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神様は、なんか私にも手厳しい!  作者: 守野伊音
第一章 始まりの森 終わりの夢
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20伝 終わらない自己紹介







 黙々と食事を終えたアラインは、掌を私で拭いて軽く肩を回す。これだけ小さければ食事も一苦労だろう。

 アラインは、食べ終わった食器を籠に重ねていたトロイを呼ぶ。


「トロイ」

「はい、師匠」


 ぱっと居住まいを正す姿は流石師弟だ。声を張り上げた訳ではない小人の声に、弾かれたように反応を返す。


「出るぞ。馬を」

「はい」


 端的な用件だけの指示を聞き返すことなく、トロイは立ち上がる。ぱたぱたと走り出して、あっと声を上げてくるりと振り向いた。


「あ、六花さん馬乗れますか?」

「乗れるけど、この前乗ったあんなおっきいのとか、暴れ馬は無理だよ」

「あれは僕も師匠がいないと無理です。じゃあ、ちょっと小さいの二人で乗りましょう」


 私があっという間もなく、食器を纏めた籠を掴んで部屋を出ていってしまう。食器は食堂に返すのだそうだ。

 あんなに小さいのに、よく気の付く働き者だ。


「おい」

「六花です」


 よく気の付く子どもの師匠は、人をおい呼ばわりしてくる。私の名前はおいじゃない。六花だ。

 いつかは老いるだろうけどまだ老いていないし、甥でもないし、負い目もない。……初対面で押し潰したのは申し訳なかったと思っている。

 でも、それとこれと話は別だ。


「先に」

「六花です」

「門に」

「六花です」

「回るぞ」

「六花です」


 頑なに呼ばないのは訳でもあるのか、単に面倒なのか。言いづらいということはないはずだ。だってトロイは平気で呼んでいるし、闇人の国月影には母の国と似た文字があると聞いた。

 この世界の文字は面白い。私の世界の文字とお母さんの世界の文字が混ざっているみたいな感じだ。といっても、形を見ただけだから正確なところは分からない。何故か読めるので、ちゃんと勉強して覚えたわけじゃなくて、全然理解できていないからだ。


「六花です。終わらない自己紹介をお望みなら、その勝負受けて立った!」

「六花、行くぞ」

「あ、はい」


 直前までの無視っぷりはどこへやら。さらっと呼んできた。終わらない自己紹介への意気込みはどこに行けばいいのか。


 行き場のなくなった握り拳をしょんぼりと解き、揃えた両手をアラインの前に差し出した。首飾りまで運搬しようとした手に足を掛けたアラインは、そのまま腕を上っていき自力で首飾りの定位置へと滑り込んだ。差し出した手をただの梯子扱いされた私は、虚しさを噛み締めて服の上からアラインを潰した。







 正門とは建物の顔である。そして城とは国の顔。つまり、城の正門はその国の顔でもあるのだ。


 天を貫くような建物に負けず劣らず横にも縦にも幅がある巨大な門を見た時、ただの大街道だと思った。その左右に門が収容されていてぎょっとした。この距離を閉ざすことを、果たして普通に閉門と呼んでいいのだろうか。街道封鎖くらいの規模じゃないのかな。


 巨大な城をぐるりと囲む塀は、私が知っている平面の壁じゃない。卵の殻を思わせる材質不明の巨大な円塀の中に、ぐわりと咢を開いたような門があった。門の端から端まで走れば確実に息が切れる。

 全開に開かれているそれは、有事の際には何重にも閉じられるらしい。蛇腹のように折り畳まれた門が閉じられていく様は圧巻だろう。見たい気もするけど、あの門が閉じられるのは有事の際なので、見たいと望むのは不謹慎かもしれない。




「おっきいねぇ」

「戦争になればすべて閉じる」

「全部?」

「天まで」

「範囲そこまで含むの!?」


 確かに全てだ。大袈裟でも言葉のあやでもなく、まごうことなく全てだ。

 真下から巨大な門を見上げたかったけれど、私が進む先はそっちじゃない。通路なのか広間なのか物置なのか踊り場なのか、用途が分からない巨大な空間の天井を眺めながら足を進める。

