完食 全てを産む者
それは、その闇は、木花桃吉郎の胃袋だった。そして、より一層に暗い大穴は消化液か何かの集合体なのだろう。興味本位でも触っちゃあいけないことがビンビン伝わってくる。
まさか、直接胃袋の中に叩きこまれるとは思っていなかった俺はパニックに陥った。
「ちょっ、おまっ!? 反則でしょう! 兄貴、きたない。流石、兄貴、きたない」
「そんなことを言っている場合か!」
「おいおい、マジかYO! ブラザー、戻ってこい!」
「ぬぅぅぅぅぅっ!」
急いで枝たちを回収する。だが、こんなことをしても一時しのぎにもなりやしない。
現に俺は着実に黒点に引き寄せられているのだ。何か手段はないか、とあれやこれを行ってみるも無意味。後で分かったことだが、兄貴の【終焉の闇】を発動された時点で完全に積んでいるという。なんじゃそりゃぁ!
「ふきゅ~ん! ふきゅ~ん! ふきゅ~ん!」
「落ち着け、エルティナ!」
「今慌てないで、いつ慌てるというんだぁ!?」
トウヤの言葉が頭に残らない……あ、いつものことか。いいや、そうじゃない、早くなんとかしないと完全無欠のバッドエンドになっちまう。そんなの許されざるよ。
うおぉん! 考えろ、このつるつるの脳みそで! はい、何も浮かんできませんね!
「誰か助けてっ!」
「ええい、やかましい! 考えが浮かばないなら黙ってろ!」
「黙ったら死んじゃう!」
トウヤとの激しいやり取りは俺に若干ながらの理性を取り戻させた。ただし、頭部に拳骨を叩きこまれて俺は瀕死である。
「落ち着いたか?」
「あの……わざわざ魂から抜け出してまで、拳骨は勘弁なんだぜ」
なんということでしょう、俺の魂内に確保した惑星カーンテヒルから、スラストさんがわざわざ出張して来て、俺の頭部にメガトンパンチを炸裂させてきたではありませんか。これじゃあ、脳みそが死ぬぅ。
「スラストさん、こんな場所に出てきたら最悪、消滅しかねないんだぜ。危ないから戻って……」
「お前が負けるようなら、消滅も仕方なしだ」
「……えっ?」
「これは俺だけの考えじゃない。おまえと関わってきた全ての者の決断だ」
「それを伝えるために、わざわざ危険な真似を?」
スラストさんは答えることはなかった。代わりに俺を諭すかのように言葉を紡ぐ。
「エルティナ、その大きな耳は飾りか?」
「ふきゅん!?」
「よく耳を立てて聞いてみろ。お前を呼ぶ声を」
「声……?」
テンパっていた俺は、その声に全く気が付かなかった。諭され聞き耳を立てると確かに声が聞こえる。それも、一つや二つではない。無数の、それこそ数えきれないほどの声が聞こえてきた。それは俺が取り込んだ惑星カーンテヒルからの声だ。
「み、皆の声が……俺はこんな声すら聞こえていなかったというのか」
その全てが俺を励ます声援、戦っていたのは俺だけではなかったのだ。
しかし、全ての手段が通じない俺はこの声に応えることができない。悔しさで顔を上げることができなかった。
「でも、俺はこの声に応えることができない。何をやっても手遅れなんだ」
「なら、助けを求めてはどうだ?」
「助けを?」
スラストさんは、ビシッと決まった銀の角刈りを見せつけながら言った。
「これまで散々人々を救ってきたんだ。助けを求めて何が悪い」
「でも……」
俺は迷った。そんなことをすれば、最悪、巻き込んで消滅させてしまうかもしれない。
だが、考えている猶予はもうない。もう、黒点は間近だ。あれに飲み込まれれば全てが終わる。
「嫌だ……みんなと会えなくなるだなんて、嫌だっ!」
俺は感情のままに叫んだ。今までこんな声で叫んだことなどあっただろうか。のどが痛い、心が痛い、何よりも皆と会えなくなることが物凄く怖かった。
「助けて、助けてくれっ! 皆と離れたくない! これからも、皆と一緒にいたいんだ!」
「エルティナ……」
トウヤの掠れた声が耳に入った。なりふり構わず叫ぶ俺に幻滅したのだろうか。
「ここだ! エルティナはここにいる!」
そのトウヤが声を張り上げだした。俺がここにいることを必死に知らせようとしてくれているのだ。
