728食目 白と黒と
邪鬼と化したアポロンとの戦いは佳境を迎えた。遂にルナキャノンのエネルギーが臨界を迎えたのである。
その膨大なエネルギーは、ツクヨミをも戦慄させた。本当は八割ほどで発射する予定であったのだから。
しかし、仲間の一人が瀕死に陥ったとの報が入ったと同時に、エルティナに変化がおこった。彼女の桃力が一気に増大、目を疑うような速度で桃力が補充されていったのだ。
それでいて丁寧であり、神桃の若木が傷付くことはないという。まさに神業というに相応しいおこないであった。
「俺の怒りが……有頂天に達した! もう許さねