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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
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45伝 終かしな事態の収拾願ふ






 ぱたぱたと小走りの振動を、布の海の中でばっさばっさと感じる。隣には私と同じように布きれ一枚を纏い、私の手を握ったアラインがいた。ずっと瞳を閉じて無言だけれど、一度もこの手を離さないでいる。

 ちなみにこれ、仲良しになった訳ではない。手を離すと大惨事になるのだ。


 私達は今、トロイが一つに纏めて大事に抱え上げてくれた服の中にいる。アラインのマントで包んでいるから中身は服だとは気づかれないだろうけど、更にその中に私達がいるとは誰も思うまい。

 もっというなら、アラインの集中が切れるか手を離されるかしたら、身体の大きさが定まらないまま素っ裸で登場することになるなんて誰が思うだろう。むしろ誰も思わないでください。私だって思いたくない。



 トロイは、私達を出来るだけ揺らさないよう、そして不審に思われない全速力で部屋を目指してくれている。

 布の隙間から外を覗きこむと、ちょっと前に移動しただけなのに、繋がっていた手が引かれた。有無を言わさぬ力でアラインの胸に倒れ込む。


「動くな」

「ごめん」

「ここからでも見える」

「…………いい位置取ってるねぇ」


 私のいた場所からは何も見えなかったのに、私より先にさっさっと座り込んだアラインは、布の隙間を綺麗に辿り、外が見られる場所を選んでいたらしい。

 アラインを背凭れに座り込むと、ちょっと考えてから尖った顎を頭に乗せてきた。重い。そしてちょっと痛い。集中を乱したのは悪かったし反省もしてるから、人の頭を台にしないでほしい。するならもうちょっとお肉でクッションをつけてからにしてほしい。

 また黙ったのは集中しているからだと思っていたのに、何か考えていたらしく、視線を上げたらじっと私を見ていた。


「……接触面が多いほど落ち着くのか」


 そう呟いて、繋いでいないほうの手をお腹に回してきた。ぐっと引き寄せられて、ぺったりと背中が引っ付く。その温もりに、空いた手を無意味に浮かせて彷徨わせる。

 布きれ一枚の下は素っ裸。これは、いろいろ終わっているのではないだろうか。けれど振り払ったら、それはそれでいろいろ終わる。

 嫌なわけではない。いや、嫌は嫌なんだけど嫌いとか怖いとかそういう意味の嫌ではなくてなんというかこうあれな感じでそれでああでこうでそういうわけなんですよ。


「……分かったから黙れ。うるさい」

「まだ何も言ってない」

「何も考えるな。集中の妨げにも程がある」

「何も考えない何も考えない何も考えない何も考えない」

「うるさい」

「あ、はい」




 てってっと軽い足音に揺られていると、ここに来るまでも何度か聞いた「100て、んんん――……」と尻切れていく声がした。

 アラインの弟子であるトロイがいるということは、アラインの片翼である私もいると踏んで皆が襲いかかってきている。けれど、全員意気込みの言葉を尻切れトンボにしていった。


 今のトロイは、マントを片方に寄せて半分裏返している。着衣の一部を裏返している人は、すでに証を奪われている状態か、現在行われている遊戯に参加していないということになるのだそうだ。見やすいように半分ほど引っくり返すといいらしい。シーツを抱えて通り過ぎていくメイドさん達も、エプロンやら帽子やらをひっくり返していた。誰からも点数となるものを奪われない代わりに、誰のものも奪えない。そういう規則だそうだ。


 すでに点数を奪われた人は、奪った人から自分の点数を取り戻さないと遊戯不参加の状態になるらしい。遊戯不参加状態だから他の人から点数を奪えない代わりに、誰からも襲われない。唯一襲える人は自分から点数を奪った人だけだ。

 騎士は戦闘職じゃない人からは奪っちゃいけない規則で、その逆は大丈夫。でも点数を奪われた場合だけは奪い返してよし、などなど。いろいろ細やかな規則があるけれど、ちょっと考えれば妥当かなぁと思えるものなのでそんなに難しくない。ようは、一般の人は騎士に点数取られたら取り返せないけど、逆はできるだろうから騎士はちょっと不利のような実力差考えたらそうでもないようなことが規則なのですよということなのだろう。



 ちなみにトロイは、とっくの昔に点数を奪われている。師匠からもらった師弟の証を奪われたら大泣きするかと思いきや、意外とあっさり差し出した。その代り、なかなか放しはしなかったけれど。はいどうぞと大人しく差し出された証は、溶接されたかのように離れやしない。相手の騎士は必死に引っこ抜いていた。

 トロイはそれを恨めしげに見はしない。なんでも、今までアラインに置いてかれるたびに奪われていたので、悲しいかな、慣れてしまったのだそうだ。大会が終わったら返ってくるからと割り切ったらしい。その割に、往生際はしっかり悪かった。



 騎士じゃない一般の人達は、仕事に使う印章が点数になるらしい。ここは皇城だから、当然ここで働いている人達も何かしら証明になる物がないと入れないから、何かしら持っているのだ。