 天井は幾重にも張り巡らされた梁に様々な模様を形作った色ガラスが組み合わされ、どこからともなく太陽の光を集めていて美しい。


 揺れる青色の光が足元を照らす。水の中にいるみたいだ。

 さざめく緑色の光が掌を横切り、野原にいるようだ。

 七色の光がくるくると降り注いでくる様は、まるで夢の中にいるようだった。


 ずっと見ていたかったけれど、上ばかり向いて歩くと転んでしまうかもしれない。自分が痛いだけなら自業自得だ。でも、今はアラインがいる。アラインを潰してしまったらごめんでは済まされない。

 ちょっと名残惜しかったけど、早々に天井から視線を外し、掌で胸元を覆った。



 目指すは西門だ。大きな式典が開催される城は今、大変忙しい。正門もひっきりなしに馬車や馬が出入りしている状態だ。だから、城の関係者は急いでいないのならあえて正門を使わず裏から出てねという通達が出ているらしい。

 困ったときはお互い様。物事が円満潤滑に進むのなら、ちょっとくらいの労力を惜しむ理由もない。ぶうこら文句を言って、自分も相手も要らぬ気苦労を背負う必要はないのだ。




 太陽は二つとも燦々と輝き、陽気でぽかぽか温かい。どこからかふんわり流れてくる不思議な香りは、甘すぎず、また刺激的でもなく心地よくてほっとする。文化文明の違いは仕方がないとしても、味付けと香りの好みが合わないとなかなかつらいものがある。その点、この世界と私の故郷は似通っているようで一安心だ。


 周囲の反応は相変わらずぎょっとして、嫌な物で見たかのように顔を顰められるけれど、いい天気なのでまあいいやと鼻歌を流す。最初は鼻歌だったのに、そのうち乗ってきた。流石に城で大声出して熱唱する不届き者ではないから、風に流されそうなくらい小さな声だったけれど。



 これは母がよく歌っていた歌だ。洗濯物を干しながら、ことこと歌う鍋を見守りながら、庭で父に遊んでもらっている私達を眺めながら。

 知らない言葉で、珍しい旋律を楽しげに歌う母をずっと見上げてきた。


 見上げた母の黒髪と同じ色をした髪が揺れる。ああ、しまった、結んでおけばよかった。

 背後から駆け抜けていった風で暴れた髪に視界を遮られる。服の隙間から前方を見ているアラインの視界を遮るのも悪いので、適当に纏めて後ろに流す。纏めたといっても結ぶ物がないのですぐに解けてしまうけれど。

 結べない髪を意味もなく捩じり、意味の分からない歌を適当に歌う。母も歌う度に歌詞が変わっていた。適当でいいのだ適当でと言われた通り、好きな部分を繰り返していると、ぽつりと、雨の降り始めのような静けさで言葉が昇ってきた。


「…………それは、お前の故郷の歌か?」


 他の音に紛れそうな小さな音をどうしてトロイは聞き分けられるのだろうと不思議だったけれど、成程と納得する。きちんと聞けばよく通る心地よい声だ。それが相手に届けようと意思を持てば、他の雑音をすり抜けてすんなり耳に届く。他を掻き消すような乱暴さも、弾き飛ばすような強引さもない、他の音の隙間を縫って届いた声に視線を向ける。


 アラインから世間話のようなことを質問されたのは初めてじゃないだろうか。少し驚いた。


「あ、うん……えーと」

「言えない事なら別にいい」


 肯定してから、いや違うかと思い直して言い淀んだのをどうとったのか、ぶつりと会話を切られた。せっかくアラインから与えられた機会を無駄にしてなるものかと、ぱたぱたと手を振って否定を示す。


「違う違う。お母さんの故郷の歌だから、私の故郷の曲ではないなぁって。ちなみに私も何言ってるのか分かんない。けど、お母さんがよく歌ってたから覚えちゃった」

「始祖の世界の歌か?」


 まずその始祖のなんちゃらかんちゃらが今一理解できていないので、肯定も否定もできない。その辺りは曖昧に返事を返す。アラインも突っ込んでこなかったから助かる。


「うーん……たぶん。お母さんは『曲名忘れたけどじぇーぽっぷ!』って言ってた」

「じぇーぽっぷ」

「うん、なんか曲調の種類? なのかな? 何かそんな感じって言ってた」


 じぇーぽっぷだか、じぇいぷっぽだかの歌を、母はよく歌っていた。おるこんちあーと一番とか、だるんろーど数一位とか、よく分からない情報も追加してくれたものだ。

 母自身もうろ覚えで好きな場所を繰り返し歌っていたので、既に原型をとどめていない可能性もある。けれど珍しい旋律が好みで、新しい曲を歌っている度にもっと歌ってとせがんだものだ。


「好きな感じ? じゃあいっぱい歌う!」


 音楽の趣味が合うのなら、これを機にぐっと親密になってやる。そして、目指せ友達一人目!

