38伝 はじめての二度目まして
そろりと視線を上げると、無言で足を見ているアラインがいた。ばれている。絶対にばれている。
これは目が覚めた後にどうなっているのだろう。何事もなかったことになっているのか、アラインのズボンが濡れているのか、それとも私のズボンが濡れているのか。
さあ、どれだ。どのズボンが濡れていても自分の不始末は自分でつける。はい喜んでの二つ返事で洗濯を引き受ける所存だ。
揉み手を作り待機していたら、アラインはその件については何も言わなかったので拍子抜けだ。散々お手拭にしてくれたので見逃してくれたのかもしれない。人とは持ちつ持たれつだ。
「お前は弱い」
「んなぁ!?」
持ちつ持たれつ、困ったときはお互い様。そんな人と人の成り合いをしみじみ感じていたところにこれだ。いくら会話の大運動会に慣れている私でも、突然突き刺さったら、声もひっくり返ろうというものだ。
「弱いよ、六花。お前は強くなんてない。弱音を吐く強さも無い。なら最初から弱り切ればいいものを、無駄に強がる所為で無意味に長引かせる。泣かない利点よりも、泣かなかったことによる弊害のほうが大きいように思うのは俺が無知だからか?」
ぐさぐさと痛いところを突いてくる。突然の饒舌に驚く暇もない。
話無精はどこに行ったんだと不貞腐れかけてはっと気づく。アラインは片翼につられると言っていた。つまり私の所為である。それなら仕方がないと開き直るしかない。
「……アラインだって泣いたことくらいあると思うけど、こういうのって利点とか弊害って問題じゃないと思います」
「乳幼児期は知らないが、それ以外で泣いた覚えはない」
「ええ――……」
「だからこういう問題の解決策が一切分からない」
「ええ――……」
筋金入りの泣かない虫だった。泣き虫はおろおろしながらもたくさん相手にしてきたけれど、泣かない虫の相手は初めてである。
どうすればいいのか弱り切る。私が泣く泣かないより、アラインが泣いていない事実の方が問題に思えてきた。分からないなら無理しないでいつも通りいて頂きたいのに、何故かぐさぐさ刺してくる。私はもう満身創痍だ。心までぼろ雑巾にされたらどうしよう。
「泣かないことが負担なら泣かれてうるさいほうがまだいい。勝手に自家中毒起こされた場合、援護要員として俺ほど向いていない奴もいないぞ」
「なんか、ほんとすみません」
「一人じゃ泣けないくせに人前でも泣けない。六花、お前はいつ泣くんだ。どこなら泣けるんだ」
そんなこと言われても困る。
「え、いや、ええ――……自分の部屋?」
「希望人数は?」
「希望人数!? 子どもじゃないんだから一人で泣くよ!」
「時間は? 頻度は? 俺を外に出しておけばその時間部屋を明け渡す。ただし離れられる距離を考えれば扉の前までだ。部屋の奥にいたければ窓の外に出せ」
真顔で言っているのでふざけているわけでも茶化しているわけでもないのは分かる。それが一番困る。アラインは真面目に頓珍漢なことを言い出した。成程、これが物心ついたときから泣いていない人の思考回路か。それともアラインが変なのか。私には判断がつかない。
そして私は、自分が教師役に向いていないと知ってるのだ。
「えーと……いや、泣くのって、そんな計画的に泣くもんじゃないし、泣けなきゃ潰れるから泣くんじゃないと思うし、なんか泣けるときに泣けるから泣いた意味があって……あ、でも確か涙って、す……す、すと、すとれす? っていうのが解消されるから泣いただけでもそれなりに意味はあるもんだってお母さんは言ってただけど、そんなこの日この時間に泣きますみたいな宣言したら泣けるものも泣けないと思うし……というか、泣くってそんな申告制なの?」
泣く現象についての説明をするの? 私が? 目の前の頭はいい人が納得できるよう、私が? この私が?
