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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
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42伝 本日の降水確率始90%



 この世で最も神に近しかったといわれる歴代最高位の帝。

 最後の皇族であり、最後の王族である二人の肖像画は大聖殿の一室に飾られている。城の中で天にも届きそうな一番高い屋根はこの部屋のものだ。地上から、高く高く、天上が見えなくなるほどの高さを誇る。


 世界で『一番』厳かであり美しい部屋は皇城と王城にある。

 それは、二帝の肖像画を飾る部屋だ。


 その部屋は世界中から美しいものを集めて作られた。一言で金襴豪華というのも憚られる美しさがそこにはあった。緻密に緻密に彫り上げられた額縁、青とも緑ともつかぬ不思議な光の中に煌めく銀色を抱えた宝玉。幾度も染め上げられた濃い糸で縫い上げた布に様々な色合いの銀糸と金糸で刺繍が施され、それらを止める紐ですら星の欠片のような宝石を塗している。


 柱の一本まで、どころの話ではない。

 部屋を構成する釘の一本ですらそのままの物は存在せず、釘の一本、壁の裏側、繋ぎ目に使われた合わせ木。見える見えずなど関係ないのだ。


 尊崇する帝。神にも近しい現存した命の長。


 帝の画を飾る部屋に、どうして妥協などできよう。どれほどの手間と時間と魂を懸けたところで足りはしない。世界中から財を集めようと、美で飾り立てようと、相応しくないと判断すれば容赦なく取り壊した。どれだけ手を入れようと誰も満足などしなかった。


 一般開放されたその部屋に足を踏み入れた人間達は、あまりの美しさに呼吸を忘れた。脳が許容できる範囲を軽く超えていく部屋の様に気を失う者が後を絶たない。


 それでも、駄目なのだ。

 聖人、闇人は、己の城に世界で一番美しい部屋を作った。けれど、どちらの部屋もたった二枚の画があるだけでただの背景となる。


 何故なら両種族がこの世で一番美しい命と掲げるその人こそが、その部屋の、城の、種族の、命の、主なのだから。





 双龍はその部屋の独占許可を与えると言った。

 わずか数時間。闇人が到着するまでの時間を鑑みても二時間あればいい方だと聖人の優れた頭はすぐに気づく。充分だ。誰もがそう思った。わずか数分であろうと天にも昇る心地となるだろう。

 この世に生を受けた瞬間から魂を捧げた美しい主。


 貴方が我らの皇なのだと。

 貴女が我らの王なのだと。


 両種族は生まれたその時から知っている感情がある。身の内から枯れることを知らず懇々と湧き続ける思いを受け取る先はもうないのだとしても、魂に刻まれたその想いが変わることはない。

 嘗てこの世に存在した想いを向ける先。その人物の画に、誰にも邪魔をされず祈りを捧げられる時間。聖人達の目の色が変わらないはずがない。騎士には戦闘力で及ばない者達も、一瞬の隙も見逃さず勝利への手段を探す。



 そんな中で、聖騎士二十人分の点数をつけられた存在を追わない理由がない。

 国でも選りすぐりの聖人達が一斉に六花を追った。普段はアラインを嫌悪するだけでなく恐怖する者まで。

 双龍が開催した遊戯大会は無礼講。大会中は勿論、大会が終わった後に遺恨は持ち込まないのが鉄則だ。大会時のことで手を出すのは言うに及ばず、ちくりと指す言葉だけでも器の小さな奴だと嘲笑されるだろう。

 だから、この遊戯中に限り、相手が誰かなど関係ないのだ。皆一様に一つの遊戯に興じると暗黙の了解が築かれてきた時間。その上報酬と掲げられたものがあれなのだから、六花が追われない理由が無くなった。





 城の一角に人だかりができていた。

 ここは階段の踊り場だ。窓は開け放たれて風が吹き込んでいる。床も壁も美しく磨かれた木製だ。まるで蔦が絡み合ったかのような手摺の一本一本にまで細やかな彫細工が施され、見るものを飽きさせない。木独特の柔らかで少しつんっと鼻の奥まで届く爽やかな香りは本来ならばその場にいる者達の心を和ませただろう。



 だが、踊り場は静まり返っていた。段々と折れ曲がった階段の上下、左右の廊下にまでひしめき合い、血走った瞳をぎらぎらさせた聖人達が集まった熱気で少し熱いくらいだった温度が収まっている。