「Hey! エルっちはここだZE! 気が付いておくれYO!」
「いももっ!」
マイクやいもいも坊やたちも懸命に助けを求める声を上げてくれた。しかし、助けは来ない。無情にも黒点が俺を飲み込み始める。
「……っ!」
体の芯から凍る、とはこのことであろう。俺が、俺であったことを忘れるような感覚に身体が強張る。真の恐怖とはこのことを言うのだろうか。
あまりの恐ろしさに声が出ない。もうダメだ、と思ったとき、強張っていた口が緩んだのか、最後にとある名前を呟くことができた。
「……エド」
夫の名前だ。何故、最期に彼の名前が出たのであろうか。俺は本当に彼を愛していたのだろうか。そんな自問自答を最後に意識が薄れてゆく。
やがて、瞼を開けているのも辛くなり、視界が狭まっていった……その時のことだ。
「見つけた」
失いつつある手の感覚、それが一気に蘇ってゆく。何事か、と苦労して瞼を開けば彼の顔。
あぁ、とても見慣れた顔だ。
「エ……ド……」
「あぁ、君のエドワード・ラ・ラングステンが来たよ」
淡い緑色に輝く姿のエドワードがしっかりと俺の手を掴み、黒点から引き揚げ始めたのだ。その優しさに、温もりに視界が歪む。
絶体絶命、この状況は正しくそう言えた。半ば助けなど来ないとすら思っていた。でも、救いの手はそこにあったのだ。こんなに嬉しいことはない。
暗い暗い闇の中で木花桃吉郎の声が響く。彼にとってもこの状況は予想外であり、あってはならない事態であったのだ。
「何故、そこに存在していられる!? 全てを消化する胃袋に在って、全てを喰らう者以外は存在できないはず! たとえ、それが魂であっても!」
木花桃吉郎の声には驚愕が多分に含まれていた。だが、確かに彼の言うとおりだ。
仮にエドワードが魂だけの存在であったなら、ここに辿り着く前に消化され、カオス神となった兄貴に吸収されてしまっているはずである。
「ふきゅん、兄貴の言うとおりだ。エドは、どうやって?」
俺の魂の中から直接出てきたスラストさんは俺の力でなんとか守れている。だが、外部からきたエドワードは、どうやって身を護っているというのだろうか。
「そうだね、魂ならね。でも……僕は、僕たちは違う」
「そう、俺たちは魂じゃない」
「僕らは、エルティナの叫びに」
「……悲しみに」
「願いに応える【想いの存在】よぉ!」
「どんな所に居たって駆け付けるよ! だって、私たちエルちゃんのPTメンバーなんだから!」
かつて【珍獣と保護者】なるPTがあった。随分と昔のことだ。
ライオット、フォクベルト、ヒュリティア、ガンズロック、リンダ、そして俺。その珍妙なる組み合わせで、長らく活動していた。
その時の思い出は、もうろうとしていた俺の頭の中で鮮明に蘇り、俺の意識を無理矢理引き起こす。
そんな彼らが【想いの存在】となって、エドワードと共に駆け付けてくれたのだ。
「全てを喰らうものといえど、想いまでは食べられない」
「もし喰らえる、というのであれば、腹痛になるまで食べさせてやるぜ」
「わちきの想いはお勧めできないさね」
ロフト、スラック、アカネが手を繋ぎ、その手を【珍獣と保護者】のメンバーが手を繋ぎ連結してゆく。
「エド!」
「ライオット!」
そして、ライオットの手をエドワードが掴み、【想いの綱】が俺を絶望の黒点より引き上げていった。
「何故だ……何故!?」
「兄貴……」
カオス神は吸い込みを激しくしてゆく。だが、俺の身体はするすると黒点よりは慣れていった。やがて、闇が薄れてゆく。そして、俺はからくりを見た。
「勇者……タカアキ」
それは【道】だった。勇者タカアキが波の力を極限まで行使し、想いの道を作り上げていたのだ。
次元戦艦ヴァルハラから伸びる形無き道。それを維持するのに、どれほどの対価を支払ったことか。想像もできやしない。
「エド、想いの存在って、どうやって?」
「やだなぁ、僕の個人スキルは【想う】だよ。それを、ライオットの個人スキル【繋ぐ】で繋げて、ロフトの個人スキル【活性】で強化したんだ」
ロフト、意外な場面で大活躍。正直、これが一番驚いた。
「あはは! きたった! あははは!」
