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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第二章 始まりの町 終わりの仮面
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36伝 はじめてのご立腹







 腕が千切れんばかりに鞭を振るい、天より授かった強靭な足を持つ馬で風を切るように飛んでいきたい。


 そんな気持ちがありありと浮かんで見えるのに、グランディールは早足ではあるものの歩いているのに近い速度で馬を進めていた。私の怪我に響くと考慮してくれた結果だ。それはありがたい。ありがたいのだけれど、いっそ舌を噛みそうなほどかっ飛ばしてくれたほうが嬉しかった。

 脂汗流しながら、後ろから死神でも追ってきていると言わんばかりに頑なに振り向かないグランディールを見ていると、心底そう思う。



 私は胸元を潰さないよう気をつけながら体勢を変える。微妙に不安定な体勢で視線を上げて、今まで頑なに固定していたグランディールの背中から視線を外した。


 行きにのんびりと通った道とは違うが、ここも似たような景色だ。町まで何本かある道の一本なので、景色自体そう変わるものではない。

 一つ大きな違いと言えば、道の左右と中央に透明度の高い細長い石が浮かんでいることだ。何角形かはもっと近寄らないと確かなことは言えないけど、少なくとも六角はありそうだなと、淡くきらめきながら浮かんでいる石を眺める。


「ねえねえランちゃん、あの石って何? 何で浮いてるの? どうやって浮いてるの? 軽いの? 風で飛んじゃわない?」

「……防御壁を作動させるために、ここら一体に埋められている石だ。浮いているのがそんなに珍しいのか?」

「雲以外はあんまり見ないかな」


 雑談大好き、雑談しようよと次の話題を振ろうとしたが、さっきから続いている声が頭の中を揺らす。


『六花』

「…………へーい」


 駄目だ、諦めよう。

 私は渋々返事をした。終わらないねえねえアライン攻撃を散々仕掛けてきた身だ。それを返された所で文句を言える立場ではない。


 突然ここにはいない誰かへと向けた返事を聞かされた背中がびくりと跳ねる。この場でグランディールだけがとんだとばっちりだ。

 そこに、擦れ違う面子が一様にぎょっとしていくという初体験が追加されている。ぎょっとされている理由が、背に私を乗せているからなのか、彼自身の顔が真っ青を通り越して真っ白になっているからなのか。どちらの比率が高いかは定かではない。

 どっちにしても、ほんとごめんねと謝り倒さなければならないことは変わらないだろう。ほんと、心の底からごめん。


 それでも私を放り出さないでいてくれる、小刻みに震える後頭部を見つめる。初対面があれだったから、もっと傍若無人っぷりを予想していたのに、意外と真面目な少年のようだ。

 それでいうのなら、初対面の相手をぼろ雑巾にしてくれた私の片翼のほうがよっぽど傍若無人だった。

 どうして突然私に興味を向けてきたかは分からないけど、とにかく誤解だけは解いておこう。私は彼をおぞましいだなんて思ったことは一度もない。というか、生まれてきて十五年、そんな感情を誰かに対して抱いたことはないから、誤解しないでほしい。



 グランディールが振り向いてくる様子がないことを確認して、外套の留め具を少し緩めて胸元を覗き込む。青い蝶の上で、ぎらりと光る紅瞳二つ。

 思わず閉じた。


「……ねえねえアライン」

『何だ』

「……なんで怒ってるの?」


 片手で掴まっている背中がびくりと跳ねた。とばっちり本当にごめんね。


『……お前が』

「私が」

『散々うるさく喚き喋り倒していたくせに、何一つまともに情報を与えてこなかったと気づいたら無性に腹が立った』


 確かに、声にいら立ちが混ざりこんでいる。普段が淡々としている分、一度感情が混ざり込むと非常に分かりやすい。


「わ、わあ――! アラインに怒られるなんて初めて!」

『俺も腹が立ったのは初めてだ』

「やったね!」

『そう思うか?』


 最早苛立ちが混ざりこんだなんて可愛いものではない。苛立ちそのものだ。だけど、私はへらへらと笑う自分を止められない。初めて怒ったというアラインをぶら下げたまま、かちりかちりと鍵を閉めていく。さっき気づいてしまった事実を閉じ込める。

