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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第一章 始まりの森 終わりの夢
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23伝 終わった夢







 聖人は総じて生まれつき目のいい者が多い。力の強いものほど天の恩恵を受けている為、獣のように鋭くなる。生きていく上で悪くする者も当然いるが、現在よりも力の強い者が溢れていた時代には獲物を狙う猛禽類すら敵わない瞳を持つ者が多数いた。




 高い渡り廊下から地上を見下ろしたシャムスは、ごつごつとした掌を翳して町まで駆けていく三人を見下ろした。

 アラインの状態をいたずらに広めないようどうしたって説明が必要になる面子と聖騎士団長の部屋で話を済ませてきた帰りだ。そうはいっても、説明したのはもっぱらエーデルで、シャムスは茶を飲んで茶菓子をかっくらい、ついでに昼寝してぶん殴られただけだが。



 直系が途絶え、長らく不在となった帝に代わり国を治めている議会の中でも錚々たる面子が集められた。国を、引いては地上を統治する面々だ。

 当然一人ではなく部下がついている。だが、部屋の中に入れたのは呼び出された当事者だけで、部下も秘書も部屋の外で待機となった。

 それは双龍の側仕えも同じで、彼らの部下と共に外で待たされていたザズが率いる側仕えは、たんこぶを作って扉から出てきたシャムスを見るや否や、慌てるどころか『うん、知ってた』という顔で静かに頷いた。



 今は、双龍の道を妨げるものがないよう前に二人、後ろに二人、周りに四人といつも通りの配置を陣取り、すまし顔で歩いている。長く使えている側仕えではあるが、立場は弁えている面々だ。特に外では双龍の威厳を損なわないよう、決して声を荒げはしない。

 損なうも何も、威厳なんてないのになぁと欠伸をしたシャムスと同じ方向を見たエーデルも足を止めた。ザズは何も言わずとも両手を組んだまま静かに後ろに下がっていくと、壁を背に同化した。





「あいつら、大丈夫かねぇ」

「アラインが変わる良い機会でしょう。寧ろ、これ以上無いきっかけですよ」


 六花がアラインに散々引き摺られたのは、アラインが隣の人間を意識出来ていないからだ。弟子を取ったばかりの頃は、何度もトロイを置き去りにしていた。弟子側の追い縋る能力向上により、初期の悲劇は数を減らしたものの、完全に無くなってはいない。

 しかし、五日の昏睡を得て二人は馴染んでいる。出会ったばかりのただただ薄く繋げられただけの絆しか持っていなかった時とは違う。


「隣りに誰かがいるなんてこと慣れていねぇからなぁ。トロイじゃチビすぎて追いつけなかったし、六花も大変だ」

「まあ、六花にはもう少し頑張ってもらいましょう。よい子ではないですか。あのアライン相手にどのような存在が現れたのかと少々心配していましたが、杞憂だったようです」

「それな! いやぁ、笑った笑った。予想外にも程があるのが来たな」


 誰にも興味を持たず、関わらず。そうやって生きてきたアラインが、そうやってしか生かされなかったアラインが、喋り、触れている。以前のアラインを知らない六花は気付きもしないだろうけれど、アラインは変わりつつある。僅か短時間の間に、確実に。

 それが絆であると、魂の片翼を得たものの差であると、当の本人達は気付きもしない。師の変化についていくのに必死な、小さな弟子だけが大変だ。


「ま、弟分は上に振り回されるもんだしな!」

「そのうち、アラインが六花に引きずられるようになりますよ」


 アラインは六花を引きずった。圧倒的な力で振り回して影響を与えた。

 だが本来、片翼とは補い合うものだ。補い、与え合う。では、六花がアラインに与える影響はなんであるか。

 それは、六花が培った感性であり、感覚だ。

 いまアラインと六花は片翼としては浅く、しかし誰より深く繋がっている。六花の目はアラインの目であり、六花の普通はアラインの普通だ。

 六花が感じる感覚はアラインのものとなる。六花が楽しいとアラインも楽しい。仮令楽しいという感情をアラインが知らないのだとしても、六花が知っている。

 単純なことだ。単純であり、何より難しい。頑ななまでに感情の動きを排除し、されてきたアラインだ。突如として沸き上がった心の動きについていけるのかは誰にも分からない。片翼から流れ込んでくるものまで排除してしまえば、もう、誰の声も届かない。




