の何かだ。へたにどうこうして、ぎりぎり締め上げてきたり、全部どこかに行かれたらそれはそれで困るという打算もある。

 とりあえず服がある。もうそれでいいじゃないか。素っ裸じゃないって素晴らしい。やっぱり人間には尊厳が必要だ。それがあるからこそ、人は獣ではなく人足り得るのだから。

 うんうんと頷き、無理やり話題を変換する。

 ぐっと拳を握り、ぐるりと周囲を確認した。


「で、ここはどこ?」


 独り言が多いのは寂しいからである。あと、結構不安。

 精神を繋げて潜るとアラインは言った。じゃあ、ここはアラインの心の中なのだろうか。




 誰もいない場所にぽつんと一人で座っている私は、そろりと立ち上がりながら周囲を見回した。延々と灰色の世界が広がっている。上を見ても灰色、下を見ても灰色、左を見ても右を見ても、前も後ろも灰色。部屋というには広すぎて、全てが底なしに見える。いや、実際底がなかったら困る。落ちたら泣く。死ぬより先に泣く。私は結構泣き虫なのだ。

 急に怖くなって、足先でそろりと足元を撫でる。今気づいたけれど、私は裸足だった。服は勝手にぐるんぐるん変わったのに、裸足。これはあれだろうか。人の心に土足で上がるなと、そういうことだろうか。

 一歩踏み出すと、ぽちゃんっと、とても心細くなる水音がした。見ると足裏から甲まで半分ほどが沈んでいる。指にしたら一関節分くらいだろうか。


「…………え?」


 潜れと言った。彼は確かに潜れと言った。そして、自分も潜ると言った。だから確かに潜れと言われた。


「潜るの!? これを!?」


 もう一度言おう。その深度、指一関節分くらい。

 私はワンピースの胸元を指で引っ張り、自分の心の中にいるであろうアラインに向けて叫んだ。


「潜れないよ!?」

「潜らせすぎだ!」


 一人で怒鳴ったはずが怒鳴り合っていた私達は、お互いの胸倉掴んだ状態で部屋の中に戻っていた。周囲は真っ白なシーツの海。つまり、身体の大きさは一切合財変わっていない。

 でも、それより浅さに驚いた私はそのまま続ける。


「アライン浅すぎるよ!? 潜るも何も、掌すら浸からなかったよ!? 何!? アラインってそんなに底が浅い人だったの!? それともすっごい初期の段階で心閉ざしてるの!? あ、なんかそれっぽい! 分かったそっちか!」

