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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第二章 始まりの町 終わりの仮面
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34伝 初対面のリヴェルジア






 適当に掴んでいた服を、アラインは何の予告も予備動作もなく離した。

 首近くの服を鷲掴まれて宙づりになっていた男の身体は、自重に従い地面へと落ちる。総じて矜持の高い教会の男は文句一つ言わず、当然礼も言わない。ただ、今回に限っては彼らの性格など関係なかったのかもしれない。

 男は、目の前の光景に釘付けになっている。先程まで散々がなり立てていた髪への恨みどころか、腕の痛みすら忘れているようだ。


 アラインは左で剣を抜き、右手を少しだけ彷徨わせた。彷徨わせた右手はどこも押さえず、結局すぐに手首を返して炎を纏わせる。しかし、手首を返す際に指先を服に引っかけて胸元の隙間を閉じた。


『落ちるなよ。お前に回す余裕はない』

「へいへい」


 気の抜けるような返事が返ってきた。それで鎖越しに首筋まで伝わる震えを隠せるとでも思ったのか。だとすれば本当に馬鹿だ。

 それでも、気づいたところで何をする気もなかったアラインは、いつの間にか僅かに寄っていた眉に気付き、視線を動かすことで解いた。




「なん、だ、これは…………何だこれはっ! 紅鬼、何をした!」


 数十本はあろうかという木の根は、アラインより余程太い図体を生き物のようにうねらせて血を撒き散らす。石畳は砕け散り、建物さえも貫いている。石壁を柔土のように簡単に縫い上げて定着する様は、始めから木の根を軸として混ぜ込んで作り上げられたかのようだ。しかし、そんなはずはない。耐えられなくなった箇所からぼろりぼろりと外壁が剥がれ落ち、まるで廃墟のようだ。


 そんな惨状となっているというのに、人が来ない。数本外れた場所が大街道というだけの裏路地だ。ここを住居としている者もいる。しかし、既に町としての機能を失って久しいといわんばかりに人の子どころか猫の子一匹通りはしなかった。



 貫かれた人間達はぴくりとも動かない。既に絶命している。足先を貫かれただけの者まで皆等しくだ。

 しかし、だらりと垂れていた死体の腕が動いた。ただ揺れたのかと思ったが、すぐに違うと気づいた。腕が、しぼんでいる。腕が足が身体が、見る見る間に溶けていく。

 教会の男が目を見開いたのとは逆に、アラインは目を細めた。しかし、どれだけ視線を集中させても木の根の元が見つからない。地に潜った箇所から気配が霧散していた。


 しぼんだ身体は、極限まで水分を失った土壁のように、ぼろりと崩れ落ちる。それらは地面に落ちる前に、さらさらと歌うように風へと流れていった。

 吸っている。アラインは気が付いた。

 命を、精気を、生命力を。恐らく、魂までもを。

 風に流れていくかつては人だったものがけぶる向こう側に、誰かいる。アラインは無言で剣を横向きに構えた。その上に炎を纏った右手を添え、両腕を開き切ることで柄から切っ先まで炎を纏わせた。




「…………教会にいじめられている子がいると思えば、アライン・ザーム、君か」


 木々がざわめいたかのような声だった。深い森の奥、神庭で聞いた吹き抜ける風のような声だ。

 けぶる砂風の向こう側に、深緑色の髪をした青年が立っていた。顔が窺えないのは男の長髪だけが理由ではない。

 男の顔上部は仮面に覆われていた。狐を模した白い仮面に赤紅で模様を引いている。

 それだけでも異様な姿だ。しかし、おかしいのはそれだけではない。男は、この世界の誰もが纏うはずのない組み合わせの服を着ていた。

 聖人が好む襟詰めの服の上に、闇人が好む着物を羽織っている。黒地に淡い薄桃色の花が散る、女物の着物だ。

 異様とも呼べる意匠に、教会の男は悲鳴のような金切り声を上げた。


「リヴェルジア!」


 エグザム《楽園追放者》の頭であり創設者。少々学のある者ならば誰もが気づくであろうその名は偽名だ。そうでなければ有り得ない。我が子にこんな名前を付ける親など存在するはずがないのだ。


 リヴェルジアとは、古語でとある単語を指す。


 意味を《復讐者》。

 エグザムのリヴェルジア。



 楽園追放の復讐者。





 リヴェルジアは男に向けていた顔を、ゆっくりとアラインに向けた。


「生かしてあげたの? 優しいね」


 柔らかな新芽のような声で緩ませた口元が、「でも」と動く。

 男の手がゆるりと持ち上がり、広い裾がとろりと揺れる。

 瞬間、地面から多量の細い根が突き出した。瞬きする時間すらなかった。突き出してきた大量の根は、その勢いでアラインの髪を乱す。下から湧き上がった風で舞い乱れた髪の隙間で、リヴェルジアが笑ったのが見えた。


「僕、こいつら嫌いなんだ」


 咄嗟に振り抜いたアラインの剣は蔦のような根の束を切り裂いた。しかし、剣が通り過ぎた端から繋がっていく。瞬時に燃え上がった炎すらも内に飲みこみ、根は元の様へと戻っていった。