「ヒジョウシキナ、レンチュウダ」
一番言われたくないアザトース様にそのようなことを言われ、何気に大ダメージを被る。
想いの綱の正体は元祖モモガーディアンズたちだ。想いの力で自らを輝ける綱と変化させそれを繋げ合わせ長い綱とする。
次元戦艦ヴァルハラから伸びている想いの綱を体に巻き付け、力強く引いているのがブルトン。
その彼を手伝っているのがプリエナ、ルバールシークレットサービスの面々、マジェクト率いる鬼たちにウルジェだ。
「こっちだ! エルティナ!」
「長くは持たない! 早く、門をくぐれ!」
「エルティナさんっ!」
「吉備津彦様! ガイに誠司郎!」
闇にぽっかりと大穴を開けてそれを維持する吉備津彦様とガイリンクード、誠司郎の姿が見えた。ガイリンクードの悪魔たちは魔力を使い果たしたのか、ふよふよと周囲に漂っている。
「早くしろ!【対オール・イーター障壁】が消える!」
「エルダー、もう少しがんばれ!」
なんと、この門を構築した者こそが、高次元の使者エルダーとシーマだ、というのだから驚きである。衝撃的過ぎて白目になってしまった。
「エルティナ、おまえの助けを呼び声、確かに聞こえたぞ」
「ヤッシュパパン……」
そして、無事に次元戦艦ヴァルハラに辿り着いた俺は、ヤッシュパパンに抱擁された。
話に聞けば、彼はずっとタカアキに魔力を送り続けていたらしい。他の戦士たちも同様で、そこかしこに力尽きて突っ伏している者たちがいた。
「よぉ、エルティナ。昔っから、おまえは手が掛かるヤツだよ」
「アルのおっさん」
見慣れた皮鎧を身に着けた大魔法使いは次元戦艦ヴァルハラの甲板に腰を下ろし、俺を見上げた。その隣にはフウタの姿もある。
「やれやれ、チート能力を持たされても、こんな戦いがあるなら転生したくはないですね」
「ふきゅん。ま、そうだよな」
ようやく、ここで笑い声が上がった。だが、これで全てが終わったわけじゃない。
「エルティナ……」
「兄貴」
闇は消え去り、再び白き空間が姿を見せた。だが、その姿はひび割れボロボロだ。そう、今の兄貴の姿のように。
「おそらく、エルティナを吸収することを見込んでの切り札だったのだろう」
トウヤが兄貴の現状を観察し推測を語った。俺もそうだと思う。
だからこそ、兄貴は「最後だ」と宣言したのだ。つまり、兄貴にはもう力は残っていない。
「エルティナ……俺は、過去を、掴みたい……!」
それでも、彼は俺に向かってきた。ボロボロになった身体は崩壊を始め砕け散ってゆく。
「エルティナ」
「あぁ、分かっている」
俺は全ての神気に呼び掛けた。その願いは俺の深いところで眠りに就いていたある存在を呼び覚ます。
「エル……ティ……ナァァァァァァァァァァァっ!」
「兄貴ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
繰り出される力の無い拳。気迫だけのそれは、最早かわすまでもない。
俺は今生の全てを掛けて、桃使いの究極奥義を繰り出した。
「……エルティナ」
「兄貴……もう、戦いは終わったんだ」
桃戦技が究極奥義【抱擁】。それは、攻撃でもなんでもない。相手を労わるという、誰にでもできる行為だ。桃力だって必要とはしない。
だが、これには限りの無い【愛】が詰まっている。
そして、俺はこれに母エティルの……俺たちの【桃先生】の愛を込めた。
兄貴の戦意が消失する。いや、元々戦意と呼べるものなんてなかった。彼からは悲しみしか伝わってこなかったのだから。
そして、それすらも消え失せた。そして残された小さなものは、俺がよく知る兄貴の優しさだった。
「俺は……敗れたんだな」
「あぁ」
兄貴の両手が俺の背に回された。だが、その感触も一瞬の事。左背の感触が消失する。おそらく、兄貴の肉体が維持できなくなって左腕が崩壊したのだろう。
「おまえの勝ちだ……エルティナ……未来を頼む」
「あぁ」
「そして、願わくば……二度と、俺のようなヤツが、現れぬ世界を……」
「約束する」
俺の言葉に満足した兄貴は儚く消えていった。全てを出し切り消えゆく漢に掛ける言葉がどこにあろうか。