頭を抱えたくなった。アラインが真面目に聞いている説明は、説明なんて呼ぶのもおこがましいぼろぼろばらばらの言葉の羅列だ。無意味な単語の羅列よりはかろうじてましだよな程度だ。
当然理解できないだろう。当人でさえ、お前何言ってるんだ状態でさっぱりだ。それなのに眉も顰めず、文句も言わず、黙々と理解しようと努めている。努力を放棄して投げ出してくれれば、私も晴れて説明役から解放されるのに、まだ解任してくれるつもりはないらしい。
歩く百科事典お父さんを召喚したいと切実に願うも、ここに父はいない。
どうしようと弱り果てていると、まだ手首を握っている体温がおかしいことに気が付いた。担がれたり、お風呂上りの背中に抱きついたりもしたけど、それよりも今のほうが熱い。
不思議に思って顔色を窺う。陶磁器のように真白い肌は特に火照ったりはしていないし、紅瞳も潤んではいない。熱はなさそうだ。けれど、だったら余計にこの温度は何だろう。
「アライン熱くない?」
「お前が冷えているだけだろう。泣いたから」
「泣いても体温は下がらないし、むしろ上がるよ」
「そうなのか?」
「た、たぶん」
あんまりはっきりとしたことは言えないけれど、そんな気がする。母の言っていた『かがく的根拠』や、『なんかぶんしとかりゅうしとか、いでんしとか、目に見えぬ何かな物体!』が導き出してくれた結論ではないけれど、私の今までの経験上ではなんかそんな感じだ。
……自分の中の根拠でさえなんかそんな感じという体たらく。
それなのに。
「そういうものか」
納得されてしまった。こんな適当な説明が彼の中で正しいものとして認識されてしまったら、本当にアラインが馬鹿になる。トロイに申し訳が立たないにも程がある。
慌てて訂正しようとした私の視界がぐらりと揺れる。反射的に手首を掴んでいるアラインの腕を掴んで身体を支えた。
視界が波打つ。横線が入って見にくくなった視界の中で、アラインも空いた手で額を押さえて眉を寄せていた。
「限界か。目覚めるぞ」
「夢ってそんな制御できるものなの!?」
「これは俺が引きこんだ夢だからある程度はできる。お前はできないのか?」
何を当たり前なと疑問を浮かべた顔は、彼の弟子を思い浮かべるほどに幼く見えた。つまり、不思議そうにきょとんとしているのである。
揺れる視界の中で、私はにこりと笑った。もう紅瞳の中に映っている自分を確認することはできない。けれど、きっといい笑顔を浮かべられている。そう確信した。
彼とは一度、聖人と人間の普通というものを話し合ったほうが良さそうだ。
それも確信した。
段差を踏み抜いた時のようにかくんっとした衝撃に意識が跳ね起きる。びくりと震えて目を覚ました私の視界いっぱいに、橙色の明るい髪が広がっていた。
ぴんぴんと元気に跳ねる様は見るからに硬そうである。洗い古したモップより艶々としているのに、針金より硬そうに見えてしまうのは一本一本が太いからだろうか。元気な髪だなとぼんやり見ていると、上から声が降ってきた。
「おや、目が覚めましたか?」
びっくりして視線を跳ねあげると、今度は青がいっぱいに広がっていた。澄んだ青空が絹糸のように流れている。そして、その中で微笑む顔は。
「エーデルさん?」
「はい、私はエーデルです」
ほぼ真下から見上げてもその人は綺麗に微笑んだ。うっかり見惚れていたが、すぐにはっとなって胸を押さえる。
何故か私はエーデルさんに抱えられていた。それもアラインのように荷物担ぎではなく、真っ当な横抱きだ。乙女ならば誰もが一度は憧れるけど、ある程度の年齢に達すれば自身の体重が気になってむしろ持ち上げてくれるなと言いたくなる、お姫様抱っこである。
目が覚めたらそんな状況だった私は、どきどきと鳴る心臓を自覚していた。