 彼らの目はこれまで追っていた相手に向いていた。階段の窓を蹴り開けて外から飛び込んだ相手を追い、ここに集まったのだ。その相手が一歩も動かず座り込んでいるから追手も移動せず、後続が後から後からやってくるため、廊下は渋滞を起こしている。


 その中心で呆然と見下ろす面々を前に、いつも通りの無表情が、否、心なしか眉根が下がったアラインは、立ち上がろうと挑戦して何度目か分からぬ失敗を余儀なくされた。









「…………六花」


 いつも通りの淡々とした――……弱り切った声が私を呼ぶ。私の答えは盛大に鼻を啜った音だった。


 アラインの首根っこにしがみつき、私は泣きじゃくっていた。

 静まり返った踊り場には、しゃくり上げる声とすすり上げる水音だけが響いている。

 窓から飛び込んだアラインが最初にした事は体勢を整えることで、目の前で待ち構えていた相手に剣を抜き放った、までは誰もの予想通りだ。しかしまさか、その直後に私がアラインの首根っこにしがみつくなんて誰が予想しただろう。私もしなかった。でも、もう止まらない。

 しがみついた手を離されまいと、アラインの服を渾身の力でぐしゃぐしゃに握りしめる。


「おい、六花」

「り、六花さん? どうしたんですか? どこか痛いんですか? お腹? お腹痛いんですか?」


 トロイが必死に声をかけてくれる。見えないけれど、きっと泣き出しそうな顔でおろおろしていると分かるのに答えてあげられなかった。

 師弟以外は何も声を出せていない。聖人の亡き皇帝への忠義は並大抵のものではないが、紅鬼にしがみついて泣いている少女を無視して斬りかかれるほど非道でもないらしい。非道というより、誰もが混乱して身動きが取れないというべきかもしれないが。



「……可哀相に」


 誰かがぽつりとつぶやいた。アラインもトロイも、きっとその言葉の先を分かっていた。だからトロイは眦を上げて振り向いたし、アラインは何の反応も示さないのだろう。

 鼻を啜りながら齧り付いていた首から少しだけ密着を解いた私は、滲む視界でそれを見た。紅瞳が、あれだけ光を交えて美しい命の色をしていた瞳が色を失う。アラインが閉ざされていく。アラインが閉ざしていく。周囲を、自身を消していく。


「紅鬼の片翼などという苦行を押し付けられ、何て哀れな娘だ……」

「そんな恥辱を背負わなければならぬ業を負っているのか……?」

「忌み子と関わらざるを得ない定めを負っている時点で禍つ星の元に生まれてしまったのだろう」

「ああ、なんて」


 可哀相に。

 そう聞こえてきた時、私の中で何かが切れた。ぶつりと音がすると本には書かれていたけれどそんなことはない。気がつけば切れていた。切れた事実があり、切れた実感もあるのに、切れたことを証明する音も感触も何もない。

 だけど、切れた。それだけは分かった。





「こ」


 何度も何度もしゃくり上げ啜られた成果が実り、ようやく六花の口からまともな会話の糸口が見えた。全員かぶりついて前のめりになる。アライン以外。

 誰もが前のめりになる中、アラインだけは少し身体を起こした。しがみつく六花に合わせて既に前のめりになっていたからだ。

 至近距離で見つめた水色の瞳は変わらない。けれど周囲が真っ赤に染まっている。水の膜の中で揺れる瞳は水の色と呼ばれているはずなのに、水の膜に溶け込むつもりは全くないらしくまるで光のように煌々と輝いていた。

 六花は何度も飲みこんだ呼吸をもう一度飲みこみ、喉の奥からぐじゅぐじゅに縺れた声を絞り出す。

 泣かないことによって不都合が出るのならば泣いておけとは確かに言った。けれど、こんなに泣くなんて聞いてない。こんな風になるなんて聞いていない。

 アラインは、されるがままだった腕をどうすればいいのか分からなくなり、ぱたりと落とした。








「ごわが、ったぁ!」


 涙に濡れた手がべちりとアラインの頬に張り付く。殴りたかったのに、力が入らなくてべちりと掌を張り付けただけとなった。それでは物足りず、何度も何度もべちべちと頬をはたく。

