787食目 復活
その優しい風の正体は風の枝の吐息。ラングステンの風を思い起こす風に油断をしたアルフォンスはゆっくりと静かに解けてゆく。
それをフウタとリマスは見ていることしかできない。どういうことか、彼らは動けなかった。指一本動かせない。だが、意識だけは動いている。
視界に入る全てのものは動きを止めており、動いているのは風とエルティナだけだ。
「時間を止めた。正確には、俺以外に流れる時間を喰らい続けて塞き止めている、が正しいかな」
バカな、そう口に出したいものの、口すら動かせない。何もかもが常識外れで桁違い。
フウタは素直に勝てないと悟った。完全に自分の心がへし折れた音が聞こえたのだ。
「フウタ、チート転生は堪能できたかい?」
フウタの答えは決まっていた。チート転生なんていらなかった、と。そして、これのどこがチート転生なのかと。
チート転生を遥かに超える転生者に捕食された彼は、自分の力の無さを嘆きながら消え去った。
「リマス、国で大人しくしてろって言っただろうに。いけない子だ」
「で、でもっ! あ、あれ? 声が出せる」
「いつまでも力を使っていたら腹が減るんだ。それよりも残っているのはおまえだけ。痛くしないから、ぱっくんさせろぉ」
「で、でででででででもっ!」
「おっぱい触らせてやるぞ?」
「え?」
「掛かったな! あほぅがっ!」
「ひどっ……」
「ふっきゅんきゅんきゅん……リマスも色を知る歳か」
最後は、まさかの色仕掛けであった。エルティナは自身の豊満な乳房を見せ付けてリマスの動揺を誘う。
お年頃のリマスはうっかり油断。背後からこっそりと忍び寄っていた闇の枝にぱっくんちょされてしまう。あんまりな最期であった。
「ふきゅん、おつかれ~っしたっ!」
「おつ~」
そして、エルティナと桃吉郎はミッションコンプリートと言わんばかりにハイタッチを交わす。そんな姿に残された三貴人、吉備津彦、エティル、誠司郎とガイリンクードは呆れた。
「さて、これで、準備は整った。いやぁ、アルのおっさんの事情を理解した時の顔。皆に見せたかったんだぜ」
「おまえ、性格が悪くなってないか?」
「それほどでもない」
「褒めてない。いや、抑えられていた心が表に出てきた、といった感じか」
「良い子でいられる時代は過ぎ去ったんだぜ。これが、陰と陽の最後の戦いだ」
エルティナは桃吉郎の手を握る。傷だらけで、思いの外にごつごつした手が妙に暖かいと感じた。
「兄貴、今こそ憎悪を討つ時」
「あぁ、エルティナ、【桃太郎】を終わらせるぞ」
エルティナと桃吉郎が共に前へと進み出た。その後ろに三貴人の姿。
「エルティナ、桃吉郎。準備はいいですか?」
「あぁ、やろう、天照様」
「では……」
三貴人が祈りと共に、その身を光へと解してゆく。やがて、三種三様の輝ける輪となりエルティナと桃吉郎を包み込んだ。
「ありがとう、三貴人」
「いくぞ、エルティナ」
「あぁ、兄貴」
「「神降ろし!」」
ひと際、激しい光の柱がエルティナたちに降り注いだ。その光景を吉備津彦とエティルは身を寄せ合いながら見守る。
見守ってきた子供たちが遥か高みに至る瞬間、それを目の当たりにするのだ。
「おいでませ、伊邪那岐!」
「おいでませ、伊邪那美!」
日本神話の始まりの二人を、三貴人の生贄により呼び出し己に降臨させる。その圧倒的な力は並大抵の資質では受け入れることはできない。
しかし、二人はともにパンドラの箱の転生者である。無限とも言える容量に遂に日本神話の始祖は納まりを見せた。
「あれは……まさか!」
女神マイアスは崩れ落ちる超魔導騎兵ハルマゲドンを視界の隅に追いやり、降臨した伊邪那岐と伊邪那美を凝視する。彼女が最も恐れていた事態に身体を強張らせた。
「時間を掛け過ぎた! おのれ、ミレット! ぐあっ!?」
超魔導騎兵ラグナロクを取り押さえるハルマゲドン。ほんのわずかな隙、それをミレットは見逃さなかった。
「ふふふ、女神マイアス! おまえも連れてゆく!」
「冗談ではない! 離せっ!」