俺は言葉の代わりに天を仰ぎ涙を零す。どうか、これが最後の涙になれ、と祈りを込めて。
「……終わったな」
「あぁ、終わったよ、トウヤ。全部な……」
俺は兄貴の全てを喰らい尽した。ここに、俺は【魂の箱舟】へと至ったのだ。
「さぁ、始めよう。エルティナ」
「カーンテヒル様」
再びカーンテヒル様が俺と神魂融合を果たす。輝ける竜人と化した俺は全ての魂を回収する。
ひび割れた白い空間、そのあまりにも殺風景で寂しい光景に、俺はため息を漏らす。
「マイアスお祖母ちゃんも、こんな気分だったのかな?」
「おそらくはな」
俺の呟きにトウヤが答えてくれた。彼は戦いが終わったというのにカタカタとタイピングを続けている。
この世界の情報は未来へとは持ち越せないというのに、何を記録しているのやら。まぁ、いいのだけども。
勇者タカアキたち【残る者】は次元戦艦ヴァルハラの甲板の上で、俺との最後の別れを交わす。もう、彼らと会うことはないだろう。
たとえ、再び出会うことがあっても、それは俺であって俺ではない存在だ。それに、彼らが俺を見ても認識することは不可能であろう。
「お別れですね、我が友エルティナ」
「あぁ、お別れだ」
タカアキの後ろにいる残る者たちは、誰も別れの言葉を口にはしなかった。その気持ちが痛いほどに分かる。
「たとえ、忘れ去られても、私たちは忘れないよ」
「たぬ子……俺もさ」
「ずっと、見守っているからね、エルちゃん」
プリエナの大きな目から、とめどもなく大粒の涙が溢れ零れてゆく。でも、彼女は気丈に振舞い、顔を覆い隠して泣くことはなかった。きっと、大丈夫だということを示したかったのだろう。
「見届けさせてもらったぜ」
「マジェクト」
「後のことは任せておけ。だから……行ってこい」
最初に出会った頃から見違えるように成長した彼らは【鬼】として存在し続けることを存在した。
陰と陽の深い部分まで見た彼らは、陰にこだわる必要性を見失う。鬼としての存在は希薄になったが、別種のものを宛がえて補完としたようだ。それは、ほかの残る者たちも同様であるらしい。
「うふふ~、お別れですね~」
「ウルジェ、本当に良いのか?」
「はい~。私の~知識は~未来には~不要ですから~」
「そっか。そうだよな」
彼女は、清々しいほどの笑顔で肯定してくれた。ドクター・モモの兵器、それらの技術と知識は未来には残さない、という固い決意の下、彼女は残る者の道を選択したのだ。
「ガイ、誠司郎。お前らとも、これでお別れだな」
「あぁ、新しい世界に俺たちは不相応だからな」
「史俊と時雨、それにお父さんとお母さんをよろしくお願いします」
大天使となった彼らは、なんでも創造主をぶん殴りに行くらしい。なかなかに過激な発想だが、そうしなければならない理由なるものが存在するとのこと。
まぁ、二人のことだ。きっと上手くやり遂げることだろう。
「ヨシ、ソレジャア、ソロソロ、オイトマスルカ」
「あはは、ばいばばばば! あははは!」
「ふきゅん? もう行くのか?」
高次元の神アザトース様は、新たな世界が誕生する前に帰るらしい。
「ソコニ、コワ~イ、ヤツガ、オルダロ?」
「あぁ……怖いなぁ」
「うるさい! 聞こえているぞ! さっさと行ってしまえ!」
シーマ&エルダーが凄い形相で怒鳴った。アザトース様はビョクっとした後、「オオコワイ」とおどけて姿を消した。
結局、アルアは元には戻らなかったが、これはこれで幸せな日々を送っていたようで、取り敢えずは不満はないらしい。
「シーマにエルダーさんも元気でな」
「ふん、さっさと、おまえも未来に行ってしまえ」
「くっくっく、寂しいんだよ、こいつ」
「黙れ、エルダー。舌を引っこ抜くぞ!」
「うひっ」
シーマは一通り怒鳴り散らす、とそっと俯き、その後に頬を染めて頼みごとを口にした。
「……弟と家族を頼む」
「お安い御用だ」
シーマはその言葉を聞き穏やかな微笑を見せて離れていった。
「エルティナ、おまえには、父親らしいことをしてやれなくて済まないと思っている」
「吉備津彦様、十分頂いていたんだぜ」
