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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章 始まりの絆 終わりの恋
42/81

41伝 終はよう落下






 濃紺の空にはもう少しで満月を迎えようとしている真白い月が煌々と輝いている。月が明るい夜は月光に溶かされて星が見えない。空の中で唯一輝くものは己だけだと言わんばかりの傲慢さで輝く星は、もしかすると太陽に匹敵する目立ちたがり屋なのかもしれない。



 エーデルは開いていた分厚い古書を閉じた。術で保全されている本はエーデルよりも長命でありながら、未だ文字を掠れさせることなく知識を綴っている。

 ここにも望む情報はなかった。

 そもそも探ることすら禁忌の類。文字として残っているはずもない。机の上だけではなく床にまで山積みとなった古書の山にまた一つ積み上げ、流石に疲れた瞳を閉じる。掌でこめかみから額にかけて押して回す。




「その様子だと収穫なしか?」


 さっきまで人のベッドで大鼾をかいていた男は、いつ起きてきたのか腹を掻きながら覗きこんでくる。そもそもここはエーデルの部屋だ。シャムスの部屋は隣である。だというのに、この男はしょっちゅう人のベッドを占領する。六花とアラインが寝ていたのもこのベッドだ。子ども達ならば喜んで寝床を提供するが、何が悲しくて同期同年の爺にベッドを奪われなくてはならないのだ……と嘆くのも馬鹿馬鹿しい時間が過ぎた。蹴落とすのが面倒な時はエーデルが隣の部屋に移動するなど日常茶飯事だ。


 今日も今日とて人が調べ物をしている間に酒瓶を転がして腹を出し、大鼾をかいていた男は大欠伸を隠そうともせず、新たな酒瓶の栓を開けた。



「それらしきものすら皆無ですよ」

「そりゃまたご苦労さん。飲むか?」

「頂きましょう」


 濃いめの茶が入ったカップに透明な紫色の酒が注がれる。この酒は宝石のように美しく婦女子に好まれる外見をしているが度数は高い。本来ならば小さなガラスの杯に注ぎ、ガラスと酒の色を楽しみながら飲むものだ。それを茶器に入れて飲むなど情緒の欠片もない。そうと分かっていて、エーデルは特に気にせず酒を煽った。茶の渋さと酒の辛さがない交ぜになった中に、両者のほんのりとした甘みとコクが追いかけてくる。眠気が吹っ飛ぶ強烈な味だが、意外と気に入っていた。

 一息ついて山となった本を眺める。


「無いことを確認したようなものですし、こんなものでしょう」

「ま、そうだろうな」


 酒なのか茶なのか形容しがたい液体を飲んでいるエーデルの横で、瓶から直接飲み干したシャムスはソファーの背凭れを飛び越えて隣に座ってきた。衝撃で積んだ本が崩れる。積み直す気も起らず、視線を向けただけに済ませた。




「帰りたいなら、待ってる奴の所に返してやりてぇな」


 いつもの騒々しさからは想像もできない静かな声がぽつりと聞こえる。背凭れを超えた後ろに頭を垂らした長身は、身体の横に投げ出していた手から酒瓶を落とした。柔らかく厚い敷布の上に落ちた酒瓶は細長く作られた口を中心としてごろりと転がって回る。


「何も世界が欲しいだの、誰かの命が欲しいだの、そんな大仰なもん望んじゃいねぇ目の届くガキの願いくらい叶えてやりてぇんだが……俺らは今でも無力なままか」

「理の領域に手を出せないのは、その世に生きる命として当たり前のことですよ」


 ソファーが軋む。シャムスが勢いよく起き上がったのだ。

 長い橙色の髪をだらりと垂らしたまま、にぃっと口角が歪に吊り上る。


「で、本音は?」


 同じタイミングで二人分の瞬き二つ。

 エーデルの口角も吊り上る。


「知ったことねぇよ、ですかね?」


 全てを飲み干したカップを置いたエーデルは、長い裾が捲れ上がるのもお構いなしに本の山に足を乗せた。まるでシャムスのような動作に目を向くような者はここにはいない。


 時間は深夜。

 呼べば飛んでくるだろうが側仕え達も眠りにつく刻限だ。

 式典を控えた今は、世界中から客が訪れているため夜に稼働している者も多くいるにせよ、いまこの場にはシャムスとエーデルの二人しかいない。




「アラインとトロイの為を思うのならば残ってほしいと思ってはいます。ですが六花が生きたいと望む場所があるのなら尽力は惜しみませんよ…………理に泣き叫ぶ子どもなど、あの子達だけで充分です」

