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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第二章 始まりの町 終わりの仮面
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30伝 はじめての難問





 微妙な距離を保ったまま指を挟んで睨み合う二人に、おずおずと控えめな声が挟まる。


「……あの、師匠?」

「……何だ」


 僅かな沈黙を経てはいたが、当たり前のように返事が返り、トロイの顔はくしゃりと崩れた。


「どうしちゃったんですかぁ……!」

「……うるさい」


 いつもならすぐに口を噤むトロイだったが、今ばかりは耐えられなかった。

 小さな師匠の間近だったにも拘らず、感情のまま声量が調節されなかったのでアラインは流石に耳を塞いだ。その様子に、トロイの大きな瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちる。




 師匠に笑ってほしかった。目に見えて変わる師匠が物珍しくて、嬉しかった。

 でも、でも。


 トロイはぎゅっと胸元を握り締める。

 今まで、三年間も一緒にいたのに。


 憎悪や妬みと表現するにはあまりにさらさらと溢れだす感情を、幼い器は持て余す。仕舞い込むことも出来ずに溢れ出た感情は、涙として表に現れた。



 捨て子のトロイにとって、弟子として拾い上げてくれた師匠は絶対の存在だ。

 面倒だと思われたくなくて、ずっと封じ込めていた感情を、トロイの師はそんな我慢を知らずにあっさりと変わっていこうとしている。


 別に振り向いてくれなくてもよかった。手を差し出してくれなくてもよかった。

 トロイは師が好きで、好きで、大好きだから。師匠がいいならそれでよかった。師匠が笑ってくれるなら、師匠が幸せなら、それに勝る幸福などない。

 だから、別に、好きになってもらおうなんて贅沢、望んではいなかったのに。

 なのに、六花と当たり前のように会話をしている姿を見て、欲が出た。


 僕とも、そんな風に話してほしいと。



「い、いま、今ま、で、ぜんぜ、ぜんぜ、ん、話して、くださらなかっ……ぼく、ぼくが、きら、きらい、だからですかっ……!?」


 しゃくり上げながら涙と一緒にぼろぼろと零れ落ちてくる言葉を拾い上げて繋げたアラインは溜息をついた。

 トロイは小さな溜息にさえびくりと肩を震わせ、慌てて何度も何度も目元を擦って涙を止めようと努力する。調子に乗った。今すぐ涙を止めないと捨てられる。

 この人に疎ましく思われるくらいなら死んだほうがましだ。捨てられるくらいなら、その前に死ぬ。

 しゃくり上げながら必死に涙を拭うのに、次から次へと溢れ出て、どうしたって止まらなかった。






 ごしごしと乱暴に目を擦るトロイに、私は慌てて手拭いを押し付けた。擦らないようぐいぐいと押し付けられる手拭いにトロイが溺れて、これまた慌てて力を弱める。


「そんなに擦っちゃ駄目だよ!」

「こいつが原因だ」

「そう! 私が悪いね! ほんとごめんね! 申し訳ない! ごめんね!」


 ぺこぺこと頭を下げ、必死に謝り倒す私を潤んだ瞳がきょとりと見上げる。疑問によって存在を忘れられた涙が、大きな瞳からほろりと零れ落ちていった。


「どうして六花さんが謝るんですか?」

「……そういえばなんでだろう」


 そういえばそうだ。勢いのまま意味も分からず謝罪してしまった私もきょとんと瞬きした。私が悪いなら謝ることを躊躇いはしないし、むしろ全力で土下座する。でも、理由も分からず謝っても意味がない。更に悪行を重ねてしまうようなものだ。

 でも、その勢いに押されて涙が治まったので結果よしだろう。ほっとして、よしよしと心の中で頷いて手拭いをトロイの鼻に当てる。


「はい、トロイ、ちーん」

「じ、自分でできます」


 弟妹や近所の子どもの世話で慣れているので、別に鼻水でろでろを指につけられようが肩につけられようが裾につけられようが背中になすりつけられようが平気だ。いや、背中はちょっと待ってほしいけど、おむつ変えようとして引っ掛けられるなんて多々あったのだ。鼻水くらいなんということもない。弟妹がいたり、近所に小さい子が多い人はそんなものだ。