見目麗しい年上の男性にお姫様抱っこして頂いていることに対してのどきどきでも、訳の分からない現状へのどきどきでもない。
どきどきの理由はただ一つ。
アラインどこいった? だ。
お腹が上になっているから潰されていないと信じたいけれど、如何せんお互い夢の中に旅立っていた後だ。意識のない間どういうことになっているか分からない。
……訂正しよう。夢の中に引きずり込まれた後だ。自分で調整したアラインはもしかすると何かしらの形で意識を残せていたのかもしれない。
そうだったらいいなという願望がぐるぐる回る。心臓がどきどきと早鐘を打つ。お互い意識がなくて、どこかでアラインを落としてきていたらどうしよう。すぅっと冷えた血の気は、包んだ胸元がやけに温かいことに気付いたと同時に戻った。ここにいる。凄く温かい。これはアラインの温度だ。……ちょっと、熱すぎる気もする。
それでも、ここにいると分かって体中の体温も戻っていく。じわりと滲んでいた嫌な汗も霧散した。
ほっと息を吐いて、こそりと話しかける。
「アライン、大丈夫?」
『問題ない』
「よく落ちなかったね」
『意識を失う前に鎖を絡ませていたから問題ない』
「ならよかった」
『問題ない』
即座に返ってくる返事は安堵と一緒に違和感を齎した。沈黙を返されたほうがまだ自然だった気がする。
問い詰めたいけれど今どういう状況になっているかも確認したい。どっちを優先するべきかと彷徨わせた視線は、こわばった顔のグランディールを見つけた。
その瞳は橙色の髪の向こう、シャムスさんの視線の先を向いている。
私の角度からじゃどうにも先が見えなくて、亀みたいに首を伸ばしたり傾けたりする。でも、やっぱり何も見えない。
「あの、エーデルさん」
「どうしました? 気分が悪いですか……ああ、傷が痛みますね。治してあげたいのはやまやまですが、貴女は後でアラインに治してもらったほうがいいでしょう」
「えーと……あの、下ろして頂けるとすごく嬉しいです…………貴女は?」
事態も状況もさっぱり分からないけれど、とにかく自分の足で立っていたい。そのほうがまだ落ち着ける。いくら優しくしてもらったからといって、今日会話したばかりの人に横抱きにしてもらって喜べるほど、私は乳児でも幼児でもない。
エーデルさんはにこりと微笑むと、静かに屈んで下ろしてくれた。どうもすみませんと頭を下げて地面に降りる。しかし、着く足を間違えた。捻ったことを忘れてた。足首から走り抜けた痛みに思わず呻く。でも立つ。
左手は胸元に、右手はエーデルさんの手を借りてひょこりと体勢を整える。そこでようやく周りの状況を把握することができた。
「う、ぐっ」
思わず呻いてしまう。可愛らしい悲鳴を上げられたらよかったのに、私の女子力はたいそう素直だった。
私達の前にはシャムスさんがいる。そこから三歩離れて引き攣った顔のグランディール。後ろにはザズさん達側仕えが静かに頭を下げているが、問題は周囲だ。
紫と金色の集団が、ぐるりと私達を囲んでいた。
思わず喉が引き攣った私を許してほしい。
私達の周りにはたくさんの人間がいた。何十人いるだろう。もしかすると何十人という単位では収まらないかもしれない。しかし、それだけの数で囲んでいるのに、表情があるのはごく僅かだった。
ぽつりぽつりと一定の間隔で佇む長い金髪の男だけが、口端を吊り上げて歪な笑みを作り出している。残りの大多数は能面のような無機質な表情だ。あれこそが木偶の坊といわれたって納得できた。
しかし、そんなことより私の意識は一番前に立つ青年に吸い寄せられていた。意識も、脅えもだ。
青年は、五つ編の長く美しい金髪を地面すれすれまで流し、まるで舞台上の役者のように大仰な動作で両手を広げた。