「欲を言うならあいつらも連れてってやれりゃあいいのにな。六花の様子を見るに、合いの子に対するしがらみもなさそうだ」


 行儀悪く足を投げ出しソファーに沈む。ずるずると沈み落ちていき、ソファーに凭れているのか互いに凭れているのか分からない状態に陥る。こんなだらけきった姿を見せられる者はもう互いしかいない。みんな死んでいった。残っている者もしがらみ切って会えやしない。


 ああ、なんてつまらない。

 なんてつまらない、くだらない世界だ。




 エーデルは酒臭い体温を感じながら窓の外に視線をやった。月は相変わらず天空を支配して自分だけが光を放ち続けている。


「…………明日の夜に闇人が到着ですか」

「おう。国長共は全員来たってな」

「南東に教会、北西に人間の国長族。南西に闇人を配置するとして…………」

「あ?」

「明後日は城の一部を一般開放ですし…………」

「おーい?」


 人間の国長族は、その名の通り人間の長の一族。聖人でいうならば皇帝、闇人でいうならば王帝の立ち位置となる。だが人間が皇の名も王の名も名乗るはおこがましいと、それぞれの長は国長の名を掲げていた。



 ここシャイルンで客として丁重にもてなされてはいるが、本来ならば人間の国長といえどその辺を遊ぶ聖人闇人の子どもにも頭を下げねばならぬ立場だ。まあ、今やそこまでの認識でいる者は少ないだろう。

 それも時の流れだ。聖人も闇人も衰えた。今更羽が戻ったところで地上を離れたいと願う者はもっと少ないだろう。

 そういう思考は高位の聖人に残っているので未だ完全に廃れきってはおらず、今でも人間如きに持て成しなど不要という声もあるにはある。それでも、三百年前に比べればそよ風のようなものだ。国長族でも、若者になればなるほど聖人と闇人を軽んじる傾向が現れる。


 こんなにも変わっていく。寿命も力も減り、人間と混ざり合った血もある。

 それなのに、どうしてこうも変わらない。世界の理だけが変わらず魂を支配する。


 変わらないものはもっと温かいものでよかったのだ。男が女を愛し、女が男を愛し、父母が子を愛し、子が父母を愛し、世界を愛す。変わらない理などそれだけでよかったというのに、命が命を嫌悪し、憎悪する負ばかりが変わらない。

 度数の高い酒が脳内を駆け回っていく内にエーデルの目が据わる。


「……段々いらいらしてきました」

「おう、今日は悪酔いか?」

「南東と北西は閉鎖。明日は遊びましょう」


 据わった目の相棒にぽかんとしたシャムスは、意味に気付いて唇を震わせる。終には堪えきれなくなり盛大に噴き出すと、どかんと重たい靴底で机を蹴りつけた。


「おう! 乗った!」

「当然です。教会の接待も人間の面倒も、皆飽き飽きした頃合いでしょうし、ここいらで一息入れましょう」


 現段階ではどうしようもない理不尽に鬱屈したら遊ぶのが一番だ。鬱々としていればあっという間に視野は狭くなり思考は沼に沈む。それに辛気臭い自分達を見たらあの子達はきっと心配してしまうだろう。子どもに心配をかけるなどそれこそ大人失格だ。例えまともな大人でなかったとしても、大人だと信じる子ども達のために大人でいることができればそれでいい。


「そうと決まれば」

「おう! 飲むぜ!」

「作戦会議ですよ馬鹿野郎」


 新たな栓が開けられた酒瓶を奪い取り、瓶ごと呷ったエーデルの頭の中では膨大な道順が巡っている。どうせなら遊ぶついでに色々とやってしまおう。どうせ自分は汚い大人だ。表だけでは生きられない。


