12伝 はじめての秘密
無言の攻防を繰り広げていると、エーデルさんは長い指を自分の顎に当てた。
「その状況で若干という所が凄いですね」
「アラインがちょっとだけお父さんに似てるような似てないような気がしないでもない感じなので、ちょっとだけ甘くなります。ちょっとだけ」
「お父君と似ているのですか?」
「アラインをちょっとお茶目にして、お母さんと一緒にいたらよく笑ってる感じだと似てます」
「それはもう別物ですね」
そうとも言う。でも、髪の感じが似ている気がするのだ。この直毛ではないので伸びると柔めの流れを作るも表現するならばやっぱり直毛な感じが。
「いいですか、六花。貴女は秘さねばなりません」
さらっと流された。優し気であり、気遣わし気でありながらも、雑談にこれ以上の時間を割くつもりはないようだ。
父母の友人に囲まれて育ったから、大人との関わり方には慣れてるほうだと思う。我を通していい時といけない時の区別はつけられる。ここを越えれば怒られるとの判断をつけられるくらいには長女であり、上から二番目であり、弟妹を持つ姉、の、つもりだ。
ここは大人しく話を聞こうと居住まいを正す。
秘すとは何をだろうと訝しがりながらも、身体の力はちょっと抜けた。
私はこの世界に来てすぐに眠ってしまった。だから、この世界に齎したものは酷く少ない。同時にこの世界が私に齎したものも。秘せというのなら、話さなければいい。相手を騙せと言われると難しくても、それ自体を喋らなければばれることはないはずだ。
そう簡単に考えた十五歳の世間知らずに、エーデルさんは穏やかな笑顔を返した。
「アラインの状態を、決して、誰にも、知られてはなりません」
予想外の言葉に理解が追いつかない。私が何も言えないでいると、エーデルさんは畳み掛けずに待ってくれた。
部屋の中にしんっと沈黙が落ちる。
そうしていると、外の騒音がくぐもって聞こえてきた。一つ一つの単語は聞きとれないが、わあわあと感情の音は届く。なんだか昼下がりの学校にいる気分だ。ここには机も椅子も級友もいないし、白い消し跡がもやっと残る黒板もない。けれど、窓の向こうから聞こえてくる大勢の声は、まるで運動場で体育をやっているかのように思えてしまう。日差しが強いからと校舎にいる組はカーテンを閉め、お腹が膨れて思考も動きも緩慢になる昼下がり。少し靄がかかったようなふんわりとした音は、きっと風が運んでいるのだ。
一瞬、ここが全く知らない世界だということを忘れてしまいそうになった。そんなことはありえない。ここは知らない人の寝室で、目の前には知らない人がいて、六花の手の中にはお伽噺にしかありえない大きさの人がいる。
それなのに、知らない世界に思えなかっただなんて。ずっと眠っていて、頭が馬鹿になったのだろうか。確かに頭はいつでも馬鹿だ。それでも、やっぱり馬鹿なことだ。いつもと同じはずもないのに。今日こんなことがあったんだよと帰る家なんてどこにもないのに。ちょっと知った雰囲気があっただけで、懐かしく思えるものだなんて知らなかった。
けれど、お母さんは言った。育った環境が違えど、文化が違えど、言葉が違えど、空が地面が水が雲が星が月が違えど。変わらぬものはあると。人が人である以上変わらぬものがあるのだと。
『だから、どちらでだって楽しく生きていけるよ』
そう、お母さんは笑っていた。
他所に思考がずれてしまって、慌てて意識を戻す。
「アラインですか? ……って、痛い痛い痛い!」
捻り上げられないよう両手でがっしりと捕獲したアラインを掲げ持つと、足先で抉りこむように蹴ってきた。かなり痛い。小さくても馬鹿力は健在だ。
そのまま掌を貫いてきたら大惨事だ。そんなことできないよと楽観視できない。既に彼はとんでもない怪力っぷりを惜しみなく披露してくれたし、私は惜しみなく披露された。
心配になって、掌の形を指先まで揃えたお椀型に変える。アラインは拘束から解放されるや否や飛び降りようとした。そんなに嫌ですか。私も、掌を足で貫いてきそうな人を包み込んでいるのは嫌です。
アラインに、制止をかけたのはエーデルさんだった。
「貴方という子は……いいですか、アライン。六花は貴方の片翼です。片翼がどういう存在か、賢い貴方が理解できていないはずもないでしょう。六花を守りなさい。そして、六花に守られなさい。貴方々は補い合う存在ですよ」
「剥がせませんか」
