732食目 あと五年
重苦しい沈黙を破ったのはフォルテだ。トウヤから言い渡された宣告、それを再び言葉として再現する。
「あと五年」
「……」
大切なものを、仲間を、そして最愛の人を護るため、彼は命を削り、魂をも削り続けてきた。その果てに得たものが、残り寿命五年という現実。
そのあまりな結果にメルシェは絶望のどん底へと叩き落される感覚に陥った。
「フォルテ、なんで、教えてくれなかったの?」
「……きみを護りたかったから」
「嘘。そうじゃないでしょ?」
「……」
メルシェの指摘にフォルテは沈黙するより手段がなかった。そして、それは肯定をも意味している。彼がメルシェに真実を伝えなかったのは、こうなる事が分かっていたがためだ。
魂食い【ソウルイーター・ブースト】は絶大なる能力上昇の恩恵を得る事ができる。しかし、この力を使わないフォルテは汎用の域を出なかった。モモガーディアンズたちの中でもトップクラスの能力だったのは、あくまで幼少期のみ。
各々が成長をしてゆく中、フォルテの能力の成長は微々たるものであった。それは、彼が早熟であったことを意味する。
取り残されてゆく自分に、フォルテは焦りを覚えた。しかし、どう足掻いても成長は頭打ちであり改善される見込みがない。
ではGDを扱ってはどうか。やはり、汎用の域を出ない。模擬戦に付き合ってもらったレイヴィにも才能がない、と断言されてしまう。
「俺には【これ】しかなかった」
「そんなことないよ。だって、フォルテはラングステン英雄戦争の時だって大活躍したじゃない」
「昔の事だ、その当時が俺の全盛期。俺は皆に取り残されていった」
フォルテは語る、自分の葛藤とメルシェにへ秘めた想いを。彼女に対する愛は本物だ。
しかし、それは叶わないことだ、と彼は諦めていた。初めから、こうなるように調整され彼は誕生させられていたことを理解していたのだ。
「きっと、【ヤツ】は俺のソウルイーター・ブーストを観測している。そして、それを有効的に活用するだろう」
「そんな……」
「メルシェ、俺はおまえとは一緒になれない。死ぬ男に何かを望まないでほしい」
メルシェは絶句した。そのような素振りを一切見せなかったフォルテの心情を打ち明けられた挙句、自分とは一緒に慣れないと突き放されてしまったのだ。
「そんな一方的にっ! 私の気持ちはどうすればいいの!?」
「……すまない」
「酷いよ、酷いよっ!」
メルシェは居た堪れなくなり、フォルテの家を飛び出してしまった。独り残された彼はベッドに身を預ける。咳き込むと止まらなくなり、暫くの間、呼吸もままならなくなる。
ようやく咳が止まった。消耗した体力は少なくない。まるで病人だ、と自嘲する。フォルテは己の額に手の甲を当て、シミが多くなった天井を漠然と眺めた。
「……忠告を無視した報いか」
誰もいない部屋に自分の荒い息が大きく聞こえた。フォルテは考える、どこで間違えたのだろうかと。なんてことはない、生れた瞬間からだ、と結論付けた。
「これでいい……これで」
フォルテは目を閉じる。次目覚めるかどうかも分からない眠りへと。
怖さはない。ただ、後悔は海のごとき広さで存在していた。
薄暗くなった道を駆け抜けるメルシェに、町人は何事だと振り返る。涙がこぼれ落ち視界が歪むが、彼女はお構いなしに走り続け、フィリミシア中央公園に入ったところで足を取られて転倒した。
「うっ、えぐっ、うあぁぁぁぁぁ……」
膝が擦り剥け血が流れ出ている。痛いはずだが、それよりも痛い部分がある。彼女の心だ。
フィリミシア中央公園に人影はない。魔力によって灯る明かりが膝を突いて嗚咽するメルシェを照らした。
彼女にとっては最悪の展開だ。フォルテによって何度も救われてきた命は、実のところ彼の命との等価交換だったのだ。
何も知らない彼女は、救われる度にフォルテへの恋慕の情を深めていった。しかし、それがフォルテを苦しめることになっているとは皮肉である。
「……」
一通り泣き続けたメルシェは泣き疲れたのか、ぼんやりと夜空を見上げる。
どうして、気が付いてあげられなかったのだろう、と考え再び涙が溢れ出す。
あんなに一緒だったのに気が付きもせず、自分の一方的な気持ちを押し付けていたのか、と自問自答する。答えなど出るはずがないのに。
「痛いよ、苦しいよ……フォルテ」
慰めてくれる彼はもう隣にいない。そう認めてしまうと、メルシェは急に周りの温度が低くなった気がした。それどころか、体温までもが下がっているかのように感じてしまったのだ。
「もう、私たち、お終いなの? あんなに一緒だったのに」
億劫そうに立ち上がったメルシェは、よろよろと危なっかしい足取りで自宅へと向かう。彼女をナンパしようと声を掛けたチャラい若者が思わず心配してしまうほどに。
「ん? あれはメルシェか」
憔悴したメルシェは、途中で割引商品を漁っていたシーマによって保護される形となった。
大量の戦利品にほくほく顔のシーマに対し、メルシェは魂が抜けたかのような表情だ。流石のシーマもいつまでもにやけてはいられない。メルシェに事情を聴きだす意向を固めたようだ。
「酷い姿だな……何があった?」
「……」
ショックが強かったのか、メルシェは呼びかけに応じることがなかった。
ただ事ではないことを悟ったシーマは取り敢えず自宅へとメルシェを招き入れ、負傷している膝を治癒魔法で治療した後、ハンカチを彼女に差し出しす。
ところどころに修繕の痕が残るハンカチだ。十年間、シーマと苦楽を共にした戦友といっても過言ではない。
「取り敢えずは涙を拭え。酷い顔だぞ」
「……うん」
ずびびびびびびび! ぶしゃぁぁぁぁっ! ぼりゅりゅりゅっ!
