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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第二章 始まりの町 終わりの仮面
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39伝 手桶の終風呂





 ぱしゃんとお湯が跳ねる音がする。何も自然にお湯が跳ねているわけじゃない。これが自動!? と、私は胸をときめかせたりはしなかった。

 だって私が、手で足で遊ばせているのだ。立派な手動である。




 アラインの指示に従って湯船に栓をはめ、長円石の前に彼を差し出す。彼はその小さな手を石に触れさせた。すると蛇口から湯が溢れだすではないか。誰が沸かしたわけでも汲み上げているわけでもないのに、湯は勝手に流れ出て湯船を満たしていった。

 異世界って凄い。まるで話に聞いた母の故郷のようだ。

 魔法が使えないのにそれができてしまう母の故郷が凄いのか、魔法でそれらをできてしまう異世界が凄いのか。……私の世界だってやればできる場所なんですよ。いい場所なんですよ。



 お湯が流れ出る不思議な光景にいつまでだって見惚れていたかったけれど、お風呂に入るためには着替えを用意しなければならない。

 私はアラインを抱えて彼の部屋に飛び込んだ。早くしなければお湯が湯船を満たし、あの不思議な光景を見つめる時間が少なくなってしまう。


 アラインの部屋には、特に驚く光景はなかった。つまり、予想通りだったのである。

 入って右手に窓があり、その下にベッドがある。流石に枕一つないという惨状ではなかったけど、トロイとの会話で就寝五分という話を聞いたばかりなのであまり使用していないのだろうなと思う。

 反対側の壁には机があり、椅子がある。その上に羽ペンとインク瓶があった。ベッドと机の間に位置する壁には扉があり、着替えはそこに入っていた。

 以上、高給取りであると聞く聖騎士の部屋の全貌である。




「アラインの部屋は物が少なすぎると思うんですよ」


 湯船の縁に腕と顎を乗せて、ふぅと息を吐いた私の横では、お湯の入った手桶の中に浸かっているアラインが手桶ごと漂っている。今の大きさでは湯船が海のようだから、いくら私が手で支えていても怖いだろうと手桶にお湯を入れたら素直に入った。せっかく一緒に入っているのでなんとなく湯船に浮かべてみたけれど何も文句は言われなかったのでそのままだ。

 流石に面と向かい合っているわけではなく、お互い同じ壁を向いている。


「必要な物は揃っているだろう」

「生活感って知ってる?」


 長らく使われていない部屋、といわれても違和感を感じないほど生気を感じない部屋はしんと静まり返っていた。部屋の主がいない状態で騒がしいのはそれはそれで怖いけど、それでも人が生きて暮らしている部屋はもっと活気があるものだ。


「本とか読まないの?」

「一回読んだら覚える」


 なんということでしょう。私の片翼はお父さん並の、つまり化け物級のお頭をお持ちだった。残念なことに私はちっとも受け継ぐことはできなかった部分である。


「お前は」

「私は」

「読みたい本でもあるのか」

「教科書以外ならなんでも読むよ」

「教科書は?」

「一文読んだら寝る」


 ほへーと気の抜けた息を吐き、手桶を揺らさないよう両手を伸ばす。ぐいんと身体を伸ばした拍子に力の入った頬がずきりと痛んだ。


「いっ……!」


 思わず漏れ出た声に反応したアラインが振り向こうとした気配を察し、慌てて手桶を回す。いくら一緒に風呂に入っている身でも、さすがに裸体を晒す勇気はない。私だって一応それなりに曲がりなりにも年頃の乙女なのだ。


「そろそろ上がる?」

「さっさと着替えろ」

「へいへい」


 小さなアラインは私よりのぼせやすいだろう。アラインを煮込むわけにはいかないし、そろそろ出たほうがいい。

 私は手桶を掴むとゆっくり湯船に沈めていく。手桶のお湯と湯船のお湯が混ざり合う。完全に沈む前にアラインを掬い上げてお風呂場を出た。



 今日せっかく買い揃えた物は、まだ部屋に辿りついていなかった。

 トロイはまだ帰っていないようだ。暗くなる前には帰ってくるだろうか。来なかったら迎えに行ったほうがいいかもしれない。それとも誰か送ってきてくれるのだろうか。後でアラインに聞こう。


 私はアラインの着替えを借りるけど、小人のアラインは服がなかった。

 ちょっと考えて、結局、着替えが辿りつくまでハンカチを私の髪留めの紐で結ぶことにした。私の荷物はシャムスさんが渡してくれた。

 町での騒動を聞いた双龍は、式典の為に集まっている教会がこれ以上勝手をしないよう出迎えに下りてきてくれていたらしい。その時に荷物を持ってきてくれた。



 部屋着なので襟詰めはなく、ボタンもない。上からすぽっとかぶって頭を出した服はそれなりに大きかった。ズボンは長いけれど太くはない。アラインの腹回りは世の女性の心の安息のためにも、もっと太ればいいと思うのだ。それが世の為、引いては世界の為、そして何より私の為である。


