21伝 はじめての紅瞳
聖人と闇人の間に同盟が組まれて三百年。
今尚蟠り続ける両者だったが、それでも関わりができれば変化も生まれる。本当に少数、三百年間で百人にも満たぬ数ではあったが、両者の血を引く子どもが生まれ始めた。
それは奇跡だった。
聖人と闇人は運命を違えるものとして神が定めた生き物だ。双方の血を引く生き物など本来ならば生まれるはずがなかった。
人間は驚いた。聖人は驚いた。闇人は驚いた。教会は驚いた。
驚き、戦慄き、肌を掻き毟るほどに厭悪した。
奇跡の末に生まれた子ども達は、『忌み子』と呼ばれた。
闇人の血を引いた、忌まわしい子ども。
聖人の血を引いた、忌み嫌われる子。
どちらからも弾かれて、どちらからも厭われる。
それでも、数が増えていれば少しはましだったのだろう。それらが決して物珍しい存在ではなく、あちらでもこちらでも見かけるように爆発的に増えていき、やがては普通となっていく流れを辿れていたのなら、いつかは歴史で語られるだけの過去となっていたはずだ。
けれど、数は一向に増えず、差別の先は集中していった。人は、大多数を正義と見なす生き物だから余計にだ。
子どもは生まれ、膿まれ、疎まれた。
『忌み子は生き物にあらず』
そう叫ぶ者すらいた。そう叫ぶ者を咎めぬ者は数多いた。
忌み子は摂理に反する。神の怒りに触れる。
ならば殺そう。
そう叫ぶ者が、数多いた。
子どもが殺されなかったのは、双龍が断じて許さなかったからだ。滅多に城から出てこない双龍が城を出て、世界中を駆けずり回った。闇人の城にまで足を運び、時に声を荒げてまで阻止した。
終いには己の首に、胸に、刃を突きつけた。まるで荷を担ぐかのような動作で無造作に、抜き身の刃を首へ、まるで本を読むかのようなのんびりとした動作で柔らかに、刃先を心の臓の上へ、ぴたりと突きつけた。
『俺らと一緒に崩壊する気なら』
『地獄の底までお付き合い致しますよ』
神によって寿命を排除された存在を害するは、それこそ神の怒りに触れる。彼らは世界の存続に必要だからと生かされた命だ。それを害すはそのまま世界の崩壊へと繋がりかねない。
そうして騒動は収拾し、子どもが殺されることはなくなった。
表立っては、と、つくことを、双龍自身も知っていた。
双龍の力をもってしても、ただそれだけの権利しか与えてやれなかった亀裂は、三百年経った今も埋まっていない。
その内の一人が、淡々と話しながら私の胸で揺れる。
馬はゆっくりと歩かせていた。馬を走らせるとアラインの小さな声が聞き取れないし、私は二人乗りに慣れていないのだ。正確には三人だけど、馬を操る上での人数に今のアラインは数えないことにしている。
ぼっくぼっくとのんびりした振動に揺られながら、静かな声に耳を傾けた。
闇人は欲に忠実な生き物といわれている。その所為か、皇よりも王の代替わりが早い。最後の皇帝エリシュオンよりも最後の王帝キルシェのほうが継いだ代が多いのはその為である。
地上に生きる生物は闇人を嫌悪する。それが世の摂理だと教会は言う。
闇人は終わりを司る生き物だ。命にとっての終わりとは死である。つまり、死を司る生き物だ。死を司り、死を背負い、死を齎す命が闇人という生き物だ。
自らの終わりを司る生き物をどうして慕えよう。恋しい人を奪い去る存在をどうして望めよう。
死は禍であった。終わりは災であった。
始まりとは幸であった。生は慶であった。
幸の生き物と災の生き物の交わりを、神は禁じた。
唯一にして絶対の神がそう定めたのだからと、教会も人も聖人も、闇人も言う。闇人もまた、聖人とは相容れぬものだと彼らを憎悪する。神がそう定め、数え切れぬ年月殺し合ってきた。帝の不在によって世界が壊れかけさえしなければ、今尚、天への帰属権を懸けて滅ぼし合っていただろう相手なのだ。
そんな種族の間に生まれた子どもを、教会は決して許さない。神の定めに反したものとして断罪する。生まれ落ちたその瞬間より罪人として糾弾した。隙あらば殺そうとするほどだ。
中でも、アラインは異質だった。ただでさえ力が強いといわれる『忌み子』の中でも群を抜いた力を持って生まれた。先祖返りした力を持つ、史上最年少の聖騎士であり、地上で唯一紅瞳を持つ生き物だ。
紅い瞳は闇人にしか生まれない。血の色だと忌み嫌われるその色をもった子どもが天に近い地上で生まれた。
初めて。
生まれてしまったのだ。
闇が地底から染みだしてきたと聖人は戦慄き、人間は慄き、教会は憤怒した。
アライン・ザームという子どもは、少年は、青年は、健在でなければならないのだ。