「おまっ!? お約束だが、盛大にやり過ぎだ! ハンカチはそれ一枚しか持っていないんだぞ!」
せこ過ぎである。シーマは十分過ぎるほどの賃金を、モモガーディアンズ本部から支給されているのだが、幼少期に培った節約術が染みついており、極限の節約生活をいまだに送っている。
その浮いた分は、フェイ家の跡取りである弟にたっぷりと継ぎ込んでいるのだが。
その弟もしっかりと節約家に成長、家の無駄な出費を抑えている。フェイ家の未来は明るい。
「うう、ごめん。色々と出しちゃいたかったから。後で新しいのを買って渡すね」
「一番良いやつを頼む」
ちゃっかり高級ハンカチを要求したシーマはメルシェを自室へと招き、彼女から経緯を窺った。そして、その内容に呆れる。
「何を考えているんだ。前髪で表情が読めなかったから分からなかったが、命を削ってまで通す見栄ではあるまい。私たちに頼る、という選択肢があったろうに」
ケトルの熱湯をくたびれた急須に注ぎながら思い浮かべるのはエルティナの姿。彼女は迷うことなく仲間を頼る。それは力を付けた今であってもだ。
それは仲間に絶対の信頼を置く事ができる彼女の才能。これは稀有な才能でもある。
「(せめて、その十分の一でもフォルテにあれば……いや、結果論か)」
シーマは微かに色が付いた紅茶をメルシェに差し出した。五回ほどお湯を注ぎ飲んだ後、しっかり乾燥させて再利用した、彼女お手製の【せこ茶】だ。味も香りもごく微量であり、ほぼお湯である。
「……お湯?」
「鼻が詰まって、味とにおいが感じられないのだろう」
殆ど物が置いていない彼女の部屋は、ある意味でフォルテの部屋と同じ環境といえた。
少し違うのは、破れた下着を修繕している痕跡が残っていることであろう。シミが残る下着は修繕せずに買い替えろ、と説得したいところである。
「しかし困ったものだ。自分の見栄のために自己完結までするとはな」
「……」
「それで、あと五年というのは間違いないのか?」
「……うん、トウヤさんが断言してたから」
むぅ、とシーマは顎に手を添えて唸った。トウヤが断言する、というのは慎重派の彼が【ゆるぎない未来】である場合にのみおこなわれる。つまり、あと五年は確定事項なのだ。
彼とて、あらゆる手を尽くしたであろう。それでも五年しかないのだ、とシーマは結論付けた。
「もうどうにもなるまい」
「そんな……」
シーマの断言にメルシェは再び俯いてしまった。込み上げてくる涙で視界が歪む。
「落ち込んでいる暇はないぞ」
「え?」
「【あと五年しかない】、と【あと五年もある】、とでは違うんだ。本当にフォルテが好きなのならば、ヤってしまえ」
シーマは悪い顔をしながら、人差し指と中指の間に親指を差し込んだ。それを見たメルシェの顔が見る見るうちに赤く染まってゆく。
「ちょ、ちょっと、シーマちゃん!? 女の子がそんなのはしたないよ!」
「子供じゃあるまいし、これくらいは問題ないだろう」
あっけらかんと言い放つシーマは、メルシェに女としての在り方の一つを教える。
「そんなに好きな男なら、未来に遺せばいい。女ならそれが可能だろ」
「それって、赤ちゃんを作れってこと?」
「それ以外の何がある。女にしかできないことの一つ、というか女の存在意義だ」
シーマはメルシェに熱弁を振るう、子供を残すことの意義を。次第にメルシェは謎の使命感に目覚め、フォルテとの間に子を設ける意志を固める。
このように、男性経験が豊富であることを窺わせるシーマであるが、彼女は完全無欠の処女である。後ろの穴こそタコさんに掘られたが。
全ては理想と妄想と欲望で彩られた推測と予想。捨てられていたエロ本やエロ小説を拾い、それを熟読して得た不確かな知識。それに踊らされるメルシェ。
ここに、女としての戦いに臨む少女の姿があった。果たして少女は大願を成就し女になる事ができるのであろうか。
彼を未来に遺すことができるのであろうか。
後日、このことが発覚し、シーマはトウヤにしこたま説教されることになるのだが、それはまた別の話である。