 意気込んだ私に、アラインは淡々と言った。


「うるさい」

「あ、はい」


 目指せ友達一人目大作戦は中止と相成った。

 うるさいならば仕方がないとしょんぼり黙り込んで歩き始めると、ぽつりと追加された。


「…………歌はうるさくない」

「はぁいっ!」

「お前はうるさい」

「あ、はい」


 どうもすみません。






 通行人にぎょっとされながら西門へとたどり着き、門番にぎょっとされながらトロイを待ち、入れ違う人々にぎょっとされながら馬の手綱を握る。

 色は薄紫で長い鬣が美しく、アラインが連れていた馬より一回り以上小さい。この馬の手綱なら私でも扱えそうだ。暴れなければだけど。


 また一人、通りすがりの誰かさんがぎょっとした。師弟は特に気にした風もないことから、これが日常なんだろうと分かる。ひそひそと流れてくる嫌悪感を隠そうともしない言葉達。

 これはきっと、慣れてはいけないものだ。けれど、慣れぬまま過ごすにはあまりに数が多すぎる。こんな数を受けてたら色々と保たないと、この環境になって日が浅い私でも分かった。真っ向から受けたら空気のように散って手ごたえがないのに、向こうからは毒ガスのように痛めつけてくる。

 



 全部振り払えぬものかと両腕を振り上げる。こっちを見てひそひそと言っていた面々がぎょっとした。固まってしまった肩を解そうと腕を回す。ぎょっとされた。首も回す。ぎょっとされた。荒ぶる巨鳥のポーズをする。ぽかんとされた。そこは統一してぎょっとして頂きたかった。

 不満をあらわに羽ばたいてみる。ぎょっとされた。今までのぎょっととは違い、羽ばたいた私の奇行に驚いたという納得いく理由だったので、概ね満足だ。


「……六花さん、何やってるんですか?」

「なんかだんだん面白くなってきたんだけど……そんなに驚かなくてもいいんじゃないかな!」


 しかし、隣からも同じ視線を向けられていたのは予想外だった。





 今日はそこそこ暖かいし、長旅でもないのだろう。トロイはマントを裏返して止め直した。今まで表にしていた面に施されていた羽をもじったような模様が騎士団に所属している者の証だそうだ。だから、普通の用事で出るときはこうやって裏返してしまうのだという。


 逆に私はマントを外して外套を羽織っている。アラインのマントだと丈が長すぎる上に重い。外套のほうがまだましだ。たくし上げても一つの留め具では足りず、肩飾りにもひっかける。

 どう足掻いても不恰好なのは変わらない。それでもせめて少しはましにしようと、折り目を整えてみる。くるりと一周回ってトロイに確認してもらったのでそこまでおかしなことはないだろう。

 服の文化が似ていてよかった。扱いにも困らないし、母の故郷のように、この手の外套を扱ったことがないという文化だとこんな所でも違いを感じて疲れてしまったかもしれない。



 それにしても、アラインの服の全体の黒っぽさはどうにかならないものか。あちこちではためいているシャイルンの国旗は、白に水色。騎士達の制服もその色だという。式典ともなると、正装の騎士と聖騎士がずらりと並び、それは圧巻だと聞く。


 月影国が黒に赤、教会が紫に金、人間の国はこれ以外の色を使うと聞いた。

 趣味は人それぞれだし私服をとやかく言うつもりないけど、上から下まで黒っぽいとまるで喪服のようだ。更に私は髪が黒いから全身真っ黒になってしまう。父譲りの水色の瞳だけが救いだ。