 いろいろあるんだなぁと感心しながら、とにかく何も考えないよう努めていく。布の隙間から流れる景色にも心を無にする。

 あ、すごい。林檎おっきぃ。おっきな林檎だとかじってもかじってもなくならないし、天国みたいに幸せになれるんじゃないかな。あ、それならお菓子がいいな。ケーキの海で溺れたい。この身体でお腹いっぱいお菓子食べても、大きくなったら大した量にならないんじゃないかな。あれ? でもそれ、大きな状態でご飯食べて小っちゃくなったら怖いことになるんじゃないかな。ご飯で破裂なんて悲しすぎる。嫌だ、そんな死。


「……それだったらさっきの時点で破裂してるだろう」

「……なんかすっごい滑らかに読めるようになってないですかね」


 単語がちらほら聞こえてるだけで、たまに文章が聞こえてくると言っていたはずなのに、やけに滑らかな会話が成立している。

 アラインはちょっと黙った。と、思ったら、いきなり顎を浮かせてがつんと落としてきた。つられて黙っていてよかった。一人で喋りまわっていたら盛大に舌を噛むところだった。でも、星は散ったので嬉しくはない。


「痛い……」

「もう黙ってろ」

「頭の中読まれた上に痛い目見た私としては、なんか納得いかない気が」

「お前の五月蠅さで尊厳を失いそうな俺も納得いかない」

「ほんとすみませんでした」


 私も人としての尊厳を失いたくないから、できる限り頭の中を真っ白にできるよう努めた。でも、大きな世界を見ると、どうしてもどきどきが止まらない。わくわくもはらはらも湧き出てくる。

 だから私は、自分にできる最大にして最高の、そして最終手段を取ったのである。

 できるならこの手は使いたくなかった。なんというかこう……それもどうなの? という状況しか生み出さないだろう。だって素っ裸で意識を失うなんて、自分にも相手にも迷惑この上ない状況しか生み出さない。だが、致し方ない。背に腹は代えられないのである。

 私は最終手段を取った。

 具体的にいうと、頭の中で試験の度に死にそうになった数学の公式を思い浮かべたのだ。アラインから呆れに似た溜息が聞こえてきたような気がするけれど、それに相槌を打つことなく、黙々と勉学に励んだ。

 もちろん、ぐっすりでした。






「起きろ」

「あいたぁ!」


 額に何か一枚隔てたかのような衝撃がべしりと降ってきて、ぱちりと目を覚ます。

 一面真っ白で混乱する。慌てて飛び起きようとした私を、未だ額に乗ったままの何かが押さえた。おかげさまでびくともしない。人間額を抑えられると、たとえ相手が指一本でも起き上がれなくなると聞いたことがあるけれどあれは本当だった。しかも指一本どころか、額を覆うように掌を置かれているとまったく頭が上がらない。ちなみに、これが掌だと分かったのは、ちゃんと意識が覚醒すれば触れる形状と伝わってくる体温で普通に分かった。


「おは、よう?」

「その勢いで起き上がった瞬間、お前は尊厳を失うがいいのか」

「ほんとどうもすみませんでした!」


 真っ白な視界は、まとっていたハンカチを死体よろしく頭の上から足元までかけられていたからのようだ。あの勢いで飛び起きていたら、とんでもないことになっていた。立派な公害である。

 いろんな意味で頭が上がらない。



 飛び起きる意思が消え失せたことを確認したアラインが掌の力を抜く。私は左右からハンカチの裾を探して手繰り寄せ、にょきりと両手を生やす。端を持ったまま起き上がりつつ、腕を後ろに回した。そして合わせた端を落とさないようしっかりと持ち、ぐりぐりとハンカチの合わせ部分を前に持ってきて硬く巻きつける。

 ようやく身なりを整え……公害の危機を多少なり緩和できた状態になるまで、アラインは私の額を覆ったままだった。おそらく、手を離したら公害一直線なんだろう。この状態で大きくなったら、いろいろどころか全部終わる。

 アラインは私が落ち着いたのを確認して、反対の手で手首を掴む。そこでようやく額の手は放された。


 きょろきょろと状況を確認する。

 今いるのは、朝に飛び出したアラインの部屋のようだ。これぞまさにシーツの海というか、大海原というか、端が見えない。一面真っ白で、ちょっとした皺にも足を取られるのに、結構な皺だと最早山登りだ。小さなアラインから見た世界を共有して初めて分かる、ベッドの広大さ。ここまで山あり谷ありなのは、起きてからベッドを整える余裕がなかったからでもある。

 整理整頓、身辺綺麗に使った物は使う前の状態に戻しましょうの鉄則の大切さを、まさかこんな形で、まさに身を以って思い知ることになるとは。

 いつもの大きさだったら肉眼で見ることもできないかもしれない、今の私から見ても小さな皺を無意味に伸ばす。いや、無意味ではないはずだ。ちりも積もれば山となる。今は小さな皺伸ばしでも、続けていればいつかベッド全てを整えることだって可能だ!


