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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
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43伝 終かしな事態発生





 どこか遠くで甲高い獣の声がする。犬だろうかと視線を巡らせても、遥か遠い地上のどこかにいるだろう動物の姿は見つけられない。犬らしき鳴き声は、わんわんとリズムよく吼えはせず、わぅーんと長く伸びの良い遠吠えを響かせていた。



 少し身を乗り出した私のお腹を、ぐるりと回して抱えていた腕が引く。絶妙な加減で、痛くはないけど苦しくて、「ぐぁ」とガチョウのような声が出た。


「……お前、高い所が怖いんじゃなかったのか」

「高い所が怖いんじゃなくて、落ちるかもしれないのが怖いんです」

「だったら覗きこむな」

「そこはほら、落とさないって言ってくれたから」


 胡坐をかいた足の中に私を座らせたアラインは嘆息した。小脇ではトロイが眠っている。

 私と一緒にべそべそと鼻を啜りながらサンドイッチを食べ終えると、いつの間にか眠ってしまっていたのだ。おそらく、目覚めない私達が心配で、昨日はあまり眠れなかったのだろう。頑張っていたけれどやがて船を漕ぎ始めて、かくんと落ちて以来反応がない。

 そのトロイにちらりと視線をやりつつ、私達は心持ち声を潜めた。


「言わないとお前泣きやまなかっただろう」

「え? 嘘だったの!?」

「落としたことはない」


 じゃあいいやと納得しかけて、はたと気づく。


「そもそも担ぎ上げたことは?」

「ほとんどない」

「ええ――……」


 安心安全の実例が少なすぎる。

 けれどまあ、何事にも初めや初期段階はあるものだ。これから実績を重ねていく人を忌避していては新しいものが成り立たなくなる。

 それに、私だって落とされないよう何もしていないわけではない。盛大に前のめりになってるわけじゃないし、覗きこむ後ろ手にアラインを掴んでいる。何もせずに覗き込むには少々高すぎるし、さっきまでの状況が状況だ。普通に怖い。






 私達は、屋根の上で朝食兼昼食を取っていた。正確には窓の下であり屋根の上であり壁の途中であり、外壁の隙間だ。地上を歩く人々が小指の爪より小さく見えるほどには高く、入り組んでにょきにょき伸びている塔を見上げるほどには半ばの位置だ。



 食事は、大雨警報状態で訪れた食堂で用意してもらった。


 いくら無礼講が鉄則の遊戯であろうと、食堂や医務室、政務室など通常業務をしている場所は勿論、手洗いや風呂など倫理的な問題がある場所では適用されない。


 どこかに規則としてあげられているわけではなくとも、暗黙の了解で守られていることだ。そもそも、何かに記されていないから、口に出されていないから守る必要がないなどという者は恥知らずだ。己が負うべき倫理違反を他者に押し付けているに過ぎない。注意事項があろうがなかろうが、道徳に反したのはその本人だけである。その行為を推奨した規則があるのならともかく、書かれていないからと考える責任すら他者に押し付ける恥知らずがシャイルンの城にいてはそれこそ問題となる。



 アラインへの態度と頑ななまでに清廉にあろうとする態度に違和感はあった。その倫理観を当たり前とする心の一欠けらでもアラインへ向けてくれたらよかったのにと、思う。

 他所の世界のあり方だ。考えなしにひょいひょいと口を出していいことじゃない。分かっていても、腹立たしい。


 色んなことが重なって噴火した。そうしてぎゃんぎゃんやらかしてしまったのに、後悔より羞恥より、腹立たしさが残っている辺り、たぶん反省できない。

 異世界よ、私に染まれ! と言えるほどえらくも凄くもないし、別に染まってほしいわけじゃないけれど、これだけは私だって譲れない。一緒になってアラインにあんな目を向けるくらいなら、この世界で一生浮いたままでも構わない。

 間違えたくない。違う世界の文化に馴染もうとして、自分が持っている大事な物を間違えたくない。馴染むことと、流されることは違う。





 聖人のちぐはぐな倫理観。

 けれど、そのおかげで誰にも邪魔されることなく、少なくても食堂を出るまでは、誰の妨害を受けることなく食事を手に入れることができた。


 籠に入れられた三人分の食事を得たアラインは、食堂を出てすぐに私達を抱え上げ、窓から飛び出して姿を消した。


 確かに、のんびり食堂で食事をとっていたら周りを囲まれてしまうし、人の目も通行も多い廊下を駆け抜けては、振り切れるものも振りきれないだろう。

 それくらいのことは私にも分かる。分かるは分かるのだけれど、納得がいくかといわれたらまた別の話だ。


 正直またかと思った、言った、叫んだ、しがみついた。

 そんな私にアラインは、絶対に落とさないから、泣くな、叫ぶな、首を絞めるなと叫んだ。約束するかと叫べばすると答え、約束したことはあるかと問えばないと答えた。信用できないなら誓約すると叫んだので、誓約したことがあるかと問えばないと答えた。