「おや、目覚めてしまいましたか。お美しいお嬢様を寝室までご案内する機会を失ってしまい残念無念ですとも!」
どれだけ自惚れてもお世辞とも取れない自信がある私は、それでも呆れなかった。呆れるどころか青褪める。
裾を翻して手を躍らせる青年の顔は、ついさっき、赤を撒き散らして絶命した金髪の男と同じだった。そして、ぽつぽつと佇む金髪の男の顔も、全て目の前の青年と同じだ。
同じ顔の男がたくさんいる。それは異様な光景だった。
私の弟にも双子がいるし、同じ顔の人間は世界で三人はいると聞いたことがある。だから、同じ顔事態は珍しいけど驚かない。
でも、全く同じ顔、同年齢の男が、十人以上同じ場所に存在したら、幾らなんでもおかしい。しかも、私はさっき同じ顔の人が死んだ場面を見たのだ。
「双龍様が邪魔をなさるからですよ? 酷い御方達だ。神により力を授かったわたくし達とて人の子。愛らしい女性と知り合える機会があれば逃したくはないというのに」
長い裾で口元を隠してくすくすと笑った青年の視線がねっとりと私を撫で上げて、思わずびくりと跳ねる。シャムスさんの広い背中がずれて見えなくなったことに、隠しようもなく安堵した。
「悪いなぁ。不在中の聖騎士の部屋を逢引きに使われちゃあ城が穢れるもんでな」
「おやまあ……アライン・ザームは負傷した片翼を見捨てて任務に戻ったのですか。流石紅鬼。なればこそ紅鬼。人の情など持ち合わせてはいない! ああ、片翼のお嬢様。あなたも不憫な御方だ。あんな男の片翼にさせられてしまうとは! わたくしが必ず救って差し上げますとも!」
「てめぇで怪我させてよく言うぜ」
「あれはわたくしの意思を通さぬ独立人形ですから、わたくしに罪はないのですよ」
「お前なぁ」
呆れきった声で肩を竦めたシャムスさんの前まで歩み寄った青年は、ひょいっと身体を傾けて後ろの私を覗きこんだ。深い紫色の中でどろりと光が弾けた。光のはずなのに、まるで闇が溶けだしてきたようで後ずさる。
「そうお思いになるのならば、もう一度挽回の機会を設けて頂けると嬉しいのですがね」
「婦女子に無体を働くような輩に引き渡すと思いますか?」
反射的に後ずさった私の背中を、エーデルさんがふわりと支える。そして、私と青年の間に位置を変えた。
「六花、貴女は部屋に戻って湯を浴びてきなさい。今日は大変でしたね。こんな日は早めに休むに限りますよ。ですが、その前に」
青年を完全に無視する形で背中を向けたエーデルさんの手が、私の両頬に触れた。殴られた場所は今でもじんじん痛むけど、エーデルさんはそこが痛くないよう丁寧に手を添えて屈むと、こつりと額を合わせてきてびっくりする。
思わず首を竦めて目を閉じた私に、じわりと温もりが溶け込んできた。それは他者と触れ合ったが故の温度の譲渡ではない。もっと明確な意思を持った温もりが私の中に入ってくる。
得体の知れないものが身の内に混ざりこんでくるのだ。本来なら凄まじい嫌悪を齎すはずだった。なのに、何故か何一つ拒絶しようという気が起きない。温かいし、凄く気持ちいい。
でも、心地よさだけじゃない。温かいものが身体の内側を撫でていく度に、熱い胸元の温度が収まっていく。
「…………アライン?」
そろりと目を開けると、柔らかい笑顔が目の前にあった。エーデルさんは呼吸と勘違いしそうなほどささやかな声で言った。
「強引に入れ替わったが故の代償をアラインが全て引き受けていたようですので、少し調整しました。アライン、六花にはきちんと説明して多少は分け合いなさい。一人では自家中毒を起こしますよ」
「え!?」
慌てて下を向こうとした頬を押さえる手の力が強くなる。そうだ、近くにあの男がいた。さっきは丁寧にふわりと触れてくれていたから痛くなかったのであって、今は普通に痛い。でも、私は慌てて両手で口元を押さえた。余計なことを言ってなるものか。頬が痛いのは自業自得だ。でも、エーデルさん。そろそろ手を離して頂けると嬉しいです。