半壊したハルマゲドンはラグナロクが暴れる度に崩壊を見せる。しかし、ミレットの執念が憑りついた超魔導騎兵は恐るべき力でラグナロクを押さえ続けた。
その間に、エルティナたちは女神マイアスを打倒する神器を召喚する。
「「来たれ! 生み出すもの! 天沼矛!」」
エルティナと桃吉郎との手の間に輝ける鉾が姿を現す。日本神話における大地創造の鍵となった神器だ。
この鉾で混沌をかき混ぜ、鉾から滴り落ちたものが積もって島になったという伝説がある。その伝説の鉾を女神マイアスに対して使用するというのだ。
「ふきゅん! 意外と重い!? ちょっと、兄貴! ちゃんと持ってどうぞ!」
「おわぁぁぁぁっ!? 非力な白エルフに、これは無いでしょう!? きたない、日本神話の神々、きたない!」
切り札に振り回されながら、白エルフの兄妹はよちよちと移動を開始。そこは、何もない場所であった。だが、そこには女神マイアスの急所とも言える場所だ。
「いけない! 止めなさい!」
「やめれ、と言われて止めるとでも? そんなんじゃ、甘いよ?」
「ふきゅん、兄貴は極悪人だった?」
「俺だけ悪者に仕立て上げるのはやめろぉ」
桃吉郎とエルティナは何もない空間を天沼矛でかき混ぜた。すると、空間が歪み粘土のように景色が歪んでゆく。すると、超魔導騎兵ラグナロクの出力が急激に低下し始めたではないか。
「な、なんたること! エネルギー供給の道が塞き止められた!」
「ふふん、やっぱりここだったか。食っても食ってもすぐ直されるが、ここまでぐちゃぐちゃにされれば修復までに相当時間が掛かるだろう?」
「ふっきゅんきゅんきゅん、これで、そいつは使い物にならなくなったな」
マイアスは緻密な計算の下に建造された超魔導騎兵ラグナロクを使い物にならなくされて激怒とも憎しみとも取れない感情に支配された。やがて、それは諦めと呆れへと移り変わってゆく。
「参ったわね、ここまでやられるとは思ってもいなかったわ。完全に未来が変えられている」
『そのとおりです、女神マイアス』
玉座の間に男の野太い声が響いた。外部からのアクセスである。その声に女神マイアスは眉間にしわを寄せた。
「その声は……勇者タカアキ!」
『ご名答です。長かったですよ、この日のために日陰で過ごし続けてきたのは』
「ま、まさか……私の【ワールド・セレクト】がことごとく変わってしまった理由は!」
『ふふ、私の【ヒューチャーワールド・セレクト】の方が優先権が強いですからねぇ』
「バカな! あなたに【ヒューチャーワールド・セレクト】は備わっていなかったはず!」
女神マイアスは、この大誤算に声を荒げた。
あるはずがないのだ。彼女を恐れさせる未来選択の能力は、タカアキ自身の手で葬り去られたのだから。
『えぇ、この力は【魔王コウイチロウ】の能力です。あなたにとってイレギュラーとなる力を授かって転生した彼は、あなたの予想どおり、あなたに反旗を翻した』
「でも、魔王はあなたが殺したはず。何故、その能力をあなたが使えるというの?」
【ワールド・セレクト】……選択能力のひとつ。
歴史の節目には選択肢が現れる。常人ではそれを見ることは叶わない。しかし、この能力を持つ者はそれが文字として現れ、幾つかの選択肢が表示されるのだ。
且つ、ヒューチャーワールド・セレクトとなれば、更に能力は拡張され、歴史の節目が来る前に未来を選択することが可能となる。
女神マイアスはワールド・セレクトの使い手であった。ただし、使用するには莫大な【運】が必要になる。アラン。ズラクティたちのような犠牲者から【運】を回収していたのは、全てこの為だ。
『あなたは、私を調べなさ過ぎた。それが、仇となったのですよ』
「そんな事はない、私はきちんと……」
『私はここに来る前に、三つの異世界を渡り歩いております』
「な、なんですって!?」
『魔王コウイチロウ、彼とは二回目の異世界転移までは親友として、共に巨悪に立ち向かっておりました。もっとも、その戦いで彼は戦死してしまいます』
「ぐ……その彼の転生先がここだった、というわけね」