「悪い顔してんなぁ」

「私が純真な顔をしていたら」

「何企んでやがるんだって思うな!」

「でしょう?」


 結局また一本新たな栓が開けられた酒瓶をそのまま呷ったシャムスは、いつもの豪快な笑顔であっという間に飲み干した。










 あったかい。

 のんびりとそう思い、心地よさに気分よく息を吐いた。

 ぼんやりとしたぬるま湯に浸った意識を引きずり上げるなんてもったいない。心地よい温度を堪能したくて瞳は開かない。ただ、ずっと同じ体勢だった身体は伸ばしたくて、足をちょっとだけ伸ばす。さらりとした肌触りのシーツ上を私の足が撫でていく。今まで人が触れていなかった場所はひんやりと冷たい。冬だと慌てて足を引っ込めるところだけれど、ほかほかと温まった寝起きの身体には心地の良い冷たさだ。



 私はご機嫌で足を伸ばす。ひんやりとした場所を求めてもぞもぞと動いた足が何かに当たった。これは温かい。何だろうと爪先で撫でる。温かいなめらかな感触に、軽く押したら跳ね返してくる弾力。けれど爪先に負けてしまいそうな柔らかさ。


「……ん」


 なんだっけ。これなんだっけ。知っている感触だ。

 寝起きでいつもより更に回転の悪い頭でのんびり考える。また撫でて気づく。ああ、なんだ。昔はよく触っていたものだ。


 でも、誰のだろう。


 ふにゃりと柔らかいお母さんのじゃない。弟妹のように小さくもぷにぷにでもない。そう、いうならばお父さんの足のような硬さが、いやでも木の根と呼ばれたお兄ちゃんのものでもあるような。

 硬くて柔らかい、しっとりとした弾力の細い棒。少し曲げられたその先に、もっと硬いつるつるとしたものが何本か……爪か。爪があるということは、これは。



「…………足?」



 ぱちりと目を開く。目の前に真っ白な壁があった。押してみる。動かない。

 骨の浮いた薄い身体だ。貧相の権化と呼ばれた兄の身体よりましかどうか五十歩百歩。否、五十歩五十一歩。木の根と蔦。ネギとニラ。

 とりあえず撫でながら考える。どっちがネギだろう。



 押さなくても撫でるだけで骨の形が分かる。指が通り過ぎるたびに骨の輪郭がはっきりと伝わり不安になってしまう。この薄い皮膚の下に臓器がある。血が巡って命が巡る。こんなに薄くて大丈夫なのだろうか。本当ならばこの下にあるべき脂肪なり筋肉なりがそれらを守っているはずなのに。