「さて、どうなることやら」

「よりにもよって今、というのは少々気になりますが」


 流れる風で乱れてしまわぬよう、二人は髪ごと首筋を押さえた。風の通り道を邪魔しないよう作られている城なので、どこにいても風が吹く。

 隣でなびく青く長い髪は手入れが行き届いて綺麗だとは思うが、シャムスには面倒でならない。ぼさぼさでは示しがつかないとザズ達に口酸っぱく言われるものの、性に合わずがりがりと掻き毟ってしまう。本来長い髪は性に合わないのだ。せめて結びたいがそうもいかない。





「あの子達を見ていると、昔を思い出しましたよ」

「似てんだよなぁ……なーんで似てんだろうなぁ」


 世界を眺めながら微笑むエーデルに、シャムスは目を細めた。ああ、この相棒が過去を話せるようになるまで、一体どれだけの月日を要しただろうか。幾年など生ぬるい。比喩ではなく百年、二百年、それでもまだ足りなかった。


 遠い目をして外を眺める瞳は、ここを見てはいない。二人の胸の中には秘めた思い出がある。それは何処にも記録されない遠い過去だった。けれど存在した、誰も知らない物語。もう失った、優しい記憶の破片達。ああ、それなのに、何故こんなにも鮮明なのか。

 思い出そうとしなくとも、耳の奥で聞こえる声がある。



『ネーベル!』

『シュヴェーア!』


 偽りの名でさえも、彼らが呼べば真実となり。


『お前ら、また森を抜け出したな? で、逢引きの塩梅はどうだっげふっ……』

『全く、下世話なことを言うのではありませんよ』

『お前なぁ、踵落しはねぇだろ!?』

『貴方にはそれで充分です。けれど二人とも、黙って森を出るのは良くありませんよ? 心配で心配で、思わずヴェーウを蹴り殺すところでした』

『『いろいろな意味でごめんなさい』』


 小さな閉ざされた世界でも、彼らが笑えば楽園だった。


『楽しかったですか?』

『とっても。露店で二人にお土産も買ってきたのよ』

『ああ、ネーベルに似合いそうなやつを見繕ってきた』


 青く美しい羽を持つ蝶を、二人の白い手が差し出してくる。

 羽をきらめかせる小さな宝石のような蝶よりも、その時の様子を楽しそうに語る子ども達の笑顔のほうがよほど美しく。


『なあ、俺のは?』

『ヴェーウには食べ物がいいと思ったんだが、こっちがよかったか?』

『肉か!?』

『肉だよ』


 楽しそうに笑う子ども達。呼び合っていた名が子どもを含め全て偽りであったけれど、それでもかまわなかった。愛しい子ども達が己をそう呼ぶのなら、それが真実であったのだから。

 偽りで構成された世界でも、彼らを取り巻く想いは確かに真実だったのだ。


『ヴァルトが酷く拗ねていますから、後でたっぷりかまってあげてくださいね』

『『はーい』』


 子どもが呼べば世界は彩に満たされて。子どもが笑えば泣きたいくらい幸せで。永遠を信じてしまいそうになった。それが夢物語だと分かってはいたけれど。






 エーデルは静かに空を見上げた。


「三百年、ですよ」

「長かったと思うか?」

「…………さあ?」


 口角を吊り上げた表情は、確かに笑みを形作っていた。しかし、笑ってなどいないことはきっと本人が一番分かっている。

 吹き込んできた風が運んできた色の違う二枚の花びらは、宙を舞ってひらりと地に堕ちていった。掴もうと手を伸ばしても、それはするりと風に弄ばれてすり抜けていく。エーデルは口元を歪めて嘲笑した。