 とりあえず泣いた。




 そんなこんなな大騒動でも、いつもアラインが隠れているらしいこの場所でべそべそ泣きながら腹を満たせば収束するものである。腹が満ちれば心も落ち着く。

 人心地ついた私は、鼻を啜りながら、改めて状況把握に努めた。



 絵本どころか絵画集の表紙を飾れそうな美しくも不思議な建物を、外壁に座り込んで眺める機会など早々ない。全身に受ける風もどこか地上と違う。鳥が下を飛んでいく状況に、好奇心がむくむくと顔を出した。

 未だ足は竦むため、しっかりとアラインの服の裾を掴んだままそろりと下を覗きこむことから始めた。高かった。

 正直アラインがお腹を抱えてくれていなければ到底できたことではない。


 ごそごそと元の位置に戻って、少し考える。そして、そろりと背中をつけてみた。これで完全にアラインを椅子にしたわけだけど、どうなんだろう。

 ちらりと見上げると、もうどうでもいいのか、疲れ切った顔で人の頭に顎を乗せてきた。重いより痛い。顎尖りすぎだ。お肉つけて、お肉クッション。



 なんとなくお互い無言で景色を眺める。わあわあと騒がしい声が、距離を得て柔らかく届く。下は今でも点数を集めているようだ。

 ぼーっと聞きながら、そういえばと思い出す。


「あ、そうだ。ねえねえアライン」

「何だ」

「100点ってなに?」

「…………あ」


 聞くに聞けなかった、というより今の今まで忘れていた疑問をぶつけると、こっちも忘れていたらしい間の抜けた声が降ってきた。頭の天辺で乗せられた顎を擦りながら、ずりずりと見上げる。

 見下ろす紅瞳が、ちょっと悩んでいるように見えた。


「お前」

「私」

「どの形がいいんだ」

「何が?」


 説明を、説明を求む。何を聞かれたかも分からないのに答えなんて返せない。

 眉と唇をひん曲げた私に、アラインはまた少し考えた。


「師弟関係を結ぶ際、師が証を作って弟子に与える。弟子の後ろ盾が誰か分かりやすいようにするためだ」

「へえ――! トロイはどんなの持ってるの?」

「剣帯の飾りだ」


 身体を捻って眠っているトロイににじり寄り、そろりとマントを捲る。アラインの剣より細く短い剣には菱形の銀真珠色が揺れていた。中心には赤い宝石、そして赤の線が枠取りのように囲んでいる。

 この色の組み合わせには見覚えがあった。


「アラインの色?」

「師の色を用いて作る決まりだ」


 くりっと振り向く。同じ色の髪と、同じ色の瞳があった。

 正解だ。


「アラインが作るの?」

「術で作る。師の気配が混ざりこまないと証の意味がない」

「へぇー」

「お前は何がいいんだ」


 これでようやく最初の質問に辿りついた。

 ちょっと考える。できるなら邪魔にならない物がいい。そして落とさない物がいい。


「私は剣持ってないし、首飾りはエーデルさんから貰っちゃったし……落としにくいのって他に何がある?」

「耳飾り、腕飾り、指輪……お前は髪飾りがいいんじゃないか? 長い」

「え、髪飾りできるの? じゃあそれがいい!」

「分かった」


 言うや否や、アラインは握った掌をくるりと引っくり返す。指の間からほのかな光が漏れ出していて、どきどきと見つめる。

 ゆっくりと開かれた細く長い指の上には、中心に空洞がある円柱があった。銀真珠色の中心に菱形の赤い宝石が埋まっている。宝石の周りを赤い線が紋様のように飾り立てていて、なんだか可愛い。


「落とすなよ」


 手品みたいだ。どきどき見つめていた私の手の中に、ぽとりと無造作に落とされた髪飾りを慌てて握りしめた。そぉっと持ち上げてまじまじと見つめる。ほんのりと温かいのは術で作られたからか、アラインの体温か。

 真ん中でぱくりと割れ、中には、数か所に先が丸い棘がついている。意外と髪飾りの構造を理解していて、ちょっと笑ってしまった。


「アライン、手、離さないでね」


 向かい合って、手で髪を掻き上げる。一つに纏めた束を押さえたまま、片手で後れ毛も纏めこむ。でっぱりも仲間外れも纏めこむと、軽く捩じってぱくりと割った髪飾りを嵌めて閉じる。そろりと手を離しても髪飾りは外れることなく、棘に引っかかって綺麗に収まった。