 大丈夫なのだろうか。私の掌でも傷をつけられそうな薄い薄い皮膚に包まれた、この中のどこかにあるはずの心は。



 なんだか心配で、丁寧に撫でまわしていた手をぴたりと止める。

 私は静かに瞳を閉じた。



 大丈夫なのだろうか。



 誰とも知れぬ男の裸を遠慮なく撫でまわしている自分は。








 うむ。全然大丈夫じゃない。なんか冷や汗出てきた。

 そろりそろりと顔を上げる。

 そこには、予想通りというか、せめて彼であれという願望通り、ここ数日ですっかり見慣れたお綺麗な顔があった。


「…………アライン?」


 呼びかけたつもりはなかった。ただ事実が口から転がり出ただけだ。

 けれど声に反応したのか、今まで手でも足でも撫でまわしていたのにぴくりともしなかった身体が動いた。


 ゆっくりと紅瞳が開く。

 どこかぼんやりした紅が震えるように僅かな動きを見せ、私でぴたりと止まる。紅瞳の中に私の色があった。近すぎるので瞳しか見えない。紅の中心に水色が揺れていた。


 なんとなくそれを見つめる。アラインも動かない。きっと私の中には紅が映っていると思う。

 お互いの色を瞳に映したまま動けないでいると、先に口を開いたのはアラインだった。


「…………六花?」

「…………はい」

「…………何があった?」

「寝て、起きた?」

「…………分かった」


 何一つ解決への手掛かりを持たない私の言葉だけですべてを理解するとは。流石アライン、流石聖騎士、流石トロイの師匠。私は感動した。

 アラインは頭でも痛いのか眉間を押さえる。シーツが動いていろいろ際どい。私は絶対の意思を以ってして視線を下げず紅瞳に固定した。



「お前に問うた無意味さが」

「それはもっと早く知っておいて頂きたかった。おはよ、アライン」


 アラインは無言で起き上がった。私の目の前が真っ白に染まる。


「目がっ、目がぁああああ!」


 シーツの中でアラインが壁になっていたから気づかなかったけれど、ずがんと勢いよく目を刺した光で外は相当に明るいことを知った。後、この部屋カーテンない。

 私は、昨日気づかなかった切ない事実を身を以って知った。別に知りたくはなかった。


「なんでカーテンないの!?」

「移動した時点でなかった」

「なんで買わないの!?」


 何かこだわりでもあるのだろうか。それか宗教上の理由でもあるのか。

 そういえばこの世界は神様が一人だけだと聞く。ならば宗教は一つなのだろうか。それにしたってカーテンをしてはいけないという宗教とはなんだろう。


 だいぶ落ち着いてきた痛みとは逆に、思考はとっ散らかる。

 背を向けたままシーツを巻きつけていたアラインは少し考えた。


「……必要だったのか?」


 何もこだわりがない故だった。

 そういえば居間の窓にはちゃんとカーテンがあったと思い出す。埃かぶってたけど。



 私は痛む瞳を宥めつつ、アラインを見ないよう這ってベッド上を移動する。そぉっと窓から外を覗きこむ。窓の向こうは外のはずなのに、まるで建物内のように入り組んでいる。連なる通路が螺旋階段のようであり、聳え立つ壁はまるで此処こそが内だと思えてしまう。

 かくかくとした景色から視線を上げれば青空が見える。今日も元気に二つの太陽が燦々と世界を照らしていた。


 なるほど。周囲の建物は少し下を最上階としているらしく、確かにこの部屋の前に部屋はない。中を覗けるものは鳥か雲くらいのものだろう。

 だからって毎朝目潰しをくらって何が楽しいというのか。

 私は、まだ片目を押さえたまま嘆いた。


「向こうの部屋はカーテンあるのになんでこっちはないの……」

「あれはトロイが用意した」


 その一言で大体分かってしまった。アラインを一身に慕う健気な弟子は、なんとか最低限のものを師匠と暮らす部屋に設置したものの、師の部屋にまで手を出せなかったのだろう。結果、必要最低限のものさえない、悲しい師匠の部屋が出来上がったわけである。

 そこは頑張って押し切って頂きたかった。私の目の為に。


「今度この部屋にもカーテんもぉおおおおお――!」


 私は牛となった。別になりたくてなったわけではない。

 後ろ向きにベッドから引きずり落とされた私は、咄嗟に縋った枕を抱えたまま床の上で身悶えた。完全に油断していた。打ち付けた後頭部と背中が痛い。せめてお尻から落ちたかった。お尻というお肉の塊でワンクッション置けたらこんな痛みはなかったのに。


 怒りのままに、振り向いた顔面めがけて枕を投げつける。

 アラインは棒立ちのまま避けもせず素直にくらった。顔面で一度受け止められた枕はそこでいったん止まり、そのまま降ってきた。

 足元でひっくり返っている私の顔面向けて。

 自分の投げた枕で、アラインと自分両方を始末した私は「んぶふ」とうめき声を上げた。






「どうしておっきくなれたの?」

「……知るか」

「ええ――……」


 何がどうなったのか。二人同じ大きさで存在できていることを喜ぶべきか、固着が取れていないことを悲しむべきか、せっかく買った人形の服を着られるものがいなくなったことを惜しむべきか。

 せめぎ合うどの感情に一位を渡すべきか悩みながら、アラインから渡された服を着こむ。彼が言うには恐らくはまだ不安定な状態だから、いつ何時何が起こるか分からないそうだ。


 そして、彼の服を着ることの抵抗は既に無いけれど、アラインの持っている服はどれも意匠が似ているのでほぼお揃い状態である。

 借り物に文句をつけるほどの不平も不満もないし、お揃いだ。まるで友達のようではないか。ほくそ笑んだ私がもそもそと着替えている背後でアラインも着替えている。

 よく考えたら結構『しゅーる』な状況だけれど、今更でもあった。




「ねえねえアライン」

「何だ」


 壁を見つめて話しかけながら髪を解く。あのまま眠ってしまった髪は、解いた後も見事ななみなみを作り出していた。だけど、私の髪はわりと頑固な直毛だ。この程度のなみなみなど、昼にもなればいつもの状態に戻ってしまう。ちなみにその時間帯に戻っていない寝癖はお風呂に入るまで直らない。