唯一喋った言葉が『必要ない』だった彼が、二言目に発した言葉がこれである。ある意味誰より私の言葉を代弁していたけれど、まるでこっちがフラれたようなこの気持ちをどうしてくれよう。どうして告白もしてないのにフラれなければならないんだ。どうせなら告白してからフラれたいけど、そもそもなんで告白しなきゃいけないんだ。いまするなら「エーデルさん、アラインはお昼お茶だけで済ませる気でした」との告発だ。
エーデルさんは深々と嘆息する。
「今の段階では何とも言えません。下手に手出しをして貴方々を壊したくはありませんので。まあ、仲良くなれば外れるでしょうとしか言いようがありません」
微妙に適当な結論だった。
どんな顔をすればいいのか分からなくなる。まあいいや、なんとかなるさーと投げ出したい気持ちがぐるぐる渦を巻くほどには疲れていた。起きたばっかりなのに。
「片翼。現在ではそう呼ばれていますが、昔は『守護獣』と呼ばれていました。聖人の、闇人の、それらの力を補うもの。守護獣と我らは一心同体であり、半身です。通常はその身に持ちし宝玉を我らに与えることで契約の証とします」
言葉の通り、片翼とは獣の形で現れるものだった。最上級の守護獣であれば人の姿を取ることも可能という程度の話だ。守護獣はその身に宝玉を宿す。それを聖人に、闇人に、与えることで、受け取った者が受け入れることで、両者の本質は同じものとなる。
しかし、相手が人間であったのなら話は別だ。本来、片翼となるべく産まれた存在ではない者が片翼として現れた。契約の証など、どちらも持ってはいないのだ。
私とアラインは説明を聞きながら、ちらりとお互いを見る。もう嫌な予感しかしない。
「こういった固着は絆を形成するためのものです。ですから、二人が互いにかけがえのないものになったような気がしたら勝手に外れますよ」
やっぱり適当な気がする。
にこにこと笑っているエーデルさんは、まあ頑張ってくださいと何とも頼りになるお言葉をくださった。
「ま、がんばれや。そのうち外れるって。二人でちょめちょめしてればな!」
「「一生外れない気がしてきました」」
声が揃った瞬間、私とアラインの心は一つになった、ような気がした。全く嬉しくなかった。
そして、今時ちょめちょめなんて誰も言わない。ああ、三百歳。
そこまで嘆いて、はたと気づく。先程ちょめちょめ披露した人はエーデルさんではない。エーデルさんの肩越しにちらりと後ろを覗き見るも、エーデルさんはそれら全てを無視した。
「ですから、六花。少々言い方は悪くはなりますが、貴女の衣食住と生活を保障する代わりに、貴女にはアラインの事情を踏まえて行動してもらいます。アラインと固着している以上、どう足掻いても避けられない問題ですので。まあ、要はアラインの代わりに頑張ってくださいということです」
「背が足りません!」
ぐっと握り拳で力説すると、誰かがぶはっと盛大に噴きだした。エーデルさんは盛大に舌打ちをする。
寝室の入り口には、頭や身体に蜘蛛の巣や葉っぱをぶら下げ、泥やほこりなど様々な汚れを掃除してきたらしい服のまま豪快に笑うシャムスさんが生還していた。シャムスさんは洗われた犬みたいに頭をぶんぶん振ってゴミを落とす。
「おう六花、変装するなら手伝うぜ! 逆さまに持ってふりゃあ少しは伸びるんじゃねぇか?」
「何だ、生きていましたか」
「てめぇ、エーデルこのやろう。残念そうな面しやがって」
「違いますよ?」
「あ?」
「非常に残念この上ない顔ですとも」
「ちくしょう!」
見事にモップと化してはいるものの、怪我はなさそうである。無傷に驚愕するのはここが何階か判明してからにしよう。それよりも今は、私の身体を逆さまに振ろうと手首を振って準備しているシャムスさんを何とかする方が先である。
私は慌てて声を張り上げた。
「シャムスさん、逆さまに振っても身長なんて伸びません!」
「やる前から諦めてどうする! 子どもは夢を見て無茶も無謀もやってこそ成長するんだ!」
前のめりに握り拳を突き出してきた人相手に、同じように拳を握って力説する。
「やったけど伸びませんでした!」
「やったのか!?」
「お父さんに持ってもらっても、お母さんに腕掴んで振り回してもらっても、逆立ちしても、首引っ張っても、一向に伸びませんでした。でも、腕は伸びた気がします!」
身体測定の一夜漬けは無理があったようだ。結局靴下四枚を穿いて挑んだものの、裸足で測ったので無意味だった。着脱が面倒になっただけだったのでおすすめしない。
過去の失敗をしみじみ噛み締めていると、大きな手で頭をぐしゃぐしゃとかき回された。
「そうか……伸びなかったか。大丈夫だ、肉と骨噛み砕いて飲み下しときゃ伸びるさ!」