 ああ、まるで、愛し子を奪われたあの時のようだ。




「いい天気ですね」

「そうだな」


 見つめる先は美しく晴れ渡る青空で、さんさんと世界を照らす太陽が二つ。いつも通りの光景だ。

 だが、三百年前から生きている二人には見えている。そこに小さな歪がある事を。

 力が強い者でも気づかないほどの小さな小さな歪だ。それでも二人の眼には光を放つかのように真白く、全ての光を吸い込んだかのように真黒く、はっきりと見えていた。

 何故なら二人はそこに歪があると知っているのだ。

 人は知っていることしか知らない。知らないことは分からない。

 だが、一度知ってしまえば二度と知らない頃には戻れない。無知とは一度損なわれれば二度と戻れない楽園のようなものだ。

 二人は知ってしまった。けれど後悔はない。知ろうとして、そうして知った。

 知ったところで絶望しかなく、何一つして救えはしなかった。二人の元には虚無だけが残った。

 それでも、叶えてあげたかったのだ。子ども達のささやかで当たり前の望みを、守ってあげたかった。


 何を失っても、この命尽きても、守ってあげたかったのに。






「アライン忘れんなよー」


 がりがりと頭を掻いたシャムスと同じ苦笑を浮かべたエーデルは、袖で口元を覆った。


「忘れるも何も、初めから意識にない可能性が高いですね」

「だよなぁ。おーい、アライーン、六花は『片翼』だぞー、忘れんなよー」


 聞こえるはずのない言葉を風に流す。

 六花はアラインの片翼だ。他世界より降り立った、アラインの奇跡だ。

 片翼である以上、絶対の条件を六花は満たしていることになる。始祖の民であろうがなんだろうが、忘れてはならないことが一つあるのだ。しかし、本人がしつこく自己申告しない限り、アラインがそれに気づくことはないかもしれない。

 二人が教えることは簡単だ。それこそ、気にかけてやれよの一言で済むだろう。けれど、本人が気を回せない限り根本的には解決しない。何故なら、六花がアラインの片翼であるならば、アラインは六花の片翼なのだ。



「ま、ガキはガキらしく頑張れよー」

「そのためにも、貴方は貴方の仕事を頑張ってください」


 間延びした声援を送っていたシャムスは、うげぇと呻いた。

 皇帝亡き現在、国の一角を担っている双龍がこの式典で集まってくる世界の中心人物達の前に出ないわけにはいかない。こればかりは何百年経とうと慣れないものは慣れず、嫌いなものは嫌いなのだ。正装なんて肩と首が凝るばかりで何が楽しいものやら。

 シャムスは、肺が空っぽになるほど長い溜息を吐いた。


「しゃーねぇなぁ……ガキ共がガキらしいこと悩めるためにも、面倒なことは俺らがやるっきゃねぇなぁ。俺は見世物だの茶ぁだのは苦手なんだがなぁ」

「今更貴方に礼儀作法など誰も求めてはいませんよ。要は寝なければよいのです」

「それが一番難しいんだよ」


 豪快に笑うシャムスに、にこりと優しげな笑顔が向けられた。


「眠りそうになれば、机の下で蹴り上げて差し上げますよ」

「おいやめろ」

「刺さないだけマシだと思ってください」

「おいやめろ……やめろよ!? 何で暗器出した!?」


 二人は歪から視線を剥がして歩き始めた。壁と同化していた側仕え達は何の指示がなくとも静かに散開し、ここに来るまでと同じ位置に戻っていた。

 三百年間国の顔であり続ける双龍へ無礼を働くものは許さない。ただ歩を進めるだけの歩み一歩ですら邪魔を許すつもりはないと言わんばかりに、前後左右に気を巡らせて人を払う。





 ゴミ一つ見逃さないザズ達が作り出した静かな道を、双龍は今日も歩く。

 しかし、今日は珍しく、ザズが控えめに口を開いた。


「…………恐れながら、問いを一つ御許し頂けますか」


 貴賤を気にすることなく気さくで知られる二人だ。生きる伝説として周囲はどうしたって畏まるが、敬語を外して喋った所で怒るような性格ではない。それを分かっているはずなのに、いつまで経ってもお堅いなぁとシャムスは頭を掻いた。