 一応浮かべたまま横で待機させていた手をぱっと開き、アラインを見上げる。


「似合う?」

「うるさい」

「あ、はい」


 一刀両断。せめて鏡が欲しかった。似合うかどうかは分からず、うるさいという感想だけ頂いてしまった。

 でも、私はご機嫌だ。銀色に光る真珠色。中心にはルビーみたいなイチゴジャム色の綺麗な玉。とっても綺麗で可愛い髪飾り。


「アライン、ありがとう」


 綺麗で可愛い髪飾り。アラインが作ってくれた髪飾りが、うきうきと髪を揺らす。髪が長くてよかった。

 私のご機嫌に合わせてぴょこぴょこ揺れる髪を一緒に眺めていたアラインは、ぽそりと呟く。


「お前、髪長いな」

「うん。女の子らしいところ皆無で同期の男の子に散々からかわれたから、何か女の子らしくできないかなって一所懸命考えた。それで、とりあえず髪長かったらいいかなって。どうかな。似合う?」

「…………いいんじゃないか」

「ほんと!?」

「どうでも」

「どうでも」


 そっちでしたか。

 上げて落とされた。いや、この場合は勝手に舞い上がって勝手に墜落しただけかもしれない。

 まあいいやと、再びアラインを椅子にする。骨が当たって痛い。……太ってください。

 でも、温かい。背中から、私を挟んでいる足から、囲んでいる腕から、アラインの体温が移ってくる。私の後頭部はアラインの胸についているから、目をつむって静かにしていたらことんことんと小さな振動が伝わってきた。聞こえるというより、触感で感じる。つけた頭も一緒に、ことこと揺れているみたいだ。

 よく抱っこしてもらったし、抱っこした。よく椅子にしたし、された。それなのに、過去のどのふれあいとも違う。まさかこんな形で一緒に座るなんて思ってもみなかった人の体温が、じわじわと溶け込んでくる。

 なんだかくすぐったくて、思わず笑ってしまう。


「何だ」

「アラインの心臓の音が聞こえる」

「お前のも聞こえた。大体うるさかった」

「凄まじく不可抗力だけど、なんかごめんね」


 見るもの全て、聞くこと全て、起こる全てにどきどきしていたから、さぞかしうるさかったことだろう。

 でも、それで文句を言われたことはない。あれだけばかすか鞘で突いてきたのに、それが理由でされたことは一度もなかった。


 まるで化け物みたいに、あんな嫌悪をされなければならない人には、どうしても思えない。

 色んな事情がそれぞれあるんだろうけど、それを差し引いてもこの世界の人は見る目がない。それとも、トロイの見る目がありすぎるのか。将来有望だ。





「…………ねえねえ、アライン」

「何だ」

「えーと……あの、です、ね」


 自分から話しかけておきながら、続きが出てこない。言いたいことは迷いなくこの胸にある。それ自体を悩んでるんじゃない。ちょっと、言い方が分からないのだ。

 でも、お母さんならこう言うだろうなじゃ駄目なのだ。私の気持ちをお母さんに代弁してもらっていたようなものだから、ちゃんと、自分で言わないといけない。お母さんの勢いを借りて背中を押してもらっていたから、自分だけの言葉が少し迷子になっていた。


 俯いていた顔を上げる。背中を浮かしてアラインの腕を掴むと、それを支えにそろそろと向きを変える。やっぱり何かに掴まってないと怖い。だってここは屋根の上。地面は遥か遠くの空の中。

 掴まれるがままの腕を頼りに身体を回してよいしょと向かい合う。二つの太陽の光が混ざりこんだのか、紅瞳が一層美しく世界に映える。

 うっかり見惚れた。それら一連の動作の間も、アラインは黙って待っていてくれた。


「あのね、アライン」

「何だ」


 返答が合って、背中を押される。

 欲しいものがある。欲しいものができた。この世界で欲しいものが、私にできた。

 その為に私はどうすればいいのかを、考える。



「私、馬鹿だし、考えなしだし、運動神経ないし、知識もないし、弱虫だし、泣き虫だし、甘えただし、お金ないし、実家もないから後ろ盾もないし、友達もいないから人脈とかもないし、そもそも戸籍自体ないし、仕事もないし、家もないし、服もないし、刺繍はへたっぴだし、お裁縫も基本的なことしかできないし、料理も私よりうまい人で溢れてるし、絵の才能も工作の才能もないし、掃除も洗濯も目を瞠る何かがあるかっていわれたらそんなわけないし、歌は好きだけど仕事にできるかって言ったらとんでもない出来栄えでして」