 まだ大丈夫なはずだ。大丈夫なんだ。だって、また、笑えてる。

 なのに、どうしてだろう。

 私が鍵を閉めれば閉めるほど、アラインの何かが開いていく気がするのだ。頑張って仕舞いこんでいるのに、ずっと感情を露わにしなかったアラインの蓋が開いていってしまう。


 グランディールを掴んでいないほうの空いた手をぐっと握りしめ、私は顔を歪ませた。笑顔のつもりだったのに、どんな顔をしているのか自分でも分からなかった。

 お願いだから開けないで。

 早くこの話題を終わらせてしまおうと急ぐ。


「アライン、私、本当にアラインのこと恐ろしいとか怖いとか、お、おぞましいとか思ってないし、思わないし、優しいって思ってるよ」

『は?』

「は!?」


 頭と耳で違う声がぐわんと脳内を揺らす。

 弾かれたように振り向いたグランディールは、ただでさえ真っ白だった顔色を土気色にまで落とした。まるで死相だ。何故、友達(未満)の人を優しいと例えて死人色になられなくてはならないのか。

 手綱を掴んだ手が腕ごとぶるぶると震え、驚愕なんて言葉じゃおっつかない瞳が私をぐるりと向いた。


「お前正気か!? 異界渡りで気でも違えたんじゃないのか!?」

「馬鹿だけど正気のつもりだよ!?」


 突然の診断にびっくりした私の鍵が一つ閉まる。反射的に返した声に調子が戻り、強張っていた頬が動いたことにほっとする。この勢いで言いたいことを言ってしまおう。


「だってアライン、皆にひどいこと言われても怒らないんだよ!? 優しくない!?」

「は!?」

「生まれとかそんなの自分じゃどうにもできない最たるものなのに、それで皆からぶうこらぶうこら言われるのに怒らないんだよ!?」

「ぶうこらってお前……」

「ランちゃんだって、男の子ってことで皆からぶうこら言われたら、そんなのどうしろっていうんだよって怒らない!? とりあえず私は怒るよ! あと拗ねるよ! 盛大に拗ねるよ! 言った人に「ハゲ――!」って言う!」

「……ハゲてなかったらどうするんだ」

「十年後ハゲって言う!」

「やめろ」


 ランちゃんは、なんともいえない顔で自分の前髪をつついた。


「それに、私がうるさくしつこくしても、なんだかんだとお喋り付き合ってくれるのも優しいと思うし、一番近くにいるトロイが怖がってるのは置いてかれることとか嫌われることだけだし。私本当に、今の所怖いって思ったことはないよ、このやろうとは結構思ったけど。恐ろしいとかそんなのも思ったことないよ、ぼろ雑巾は今でもこのやろうって思ってるけど」


 端々にぼろ雑巾への不満は滲みだすが、私は心の底からそう思っていた。

 ぼろ雑巾にされた恨みはある。それでも、アラインは私を引きずっただけだ。引きずる力があるのに、その手が、その足が、私を害そうとしたりしなかったと知っている。私とトロイをひょいっと担ぎ上げて平然と歩いていける力がある彼が、あの教会兵のように私を殴れば一溜りもなかっただろう。


 けれどアラインは、一度だって私を害す意思を持ってその力をふるったりはしなかった。指を捻り上げられたことだって、胸をついたことだって、私を苦しめようとか痛めつけてやろうと、そんな悪意を持っての行動ではなかった。だから私は平気で馬鹿をやれたのだ。