「夢見た?」

「何も」

「私も見てない。もう見られないの?」

「見たかったのか?」

「うん」


 見えないと分かっていながら頷く。

 しばし沈黙が落ちる。部屋の中には衣擦れの音だけが響いていて、なんだか少し照れくさいような今更なような。

 私の指には少々固いボタンに手間取っていると、ぽつりと沈黙が破られる。


「……俺に通常か否か判断できるほどの感性があるわけではないが…………悪趣味じゃないのか?」

「別に楽しんでるわけでも楽しみたいわけでもないよ! ……ちょっと、言いたいことがあっただけ」

「あれは過去の残像だ」

「分かってるけど、ちっちゃい私は消えたし、声が届かないわけじゃないんでしょう? だか、ら?」


 視界の中で何かが点滅した。何だろうと目を細める。


 今まで気付かなかったけれど、よく見ると壁に菱形の石がはめ込まれていた。音もなく点滅している石にどうやって反応したのかアラインが振り向いて横に並ぶ。

 大方着替え終わっているからいいものの、せめて一言頂きたかった。大変まずい状態だったらどうするつもりだったんだろう。どうもしないつもりだったんだろうけど。


 うっかり見てしまったらアラインだって大被害だ。見せてあげたのよと言える自信なんてない。むしろ見てしまったアラインが最大の被害者となる。




 いろいろと言い募りたいような、自意識過剰のような。結局なあなあで流す道を選んだ私は、もそもそとボタンを留めながら一緒に石を覗きこむ。


「これなに?」

「呼石だ」

「こせき」

「石と石を繋いで遠くにいる人間に情報を伝達できる」

「え!? すごい! 便利! お母さんが言ってたでんわみたい!」

「でんわがどういった物かは知らないが、城中に張り巡らされた多量の石に狙いを定めて術を繋げるには繊細な術式かつ莫大な量の力が必要だ。力はシャムス様の、調整はエーデル様の、双龍がいなければ成り立たない術具だ」

「ふーん」

「…………分かってないだろう」


 よくは分からないが凄いらしい。

 私は真剣に頷いた。凄いということは分かった。それだけしか分からなかった。





 何はともあれその呼石なるものが点滅しているということは、緊急事態か城全体が関わる事案発生の合図だとアラインは言った。どこか険しく見える表情に、自然と私も緊張する。

 呼吸の音すら聞こえる沈黙は、その石によって唐突に破られた。


『てめぇら、遊ぶぞ!』


 突然飛び出した大音量に思わず耳を塞ぐ。声量がありすぎて髪が後方になびいたとさえ思った。目の次は耳が痛い。頭の中で響く声ではなく、きちんと正規の道を通って耳から入ってきた音だというのに脳が揺れる。

 両耳を塞いでよろめいた私を、ぐるりと回った腕が支えた。さっきは固着を忘れて人をベッドから引きずり落としたアラインが優しい。私は感動した。

 まさか、次の瞬間肩に担ぎ上げられるとは思いもしなかったわけだけど。



 痩せた肩がお腹に突き刺さる。目の次は耳で、耳の次はお腹だった。否、その間に後頭部と背中が挟まる。なんかもう色々痛い。


 文句を言おうとしたけど、素早い動作で部屋を飛び出されたので飲みこむ。激しく揺れて目が回る。

 アラインはそのまま隣の部屋の扉を叩き開けた。こっちでも着替えの途中だったトロイが全身で驚きを露わにする。ぴゃっと飛び上がった小さな身体から上着が落ちた。慌てて着替えていたのか、シャツのボタンが互い違いだ。大きな瞳の下に隈が見えて首を傾げる。寝ていないのだろうか。子どもはしっかり寝ないと背が伸びないよ。


「お、おはようございます。師匠、六花さぁん!?」


 それでも流石はアラインの弟子を年単位で勤め上げているトロイ。驚きながらも挨拶は欠かさない。その健気な挨拶は無言で担ぎ上げてきた師匠のせいで語尾は跳ねあがってしまった。