『そういうことです。そして、彼は前世の記憶を全て持っており、その記憶を活かして魔王の座へと上り詰めた。全ての未来を知り得ていた彼は、己の運命を受け入れ、私の到来を待った。魔王としての演技を続けながら』
衝撃の事実にエルティナは身体を強張らせた。タカアキの理不尽なまでの強さ、そして、途中から劇的に弱くなったように感じた事、その全てがこの日のための偽り。
「友との約束のために、十年以上も自分と周囲を偽り続けてきたというのか」
真の勇者とは、友情とは何かを感じ取ったエルティナは、この隙を突いて懐からイチゴサンドを取り出し口に運ぼうとした。
しかし、それは桃吉郎に略奪され、彼の口の中へと納まる。激しい憤りを覚えた彼女はエティルの豊満な乳房へと飛び込み、桃吉郎の邪悪な行為を訴える。
桃吉郎は慌てて釈明会見をおこなうも、周囲からのバッシングでピンチとなり、まさかの居直りでこれを凌いだ。
何をやっているんだ、こいつらは。
『この腕にコウイチロウの力が宿っているのです。彼の全てを、希望が籠った腕を、私は受けとりました。そして、未来を託されたのです』
「……やられたわ。計画の全てが水泡に帰したのは、あなたの仕業だったとは」
『えぇ、私と、コウイチロウは、共に勇者ですから』
「でもね、ここまできたら、はいそうですか、とはいかないのよ」
尚も抗う姿勢の女神マイアス。彼女の鬼力が膨れ上がった。
いよいよもって、ふざけている場合ではない、とエルティナと桃吉郎は応戦の構えを見せる。
そんな二人に、エティルは駆け寄り二人を抱きしめた。
「ふきゅん、桃先生?」
「……」
エルティナは首を傾げた。桃吉郎は事情を察し黙りこくる。
「エルティナ、桃吉郎。あなたたちの成長した姿を見ることができて、思い残すことはありません」
「何を言っているんだぜ?」
「エルティナ……いえ、桃姫。私に残された力を返す時が来たのです」
「おいぃ、それは予定外だるるぉ?」
それは、エルティナとの永遠の別れを意味するものであった。当初の予定としては、エティルは【残る者】として約束の日を迎える、としていたのだ。
しかし、彼女はその身を娘に差し出すという意志を示した。これにエルティナは反対の意を示す。
「そんな事をすれば、桃先生は下手をすれば未来には行けない、行き難い! 全てを喰らう者同士が喰い合えば、どうなるか説明しただるるぉ!?」
「分かっています、ですが、私は本来、あなたがおこなっていることをするために生み出された者。その力を残したままでは、きっと未来に災いを残してしまう」
エティルは、エルティナの頬を撫でて諭すように語った。
「私を喰らいなさい、真なる約束の子エルティナ。あなたが己の心を喰らってまで、完全にしようとした光在る未来のために」
「で、でもっ!」
明らかな動揺、エルティナの心は光の枝ですら食らい切れなかった。大恩ある者を喰らえ、とエティル自らエルティナを諭すのだ。無理もない。
しかも、血の繋がった肉親。喰らえば二度と会えぬかもしれない恐怖にエルティナは怯えた。
「エルティナ」
「あ、兄貴……」
桃吉郎は既に定めを受け入れている。鋭い眼光はエティルとの別れを告げているに等しい。
エルティナは震える眼で母を見つめた。彼女は微笑んでいる。
「くそったれぇぇぇぇぇぇぇっ!」
友を、養父たちを喰らっておきながら、それは許されない。
絶対なる使命感、全てを喰らう者としての責任、怒り、悲しみ、憎しみ、愛情の全てを込めて、エルティナは母エティルを喰らった。
瞬間、欠けていた何かが補われる感覚に陥る。ドクン、ドクン、と脈動する魂は遂に完全なるものとなり、エルティナに神聖なる宣言をおこなわせた。
彼女は右手を天に掲げる。開いていた手を握りしめ、力ある言葉を解き放つ。
その姿を、兄桃吉郎、父吉備津彦は見守る。誠司郎とガイリンクードは偉大なる者の再誕を祝福した。
「神魂融合……【始祖竜カーンテヒル】!」
エルティナが輝きを放つ。白金の輝きと共に巨大な竜が姿を現した。
八本の角、四対の翼、白金の鱗で身を包んだ美しき竜、始祖竜カーンテヒルである。
エルティナの肉体を器とし、遂に完全なるカーンテヒルが、終焉の地に復活したのだ。