「お前はあっさり潜らせすぎだ。初期に手順を踏めばどこまでも潜れるからこっちが遮断した。壁を作れ、壁じゃなくてもせめてどこかに遮断のとっかかりを作れ!」

「信じろって言ったよ!?」

「信じすぎだ。異物をそう簡単に通すな!」

「なんで怒ってるの!?」


 信じろと言われたから信じてたのに、信じすぎだと怒られるこの理不尽。アラインは私の胸倉を掴んでいた力を強くして引き寄せた。


「あまりに抵抗なく潜らせるから底が深いのかと思いきや、あっさりお前の根幹に辿りついた」

「まあ、分かりやすい人間といわれて十五年ですから」

「あんな深い場所を他者に曝す馬鹿がいるか」

「私だって警戒するときはちゃんとしてるよ。アラインには警戒心が湧かないだけで」


 さすがに見ず知らずの人間相手に、全力でいらっしゃいませなんてしない。いや、お店でならするけど。全身全霊をもっていらっしいませ、またのお越しをするけど。




「精神の根幹は」

「根幹は」

「お前の心臓と同義だ」

「心臓」


 言っていることを理解しようと真面目に聞いているのに、復唱する度にアラインが頭痛いみたいな顔になっていく。


「俺が攻撃すれば砕け散るぞ」

「心臓」

「精神が破壊された場合、お前という個が砕け散る」

「私の心臓」

「お前を構成する身体、記憶、培ってきたもの全てが無に帰す」

「私の心臓可哀相!」


 なんて可哀相な私の心臓。攻撃はしないと約束してくれた人から、精神的な心臓の危機を淡々と語られる私と同じくらい可哀相。

 私は神妙な顔で頷いた。


「け、警戒は、ちょっと、難しいかもしれないけど、しゃ、遮断? は、がんばる」

「そうしてくれ」

「アラインは、せめて浸かれるくらいまでどうにかしてくれると嬉しい」

「…………努力する」


 言うや否や、振りかぶられた額に仰け反る。


「それ頭突きじゃないと駄目な感じ!?」

「互いの体温と意識を分け合えればいい」

「頭突きである必要なかった! なんで普通に合わせないの!?」

「お前の思考がうるさい。これなら一瞬で途切れて集中できる」

「意識分け合ってない!」

「歯を食いしばれ」

「聞いて!?」


 がつんとぶつかってきた額に星が散る。そろそろ額が割れる。絶対割れる。割れた場合、損害賠償は誰に請求すればいいのだろうか。元を正せば私がうるさいからだと言われた場合、私は私に請求する必要がありそうだ。






「そんなわけで戻ってきました灰色世界」


 さっきよりは落ち着いて周りを見渡せるし、スカートが足に纏わりついて邪魔だなと思った瞬間、ぎゅるんっと短くなった時も「うおわぁああ!?」と叫ぶだけで済んだ。怖かった。

 深呼吸しても、何の匂いもしないし、風もない。

 そういえば、服が自在に凄い勢いで変わることについて聞けばよかったなと今更気づく。

 まあ、何はともあれ潜らねば。私は裸足の足を一歩進めた。ぽちゃんと、やっぱりやけに不安に聞こえる悲しく寂しい水音が響き、私の足は灰色の世界に沈んだ。足が浸かった場所から波紋が広がっていく。波紋は地面だけではなく、上にも横にも、全てに広がっていった。それなのに箱形にも円形にも見える不思議な世界は、やっぱり果てを見つけることはできない。

 私は広がっていく波紋を見送りながら、ふっと静かに笑った。






「指先は浸かれてるけど甲は丸出しだよ!」

「遮断していない上にもてなすな!」


 お互い胸倉を掴み合い、鼻が尽きそうなほど至近距離でがなりあうこと再び。ちなみに、胸倉掴み合っているけど圧倒的な力の差でお尻が浮いているのは私だけだ。アラインはびくともしていない。

 ほとんど改善してないことに対して文句を言い募ろうとしていた私は、ぱちりと瞬きする。


「え? もてなし?」

「花を咲かせるな。茶の用意をするな。茶菓子を山で出すな。軽食を通り越した通常の食事を途切れることなく出すな」

「うわーい、大歓迎してるぅ」


 私を受け入れる努力が足の指先が浸かるか浸からないか、ぎりぎり微増加のアラインもひどいけれど、ちっとも解決しないどころか悪化しているらしい私の心も相当なものだ。


「そもそも、私の心の中どんな感じなの?」

「うるさい」

「……今現在の私がうるさいのか、私の心の中がうるさいのか、さあどっちだ」


 うるさいの一言で会話を断ち切られた以外の可能性を考えられるほどには、仲良くなれたような気がする。それか、私が固定観念にとらわれず他の選択肢を見つけ出せるようになったのか。成長するって素敵なことだけど、できれば仲良くなれてるほうが今は嬉しい。

 じっと見上げていると、深いため息が降ってきた。間違っても楽しそうではない雰囲気に、私は自分の心の中の惨状に身構える。


「食物が溢れている」

「食いしん坊でどうもすみません!」

「枕、シーツ、ぬいぐるみ」

「寝坊助でほんとすみません!」

「金」

「強欲でお恥ずかしい限りです!」

「課題と書かれた書物」

「私の心にそんな異物が!」

「隅に追いやられていた」

「定位置ですね」

「書物、ボール、遊戯板、遊具、玩具、観劇、絵画、音楽、山、川、家、店……まだ説明は必要か」

「娯楽の限りを尽くし、ほんと申し訳ありませんでしたぁ!」


 しまったうるさい。私の心の中はうるささに満ち溢れている。

 