 この部屋には宿にあったあの便利器具がなかったので、家でやっていたようにタオルを押し当てて髪の水分をそれなりに吸収させた。まだ寒い季節ではないし、少々湿っていても問題ないだろう。滴り落ちて服を濡らさなければそれでいい。触れた部分はどうしても服を濡らしてしまうので、三つ編みにして纏めてしまう。

 家でしているように黙々と身嗜みを整えている間、アラインは特に文句を言うことなく待っていてくれた。宿屋ではさっさと部屋に戻ろうとしていたのに、ずいぶん優しくなったものだ。あの睡魔が強烈過ぎただけかもしれないけど。



 脱衣所を抜けて台所に当たる場所へと向かう。そして、指示の通り蛇口を捻る。今度はアラインじゃなくても水を出せた。お湯を出したい時はアラインに頼まなければならないけど、ただ水を出すだけなら私でもできるらしい。

 私はアラインから借りたコップに、アラインは胡桃の殻に水を入れて水分を補給する。

 ふへーと一息ついていると、殻を置いたアラインが腕をよじ登ってきた。


「座れ」

「床に? せっかくお風呂入ったのにしょんぼりです」

「椅子だ」

「へいへい」


 大きな椅子は出かけた時のままだ。大きさに見合った重さのある椅子を元の位置に戻すのが大変だったからである。トロイが座っていたほうもそのまま放置されていた。

 よっこいしょと気合を入れてよじ登りながら座る。木でできた椅子は鉱物程の硬さではない。それでも直だと硬いし冷たい。クッションが欲しい。

 買ってくればよかったとしょんぼりしていると、手に持っていたアラインが飛び降りてぎょっとする。何がご不満だったのだ。恭しく掲げ持つべきだったのか。

 危なげなく机の上に降り立ったアラインは、濡れて湿った髪を、軽く頭を振ることで払った。


「しゃがめ」

「はーい」


 ちょっと身を屈ませる。


「机に頭を乗せろ」

「なになに? 内緒話?」


 恋ばな? うきうきとしゃがみ込み、頬をぺたりと机に乗せる。

 わくわくしていていると、アラインがちょっと背伸びして頬に触れた。こんなに小さいのに触れた温度はさっきまで同じ湯に浸かっていた私と同じもので、少しくすぐったい。

 温かいのは生きているのだから当然だ。小人でも人形のようでも生きているのだから体温がある。温度があって、触れた感触があって、感情がある。生き物なのだ。当たり前だ。

 ぶたれた頬が痛い。ぶたれると痛い。当たり前だ。悪意だって、きっと痛かっただろうに。この小さな人が痛いと思わなくなった過程を考えただけでも痛い。

 触れた小さな手が温かい。それだけなのに心地よくて痛みが引いていく気がする。


『いたいのいたいの、飛び去ってゆけ――』


 幼い頃、転んで泣く自分に母はよくそう言っていた。母の温かい手が触れてそう唱えると本当に痛みが引いていったような気がした。怪我の治療のことを手当てというのは、手を当てるという行為が人を癒すからかもしれない。


 殴られたことを気遣ってくれているのだろうか。アラインが優しい。風呂上りも手伝ってうとうとし始めると舌打ちが聞こえた。アラインが厳しい。


「寝ちゃ駄目ですかね……」

「手を置け」

「どこに?」

「顔の横だ」


 言われた通り掌を顔の横に置くと、躊躇いなく踏みつけてきた。風呂上りの裸足で重くもないので特に文句はないけれど、一言断わってほしかったような、もう今更なような。

 何か言おうかなととりあえず開いた口は、そのままかぱりと開いたままになった。

 アラインが私の頬に額をつけている。ちょこりとした額と髪の毛がくすぐったい。


「な、なに?」

「片翼なら俺の生命力と繋がれるはずだ。癒してやるから動くな」

「へ?」

「掌だとうまくいかない。身体的接触が増えたほうがうまくいくはずだ。口づけのほうが効率的ではある」

「せめて最初は好きな人がいいです!」

「だったら動くな」


 思わず飛び起きようとした頭を慌てて元の位置に戻す。

 湿った髪が頬をくすぐる感触に思わず笑う。動くなとまたくぎを刺された。


 特に意識していなくても、意識の全てが頬に集中する。ぴたりと触れ合うアラインの体温がじんわりと染み込んで溶け合っていく。熱は痛みを溶かして混ざり合う。触れていないはずの首にまで到達した熱が内側から痣を撫でていく。


 痛みが解ける。

 アラインの体温が、痛みと恐怖を溶かしていく。

 他者の体温とは心地よいものだ。私はそれを知っている。例えそうではない場合があっても、私の中の基本はそう知っていた。愛された記憶が、愛した記憶が、そう教えてくれたのだ。