健在でなければ殺す隙を与えてしまう。だから、最年少で聖騎士となった。神に仕える教会は、神に最も近しい種族である聖人を神の次に敬う。終わりを齎す存在だと距離を取りたがる闇人さえ人間の上位に定めるほど、教会の神への忠誠は絶対だ。
その聖人の国シャイルンが認めた聖騎士に牙を剥くわけにはいかない。少なくとも表立っては。
そうして誰からも遠巻きにされてきたアライン・ザームという子どもが、人々の中に周知され、決定づけられる事件が起こった。
それはまだアラインがトロイよりも幼かった頃だ。騎士見習い一期生の演習が【エグザム】という集団に襲われたのである。
エグザムとは、古い言葉で追放者を指す。
楽園追放者は、神に対する反逆者だった。
自らの運命を呪い、神を憎む重罪人だ。その中にアラインのような『忌み子』と呼ばれる者が多かったのも、彼らが毛嫌いされる原因の一つとなっている。
エグザムだから厭われるのか、厭われるからエグザムとなるのか。その答えを口に出すものはいない。
エグザムは、絶対神が統治するこの地上に置いて、忌み子以上にあってはならない存在だった。
しかも、エグザムを率いる男は得体が知れないことで有名だ。
エグザムという集団が現れたのは、二百年以上前のことである。しかし、その頭領は変わっていない。常に仮面を身に着けているため、顔も分からない。だが、現在ではとうに失われた古術を自らの手足のように扱える者が、次から次へと現れるわけがない。エグザムの頭領は代替わりしていないのだ。同じ人物が二百年間罪人達を率いている。
森の奥を思わせる深緑色の髪に、女物の着物を羽織る異様な男が、エグザムの頭領だ。
彼もまた、寿命を失った者なのだろうといわれている。しかし、神によって寿命を失った者が神を憎むなどと、人々は認めたくはなかった。あってはならない事だからだ。そして、寿命を失った者は全て教会の名簿に記されているはずなのに、この男の名はどこにも存在しないのだ。
エグザムは、全ての人種に分け隔てない。聖人だから優遇したり、闇人だから嫌悪したり、人間だからと蔑んだりしないのだ。
何一つ差をつけず、全て殺し尽くす。聖人も闇人も、人間すらも許さない。
そのエグザムが、聖人の子どもが集まっている場所を襲撃した。師弟が揃っているならまだしも、学院としての実習。その場にいる大人は教師しかいなかった。まさか、子どもの演習に対して、エグザムが百人を超す規模で襲撃を仕掛けてくるとは誰が思うだろう。
教師達は真っ先に殺された。
残ったのは、親元離れたばかりの、六歳の子ども達。
まさか、負けるなどと誰が思おう。
エグザムが一人残らず殺されるなどと、誰が予想できよう。
教師の一人が最期の力を振り絞って放った要請により駆けつけた聖騎士達が見たものは、団子のように固まって震える一期生達だった。その視線の先。助けが来ても凍りついたかのように視線を外せずにいた先にある、どす黒い池。
所々焼け焦げ、かつては人の姿をしていたはずの数多の肉塊の中で、池と同じ色に全身を染め上げた紅い瞳の少年がいた。
幼い子ども達の中でも一番年下の、五歳の子どもだった。
そこに怒りはなかった。恐怖も、憎悪も、生への渇望すら見出せない瞳。まるで土くれのように肉塊を踏みつけ、汚れた剣を拭っている子どもに、誰かがぽつりと呟いた。
これは鬼だ、と。
その少年が、後に紅鬼と呼ばれ続けることとなる、アライン・ザームだった。
土と草の匂いをはらんだ風が髪の間を通り抜けていく。
私達がのんびり進んでいる道は、お城から城下町までの間にぽかりと広がる大きな野原だった。
一つの町のように大きな城。その城から更に一つの町が入ってしまいそうな大きな空間がある。ここは湿地帯だ。攻められた時、この地が最終防衛線となる。三百年前までは実際にこの場所で血が流されていた。防衛線を食い破り、破られ、血を血で贖い、命を憎悪で贖い、二つの種族は戦い続けたのだ。
塹壕の跡があちこちに残るも、今は穏やかに風が吹き抜けるその場所をゆっくりと進む。お城までの道はこれ一本じゃないけれど、擦れ違う人は少なくない。
牧歌的な雰囲気のそこを誰もが穏やかに通り過ぎていく。中には急いでいる人もいたけど、すれ違う際には僅かに速度を落として軽く手を上げていく。のんびりと擦れ違う馬車の御者が頭を下げ、私も小さく会釈する。
礼儀正しく美しい人々だ。丈の合わない男物の服を強引に折り曲げて着ている珍妙な恰好をしている私にも、当たり前のように礼を返してくれた。