 は? とあちこちから上がる声がまた腹立たしい。


「何で怖くないって思うの! アラインの馬鹿! お馬鹿! 大馬鹿! 私に馬鹿って言われるなんて相当だよ、馬鹿ぁ!」


 いきなり高所から飛び降りてどうして怖くないと思うのか。

 トロイの様子を見るに別段不思議なことでも特殊なことでもないと分かった。けれど、私は凄く怖かったのだ。

 足元ががくんと抜ける感覚。足を伸ばしても手を伸ばしても地面はなく、身体の中をすぅっと駆け抜けていく冷たい風。全身が凍りつく。血の気が引くなんてものじゃない。血液自体が凍りついてしまかったのように全身が一気に冷え、呼吸でさえも凍りつく。

 身体の中から凍りついていく全てを失ったかのような感覚に怖じるなという方が無理な話なのに、ここにいる誰もが理解できないといった顔をして私を見ている。

 ああ、腹立たしい。普段より何倍も幼い顔をしてきょとんと自分を見上げている紅瞳も、周囲の目も、全部全部全部。


「お前、怖かったのか?」


 一度も俺を怖がらないのに?

 そう続いた言葉が、何より、馬鹿げてる!





 べちべちと情けない音を立てていた力の入らない掌を握り締めて拳を作る。そして大きく鼻を啜って薄い胸元に叩き下ろした。


「怖いに決まってるじゃない! アラインの馬鹿! 後、怖くないに決まってるじゃない! アラインの馬鹿!」

「どっちだ」

「一緒にご飯食べて一緒に寝て一緒に買い物したアラインが怖くないのは当たり前だし、高い所からなんの説明もなしに飛び降りられたら怖いの当たり前だよ! なんでそんな簡単なこと分かんないの!? なんで怖くないと思うの! なんで怖いと思うの! アラインの馬鹿! お馬鹿! 大馬鹿者――!」


 馬鹿馬鹿叫んで幾度も殴りつける。拳で殴っているはずなのに、掌の時と大した変わらない音がするのは、落下の恐怖でまだ力が入らないからか、ただ単に自分が非力だからか。

 アラインは胸元をどふどふ殴っている腕を止めようとしない。怒りすら見えず、まるで幼子のようにきょとんとしたままだ。こんな時はいつも仲裁に入る正真正銘幼い弟子まで同じ顔だ。


 ずびっと鼻を啜り、目元を乱暴に擦り取る。

 けれどすぐに滲んで視界は不明瞭だ。意地になってごしごしと擦って周りを見た。色んな色があった。青に、金に、銀に、緑に、紫に。これだけの色が溢れているのに、その瞳が映し出している色は同じだ。


 分からない。瞳が語る。私が何を言っているのか理解できないと瞳達は言っていた。同じ言語を喋っているはずなのに、まるで異世界の言葉を聞いているかのような顔をしている。そうだよ、異世界人だよ。でも、同じ言葉を喋ってるのに、どうして誰も分からないのだ。

 自分以外の人が、それもこれだけの数が不思議そうにしているのだ。数十人、色とりどりの人がいるにも拘らず、不思議そうにしていない人はいない。

 普段ならば怯んでいたかもしれない。自分が間違っていると思ったかもしれない。自分の頭の悪さには自信がある。

 けれど今の私は普段の私ではなかった。

 ではどんな私か。一息で言うならば。


「仕事行こうとしたら世界変わってアラインとトロイに会えて助かったのはいいけどお城来たら皆悲鳴あげるしひそひそ言うし買い物いったらなんか変な人に殴られて首絞められるしその人殺されちゃったのに生きてるしでびっくりするし結局夜も朝もなんも食べてなくてお腹空いているし!」


 という私だ。

 落下の恐怖と怒りがない交ぜになったそこに、ひそひそと渦巻いていた悪意と嫌悪を刻んで包み、空腹を飾り付けたら出来上がり。


「その上で寝起き一番で落下されて怖がるなっていうほうが無理な話だよ!」


 どれだけ温厚な堪忍袋でもぶち切れると思うのだ。そして、私は別に温厚ではない。普通に切れた。

 いろんな限界が一気にぶちまけられた勢いのまま、片手でアラインの胸倉を掴んで立ち上がり、周囲にがなる。


「大体!」


 ぐあっとがなった私に周囲の輪が広がる。皆が一歩下がったのだ。

 ほら見ろ。沸騰した頭がやけに冷静な思考を紡ぐ。アラインは怖くないだろう。彼らが一歩下がったのは、たかが十五の人間の小娘である私の所為だ。怖がりだ。アラインが怖いんじゃなくて、皆が怖がりなのだ。