 ずきりずきりと鈍い痛みを放つ頬は、少し気を緩めればあの赤い景色を呼び覚ます。人が死ぬ光景を見たのは、決して初めてではない。寿命で病気で事故で、人は死ぬ。だが、人が人を殺す場所を見たのは初めてだ。

 思い出せば戻しそうになる。私は全てのものをぐっと堪えて飲みこんだ。

 駄目だ。駄目なんだ。沸きだそうとするものに必死で鍵をかける。


『なら、お前が泣き叫んでいた言葉は何だ』


 なのにアラインは、必死に鍵をかけているそれを力づくでぶち壊そうとする。流石怪力。頭がいいならもっと繊細にきてほしい。どうして力づくの体当たりなのだろう。

 でも、力づくの体当たりなら難しいこと考えなくても避けられる!


「大好きかな!」


 会話の相手が変わったことに気付いたグランディールは、さっと顔を逸らして前を向いた。会話に割り込むつもりなどなかったのに、思わず振り返ってしまったのだろう。もっと割り込んでくれていいんですよ、むしろぐいぐい来てくださいと願うのに、もう絶対振り向くものかという気迫が伝わってきて諦めた。

 せっかく赤みが戻りかけていた頬は、土気色まで全力疾走となる。そんなグランディールの惨状の中、アラインは私の全力の答えを一刀両断した。


『いはどこにいった』

「飛んでった。じゃあ、おいしい!」

『お前は父母を喰らうのか』

「食べません。……夢の中のことなんて知らないよぉ。可愛いとか、面白いとか、おかしいとか、そんなんだよ、きっと!」


 覗きこんだ胸元向けてへらりと笑った私は、ぎくりと身を強張らせた。

 アラインが熱い。

 アラインに触れている場所から熱が広がっていく。じわりと広がりを見せた熱は、あっという間に全身を走り抜けた。



 はっ、と、小さく息が漏れる。身体が動かない。身体どころか、指先一つ、瞬き一つ、ままならない。

 様子がおかしいと気づいたグランディールがそろりとこっちを振り向く。へらりと笑って大丈夫だと言いたいのに、まったく大丈夫じゃない。

 身体が熱い。自分のものではない熱が皮膚の下を蠢き、脳髄を沸騰させる。


『さっき入れ替わったことで要領が掴めた』

「な、に……アライン、なに、して」

『さっきも言ったけどな、俺は腹が立ったのは初めてだ』


 熱でぼやける頭の中でぐわんぐわんと声が揺れる。胸元で何かがごそごそしている感触があったようにも思うけれど、もうろくに思考が働かない。熱い。熱くて、温かくて。

 眠い。


『だから、加減が分からないぞ』

「……んな、殺生、な…………」


 限界に達した意識が唐突に途切れる。

 強制的に意識が閉ざされた私の身体はがくりと傾いた。










 身体を支える意思と力を無くした身体が、歩みを進める馬の上に居続けられるはずがない。滑り落ちていく六花をグランディールは慌てて支えた。身体は前を向いたまま咄嗟に出した左手に力を籠めて落下を防いだ。


「死んだか!?」


 あまりに物騒な台詞だがそれを指摘する声はない。

 返事がないことに冷や汗をかきながら、グランディールはぐっと身体を捻り、両手で六花の外套を掴むと深く息を吸った。


「んっ!」


 グランディールを軸に、ぐるりと六花の身体が引き寄せられる。聖人の力ならば例え少年でも自分より背の高い相手を移動させることも可能だ。ましてグランディールは長年人間とも混ざらず純血を保ってきた聖人の家系である。途中で人間を混ぜた聖人より力は強い。

 引きずり寄せた身体を腿の上に乗せて抱え込むと、手袋を噛んで脱ぎ捨てた。素手を首筋に当てたグランディールは、指先から伝わる鼓動に詰めていた息を吐いた。


「生きてる……」


 長い長い息を吐き、触れていた首筋を見て無意識に眉を寄せる。時間が経つにつれ段々と色濃くなっていく痣は、六花の首をぐるりと回っていた。頬も腫れ始めている。爪でも当たったのか、それとも指輪か何かが掠ったのか、頬に走った一線の傷の血は止まっていたが、未だ生々しい。唇の端は渇きにくかったのか薄く開いた唇が動くたびに血が揺れている。