潰された顔はそのままに、手をそろりと胸元に下ろす。焼石を持っているかのように熱かった胸元は、今は小さな存在を感じるだけだ。あの熱はアラインと私の立場が入れ替わった代償だったのか。そんなこと、一言も聞いてない。
絆が形成されれば勝手に取れると言われた固着も取れていない。その状態でアラインが強引に立場を入れ替えてくれたのだ。更に私を夢に引きずり込むおまけつき。不調の一つや二つ、焼石に変身の一つや二つしたっておかしくない。
それなのに一言だって不調を訴えなかった。
知ってしまった事実に、私はむっと口を尖らせる。
「……私には泣くの我慢して自家中毒起こすなって言ったくせに」
人のこと言えるのか人のこと。さっきまで不調となっていたことを考慮して、ちょっとにとどめて押し潰す。とどめても押し潰すことには変わりない。
「うぐっ」
この状況でも突いてきた。痛みはなくとも女子力の欠片もない声が飛び出るくらいには衝撃がある。しかしここで喧嘩をやらかすわけにはいかない。先に手を出した事実は棚に上げて、ここは一つ私が大人な対応で流してあげようとうんうんうなずく。
お姉さん気分で入った悦は、長く続かなかった。
「アラインがそう言ったのか!?」
耳ざとく聞きつけてきたシャムスさんがくるりと振り返り、そのごつい掌ですぱぁんといい音を響かせて、私の背中を引っ叩いたからである。
「いっ……!?」
当然吹き飛んだ私は、グランディールに体当たりをかました。咄嗟に胸元を庇ったため、頭からいった。よろめいて位置が下がった頭は、グランディールの胸に盛大な頭突きをくらわせたのである。
グランディールは呻き声も上げずに悶える。呻き声は上げてないけど盛大に咽こんでいる。
私は、謝罪も出来ずひりひりと痛む背中を押さえて呻き悶えた。額も痛いし、頬っぺたも痛いし、足首も痛い。でも、やっぱりできたてほやほやの背中が痛い! 凄い形相で呻き声を堪えるグランディールと、堪えるつもりもない私。当然、「うぎあぁ……」と呻いている方は私である。
「いやぁ、いい傾向じゃねぇか! なあ、エーデル!」
「…………シャムス・サン」
「意外と早く気付いたみたいで結構なことだな! いやぁ、爺が余計な気を回す必要なかったなぁ!」
「そうですね片翼である以上片翼が途絶えて久しいこの世界で六花は唯一の部外者であり親元からも故国からも離されてしまった一人ぼっちの十五歳の女の子だと忘れないようにしなさいと忠告すべきかとも思いましたがお互いに擦り合わせてうまくやっていけるのならばそれに越したことはありませんからね貴方は後で城裏に来なさい墓は掘ってあげますから」
息継ぎを挟まず一息で言い切ったのに、後半だけ明らかに声音が違った。
対象ではないはずの私とグランディールが痛みも忘れて竦み上がったのに、当人のシャムスさんはからから笑ってご機嫌だ。
「よし! じゃあさっさと風呂入って飯食ってくそして寝ろ!」
何故そんなにもご機嫌なのか分からないシャムスさんは、ぱぁんと自分の太腿を叩いていい音を出した後、私とグランディールの首根っこを掴み上げた。ひょいっと首根っこを掴まれた私とグランディールは、猫の子のようにぶら下げられる。
お互いに顔を見合わせて、地面を見て、また見合わせる。
なんという力だ。アラインも相当だったけれど、シャムスさんも結構な馬鹿力だ。グランディールが目を白黒させているのでこの力が通常という訳でもないのだろう。
つまり、アラインとシャムスさんは馬鹿力。また一つ賢くなってしまった私は、うむと頷いた。全然嬉しくない。