 心地よい温もりに伏せていた瞳を開くと、同じタイミングで紅瞳も開いた。紅瞳の中に感情が揺れる。静かに揺れる赤はまるで炎のようだ。


「ありがとう、痛くなくなった」

「……お前は不運だな」

「何が?」

「故意であれ偶然であれ異界渡りに巻き込まれ、繋がった相手がよりにもよって俺だ。人間を見下す奴でも俺と繋がるよりはましな待遇を得られる」


 声は静かだった。けれど淡々としていない。感情は確かにそこにあった。けれどそれがどういう感情かは分からない。

 静かな声音につられて、私も静かに笑った。


「不運なのは出会えないことだよ」


 人の幸も不幸も出会いがなければ始まらない。

 広い世界、長い時代、出会いたい人と出会える確率はどれだけのものだろう。出会いたい人と出会えないのはどれだけの悲しみだろう。そうして、出会いたい人と出会える幸せも。


「あのね、アライン。私、家に帰れないのもお母さん達と会えないのも寂しい。泣いちゃうくらい寂しくて堪らない。でも、アライン達と会えたことは嬉しい。それは全然別のことだよ。出会えなかったらきっと寂しかった。出会えなかったことにも気づけなかった。それに、繋がったのがアラインじゃなかったら、同じ世界にいても同じお城にいても、話すこともなかったかもしれない。それも寂しいよ。私、アラインの目の色を知ることもなかったかもしれない。苺ジャムみたいだし、炎みたいだし、血みたい」

「……血のようだと思って、何故嫌悪しないんだお前は」


 小さな動作で離れてしまった温もりに、私は自分の言葉が失言だったと気づいた。

 誰だって血のようだと言われて嬉しい人はいないだろう。でも言ってしまったものは取り戻せない。ならば何故そう思ったかをちゃんと伝えたい。


「私、血って嫌じゃないよ。血って怪我した時とかしか見ないからあんまりいい印象ないかもしれないけど、血がないと生き物は生きていけないんだよ。血は生きてるから流れるんだよ。だから、血は命が生きてるって証拠だから凄くいいものだって私は思う。命そのものみたいで凄く綺麗だと思うし、好きだよ。でも嫌な気分にさせたならごめん。考えなしだった。ごめん」


 嫌いじゃない。怖くない。考えなしでごめん。でも、どうか誤解しないで。

 私の願いが届いたのか、アラインはそれ以上離れず動きを止めた。掌の上に座り直して、頬に凭れる。ぬいぐるみみたいに軽くて、ぬいるぐみにはあり得ない温もりが頬っぺたを温めた。


「お前はうるさくなく話すことも出来たんだな」

「今の話の感想がそれなのは盛大につっこみたいけど、私だって静かなことくらいあるんです」

「出会ってからほとんどの期間うるさかったぞ」

「元気出してないと泣いちゃいそうだったって言ったらどうする?」

「…………どっちでも面倒だ」


 ため息をついたアラインが後頭部をつけてきて頬がくすぐったい。

 身体は適度に温まり、私を苛んでいた痛みは消えた。頬に触れている人が消してくれた。ふわりとした温度と時間は、高揚ではなく心地よさを齎す。

 私は湧き上がる嬉しさを隠しもせず、小さく笑った。


「ねえねえアライン」

「何だ」

「私と出会ってくれて、ありがとう」


 紅瞳が見開かれる。感情が出ると一気に幼く見える顔が私を向いた。

 本当だよ、嘘じゃないよ。

 伝わるといいな。寂しさが表に出てくる隙間がないようにと燃やし続けた心の高揚が鎮まったいま、それ以外の自分も知ってほしい。そう思えるくらいに私はアラインがちゃんと好きだ。

 そう思える余裕をアラインがくれた。泣く場所と一緒にくれたのだ。


「嫌いじゃないよ。怖くないよ。ほんとだよ。買い物も楽しかった。また行きたい。アラインともっといっぱい話したい。会えてよかった。会えて嬉しい。私馬鹿だからあんまり上手に伝えられないかもしれないけど、ほんとだよ。私、ここにいるのがアラインでよかったって思ってる。いつかアラインにもそう思ってもらえたらいいなぁって思ってる」

「お前は、馬鹿だ」

「うん、知ってる」

「俺相手でなければそんな怪我をする羽目に陥ることもなかったんだぞ」

「ぼろ雑巾にされたりね」

「だから」

「他の誰かだったら、アラインとこんな風に話せなかったのかな」

「恐らくは」

「じゃあ、やっぱり会ったのがアラインでよかった。アラインがいい。楽しいよ、私、ちゃんと楽しい。アラインといるの、楽しい」


 ほんとだよ。

 ふへっと零れた締まりのない顔に呆れたのか深い嘆息が聞こえる。俯いたアラインがどんな顔をしているのか見てみたかったのに、とろりとした睡魔に包まれた私はそのまま眠ってしまった。

 夢は、見なかった。





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