『参加規則はいつも通り! 内容は鬼ごっこ! 聖騎士5、騎士4、聖騎士弟子3、騎士弟子2、それ以外は1だ!』



 この部屋に呼石はなかったけれど、割れんばかりの音は壁を貫いてこの部屋にも届いていた。防音性が高いと聞いていたのに何ということだ。あれを至近距離でくらっても耐えた鼓膜を褒め称えたい。


「おはようトロイ! それとこれ何事!? 刺さる、お腹に肩の骨が突き刺さる!」

「お、おはようございます!」


 耳から入ってくる音が大きいから、会話も自然と大声になる。

 じたばた暴れれば余計に痛いことを知っているので大人しく収まってはいるものの、黙る理由はない。


『当然参加資格は聖人のみ。人間は現在いる地区から出入り禁止です。一番数を揃えた者及びその師弟には、明後日解放される肖像画の間、本日数時間独占許可を出しましょう』


 シャムスさんのように大声ではないのに、よく通る声が終わるか終らないかで地響きが起こった。

 思わずアラインの服を握り締める。でも、すぐに気づいた。これは地響きじゃない。城中で咆哮が上がったのだ。


 歓喜している。

 狂乱している。


 隣で担ぎ上げられたトロイを見て、私は息を飲む。

 熱が瞳から溢れだし、世界を照らすかのように輝いていた。



『最高だろ!? じゃあ行くぜ! 期限は少なくとも日暮れ前! 合図があるまでだ!』


 アラインは呼石にくるりと背を向けると、長い足で居間を横切っていく。昨日開けたことで少しはましになったものの、未だ埃を積もらせたカーテンと窓を開け放つ。手を離された私とトロイは慌てて肩を掴む。しかし不安定な体勢には変わりない。体重が軽いトロイはともかく、手を離された私はずり落ちていく。


『ああ、言い忘れていましたが』


 斜めに傾いていく私をちらりと見たアラインは、片手で背面を掴み上げる。そのままぐるりと身体を回してまるで首巻きのように私の身体を担ぎ上げた。

 アラインの前面で手足を掴まれて身動きが取れなくなる。

 さっきまで肩骨が刺さっていたお腹にアラインの後頭部があった。いうならば、狩られた四足の獲物を担ぎ上げている体勢だ。鹿みたいにすらりとしていたらいいな、猪だとちょっと切ない。体型的に。


 もう片方の手で掴み上げたトロイを宙ぶらりんで持ったまま、アラインの動きが一瞬止まる。少しの逡巡後、面倒になったのか思考をぶち切った顔で私に丸投げしてきた。比喩ではない。文字通り本体を丸っと投げてきた。


「持ってろ」

「雑! それでこれ何の騒ぎなの!?」


 どこに乗せようか迷ったのは分かったけど、どうしてそこでぶち切ってしまったのか。

 ぽいっと投げられたトロイを慌てて抱きかかえる。トロイも慌てて私の首根っこに抱きついた。失礼します、すみませんと必死で謝る子どもを落とさないよう、ズボンのベルト部分ごとしっかり掴む。私の握力だと全力でもかなり不安だから、そこはトロイにしっかり抱きついてもらいたい。


 そして、いい加減説明を求めたい。

 少し癖のある柔らかい銀髪に遮られた視界を必死に上げた私は、盛大に引き攣った頬を自覚した。

 アラインが窓枠に足を掛けている。


「え、ちょ、嘘でしょ!?」


 風が部屋の中に吹き込み、止めていないカーテンが舞いあがる。光を受けてきらきらと輝くのは埃だ。掃除だ。掃除をしなければ。

 現実から逃避を図った私の耳に穏やかな声が届く。ああ、きっといつも通りの麗しい笑顔をしていらっしゃるのだろうと浮遊感を感じながら思う。



『非常に珍しいので、三百年ぶりの片翼には100点差し上げましょう』

『つーわけで、そのまま所持させてたらザーム組優勝だぞ! てめぇら気張れ! じゃあ行くぞ! 城内大会開始っ!』




 非常に楽しげな声と扉が叩き開けられた音を置き去りに、三人でもろとも落下する。


「………………は?」


 とりあえず、私が言えたのはそれだけだった。







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