「せめて色を統一しろ。目にもうるさい」

「重ね重ね申し訳ないことを……あれ? 人っていないの?」

「俺が持ち得る記憶力を駆使して全人物の特徴を説明してやろうか」

「普通にいる!」


 そりゃそうだ。心を占めるものが『物』だけじゃあんまりである。当然『者』だっているはずだ。それを聞いた私は、掴んでいたアラインの胸倉を全力で揺すった。


「私を今すぐアラインの心に戻せ――!」

「うるさい」

「人がいるんならアラインの心にトロイがいないのはあんまりにもトロイがあんまりだから、意地でも見つけ出してくる早く戻してぇ――!」

「うるさ」


 最後まで言わせず、下から突き上げるように額をぶつけると、ぐるりと世界が回った。






 三度訪れた灰色の世界には、最早怯まない。ここは戦場だ。怯んだ者から駆逐されていく。というか、諦めた者から座り込んでいく。

 私は鼻息荒く、ぐるりと世界を見回した。最初に感じた不安と寂しさと恐怖は、どこかにすっ飛んで行った。私はやってやる。この一面灰色の世界から彼の健気な弟子を見つけ出してやるのだ。その意気込みがあれば、最初に感じた不安など入り込む余地などない。あと、慣れ。でもおでこ痛い。


「うおおおおおおお!」


 浅い浅い灰色の水に飛び込み膝を打ち、悶えながら掌で水を掬う。指の間を灰色の水が落ちていく。私の掌で掬い取れる量など微々たるものだ。すぐに掌は空っぽになる。そう、空っぽ。そこにトロイはいない。私はすぐに灰色を掬い、何度も何度も同じ動作を繰り返す。


「トロイ待ってて! アラインの心の中にトロイはちゃんといるよっていうお土産話持って帰るから楽しみに待ってて――!」






 四つん這いになり、溝に小銭を落とした時より血眼になって灰色を撫でまわす。今の私は戦士だった。果てなき灰色から、たった一つの探し物を見つけ出すまで決してあきらめない戦士なのだ。私の心に合わせて、白いワンピースも戦士のような形になっている。でも、なんで肩が尖ってるかは今一分からない。母が見たら『せいきまつ!』と言いそうな装いだ。せいきまつが何かは知らないけど。


 不思議なことに、これだけ水の中でばしゃばしゃ暴れているのに、白い服はちっとも濡れない。灰色に染まることもなければ、水を吸って重くなることもない。もしかしたら水じゃないのかもしれない。じゃあなんなのかと聞かれても答えられないけど、アラインはこれに潜れと言っていた。水じゃないのなら呼吸の心配はしなくていいのかもしれない。潜れないけど。

 四つん這いのまま前に、横に、じりじり進んでは水を掬う。最初に比べたら掌が覆われるくらいの水量になっている。でも、潜るには到底足りない。かろうじて顔面浸けられるかどうかだ。どちらにしろ、浸けることはできても浸かることは不可能だろうことは分かった。

 私は顔を上げ、袖口で顔を擦る。流れたのは跳ねた灰色ではなくて私の汗だ。


「広いのになぁ」


 どこまでも続く灰色の世界。波紋は途中で遮られることなく延々と広がり続けていく。濃淡すらないので目と頭が混乱しそうだけど、よくよく目と意識を凝らしてみれば、天は高く、広がる波紋はどこまでも果てしなく続いていくのだ。