兄貴を喰らったことにより、俺は幼き日々の記憶を取り戻していた。その記憶にはこれでもかと可愛がってくれた吉備津彦様の姿がある。
十分過ぎた。そして、恒例のお鬚じょりじょり攻撃は、ベビーにきついのでやめて差し上げろ。
「それじゃあ、みんな……バイバイ!」
俺はふわり、と次元戦艦ヴァルハラの甲板から飛び立つ。十分に距離を置いたところで次元戦艦ヴァルハラが転移をした。これから始まる世界の新生を安全な次元で見守るためだ。
そして、タカアキは俺に告げることはなかったが、既に次に備えている。
おそらくは高次元の侵略者から生まれたての世界を護る戦いであろう。
マイアスお祖母ちゃんがそうしたように、彼ら【残る者】は幾つかの選択を選ばなければならない。
護る者になるか、静観する者になるか、支配するか、される者になるかだ。
どれを選んでも文句を言う者はいない。そして、文句を言えない。彼らはそういう存在へと至ったのだ。
そんな彼らには、全ての行動に自己責任が付きまとう。ある意味で神と同じ存在といえよう。
でもタカアキたちなら、間違った選択肢を選ぶことはないだろう。
彼らには、この戦いの記憶が永遠に残るのだから。想いの力が、どれほど素晴らしいものかを知っているのだから。
「……これで、この世界に誰もいなくなっちまったな」
「あぁ」
「トウヤ、ありがとな」
「なんだ、改まって」
俺が最後に礼を言うのは誰にするか、それは最初っから決まっていた。
こんなどうしようもないヤツを、最初から最後まで見守り続けてくれた桃先輩にして、最高の相棒であるトウヤ以外を選ぶ選択肢など無かったのだ。
「俺はトウヤがいたから、ここまでこれた」
「……全部、おまえの力だ。俺は口を挟んでいただけにすぎん」
「それでも、だ」
「そうか……」
真っ白でひび割れた静かな世界。それが、俺たちが最後に見る生まれ育った世界の姿。それでも、こんなに愛しいと感じるのはどうしてだろうか。
「エルティナ、最後だから俺も言わせてもらう」
「ふきゅん、何かな?」
「俺を桃使いのパートナーとして選んでくれたこと……感謝する」
「……あぁ」
さぁ、始めよう。
俺は新たなる世界を【産む】。今までの全てを喰らう者は、産むという行為ができなかった。それは当然だ、雄なんだから。
だから、全てを過去に戻し、再び世界を再生させていた。だから、ある地点から先へは進めない。
俺はその先に進むために、カーンテヒル様の全てを掛けて生み出された雌なのだ。そして、魂という情報を身に宿し、その情報を新たなる世界へと【送り出す】。
あぁ、そうさ。俺は【エルティナ】として未来には進めない。土や空気といった別の形へと姿を変えて、命たちを見守ることになるだろう。
出産が始まった。体を引き裂かれるような痛み、という例えがある。だが、俺の場合は存在そのものが引き裂かれてゆく。砕け散る肉体、それはやがて星のように輝き、白しかない世界を埋め尽くした。
俺の意識はその光景を静かに見守っていた。トウヤも意識体となって、その光景を見つめている。
『綺麗なもんだ』
『あぁ、そうだな』
『トウヤ、そろそろお別れだ』
『そうだな……』
『俺はトウヤを絶対に忘れない』
『俺もだ、エルティナ』
俺の意識からトウヤが離れてゆく。その輝きは無数ある輝きに混ざり確認できなくなった。
膨張する世界、そのひびは更に大きくなり、やがて耐えられなくなって砕け散った。
『あ……なるほどなぁ』
砕け散った世界はまるで卵の欠片のようにも見える。なるほど、と感心した。
この世界は一つの卵の中の出来事だった、と仮定すれば色々と納得がゆくからだ。
そのようなことを考えていると、眩いほどの閃光に包まれる。輝きは喜びの賛歌を口にし、尚一層に輝いた。
強くなる輝きに合わせて抜け出してゆく様々な俺の情報。
家族、友人たちの顔、大切な記憶、美味しかった食べ物の記憶、様々な感情すら抜け出してゆく。
それと同時に誕生してゆく様々な命、薄れゆく意識の中……俺は新たなる世界の産声を聞いた。
その時……俺は確かに【母】となったのだ。
◆◆◆ 語り部 ◆◆◆