 忌み子とはおぞましい生き物だ。

 人間とは恩知らずの下等な命だ。


 純血を何より重んじるグランディールの家は、子どもにそう教えてきた。当然師弟となる相手も同じ純血派だ。グランディールの師バトラコスは潔癖な純血派で知られている。

 だから、それが当たり前だと思っていた。

 現に紅鬼の周りには誰もいなかった。ただ一人の捨て子だけが恩義でも感じたのか周りをうろうろしていたが、意思疎通ができるだけでそこに慣れ親しみなど見えはしなかった。

 そういうものだと思っていた。忌み子とはそういう生き物なのだと。変わることなどありはしない。忌み子とはそういう生き物として生まれ、そういう生き物のまま死ぬものだと疑いもしなかった。


『あれはまともな生など送らぬさ』


 バトラコスはそう言った。


『繋がりといった範疇から外れ、我々のような営みの枠組みから外れた生き物だ。だから変わらない。変わるはずなどありはしない。間違った命は繋がらぬまま消えゆく。そう神が定められたのだ。なればこその忌み子。なればこその紅瞳。あれは、命と呼ぶもおぞましき歪みだ』


 誰とも繋がらない。そう神が定めた命だと皆が言った。



 グランディールは師の言葉を思い出しながら視線を落とす。


 ならば何故、片翼が現れた?


 この世で最も歪な命として生まれたアライン・ザームの片翼は、彼の歪を恐れてはいない。嫌悪すらしていない異界の命。忌み子は、例え異界の者であろうと命である以上必ず嫌忌するものだ。神が命を創り、始まりと終わりがある。界は違えど世界の理は変わらない。

 だから、異界の者であろうと忌み子を嫌忌するはずだった。ましてトロイとは違い何の恩義もない相手だ。嫌忌することに一体何の躊躇いがあろう。

 教会から受けた傷も元を正せば忌み子の所為だ。忌み子と関わるから歪みに巻き込まれる。歪な命は恐れ、厭うべきだ。今だって忌み子の何かによって意識を失った。だが、六花の声に恐れは欠片も存在していなかった。確かに、この傷は元を正せば忌み子と関わったからだが、忌み子によってつけられたものではない。


『大好きかな!』


 会話の前後は分からないが、躊躇いなくそう言い切った下位の命。

 聖人が闇人が嫌忌し弾く命と臆面なく会話を交わすのは、下位の命である人間だった。


「…………何だ、これ」


 馬を止めたまま呆然と佇む。

 ぐるぐると混乱したまま六花を見下ろしていたグランディールはぎょっとした。ばねのように視線を上げ、慌てて馬を走らせる。


「おとう、さん」


 落ちないよう抱え直し肩の上に頭を置いたせいで、聖人の優れた耳は疾走する天馬の上でも小さな声を拾い上げた。


「おかあさん」


 以前意識のないまま、薄く開いた唇が両親を呼ぶ。

 グランディールはその時初めて気が付いた。異界の人間であろうと、片翼であろうと、自分達と同じく父母がいるのだと。異界の人間にさえいるのだから紅鬼にも父母がいる。だから片翼も紅鬼も自分もこうして命として存在している。何とも繋がらない命に父母がいる、それと繋がる命にも父母がいる。己と同じように。


 ぐるぐる思考が回る。ぐるぐるぐるぐる考えたこともない当たり前の事実が回り続けるグランディールの耳に、小さな小さな声が聞こえた。


「さびしい」


 零れ落ちた言葉と同時にぱたりと落ちた雫に、グランディールの思考はぴたりと止まった。






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