 トロイは真っ赤な顔で手拭いを受け取り、自分で鼻をかんだ。

 一息ついて、説明を求めた私達の視線は、自然と同じ小人を向いた。その視線を一身に受けたアラインは深いため息をつく。いつもならそのままだんまりを決め込む師に、トロイはごくりと喉を鳴らす。予想に反し、しかしどこか期待通り、師は口を開いた。大きな瞳から、残っていた水分がほろりと零れ落ちる。私は買ったばかりの手拭いを待機させていたけれど後続はなかった。




「トロイは片翼の性質を復習しておけ。四期昇級試験で毎年出るぞ」

「はい……え!?」


 何を言われても動揺しないよう心を無にする努力をしていたらしいトロイは、全く身構えていなかった言葉に酷く動揺した。ちなみに、全く関係ないはずの私は更に慄いた。勉強苦手だ。

 ある意味トロイよりも動揺した私に、アラインの溜息は止まらない。


「片翼は補い合う存在であり、互いに関与しあう存在だ。六花、お前が俺の環境に影響を受ける分、俺はお前の感情や感性、感覚に影響を受ける」

「もっと簡単簡易に、易しくお願いします」

「……お前は俺を通した世界と関わり、俺はお前を通した世界と繋がる」

「うーん?」


 もう一声。


「…………俺はお前につられる」

「なーるほど!」


 ようやく理解できた。ほっと笑顔になった私は、次の瞬間はっと表情をこわばらせた。


「つまり、アラインが馬鹿になる!?」

「え!? い、嫌です、そんなの嫌です師匠!」

「その必死さに私の心が抉られた!」


 再び泣き出しそうなトロイに、胸を押さえてよろめく私。

 アラインは事態の穏やかな収束は諦め、早期に収拾することに決めた。


「うるさい」

「す、すみません」

「ごもっとも!」


 それでも私はうるさかった。







 この世界で生まれず、育たず、関係も血の繋がりも何一つとして築いていない六花は、『忌み子』と呼ばれるアラインを取り巻く環境の影響を受ける。

 この世界で生まれ、育ち、断ちきれぬ歴史でがんじがらめのアラインは、この世界に関係しない六花に引きずられる。


 アラインから六花へ与える影響が強ければ強いほど、六花が流れ込む。それは、互いの均衡を保つためだ。


 六花の目で見た世界を感じ、六花が感じた感情に引きずられる。六花が止めどなくどうでもよいことを話せる人間であるから、つられて口数が増える。六花が長女として、姉として培ってきた感性がある故に、今まで気にも留めなかったことにも目が向く。

 今までの己からすれば考えもつかないことを思いついた。あり得ない反応に反射が向いた。話しかけられれば応える。どうでもよいことに疑問が湧き、尚且つそれを知ろうと思う。

 あり得ないことだ。あり得ない事だったのに、感情が流れる。六花の『普通』が、アラインに雪崩れ込む。


 だが、そういうものなのだ。アラインがどれだけぎこちなくしか受け取れずとも、今まで動いていなかったが故に軋みながらしか動かずとも。

 外の世界から異質の存在を受け入れるということは、そういうことだった。


 片翼へこの世界での関わりと繋がりを与え、押し付ける代わりに、外から来た片翼の存在が損なわれぬよう片翼のものを受け入れる。この世界との繋がりを持たない片翼から受け取れるものは、片翼がその身一つで持つものだけなのだ。



 いつもと同じ光景が、六花を通すだけで異様に色鮮やかで、アラインは今だけは己が小人となったことに安堵した。

 服の中で視界が遮られていて本当によかった。

 他人の戯言が流れていく喧噪でさえ、何故か温度を持つ世界を強制的に与えられる。恐ろしいというにはあまりに柔らかく、嫌悪するにはあまりに穏やかで、どういう顔をすればいいのか分からなくなるのだ。