「アラインのお父さんとお母さんは無理やり結婚したの!? こんなに聖人と闇人仲悪いのにしなきゃいけなかったから結婚したの!? そんなのアラインにどうしろって!?」


 一番近くにいた中年の騎士は詰め寄る私に思わずのけぞった。彼の弟子らしき少年はぴゃっと飛び上がって師のマントの中に隠れる。


「驚かせてごめんねお弟子君! それでお師匠さんどうなんですか!」

「い、いや……確か駆け落ちだったと。闇人に惚れるなど愚かなことをしたものだと嘲笑の的だった」


 必死に記憶と噂を引っ張り出したらしい男の人に、肩を怒らせてありがとうございますと叫ぶ。そして、鼻息荒く周囲をぐるりと見回す。胸倉を掴まれたままのアラインは引かれるまま一歩進む。あまり距離を取られたら固着していると知られてしまうかもしれないし、単に勢いに飲まれたのかもしれない。

 私は、最早何度目になるのか分からない鼻を啜り、真っ赤になった瞳よりよほど目尻と頬を赤くしてがなった。


「私だって色んなこと偉そうに言えるほどいい人でも立派な人でも大人でもないし、この世界のこととかほとんどなんにも知らないし、どの世界にも国にも町にも村にも家にもそれぞれのやり方があるとは思うけど。本当に恥ずかしいのは、生まれとか、そんな自分じゃどうしようもないことを笑ったり責めたりする人だってことくらいは知ってるよ。それに、人を好きになるって笑われることじゃないよ。そりゃ、絶対にうまくいくわけじゃないし、むしろうまくいかない事のほうが多いかもしれないけど、でも、凄いことなんだよ。それを、どうして笑うの。どうしてそんな風に馬鹿にするの。そのほうがよっぽど愚かで恥ずかしいことだよ。私だってそれくらいのこと知ってるんだよ!」


 きっといろいろあるのだろう。貴族と平民だって難しいと聞くし、家同士の問題だってある。聖人と闇人じゃなくたって、いろんな問題が付きまとうだろう。

 でも、それでも。

 それが誰であれ、誰かを好きになるということだけは、嘲笑されるようなことでは断してないはずだ。

 そして。



「アラインが生まれてきたことは、絶対に、何も悪くない!」



 アラインは、たぶん、ずっと優しかった。

 彼は、世界も運命も呪ったりはしなかった。どれだけ酷い言葉で包まれようが、外へ他者へ憎悪を向けず、己が空っぽになることを選んだ彼は、きっと誰より優しかったのだ。

 罵詈雑言や侮辱を受ける度に無表情が酷くなり、瞳が色を無くしていた意味をようやく理解した。その瞬間私が感じたのは、途方もない怒りだった。


 アラインは優しい。

 己を殺そうとする母へ伸ばした手にすら、恨みや憎しみは籠めなかったほどに。


 それなのにどうして、本人すらそんな事実は有り得ないと最初から決めつけてしまうのだ。寄ってたかって紅鬼だからと塗り固めて、どうして本人もそれを受け入れてしまうのだ。




「アラインは優しいよ」

「はっ!?」


 これだけの人数がいるのに、全ての声が重なった。

 声を上げなかった唯一の師弟も、然りと頷いているのはトロイだけで、アラインは胸倉を掴まれたまま平坦な声の末尾だけを僅かに上げる。


「……お前、本当に気でも違えたんじゃないのか?」

「優しいよ」

「あれだけ傷だらけにされて何をどう変換すればその結論に至るんだ」

「だってアライン、私に手を上げたことないじゃない」

「それは当たり前のことだろう」

「そう言える時点でいい人だと思う」


 盛大に引きずったけど。

 そこはしっかり続けた。


「私みたいにうるさい馬鹿が横でぎゃんぎゃん言ってたのに、アラインは一回も投げ出さなかったし、うるさいって剣を突きつけたりしなかった。馬鹿やっても馬鹿言ってもなんだかんだと付き合ってくれるし、死ねとか消えろとか怖い言葉すら言わなかった。一度だって、私を傷つけようとしなかった。アラインが貶めたり傷つけるような言葉を言うのは自分のことだけで、酷いこと言われてさえ、その人をけなすようなこと一回も言わなかった。その人がいる場所でも、いない場所でも。悪態の一つもつかなかったし、誰も貶めなかった。誰もそう思わないならこの世界じゃそうじゃないのかもしれないけど、私は凄いって思った。アライン凄いって思ったし、優しいって思ったし、好きだって思った。気でも違えたかって言われても、私はそう思った。この世界でそれって変なこと?」