かつて、カーンテヒルという世界があった。その世界はいわゆるファンタジー世界であり、様々な命に溢れていた。
しかし、その世界は歪んでいた世界であった。この歪みを正すために【桃使い】なる戦士が歪みに立ち向かい幾多の血を流したという。
そして、戦いの果てに一人の桃使いが歪みを討ち果たし、世界の歪みを正した。
その桃使いの名は【エルティナ】。だが、今や誰もその名を知ることはない。忘れ去られた名となっている。
そもそもが【桃使い】なる存在がない。宿敵となる存在もいないのだ。
ここはカーンテヒルという世界。だが、カーンテヒルであって、カーンテヒルではない世界。即ち未来へと進んだ世界なのだ。
そこは、いつもの賑やかなカーンテヒルという世界であったが、いろいろと欠けていた世界であった。
それでも人々は生を謳歌し、生きる喜びを神々に感謝する。神々は人を愛しつつも厳しさを与えた。
それを何万年も繰り返す。そして、欠けていたとあるものがカーンテヒルに現れた。それを察知したとある者が、そこに足を運ぶ。
そこは鬱蒼とした密林だ。わけの分からない植物がわんさかと生えており、これまた珍妙なる生物たちが、妙ちくりんな大男の来訪に眉を顰める。
やがて男は朽ちた石像を発見した。それは寄り添う二匹の竜にも見える。しかし、年月による劣化で原型が判別できなかった。
「カオス神とカーンテヒル神ですか。彼らもまた、彼女に救われた者」
男は石像に手を触れた。音もなく崩れ去ってゆく竜の石像に深々と礼をする。
巨漢の男は更に密林の奥へと進んだ。当てなどないように思える。だが、その足取りに迷いはなかった。
歩くこと一時間、巨漢の男は唐突に足を止めた。そこに珍妙なる幼い生物の存在を認めたからだ。
この密林に全裸の幼女など、なんの冗談か。だが冗談ではなかった。
プラチナブロンドの髪。眠たそうな目に納まるアクアマリンの大きな瞳、大きなエルフ耳はだらしなく垂れ、真っ白な肌は密林に在って不自然だ。
「探しましたよ」
「ふきゅん? きしゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
白い珍妙なる獣は巨漢の男に気が付き威嚇をおこなった。しかし、巨漢の男は意に介せず白き珍獣を抱き上げる。
白き珍獣は「ふっきゅん、ふっきゅん」とじたばたしたが、やがて抵抗は無意味であると悟り大人しくなった。
「トウヤさん、あなたが彼女に残したプログラムは……想いは確かに成就しましたよ」
巨漢の男は生後間もない、と思われる幼女を抱きかかえて密林を後にした。
幼い珍獣はわけが分からない表情をしていたが、巨漢の男に桃を手渡されると、それをむしゃむしゃと食べ始めた。今は満足感に浸りうとうとしている。
やがて、珍獣を抱きかかえた巨漢の男は丘に辿り着いた。そこからは大きな町が一望できる。
それは、巨漢の男には見慣れた光景であり、幼い珍獣には【初めて】となる光景であった。
「ふきゅん……」
「大きいでしょう? あそこが、ラングステン王国、王都フィリミシアです」
すっかり巨漢の男に餌付けされた珍獣は、紅葉のような小さな手を叩き感動を表現した。
「さぁ、みんなが待っていますよ。帰りましょう……エルティナ」
「ふきゅん」
風が通り抜けた。それは新たなる物語を知らせる風。そして、一つの物語が終わったことを知らせる風だ。
激動の十八年を生き抜いた少女エルティナは、かくして伝説になることなくその歴史に幕を下ろす。
しかし、物語は続いてゆくのだ。彼女の相棒の残した【想い】によって……。
食いしん坊エルフ おしまい。
これにて【食いしん坊エルフ】完結です。連載中に色々なことがありましたが、完走できたのは読んでくださった方々の応援があってのことです。よく見れば三年近くもエルティナたちと走っていたことになるんですよねぇ。
まだまだ、手直し作業が残っているので、偶に読み返してくれれば意外な変更点が発見できるかもしれません。
それでは、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