「アライン、黒好きなの?」


 だったらこの黒髪も好きだろうか。少しでも好みの箇所があればそれをきっかけに是非とも友達への足掛かりへと。


「返り血が目立たない」

「おぉう……」


 話題を変えよう。

 私は気持ちと話題をくるりと切り替えた。

 側で暇そうに鼻息を慣らしている馬にちらりと視線をやる。薄青色した鬣の長い馬は、行きに見た馬より二回り以上小さくて、外見はともかく大きさは見慣れた馬によく似ていた。このくらいなら一人で手綱を扱えそうだ。気性が荒くなければなおよし。


「六花さん、前と後ろどっちがいいですか?」

「後ろ……前で!」


 二人で乗るのなら、トロイを前にして私が後ろから抱えようかと思ったけど、それだとアラインが潰れて大惨事だと考え直した。

 答えながら先に跨る。そして、少し前に詰めて後ろをぺちぺちと叩く。馬は大人しく、それしきの刺激では鼻息一つ吹かなかった。いい子。そのままいてね。


「私の馬じゃないけど、どうぞ」

「お邪魔します」


 トロイはひょいっと身軽な動作でよじ登る。飛び乗るにはいささか色んな長さが足りなかったようだ。後ろに跨った手が彷徨ったから、前を向いたまま手探りで小さな手を探して握る。そのままお腹の前に回して、組まれた小さな手をぽんぽんと叩く。


「胸以外ならどこでも掴んでて。行くよー」

「そ、そんなところ触りません!」


 私は、真面目な顔でうんと頷くと少し声量を下げた。


「アラインが潰れるから」

「お願いですからそれ以外の理由で断わってください!」








 真っ赤な顔をして怒るトロイの後ろから、ひそひそと途切れない嫌悪が流れてくる。どこまでも追いかけてくる視線も、言葉も、トロイにとってはありふれたものだった。雨音よりも日常的で、当たり前のものだ。師にとってもそうだろう。捨て子である自分よりもよほどこの声と言葉の渦中で生きてきた人だ。挨拶より身近で、世間話より馴染み深い。


 だが、六花は違う。

 慣れた自分でも未だ聞き流せないことがあるくらいだ。それを、慣れていない人が、この世界にだって慣れていない人が、曝されて平気でいられるだろうか。


 アラインと一緒にいる以上避けては通れぬことだ。だから師は道中説明するつもりなのだろう。けれど、トロイは不安でならない。何も知らないから六花はこうして親しげにしてくれるのだ。何も知らないから、トロイのことを呼んでくれる。師に気楽に接してくれる。

 知ったら、もう、笑ってくれなくなるかもしれない。


 みんなそうだった。何も知らないなら、親切な人はたくさんいた。優しい人も、穏やかな人も、気のいい人も、その辺に溢れ返っていた。


 なのに、トロイの出自を知れば途端に色がつく。可哀相にと憐れみが、自分とは違う異質な何かへの躊躇いが、これが自分じゃなくてよかったとの安堵が、どうしたって付きまとった。今迄通りの色で見てくれたらいいのに、色ガラスが嵌められて全てを遮る。そこからしか話さない、その色しか見ない。

 その瞬間から、トロイは誰よりも遠い位置に置かれるのだ。

 師にしたって、一度その瞳に気付けば誰もが掌を返した。まるで醜悪な何かと同じ空間にいるといわんばかりに眉を顰め、さっきまで優しく揺れていた光を裏返す。

 うんざりする段階さえ通り過ぎ、曝され続けたその場所に、この人が立った時どういう反応を示すのか。トロイには見当もつかなかった。



 風に乗って聞こえてくる悪意が聞こえていないはずもないその人は、手綱の加減を確かめている。そろりと表情を窺うと小さな鼻歌が聞こえた。次第に歌詞も流れ出す。


「お馬さんに乗ると~」


 最初は小さな音だったのに、興に乗ってきたのか音量が跳ねあがる。


「贅肉が~、揺れるのよ~」

「え!?」

「贅肉は~、贅沢なお肉なの~」


 珍妙な歌詞を熱唱する六花は、突如きりりと顔を引き締めて勢いよく後ろを振り向いた。


「でも!」


 その迫力に気おされたトロイは、ごくりとつば飲みこんだ。


「食べられない!」

「当たり前です!」


 即興のどうでもいい歌を熱唱しながら遠ざかる馬を、人々はいつまでも見送った。彼らの瞳に移る色は、すべて同じ色だった。言葉に例えるならば、そう、それは。

 ぽかんだ。







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