ずかずかと遠慮なく私達を揺らしながら歩くシャムスさんの横を、エーデルさんが静かについていく。ザズさん達も無言で後に続く。教会の人達にずらりと前後左右一周囲まれている状態から抜け出せるのは嬉しい。嬉しいのだけど、何故自分で歩かせてはくれないのだろう。
足を挫いた私への優しさだろうか。でも、出来ればその優しさは背中を引っ叩く前に与えて頂きたかった。そして、それが理由だとすると、やっぱりグランディールはとんだとばっちりである。
二人が歩けば周りを囲んでいた教会兵達は波のように引いた。教会兵の壁の向こうでは、聖人達が何とも言えない顔で壁を作っている。二重の壁とは思わなかった。教会兵を抜ければ数多の視線から解放されると思っていたのに、まさかの隙を生じぬ二段構え。
それにしたって、聖人達は何故そんな微妙な顔をしているのだろうと、胸元を押さえたままは首を傾げる。確かにこれだけずらりと教会兵が集まっていたら怖いし、同じ顔をした金髪の青年が生きていた事実は喜ばしいような素直に喜べないようなだから、それが理由だろうか。
いろいろ考えていた答えは、ひょいっと追いついて覗きこんできた青年が教えてくれた。
私は、遠慮も慎みも知ったことかと盛大に身体を捩る。首根っこを掴まれた状態だけど、ちょっとでも距離を取ろうと努力した。こっち来ないでください。
私の涙ぐましい努力で指三本分くらいは距離ができた青年は、ずぃっと前のめりになった。私の努力は無に帰した。こっち来ないでください。
「いいではありませんか。忌み子の片翼ですよ? 教会に下げ渡してくださったほうが聖人の皆様方も日々穏やかに暮らしていけるではありませんか。そもそも忌み子などを庇う貴方々が異質なのですよ? ほらご覧ください。聖人の皆様方もそう思われているから、この件に関しては手を出してはこないではありませんか」
百歩譲っても人がいいとは呼べない笑みで周りを示した青年との間に、するりと青壁が割り込んだ。青壁ことエーデルさんは、にこりと微笑む。
「私達がこれまで何と呼ばれてきたか知らないとは言わせませんよ? 我々は『忌み子贔屓の闇人狂い』です。事実ですので大変結構ですが、そこは合いの子贔屓の闇人狂いでお願いします」
その言葉は青年に向けたというよりは、周りを囲む聖人達に語っているように見えた。複雑な顔をした彼らの向こうに厩が見えた。どうやら、城に戻ってきたばかりの場所で騒動していたようだ。
いろいろと聞きたいことがあった。
どうしてあの青年は生きているのか。あれは誰なのだ。アラインは自家中毒ってどういうことかきちんと説明してほしいし、エーデルさん達にはその呼び名の理由も聞きたいし、夢の話もしたいし、グランディールは無事かと問うて誠心誠意謝罪したい。
しかし、私はそのどれも口に出すことはできなかった。グランディールも問われたところで答えられはしなかっただろう。
私とグランディールは、首根っこを掴まれて酸欠寸前のまま、ご機嫌なシャムスさんに運ばれていく。せめて、もう少し下を、背中部分を掴んで頂けたら嬉しかった。
「あ、そうだ六花!」
「ぐぇふ……」
うきうきしているシャムスさんへの返事は呻き声だった。
「片翼ってのは本質が似てるもんだから、お前とアラインは絶対仲良くなれる! 安心しろな!」
「うぇふ……」
「つまりアラインはお前と一緒で、冗談が分かってそれなりにノリがよくて茶目っ気ある奴ってことだからな!」
「うい……」
たとえ呻き声であろうと、最後まで返事を返した私を誰か褒めてほしい。そんなことを思いながら、私は落ちた。
意識を失う寸前、隣りと周囲で地割れのような「え!?」の大合唱が聞こえた気がしたけれど、それどころじゃなかったので素直に落ちていく。
ただ頭の中で、『………………え?』と聞こえたのだけはわりと気になっている。