 剣が通り過ぎた事実などなかったかのように塞がった蔦から、赤が降る。


「まあ、聖人も闇人も人間も嫌いなんだけど」


 剣が通り過ぎた跡すら残らない。あれだけがなり立てた男が悲鳴を上げる間もなく絶命していた。すぐ真横で突き上げられた男の血が降り注ぐ。アラインはリヴェルジアから目を離さず、素早い動作で右手を、腹に、当てた。



 銀真珠色の髪の半分が赤に染まり、垂れ落ちるものが目に入らないよう紅瞳が細められる。

 リヴェルジアは男の身が砂へと変わる様を見てすらいない。興味は欠片もないのだ。自らが殺した数十人など意にも解さず、旧知の友に会ったかのように口元をほころばせて歩み寄る。


「やあ、アライン・ザーム。久しぶりだね。元気だった? 相も変わらず教会にいじめられているんだね。聖人共にも、闇人共にもいじめられているんだろう? いい加減僕らの所においでよ。エグザムでは、君を忌み子だなんてくだらない呼び方で忌避する奴は一人もいないよ? 何せほとんど君と同じなんだから」


 人だった砂を踏みにじり、口元に笑みすら浮かべている相手に、アラインは再度剣に炎を纏わせた。先程より濃密な炎だ。どろりと液体のように揺れる炎を見て、リヴェルジアはぴたりと足を止めた。


「ここで本気の君とやり合うと、流石に分が悪いかな……というか、君達の帝都が壊滅するけどいいのかな? 僕は別にそれでも構わないけど、せっかく式典の準備を頑張ってきた人達が報われないからやめてあげるよ」


 ひょいっと肩を竦め、リヴェルジアはふふっと笑った。


「でも、一つ聞いておこう」


 手を差し伸べるようにくるりと手首を返した指先で、アラインを指す。


「あの子は誰? あの人間はどこに行ったのかな?」


 アラインは答えない。

 一体どこから見られていたのか。考えるだけ無駄なことだとアラインはすぐに切り替えた。目の前の男は、既に失われた古術を使いこなす。結界が張られていても遮断できるかすら怪しいのだ。

 現に、教会の男は結界を貼っていたはずだ。だからあれだけの取り巻きが集まった異様な雰囲気が出来上がろうと、誰も来なかったのだ。


 腹に当てた手を外すべきかと迷ったが、今更外したところで目立つだけだとそのままにとどめた。外したほうが更に大きな動作を取る羽目に陥る可能性が高い。

 一瞬の逡巡の内容が聞こえたはずもない。だが、仮面の下にある青年の瞳が覆った掌さえ通り越しているような気にさえなる。


「転移させた訳じゃないよね。あれを使えるのは、もう数えるほどしかいないもの。今の世は安穏と引き換えに力を捨て、僕はそんなもの要らなかったから力が残ったんだし。さて、じゃあ、あの子はどこに行ったのか。そうして、君はどこから来たのか」

「お前に答える義務はない」

「そうだね。じゃあ、僕は勝手に考えるよ」


 リヴェルジアは指を一本立てた。


「一つは転移。だけどこれは違うね。だって転移の門術は開かれていなかった。まあ、僕の知らない術を使ったというのなら話は別だけど、そんなものは有り得ない」


 中指が立てられる。


「ならば召喚。これも違う。転移より召喚のほうが面倒だからね。なんの用意もなしに出来るものじゃない」


 薬指が立てられた。


「三つめ。人形でも繰んで遊んだかな? 違うよね。だってあの子は血を流した。木偶人形は血を流さない。泥人形も然り。血を流すのは命だけだ」


 まるで子どもが問い遊びをしているかのようだ。楽しげに指を揺らしていたリヴェルジアは、ぱっと掌を開いた。先程までの答えを全て散らすかのように手を振り、にぃっと口角を吊り上げた。


「違う命でありながら喚び合えるのは片翼だけだ」


 アラインは答えない。しかし、リヴェルジアの中で既に得ていた答えだったのだろう。最初に並べられたものはただの遊戯だった。しかし、男の気まぐれでつらつらと語られた遊戯も間違ったものではないから質が悪い。頭が悪くないからこそ、エグザムの頭領にしておきたくない男なのだ。それが、死ぬこともなく二百年率い続けている集団は、どの国でも頭が痛い問題だった。


 六花が片翼であると、別段隠しているわけではない。聖騎士であるアラインが人間の少女を連れ歩くには理由がいる。そもそも、理由のない存在が傍にいるはずがない。弟子という理由のトロイだけが後ろをちょろちょろしていた。そこに人間の少女が加わったのならば、誰もが理由を探すだろう。理由など簡単だ。片翼だからだ。

 だから、片翼だと知られること自体に問題はない。

 はずだった。

 アラインは妙な居心地の悪さを感じた。片翼であることを知られるのは構わない。だが、何故、それをこの男は勿体ぶるのか。






 リヴェルジアはまるで歌姫のように解を紡ぐ。よどみなく美しささえ垣間見える音で、教師のように優しく、易しく。


「片翼は傍にいるものだよ。鳥の羽は二枚で一対だろう? だから、遠くにいるだなんてありえないんだ。聖人も闇人も、長い時の中でそんなことすら忘れてしまったようだけれど」