「六花」

「はい?」

「……お前から延々と流れ込んでくる思考は自分で制御できないのか」

「シーツを整えたら、ベッドの上を思う存分駆け回れるよね!」

「……六花」


 最早単語どころか駄々もれになっているらしい思考を全部受け取っているアラインに、私はにこっと笑った。無表情が少しだけ怪訝そうになる。


「アラインこそいいの?」

「何がだ」

「アラインがその流れ込む思考を口に出した瞬間私は顔どころかもう全部真っ赤になって奇声を上げてベッドから飛び降りるよ意識しまくってまともに会話どころか人間として成立しないところまで羞恥に悶えるわ叫ぶわ終いには泣くけど構いませんか」

「……了解した」



 恥ずかしい恥ずかしいハンカチ一枚とかもう本当どういうことなのせめて下着をせめてどちらかは服をいやでも私だけ裸なのも恥ずかしいけどそれよりもうなんというか恥ずかしいけど恥ずかしいとか思ったら終わるその場で終わる全てが終わる奇声を上げてアラインから離れようとベッドから飛び降りて宙づりになる未来しか想像できない布きれ一枚で人は精神を保てるしその一枚がなければ精神すら保てないとか知らなかった知りたくなかったいや知ってはいたけどこんな切羽詰まった状態で思い知るなんて思わなかった思いたくなかった。




 自分でも制御できないこのぐるぐると渦巻くのにはち切れそうな羞恥までも、おそらくアラインに駄々もれなのだろう。でも、もう、それを恥ずかしいと思う余裕すらない。恥ずかしさはもう隙間もないくらいみちみちだ。


 私だって人並みの羞恥心くらい持ち合わせているのである。

 初対面で風呂に入っただろと言われても、恥ずかしいものは恥ずかしい。二回目のお風呂も入っただろと言われても恥ずかしいものは恥ずかしい。一度目は睡魔にやられ、二度目は大きさが違った。大きさが揃ってるだけでもう恥ずかしい。

 ちなみにアラインがそう言ったなら、さっき一息で言い切ったことをすべて実行した上に更なる羞恥に溺れて穴を掘って埋まることをここに誓います。




 私は、私の手首を握っているアラインの考えを読めない。お互い布きれ一枚という凄まじい状況で、小人になってしまうという共通点があるにもかかわらず、だ。他者の考えなんて読めないのが普通だ。それも、顔色から読むとか、顔に書いているとか、そんな状態ではなく文字通り読めて聞こえているほうがおかしい。

 不公平だともご迷惑おかけして申し訳ありませんとも思う私は、アラインの考えは分からない。なのに分かった。読めないけど分かる。それこそ、手に取るようにひしひしと。

 彼を取り巻く環境はちょっとしか分からないし、彼のこともほとんど知らない。けれど、私は彼から読み取ったこれが間違っていないと自信を持って言える。何故なら、私も彼と同じ気持ちだからだ。

 つまり。


 いろんなことを、さっさとどうにかしよう。


 私達は顔を見合わせ、静かに頷いた。







 小さく細い息を吐き、アラインが顔を上げる。


「俺を握れ」


 私は視線を落とす。


「無理です」


 しょっぱなから挫折した。アラインも無言で視線を落とす。私の手首を外側から握っているアラインの手の下で、私の手が宙を掻いてぱくぱくしている。もう片方の手は、互いに布の合わせ目を押さえていた。

 細いけれど長い指の力が少し緩んだ。動けるようになった腕をぐるりと回し、アラインの手首を握る。流行の少女小説では、指を絡めて握り合う場面があったけれど、私達が握り合っているのは手首。ここには、あの小説のように甘く切ない雰囲気は存在しない。あるのは、崖から落ちそうになっている人を助けようとしている、要救助者の緊迫感である。


「精神を繋げて潜るから弾くな」

「弾き方が分かりません」

「お前も俺の中に繋げるから、潜れるだけ潜れ」

「潜り方が分か」

「俺は決してお前の精神に攻撃を行わないと信じろ」

「うん分かっ」

「互いの精神面が馴染めば、齟齬も多少は埋まるはずだ」

「聞いて?」

「始める」

「聞いて!?」


 会話をしているようでできていない、この悲しいまでの一方通行感。言葉を遮られたわけでもないのに通じない悲しさ。むしろ虚しさ。

 こっちはアラインにとっては常識である術への耐性が全くないのだ。そんな、川に潜るみたいに精神面に潜るなんて言われたって、まず、「え!? 心の中にそんな簡単に入れるの!? そもそも入れるものなの!?」というところへの驚愕から始めて頂きたいのに、いきなり実施だ。

 無言で実行されないだけ進歩なのかもしれないとちょっと諦めた私の上に影が落ちる。見上げると、アラインの顔が下りてきていた。影を背負って近づいてくる紅瞳に、なんだかとっても嫌な予感がする。


「え、ちょ、ま、これってまさかの頭突き」

「歯を食いしばれ」


 淡々と降ってきた言葉と額ががつりと合わさって星が散る。歯を食いしばれが、舌を噛むなよという彼なりの優しだったのかなと気づいたとき、私の世界はぐるりと変わっていた。





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