 聞いても誰も答えてくれない。目が合ったら逸らされた。でも止められもしないから勝手に続ける。向かい合っている輪の人々にというよりは、本当はアラインに言っていた。この場にいる誰より、アラインに分かってほしかった。

 ねえ、アライン。私本当に、アラインが怖くないし、優しいって思うんだよ。友達になりたいって思ったのは、何も保身のためじゃない。


「この世界に来て怖いことしてきたのは、あの教会の人と、仮面の人と、悪口言ってきた人達だよ。アラインはずっと優しかった。そりゃ、ええ――……って思うようなことは言ったし、したけど、怖いことや悲しいことは何もしなかったよ。それなのに、怖く思えなんて無理だよ。優しくしてくれたアラインを怖がって、悪口言って可哀相に可哀相にって言う人達のほうを好きになれってほうが私には難しい。怖いのは殴ってくる人だし、悲しいのは、シャムスさんが本当のアラインは私と似てるって言ってたのにまったく似てるなんて思えないほど、いろんなものを塗り固められてきたことだよ!」


 似てると言ったのだ。アラインの本質は私と似ているとシャムスさんはいい、エーデルさんはそれを否定しなかった。片翼とはそういうものだと、補い合うものだと、だから似通っているのだと。そう言ったのに。

 当の本人でさえ呆気にとられた声を上げていた。感情があるのに、小さな感情が現れる度にぎょっとされてしまう環境にいたことが、腹立たしい。それを当たり前のように受け入れてしまっているアラインもだ。

 ああ、なんて馬鹿げている。

 沸点を超えた怒りがぼろりと瞳から溢れだす。胸倉掴んだまま一歩踏み出した私を避けて人ごみが割れる。身長差の所為で少し中腰になったアラインは引かれた勢いで私を覗きこみ、ぎょっとした顔をした。








「……まだ泣くのか」

「泣いていいって言った!」

「状況による」

「泣いていいって言った!」

「りっ」

「言ったぁ!」

「…………言った」


 叫んだ勢いが止まらなくなったらしくわんわんと泣き喚きだした六花に、もう付き合うしかないと諦めたアラインは、嘆息して胸倉を鷲掴んでいた手を掴む。解こうとする動きにぼろぼろと泣いている眦が吊り上る。涙混じりの声が文句を張り上げようとする前に手を掴む。胸倉を掴まれるよりは歩きやすい。

 水色の瞳が見開かれる。手と紅瞳を往復させ、呼吸と一緒に鼻が啜られた。



 瞳が落ちそうだ。

 アラインは水の膜の中でも溶け込まないはっきりとした水色を見つめてそう思った。トロイも六花も、どうして自分を見上げる瞳はこうも大きいのだ。トロイは口に出さない感情を籠めてじっと見上げてきた。しかし六花は、口にも出してしっかりやかましいのに瞳すらもやかましい。


 手は繋いでいるわけではなく、手首をぐるりと囲い握っているだけだ。ぎゃんぎゃんとうるさく図々しくも頑丈な態度でここまでやってきた。それなのに身体は一人で立てるのかと疑問に思えるほど力がない。意識しなければ上着よりも軽く吹き飛んでくる。頑強だと思っていた精神すら夢の中ではぎゃんぎゃんと泣き喚いた。分かりやすく要求してくると思いきや、何を要求しているのか全く分からない。


 ぐずりとしゃくり上げた瞳はじっと手首を見下ろしている。妙な緊張感が広がる中、及第点は得られたらしくそのまま歩きだした背中にアラインは大人しくついていく。一歩踏み出すと同時に硬直したままのトロイの首根っこを掴んで無造作に放り上げた。



 驚いたのはトロイである。

 何をどうすればいいのか分からず立ち尽くしていたのに、気がつけば師の首を跨いで頭を掴んでいるのだ。

 思わずのけぞったら落ちかけた。どちらにしても下りる為にはどこかを掴まないとならない。掴まずに降りるには足場が必要だが、足蹴に出来るくらいなら掴んでいる。わたわたと手足を乱舞させることすら憚られ、肩車の弟子は硬直した。