彼らもまた顔を歪めるのだろうか。胸元を見下ろす。
『忌み子』
この苺ジャム色の美しい瞳をした人に、そう吐き捨てるのだろうか。
「…………ん? でもちょっと待って? なんで怖がられるの?」
合いの子であるアラインが嫌悪されてきた、という事態は理解した。だけど怖がられる理由が分からない。
アラインは服の中で眉を寄せた。
「お前は人の話を聞いていたのか」
「聞いてた、聞いてました。いや、その、まあ、アラインが子どもの頃から強かったって言うのは分かったんだけど……あれだけ今でも闇人が闇人がって言ってるくらい戦ってた相手との子どもを怖がったらまずいんじゃないの?」
聖人と闇人は、長い時を決して相容れないと戦ってきた相手だ。同盟して尚、蟠り続ける相手を怖がるのは、矜持が許さないということはないのだろうか。お前なんかこわくないもんねーだ! くらいはいわないといけない所ではないのか。
無い頭から転がり出てきた疑問にも、抑揚のない声は答えてくれた。
「在りえるはずのない、自分達と姿形の似た生き物を恐れるのは、命の本能として当たり前のことだ。終わりが混ざっているなら尚更だ。命とは本質的に終わりを恐れる。命にとっての終わりとは即ち死だ。本来、歪な形として生まれた生き物に近寄るお前達がおかしいんだ」
淡々と自分を歪みだと言い切る。それが十七年間生きてきたアラインの結論なのだ。でも、納得できない者もいる。その筆頭である弟子は、不満をありありと浮かべた。
「…………僕はおかしくありませんし、師匠は歪みなんかじゃありません」
私も、はいっと挙手して発言を求める。誰もどうぞと言ってくれないから勝手に発言を始めた。
「私も、お前おかしくね!? って言われたら、おかしくないよって言い返せないくらい馬鹿な自信は多大にあるけど、アラインは別に怖くないよ」
「…………片翼だからだろう」
「馬鹿だからの可能性も無きにしもあらずっていうか多大にあるかな」
「お前はおかしい」
「どっちの意味で?」
トロイは無言で私の服をぎゅっと握りしめた。小さな掌が生地の厚い服に皺を作る。爪先が白くなるくらいぎゅぅっと握りしめた手を、ぽんっと叩く。本当ならアラインにしがみつきたかったのかな。中身が私でごめんね。服はアラインのだから許してください。
ボタンを留めずに開けた襟元から視線を落とす。走らせてはいない馬でもアラインからすれば世界が揺れるほどの振動が来るはずだ。けれど危なげなく首飾りに収まっている姿を見ると、私を散々振り回した力も必要だったんだなぁと何だか感慨深い。
冷静になればどこをどうとっても感慨深く感じる場所ではなかったし、力は必要でも怪我する必要は皆無だった。
そこまで思い至る前に、見上げてきたアラインが言葉を続けたから、私がその結論に至ることはなかった。
平らに均された道より、大理石の柱より、凹凸のない声が私に話しかける。かといってなだらかというには少し違う。冷たいというのも当てはまらない。何もないのだ。冷たさもそうであろうとする意思も何も感じない。何もない、何も篭らない声だ。
「当然お前にも余波が飛ぶ」
「うん分かったぁ」
それに対し、凸凹しかない声を返す。平らに均すなんてそんな器用な真似できない。
「…………それだけか?」
つられるようにアラインの声にも少し凹凸が生まれた。そこに僅かな困惑があって首を傾げる。私、変な受け答えしたかな。
「え? 分かりました?」
「…………違う」
「承知致しました?」
「違う」
少し考える。心なしか馬さえも息を殺しているかのような沈黙が落ちた。
一拍置いて、ようやく思い至った答えにぱっと顔を上げる。
「分かったぜ!」
正解に違いないと自信満々に放った言葉に返ったのは沈黙だった。トロイさえ黙っている。馬は深いため息をついた。……偶然って言ってください。
何だ、何を間違った。必死に考える。他に出てきたのは、理解したぜ、承りました、了解したでござる、分かりましたわ、くらいだ。
いや、待て、ここは単純に『はい』で行くべきだったのか。
ようやく真理に辿りついた。すっきりとした気分で息を吸う。ここは、今までの間違いを払拭すべく、軽快に元気よく爽快さを籠めて答えを披露する必要があるだろう。
全開の笑顔で口を開く。
「…………お前、本当に馬鹿だったのか」
「はいっ!」
まさか途中に言葉を挟まれるとは思いもよらず。
軽快に元気よく爽快に、満面の笑顔で馬鹿を肯定してしまうことになるとは、もっと思いもよらなかったのである。