「………………」


 紅瞳が、憐れみを帯びていくように見えるっ。

 確かに、こんなに綺麗なんだから感情が篭ればもっともっと、宝石なんて目じゃないくらい輝くとは思った。思ったけれど、そんなものを浮かべてほしかったわけじゃない。

 でも、事実だ。何一つ嘘じゃない。この残念仕様な私が、六花です。


「そんな感じで、ほんとに、何一つ役には立てないかもしれないけど、でも、アラインが困ってたら絶対助けるし、協力できることなら何でもする。二心ないよ、絶対だよ、腹心の部下……じゃなかった、友達……もまだだから…………し、知り合いだよ。泣きたかったら胸を貸すし、歩けなかったら……走れないけどおんぶくらいなら頑張れば何とかできるかもしれない。ちょっと引きずっちゃうかもだけど、できる限り丁寧に運ぶし、追われてたら物陰に運ぶくらいはできるし、この鈍足をおとりに敵を連れていくくらいはたぶんできる、と、思う」

「…………何が言いたいんだ?」

「頼りないし役立たずだし足手纏いだけど、味方です、と」


 こんなに嬉しくない味方が未だ嘗ていただろうか。自分で言ってなんだけど、即座にお帰り下さいとお願いする類の押し売りだ。でも、ごめんね、事実です。


「私、いつか帰れる方法が見つかったら、たぶん、帰る。……帰りたい。お母さん達に会いたいから、帰る。でも、会いたいから帰るの。アラインが嫌で、怖いとかそんなので帰るんじゃないって忘れないでいて。嫌いじゃない。好きだよ。私、アラインが好き。だからお願い、忘れないで。嫌いじゃない。帰るのは、嫌だからじゃないって間違えないで」


 アラインは何も言わない。返事が見つからないのか、無視か、さあどっちだ! と、今度は思わなかった。どっちでもいいよ。聞いていてくれるならそれでいい。そして、アラインは聞いてくれている。

 目の前に座って向かい合っている人の話を聞いていなかったらそれはそれで問題だ。でも、アラインは聞いている。ちゃんと、聴いてくれてると分かる。今ならちゃんと分かるから、それでいい。

 私のほんとを、きっと、ずっと、聞いてくれていた。だから私も違えることなく、ほんとを伝えたい。


 欲しいものがある。この世界で欲しいもの。

 友達も欲しいし、お金だって欲しい。美味しいものだって食べたいし、可愛い服だって欲しいし、背だって伸びたいし、仕事だって欲しい。


 でも、何より欲しいものができた。自分のことでいっぱいいっぱいで、何かを変える覚悟は未だにないけれど。

 それでも。



 アラインの、アラインへの肯定が、欲しい。



 私如きの肯定があった所で何の救いにもならないと分かっている。この世界への影響力を全くもたない私の肯定なんて無意味だ。そして、アライン自身がそんなもの望んでいないのも、分かっている。

 それでも、嫌だった。何もしないのは嫌だ。何も言わないのは嫌だ。何も伝えないのは嫌だ。

 自分が嫌だからとアラインが望んでいない物を押し付けるのは傲慢だ。それも分かっている。何より、帰るつもりの人間が、最後まで責任を持てるわけでもないことを、自分が嫌だからと押し付けて残していくのは、それこそ傲慢なんて言葉では足りない所業なのかもしれない。

 友達が欲しいなんて、本当は言っちゃいけなかった。

 だって、私は帰るつもりなのだ。それなのに、誰かに残っていくなんて酷なことだ。友達が欲しいのは、私が寂しいのが嫌だったからで。仕事が欲しいのは、私が不安定なのが嫌だからで。

 最初はそうだった。でも、今は、アラインの友達になりたい。アラインと友達になりたい。寂しくても、寂しくなくても。


 その手立てがあれば帰るつもりの私は、本当なら、誰とも繋がってはいけない。誰の心にも残っちゃいけないし、返せない恩なんて借りてはいけないし、この世界の何も変えてはいけない。