 六花の感受性で見る世界は酷くうるさく、騒がしい。

 産まれてから十七年間、徹底してアラインを拒絶してきた世界は、恐ろしいほどに美しかった。




 アラインは六花の腕を登り、定位置に滑り込む。首飾りの揺れが収まるのを待たず、胸に片手をついて止める。しかし、そうしなくても六花の掌が揺れを安定させた。触れるなと振り払われたほうがよほど違和感を感じなくて済むというのに、何を当たり前のように。

 ちょっとした揺れで一々添えられる手がアラインを包む。そんなことをせずともそう簡単に落ちはしない。その程度のことはこの短い付き合いでも分かるはずだ。それなのに、六花の手は当たり前のようにアラインを包む。


 事ある度に衝撃から庇ってくる手から無理やり意識を逸らす。それなのに、また一つ感じた違和感は振りほどけず静かに積み重なった。

 何だ? 何が引っかかる?

 今まで他者の事を気にかけたことがなかったアラインには分からない。しかし、違和感はあるのだ。違和感に、気付けている。



 アラインはじっと六花を見上げた。トロイを茶化して鼻を突いた手を払われて、楽しそうに笑っている。

 ふと目が合い、更に笑う。これの何がそんなに引っかかるのか、アラインには分からなかった。だが、分かるはずなのだ。その感性が雪崩れ込んでいる相手のことを、六花のことを、分かるはずなのだ。

 じっと見上げる紅瞳の中で、水色は更に笑った。








「俺がおかしい自覚はある。六花と繋がり、六花の感性や常識が俺に雪崩れ込んでいるからだ。六花が帰り繋がりが途絶えれば元に戻る。それまで耐えろ」


 そう言って弟子を宥める様子に、私は素朴な疑問をぶつけた。


「耐えて頂かないと駄目な感じですかね?」

「…………耐えがたい」


 自分への奮起だった。弟子への奮起と思いきや、耐えるのはアライン自身のようだ。なんともいえないこの複雑な感情をどうしよう。このやろうと突っつくべきか、耐えがたい馬鹿でどうもすみませんと平謝りすべきか。


 アラインが自身の感情を吐露したという事実が既に信じがたいことだったらしいけど、そんなこと私には分からなかった。信じがたいとどきどきしているトロイを見て、ようやく察することができたくらいだ。そんなトロイに更に追い打ちをかけるように、アラインは再び自分から会話を開始した。


「…………お前の中で、最後に『ん』をつける言葉として何がある」


 唐突な問いに、私は首を傾げる。


「なんで?」

「夢の中で延々とうるさい」

「どうもすみません」


 うるさい自覚はあるので反射的に謝ってしまってから、はたと気づく。彼の夢の中までどうやって責任を取れというのか。そもそもそれは私のせいなのか。分からないが、夢の中という言葉が妙に引っかかる。

 私の中にも残っている夢がある。美しい黒白が流れていた不思議な世界を見た。そして、酷く静かな紅瞳を。

 目を覚ませば散ってしまうことが多い夢の中で、やけに鮮明でゆるぎなく記憶の中に残っている。


「…………後ろにいたのってアライン?」


 不思議な確信があった。背に触れただけの温もりで断じてしまえるものがある。

 それでも、私の中の常識が疑問符をつけた。だって、知り合ってすぐの人を背中合わせで当てられるだなんておかしいじゃないか。それも夢の中のことだ。何を馬鹿なこと言っている、寝ぼけているのかといわれるのがおちだ。


「やっぱり、あれはお前か」

「ですよね」


 おかしいのに、確信が事実となっても違和感を感じない。あれはアラインだった。前にいるのも、後ろにいるのも、確かに目の前の彼だった。




「なんで、ん?」

「トロイより幼いお前が叫んでいた言葉の語尾が『ん』と『い』だった」

「えぇ――?」


 手掛かりが少なすぎる。できるならもうちょっと追加して頂きたい。

 夢の中の自分に文句を言いながらも、私は一所懸命考え始めた。







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