 最近はそんなトロイへ援護を繰り出していた六花にその余裕がない現状では、トロイは今までのように孤軍奮闘するしかない。本来役割を負うべきは師匠であるが、ここで気を回せるような師匠ならば、そもそもこんな事態に陥っていないのだ。


「六花、お前どこに向かおうとしてるんだ」

「お腹空いたぁ!」

「……食堂はそっちじゃない」

「うああああん! おかあさぁん! お腹空いたぁ!」

「しっ、師匠! 僕下ります!」

「せめて片手は空けさせろ。六花、そっちじゃない」

「師匠! 僕いつも通りついていけますから下ろしてください!」

「おどぉざあん、落ちるの怖かったぁ!」


 自然と割れていく人ごみの向こうから、いま辿りついたばかりの集団が一斉に剣を抜く。アラインは舌打ちして鞘にしまっていた剣をふたたび引き抜いた。


「陛下と謁見を果たすは俺だ! 紅鬼、覚悟!」


 繋がった手が引かれ、六花の身体はぐるりと背中に回される。アラインの剣は瞬時に炎を纏う。振り抜かれる宙に置き去りになって尾を引く炎は、あの時と同じだ。火花となって散らなかった炎に見惚れた六花の上で、アラインの咢が大きく開く。口を大きく開ける理由なんて数えるほどしかない。

 トロイの硬直が別の緊張を帯び、そわりと身体が動く。


「取り込み中だ、後にしろ!」




 師匠がまた大声を出した。

 いつもより数段高くなった視界いっぱいに人々の呆然とした顔が見える。炎に吹き飛ばされて尻もちをついた人すら、何が起こったか分からないといった風に座り込んでいた。剣を取り落としていないのは流石騎士だ。だが今の状態では、襲撃でも受けない限り呆然自失状態から回復できないだろう。

 トロイはじわじわと広がる感情を今度は持て余さなかった。あの時は驚きが勝ってしまったが、今なら分かる。嬉しい。とても、嬉しい。


 大きく動いた身体から転がり落ちぬよう恐る恐る掴んだ髪の毛は、しなやかな強さを持っているのにしっとりと柔らかい。弟子となって二年。初めて知った感触に涙が滲む。初めて触った、触れる未来なんてありえないといつも見上げていた髪。それがいつの間にかトロイの手の中で握られていた。それどころかこの状況は、街中で、出張先の村で、見上げた行き交う人々が子どもにしていた行為。肩車。


「うえええええん……」

「どうしてお前まで泣く!」

「うああああああああああん! アラインがトロイ泣かしたぁ!」

「どうしてお前は更に泣く!」

「見つけたぞ紅鬼! 観念してその100点を寄越せ!」


 窓の外から飛び込んできた新手に、人々はさっきのトロイのような緊張を持ちつつ、ちらりとアラインに視線をやった。ごくりと緊迫感に満ちた音が重なる中、いつもは一文字になっている唇が閉じる暇なく大きくなる。


「うるさいっ!」


 あ、怒鳴った。

 どこか間の抜けた感想が蔓延する中で、アラインの上から雨が降る。


「ずみばぜんんんん……」

「お前じゃない!」


 下でも降る。


「ごめんんんんん!」

「お前は確かにうるさい」

「なんで真顔なのぉ……うあああああん! おどうざぁん、アラインが真顔になっだぁ!」

「……だから何だ」

「確かになんだろぉ……理由はないぃ――!」

「うえええええん……」


 繋いだ先でも担いだ先でも大雨となったアラインは、歩く降水確率90%と化した。アラインが泣いたら100%だったが、流石になかった。

 大雨べそかき警報発令中の集団は、普段以上に誰よりも目立ち、誰よりも騒がしさを撒き散らしている。

 しかし、集めた視線の中に普段と同じ色はない。いつもいつも聞き飽きた言葉を紡ぐ唇がぱかりと開き、人々は音を重ねた。

 今まさに呟いたアラインと同じ音を。


「…………何だ、これ」


 大嵐の中、疲れ切った顔で食堂を目指す紅鬼一行の為に開けられた道はいつになく狭く、人数は多かったにも拘らず輪は小さかった。







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