 灰色一色の何もない世界。色があったら、たぶん、凄く綺麗なのだろう。どんな世界だって作り出せる広さだから、面白い世界に、頑固な世界に、綺麗な世界に、奇妙な世界に。何だって作れるし、全部だって作れるくらい広い。

 這い蹲っていた姿勢を正し、背中と腰を伸ばしながら世界を眺める。


「広いなぁ」

「塞げ」


 目の前にアラインがいて思わずのけぞった。伸びをしていたから更に伸びたというべきかもしれない。慌てて周囲を見回せば、白いシーツの海だった。つまり何一つとして変化は訪れていないということだ。なのにぐるんぐるん世界が変わるから、馬鹿には大変だ。

 でも、馬鹿じゃないはずのアラインのほうが疲れているように見えた。心なしかやつれている。


「お前が」

「私が」

「まったく拒絶しないせいで、お前の中の人間が俺への接待を止めない」

「なんていうか、大歓迎でほんと申し訳ありません」

「せめて靴は返せ」


 土足で上がりこんでたことに対して物申すべきか、靴を奪い取って申し訳ありませんと土下座すべきか。

 ぐったりとしたアラインの胸倉を掴む気にはなれず、手首を掴まれたまま疲れ切った白い顔を見上げた。ちょっと休憩するべきかもしれない。私は術とかそれ系のこと一切分からないけれど、疲れたら休むべきだということくらいは分かるのだ。

 一息つこうにもお茶どころか水すら用意できないのは悲しい。そしてやることがないのは更に切ない。どうしようかなと掴まれた手首をぴこぴこ動かしてみたら、ぐっと力が籠められた。動くなということだろう。



 やることがなくて、ぼんやりシーツの海を眺める。どこか遠くで鐘が鳴り響き、わあわあと楽しそうな声が上がっていた。気持ちのいい風が吹き込んでいるけれど、揺らすカーテンもなければそよぐ風さえ暴風となりかねない私達にはわりと危険だ。


「ねえ、アライン」

「何だ」

「私って怖い?」

「……は?」

「それかこう、物凄く強く見える?」


 布が落ちないよう合わせ目を肩と頬の間に挟み、繋いでいないほうの手をしゅっしゅっと殴るように動かす。宙に向けて繰り出される大変強そうな拳を見ていた紅瞳が私を向く。


「ただの馬鹿に見える」

「強弱で聞いたのに、誰が馬鹿阿呆で返答しろと」


 この唸る強そうな拳をそっちに向けて繰り出してやろうか。


「避けてもいいが、当たったところで何がどうなるとも思えない」


 望んだときは会話にならないのに、喋っていなかったら会話になるこの悲しさ。

 恨めしさを籠めて睨み上げる視線に対し、紅瞳は逸らしもしないが怯みもしない上に、悪気も茶化す意図すら見つけられない。

 いろいろ言いたいことはあったけれど、一応会話になっているのでこのまま続けよう。

 私は繰り出していた拳を引っ込め、肩と頬に預けていた合わせ目を回収した。


「アラインが私の心臓を絶対攻撃しないって約束してくれたみたいに、私も絶対アラインを攻撃したりしないから、信じてくれると嬉しい」

「約束をする必要がないほど脅威に感じていない」

「それを踏まえてあの浅さなことに驚愕です」


 自分でも自覚はあるのか、紅瞳が斜め下に逸れた。追撃すべきか優しく追い詰めるべきか悩んでいた私の額が痛い。

 気が付いたら灰色世界に戻っていた。そろそろ私の額は割れる。額が痛い。別に言葉遊びをしているわけじゃないけど額が痛い。



 擦っていた額から手を離し、勝手にぎゅるんと縮んだ袖を捲り損ねて空ぶる。彷徨った両手で頬を叩く。べちんと鈍い音がした。


「……よし、頑張ろ」


 脅威に感じていない相手すら、まったく身の内に踏み込ませられないほど頑なでなければ生きられなかった彼の中から、あの小さな子どもの片鱗を見つけ出すまで。








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