「おう、何だ?」


 いつも通りにかっと笑ったシャムスに、ザズ達は少しほっとしたように表情を緩める。しかし、皆同じように緊張した面持ちは残っていた。

 何人もいる側付全ての気持ちを、ザズが代弁する。


「城を去る等ということは……ただの、戯言でございますよね?」


 震える声音で、堪えきれずにザズの一歩が踏み出された。まだ夏には遠くも春は過ぎた温かな風が吹く季節であったにも拘らず、真っ青な顔色でかちりと歯を鳴らす。


「エリシュオン皇帝陛下崩御から三百年。陛下不在のシャイルンを、闇人に侵されることなく、人間共をつけ上がらせることもなく、三百年間成り立たせてくださった。その貴方様方が去る等ということになれば、大戦後の混乱が再来する事態と相成ります。どうか、どうか御考え直しくださいませ! 聖人は唯一にして絶対の我らが父、神によって地上を統治する任を授かった種族。闇人への敗北も、人間からの支配も、在ってはならぬ事です!」



 ここは聖人の国、シャイルン。

 地上を統治する種族が治める国。

 全ての命の頂点に立つ種族が一つ、それが聖人だ。

 決して揺るぐわけにはいかなかった。





 同じように王帝を失った後、地底に篭った闇人とは違う。いつの間にか数を増やした人間の国ごと地上を統治し、地上の命全ての上に立ち続けたのだと。

 そうザズ達は言う。何一つとして疑わず、全て真実だと信じ切った瞳で。

 月影は地底よりも更に深い場所から染み出してくる魔物を抑制し、地底を治めている。王帝を失うという、歴史上有り得るはずのなかった事態の中、聖人と変わらぬ苦労があっただろう。


 長い長い、気の遠くなるような歴史上、帝が不在となることなどなかった。闇人は聖人よりも在位の期間が早く回っていたとはいえ、両種族とも常に帝を掲げてきた。

 だからこそ、三百年前の、正確には三百十数年前の事態は狂いだと誰もが言う。

 神によって定められていた帝から地位を奪い取り、その椅子から蹴落とした二人。


 エリシュオン皇帝の実兄であり、当時の第二皇子。

 キルシェ王帝の実姉であり、当時の第一王女。


 彼、彼女は、恐ろしいほど狡猾であり、優秀だった。両種族の現在と変わらぬ忠誠心が、現在よりも強固な人間達からの信心が、それらが合って尚、偽りとはいえ帝の地位に立つことができてしまうほどに。

 残忍で、狡猾で、おぞましい欲を持った歴代最悪の偽帝は、歴代最高の帝となった二人の兄姉だった。彼らが同じ時代に生まれてしまったこともまた、きっと歪であったのだ。


 創生史上最大の混乱を極めた時代の事は、記憶として語り継がれている。実際に記憶として持つのは寿命を失ったシャムス達のような存在しかいなくとも、あの、絶望だけが世界を覆った時代は全ての命の根幹に恐怖を齎したのだ。




「大丈夫ですよ、ザズ」


 暖かな日差しを受けながらかたかたと震える側仕え達に、エーデルはいつもの穏やかな笑顔を向けた。


「私達は、二帝の意思を違えることなど決してありませんよ」


 ほっと力を抜いたザズの首に太い腕がぐるりと回ると、相手の都合を一切考慮しない動きで引き寄せられる。丸太のように太く、岩のように硬い拳に抑え込まれたザズは、無礼を承知で必死に腕を叩く。締まっている。凄く、締まっている。


「爺の戯言(たわごと)戯れ言譫わ言にいちいち振り回されてちゃ疲れるだろ? ま、気楽に行こうぜ!」

「お、恐れ、ながら、しまっ、しまって、しまっておりま………………」

「あ? …………やべ、落ちた」

 

 ぐたっと頽れたザズを、同僚達が慌てて支える。

 大分手加減したつもりなんだがなぁと頬を掻き、すぐにまあいいかと立ち直ったシャムスはにかりと笑った。


「よし! 寝るか!」

「仕事の続きですよ、馬鹿野郎」

「だっはっはっはっ!」

「まったく……」


 豪快な笑い声を上げて、シャムスはエーデルの背中を叩きながら歩きはじめる。いつまでもここにいるつもりはないエーデルも肩を竦めながら歩を進めた。気さくで、別段口数が少ないわけでも、人と話すことが億劫なわけでもない二人だ。


 けれど二人は口を噤む。伝える必要のないことを伝える意味はないのだ。

 仮令、それが真実であったとしても。





 世界なんてものは犠牲で回っている。

 それを犠牲と名付けなかっただけで、世界はずっとそうやって回ってきたのだ。






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