「馬鹿ですか貴方はああ馬鹿でしたね。骨を噛み砕ける時点で骨の成分など必要としないくらい充実していますよ」
「はっ!」
初めてその事実に気付いたと驚愕するシャムスさんと一緒に驚く。エーデルさんとアラインの視線が私に突き刺さる。
ちょっといい案だと思ってしまった。自慢ではないけどそれなりに馬鹿なのだ。
最早隠しようのない馬鹿さを発揮してしまった。せめてもう少しくらいは隠していたかったと反省していると、エーデルさんが屈んで覗き込んでくれた。まるで小さな子にするような動作だ。
「六花、背を伸ばしたいのですか?」
「高い踵の靴が格好良く颯爽と履けて、似合うくらいには!」
「そうですか」
ふんわりとしたスカートもズボンだって好きだけど、踵を打ち鳴らして颯爽と歩いてもみたい。長いスカートは身長が高いほうが似合うし、今より十センチは無理でも五センチ以上は欲しいところだ。
エーデルさんに馬鹿と呼ばれていたシャムスさんと揃って馬鹿を披露してしまった。でも、ちょっと無謀かなと思える憧れを語っているとうきうきする。お前には似合わないといわれても、綺麗な曲線を描く靴を打ち鳴らす流行の恰好をした人達は、本当に格好良かったのだ。お母さんは背が高いという訳じゃけど物凄く低いわけでもない。お父さんもお兄ちゃんも長身だから、私だっていけるはずである。
ちょっと恥ずかしいけど、いつかそんな人になりたいんですと語る私に、エーデルさんは優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。規則正しい生活と、しっかりとした睡眠。これを守っていればきっと理想の体型になれますよ。まだ十五歳なんですから、ね?」
「馬鹿でも伸びますか?」
「馬鹿と身長は関係ねぇぞっ!?」
エーデルさんの裏拳が輝いた。シャムスさんをぶん殴った拳を服の裾で拭いながら優しい笑顔を浮かべる。そして、あっという間に復活して、しゃがみ込んだままアラインを突っついているシャムスさんの後頭部を引っ叩いた。
「この馬鹿野郎は頭が空っぽだからか、押さえつけられるものもなく、すくすくすくすく、無意味に大きくなりましたよ」
もう一度、ね? と、優しく微笑まれて、私はぱぁっと満面の笑顔を浮かべた。馬鹿でよかった!
すくすくすくすくと、お父さんを追い越すところまで夢想してうきうきしている私に、エーデルさんはくすくすと笑った。その手がシャムスさんの耳を引っ張っている様は全く微笑ましくはない。
「その為にも、しっかり働いて、たくさん食べて、ぐっすり眠りましょうね」
「はい!」
働かざるもの食うべからず。時は金なり。早起きは三文の徳。
お母さんの故郷の言葉を思い出して気合を入れる。物乞いとならずに済む。その為に働くのは寧ろ当然のことでしっくりくる。それ自体に文句はない。
確かに、目の前の人達のことを全く知らないので、信頼していいのかどうかという不安があるにはある。けれど悪い人には見えないのも事実だった。あいにく十五年という、月日としては長くても人間としては小娘である浅い選定眼しか持ち合わせていないが、ひとまずは悪い人には見えない存在が衣食住を保証してくれると言っているのだ。出された条件は理不尽でも無情でも何でもない、納得のいくものだった。断る理由はどこにもない。
私は身の振り方として、この場所を選ぶことにした。
色々と理解は追いつかないし、アラインは掌サイズになっている。片翼とか固着とか、なんかもういっぱいいっぱいでとりあえず忙しくしていたい。そうすれば余計なことは考えなくて済むだろうという現実逃避万歳という打算もあるにはあったけど。
何はともあれ、頑張って働こう。
前向きなのか後ろ向きなのか今一分からない決意を固める。お母さんだったら、頑張って働くよ! と元気よく頑張るんだろうなと思うとなんだかおかしくなってちょっと口元が緩んだ。
「この世界の仕組みについて少し話しておきましょう。大雑把にでも知っておいたほうがいいでしょう」
「よし、エーデル! 丁寧に分かりやすく、更に噛み砕いて説明してやれよ! 俺に説明すると思ってな!]
「貴方は噛み砕いて柔らかく易しく説明しても寝るでしょうが」
「おう! 熟睡だな!」
裏拳が炸裂した。顔を押さえて何度目かの呻き声を上げるシャムスさんを無言で見つめる。エーデルさんが武闘派なのか、シャムスさんが懲りないのか。
早々に考えることを放棄した結果、二人とも元気だなという結論に落ち着いた。このやりとりにだいぶ慣れてきた自覚はある。