 違う場所に何かを持ち込む恐ろしさを、そうして壊れる何かを、二度と戻らない無知への渇望を、私は知っている。

 それでも、我慢できなかった。あの瞳が、許せない。


 アラインに向けられる、あの厭悪の瞳が。

 アラインが向ける、あの全てに意味を見出さない瞳が。


 この世界に落ちてしまった私を、彼なりに知ろうとしてくれた、私がこの世界で最初に触れた人が笑える場所が、欲しい。


 自分のことすら保てず、ただこの世界に在るだけでいっぱいっぱいの私が何をと思う。自分でもそう思う。けれど、どうかそれでも。



「好きだよ、私はアラインが好きだよ。怖くない。嫌いじゃない。一緒にいると楽しい。ほんとだよ」



 自分が歪みだなんて言わないで。そんなことを肯定してしまわないで。

 そう思わなくなる理由の一つに、なりたい。

 ほとんど意味なんてないかもしれないし、いつかいなくなっても、なんかそんなこと言ってた奴がいたな程度の存在でいいから。

 もしも、もしも私との別れが傷になると思ってくれるくらいの存在になれたなら、そんな私達になれるなら、傷じゃなくて糧を残していけるように頑張るから。

 だから。


「絶対味方でいるし、いや、帰っても味方だけど、出来ることは何でもするし、困ってたら何でも助けるし、一所懸命考える。だから………………友達になりたいです?」

「…………なに?」

「…………いや、なんというか……その……言いたいことはいっぱいあるし、全部ほんとなんだけど、なんかこう……どういえばいいか分からなくなってきたというか何言いたいか分からなくなってきたからずっと掲げてる目標を捻じ込みましたすみません!」


 一気に言い切った勢いでほわたぁと頭を下げる。ぶんっと振り下げた視界の中にアラインがいた。

 …………どうして?



 俯いている私の視界の中に服が広がり、その中でアラインが私を見上げている。痛い頭を抱えているような、もうどうでもいいというような、疲れ切った顔をした、小さな、アライン。

 私は下げた頭とは別にがくりと肩を落とした。

 その肩に、とさりと軽い重さが乗ってくる。トロイだ。支えが無くなったことにより、重力に従って落下してきたのだ。それでも起きないところを見るに、完全に徹夜だったようである。心配かけてごめんねトロイ。


 すやすや眠る子どもに罪悪感が湧くけど、別の方向への脱力感も強い。

 脱力感の向かう先では、私がトロイを見ていた間にハンカチを引っ張り出してきてマントみたいに纏ったアラインがいる。


「なんで戻るの……」

「…………こっちが本体じゃない。まだ不安定だと言っただろう。俺の意思じゃない」

「そうでした。よしきた、友よ! 定位置までご案内いたしま…………」


 そうだった、別に治ったわけじゃなかったと思い出す。別に病気ではないけれど。

 小さくなったのなら定位置はこちらですと、首飾りまで運搬しようと両手を目の前に差し出す。そうして思い出す現状。

 頬が引き攣る。動きを止めた私を怪訝そうに見上げたアラインは、その後ろをちょっと覗きこんだ。

 そんなアラインにどうしたのとは聞けない。明らかに、落下地点までの距離を確認していた。そう、落下地点。


 問:ここはどこですか?

 解:アラインじゃなければ来られない高い高い屋根の上です。


 凄まじく怖い。ちょっと待って。アラインがいるから下を見る余裕もあったし、震えないで普通にいられたのに、その支えがこんな大きさになった場合私はどうすればいいんですかどうしようもないですね誰か助けてお父さんへるぺすみー。



 屋根が緩やかな傾斜であることが唯一の救いだ。救いがあっても動けないのには変わりない。

 私は中腰のまま固まる。何かに縋りたくて、震える指で小さなマントを摘まむ。ぺしっと払われた。私は、きっとひどく情けない顔をしているだろう。


「…………アライン、怖いです」

「…………俺が怖いか、高所が怖いかどっちだ。後、唯一の着衣を掴むな」

「選択肢をつけてくれた時点ですでに理解してくれてるような気がするけどつけてくれてありがとう後者です凄い怖いです凄まじく怖いです落とさないって言ったのにぃ……」

「…………まだ落としてない」

「これから落とすってことですか……?」

「…………落とさないから泣くな」

「まだ泣いてないぃ……」

「…………これから泣くのか」


 その通り。

 どうしよう。手足がぶるぶるして力が入らない。こんなんじゃ、もしも滑った時に踏ん張りが利かない。ずるずると滑り落ちていく嫌な想像に囚われそうになって、慌てて振り払う。大丈夫、私はしっかりと踏ん張って、そこのでっぱりをしっかり掴んで、窓にしっかり手をかけて、しっかり足を滑らせて真っ逆さま。


「アライーン……」

「どうして落ちる方向に想像するんだ、お前は」

「…………アラインさん?」


 何かおかしなことがあった気がする。

 私は怖かったのも忘れてぱちりと瞬きする。その先で、小さな手が己の口を塞いだ。






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