 理解できぬ、人間の子どもに教えるかのように。


「だから、アライン・ザーム。君が片翼を持ったというのなら、君は孤独にはなれないんだ。仮令どれだけそれを望んでも、君はもう一人にはなれない。異世界の子。君もだよ」


 布越しに触れる体温がびくりと震えたのをアラインだけが気づいた。

 落ちるなと言ったのに結局落ちた馬鹿は、アラインの手の中で震えている。頭の中で『何だ』と問えば、「なにがぁ?」とへらへら気の抜けた声で返してくる。掌に伝わる震えを誤魔化せたと本気で思っているのか。ならば、本物の馬鹿だ。布越しでも分かるほどの震えを、友達だと周りに言いふらしていた相手に隠そうしている六花も、それに気づいていながら『何だ』と問いにもならない問いかけしかできない自分も、恐らく馬鹿なんだろう。



「絆が形成されていないから互いの形が不安定になっちゃたんだね。小人にでもなっちゃったかな? 昔は絆形成までいろいろ試した結果、半身が混ざっちゃったり、中身が入れ替わったりと、結構ごちゃごちゃした奴らもいたようだし、君達は相性いいほうだよ。でも、恋仲にでもなったら気をつけなよ。色が混ざるから。それにしても、ねえ異界の子、君もアラインに言ってやってよ。僕らの元にお行きなさいって。聖人はろくでもなかっただろう? 教会も、闇人だってそうだもの。人の子だったら余計に風当たりも強くなる。でも、僕らはそんなことで君達を排除したりしない。ついてきたいって言うのなら、あの小さな弟子もつれてきていいから、おいでよ」


 つらつらと淀みなく語られる言葉は、教会の男の大仰な素振りとは似ても似つかなかったが、どこか芝居がかって見えた。一切迷いない長台詞がそうみせたのかもしれない。

 アラインはこの青年と幾度か見えたことがある。

 騎士であれ聖騎士であれ、エグザムが事件を起こす予兆があれば出動するのだから、それ自体はなんら不思議なことはない。

 だが、言葉を交わした者はそう多くはないだろう。



 リヴェルジアは語らない。


 多くの者はそう言う。

 リヴェルジアは語らない。屋敷を襲い、村を焼き、教会を破壊しても。聖人を殺し、闇人を殺し、人間を殺しても。その目的を語らない。神を、神が強いた運命を呪う者を誘い、着々と数を増やしてまた殺す。


 今や世界で唯一の神への反逆者集団であり、世界で最も忌まわしき指名手配犯であるリヴェルジアは、長い活動の間、一度もその目的を語ったことはない。


 命乞いをした貴族が差し出した金銀財宝、逆にその力を抱きこもうとした人間の国が差し出した地位、その他の脅威から守ってほしいと村人が差し出した土地。何一つ頷きはせず、すべて破壊して消えた。後には燃やし尽くされた残骸だけが残った。金銀財宝、土地、かつては人だったもの。すべては残骸と化した。


 何も要求しない。だから交渉のしようがない。

 目的が分からない。だから次の目標を阻止しようがない。


 そうしてずるずると二百年間、手をこまねいている間にエグザムは大きくなった。目の前の男が大きくしていった。二百年間変わらぬ姿で、どこにも記されない名前を掲げて。


『おいでよ、アライン・ザーム。歪みきった理で壊れかけたこの世界を平らにしよう。君達は何にも縛られなくていい。大人にも、周りにも、神にも、世界にも。この世の理全て、君達が守る必要はないものなんだよ』


 初めて会った時、目の前の男はそう言ってアラインに手を差し出した。

 あれから既に十年は経っている。アラインの背が伸びたが、リヴェルジアは何一つ変わらない。傷一つない手を差出し、皺一つない口元で微笑む。

 理念も目的も何一つ語らないと言われている男は、ずっと同じ言葉を語る。


「この世界は、君達にはとても住みづらいから」


 男の動きに合わせて仮面を結んだ紐が揺れる。じわりと仮面の色が変わっていく。白かった部分が黒くなり、模様は水色へと。


「おいで、アライン・ザーム」


 数歩離れた場所で手を差し出す男の肩越しには誰もいない。

 走り回る子どもは勿論、あれだけ騒がしかった喧噪すら聞こえない世界は酷く静かだった。子どもの声も、客寄せの声も、通り過ぎる他人の声も、六花の声も、何も聞こえない。

 アラインは、腹の手はそのままに無言で剣を振りかぶった。

 リヴェルジアの口から笑みが消える。


「……うるさい」


 静寂がうるさい。六花の沈黙が、一番うるさい。沈黙が気になる自分が一番忌々しい。

 どろりとした密度の高い炎を纏った剣をぐるりと逆手に持ち替え、そのまま地面に突き刺した。炎は地の中を走り抜け、瞬く間に空へと駆けのぼる。半円を描いて駆け昇っていった炎が頂上で合流した瞬間、玻璃が砕けたような音が響き渡った。






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