798食目 木花桃吉郎 ~過去を取り戻さんとする者~
◆◆◆ 桃吉郎 ◆◆◆
あれは、いつのことだったか。
まだ俺が人間で、サラリーマンやっていて、何も変わらない日々に退屈していて。でも、自分では何も行動を起こさない。
そんな、極々ありふれた、ちょっぴり食いしん坊な三十歳間近の男だった。
平穏の中にいた最後の記憶が、ネットサーフィンをしながらキンキンに冷えたビールを片手に熱々のボイルソーセージをがぶりとやる、だなんてそうそういないだろう。
だが、俺はその記憶しか残っていない。残そうとしなかった。いや、出来なかったであろうか。
……これも、正しくはないのかもしれない。
俺の退屈で平穏だった記憶は体に刻まれた無数の傷によって上書きされ、その殆どが消失した。
今では両親の顔も、兄弟の顔も思い出せない。思い出そうとすれば、思い出すなと自己防衛本能が俺を止めに掛かる。
俺の記憶の大部分は赤色で染まっていた。大切な人々は俺の目の前で赤く、赤く染まってゆく。
どんなに手を伸ばしても、叫んでも、過去は変えられない。失われた命はもう元には戻らない。誰でも知っていることだ。
怒りと憎悪から桃使いになることを決めた日から、俺は愛というものを見失った。
でも、俺は何故か桃使いのままであった。当時は分からなかったが、俺が最初に覚醒したのは桃使いではなく【鬼】だったのだ。
死に追いやられた明日香を目の当たりにした瞬間、俺の中に潜んでいた鬼は覚醒し、彼女の魂を喰らった。俺の初めての心魂融合は、血に塗れ、呪われた儀式だったのだ。
それでも、俺は鬼には堕ちなかった。それはきっと、明日香の魂の力が陽に傾いていたからだろう。それは、覚醒したての俺の陰の力と釣り合った。
これこそが、最強の桃太郎と呼ばれることになる俺の種明かし。陰と陽が釣り合った際の驚異的な力は他を圧倒した。並みいる強敵を薙ぎ倒し、俺はその内に己惚れるようになる。
それをいつも強烈なツッコミで諫めてきたのがトウヤだ。当時の彼はまだ人間で、名前も違った。でも、もう思い出せない。
トウヤはコードネームみたいなもので本名ではない。俺もそれっぽいコードネームを桃アカデミーから頂戴したが、当時の俺は己惚れていたので一切使用せず本名を名乗っていた。
その結果、鬼の四天王とお友達になってしまった。あぁ、これ、あかんやつやったわ。
その後、桃使いの後輩の輝夜と良い仲になって、ちょっとしたラブラブな展開に差し掛かったところで運命は狂いだしてゆく。
心魂融合を行い始めた頃とそれは重なった。鬼が本格的に仕掛けてきた頃だ。
連日の戦いは心身ともに疲労を蓄積していった。いくら最強とはいえ、不休不眠では力も発揮できないというもの。
おまけに四天王どもが大挙して、遊ぼうぜ、と迫ってきたら白目痙攣状態に陥るというものだ。
それでも、なんとかやり繰りしているうちに、鬼の総大将という迷惑千万なヤツから名指しで指名されてカチンときた俺は、血気に逸り鬼ヶ島にカチコミを掛けて鬼どもを心底震え上がらせた。
だが、それこそが憎怨こと女神マイアスの狙いだった。あまりに濃すぎる鬼ヶ島の陰の力を吸収してしまった俺は、案の定、陰と陽のバランスを崩してしまったのだ。
そこからは破滅に向かって一直線だった。憎怨に一矢報いたのだが仕留めるには至らない。様々な不安要素を残して俺は滅びを受け入れるしかなかった。
そんなわけで、相棒には悪かったが、全てを丸投げして俺は死を迎えた……はずだった。
意識が鮮明になったのは「おぎゃあ」と爆誕して、どれほどだっただろうか。
俺は俺の中に、もう一人の俺を認識する。というか、それが本来の身体の持ち主であることを理解していた。
つまり、俺はどちらさまになるか分からない赤子に寄生した存在、ということになる。
なんともまぁ、波乱万丈な人生の再スタート、と思いつつパイパイをちゅっちゅしたところ、それが超知り合いだった点について、だ。
そして、全てに合点がいった。彼女たちが俺の哀れな最期に気を遣いまくった結果、禁術を用いて俺を疑似復活させたのだろう。自分たちの本来の子を犠牲にしてまで。
だが断る。俺は既に死んだ身だ。
というわけで、俺は桃姫こと後のエルティナの魂の奥底で彼女を見守りつつ、表には出ないように気を配っていた。
だが、どうにも俺の影響は受けるらしい。すくすくと成長していった桃姫ちゃんは、徐々に奇行を行いだす。
四足歩行にてGのごとく高速移動、柱だろうが天井だろうがお構いなしのベビーに、流石の桃先生も悲鳴を上げた。俺もこれはないと思う。
しかし、当時の俺たちは二人で一人。しかも桃姫ちゃんは極陽の力を持っていた。そして、俺は極陰の力。即ち、光と闇が合わさり最強に見える、が発動していたのだ。
可愛らしい珍生物に流石の両親も頭を悩ませた。それでも、たっぷりの愛情を注いでくれた。彼らはおそらく、魂の底に潜んでいた俺に気が付いていただろうと思う。
しかし、蜜月とは短いものだ。未知の力を持つ俺たちを利用せん、と神々が動き出した。それこそが女神マイアスが仕組んだ策略とも知らずに。
ここから、俺とエルティナの物語が始まる。
神桃の実に乗せられて地球を脱出させられた俺たちは、カオス神の意志に目を付けられた。正直、これがなければ俺は今でも桃姫と一緒だったかもしれない。
カオス神は語る、過去を取り戻しくはないか、と。それは甘美なる誘惑。しかし、桃姫ちゃんは、涎を垂らしながらお眠中だ。何よりも彼女は取り戻したい過去なんて皆無だろう。
だが、俺は違った。心当たりがありすぎる。カオス神の誘惑はあまりに魅力過ぎて、そして、それを可能にするであろう強大な力を感じ取ってしまった。
だから、もう俺の中で答えなど出ていたのだ。
俺はカオス神の要求に応えた。瞬間、温かな力に包まれ、俺は【俺】になった。黒髪、黒い瞳を持つ白エルフの男の子の肉体を得たのだ。
「桃姫、お前に残った力も貰ってゆく。せめて、普通の子として世界の終わりまで生きろ」
こうして、俺は彼女から力の全てを奪っていった。
カオス神に導かれ、惑星カーンテヒルに辿り着いた俺は素性を隠しつつ、先ずは力を身に付けた。
いやはや、力を得る度に傷が蘇る、ってなんの罰ゲームだ。綺麗だったお肌は、たった一年で傷に埋め尽くされてしまい、美少年が台無しになってしまったではありませんかちくしょうめ。
とはいえ力は得たので、今度は仲間探しとなる。カオス教団八司祭の結成である。
……が、これはカオス神がお節介を出して俺の下へと呼び寄せてしまい、俺が何をするまでもなく速やかに終了してしまった。俺のわくわくを返せ。
そこからは、八司祭と親睦を深めつつ、カオス神復活のための暗躍を割と目立ちながらこなしてゆくことになる。
その過程でラングステン王国に聖女が誕生したという情報を耳にした。
割りとすることが無くなった俺は興味本位で見物に行くのだが、聖女を見た瞬間、体中の穴から出ちゃいけない液体が、どば~っと出た。
あろうことか、その聖女とは力を奪い尽したはずの桃姫だったのだ。超大誤算とは、このことをいうのだろう。
しかし、なってしまったからには、どうするわけにもいかない。仕方なく、俺は暇なことをいいことに裏から彼女を見守ることにした。
時折、彼女に迫る暗殺者をこっそり捕食していたのは俺だ。どやぁ。
だが、更に俺を困らせる事態が発生。あろうことか、エルティナは桃使いとして覚醒してしまったのだ。桃力も何もかも奪ったというのにどういうことか。
流石の俺もこれには頭を抱えた。だが、桃使いに目覚めるだけなら割とよくある話。へなちょこ桃使いとして活動するなら無問題と楽観視し、再び見守る作業に没頭する。
はい、ここでウィルザームにお小言を頂戴し、神の欠片を精力的に探すようになります。
そうしたら、妹が真・心魂融合を果たしていた点について。
おいばかやめろ、とりかえしがつかないことになってますねわかります。
当時の俺の心境はこんな感じだった。もう嫌な予感がぷぃんぷぃんしまくった結果。予想通り、エルティナはカーンテヒルの真なる約束の子としての道を歩んでいやがりました。
どうしてこうなった、何度も自問自答したが結果は変わらない。結局はこうなる運命だった、としか回答は返ってこないのだ。
二人で一人は二人に分かれ、結局は独りに戻る。酷い結末だ。
だが、一人は独りになるという点で結末は違っている。もう、元には戻りはしないのだ。この喰い合いに負けた方は消滅する。即ち、負けた方が【歪み】という認定を受けることになるのだ。
だから負けられない、俺たちの駆け抜けた日々を歪んだものにしないためにも。
そして、この喰らい合いの勝者が全てを抱えて新たな世界を創る。それは、歪みを正した者の責務。
カオス神は過去を繰り返す神だ。全てを喰らい、全てを再現する。命は何度も同じ器に生まれ、同じ大切な人々と出会い、その度にちょっぴり内容が変わった人生をまっとうする。
終わりのない世界がカオス神の世界だ。終わりに見える終末は始まりにしか過ぎない。
永遠に繰り返す世界において、努力とは人生を変える力であり、勇気とは人生を変えるスイッチであり、愛とは人生を共に歩む誓いとなる。
そして、死によって魂は輪廻に返り、次なる始まりに備え浄化されるのだ。再び、大切な人々と歩むために。
それは、永遠の幸福。人々が気付かなかっただけであり、カオス神の加護の下にあった全ての生命は、約束された幸福を与えられていたのだ。
だが、それを良しとしない者が全てを狂わせた。だから、俺はそれを修正する。
過去を取り戻し、全てを正す。だから、歪みはこれで終わらせる。
だから……エルティナ! お前は俺に喰われろ! 俺は全てを取り戻す!




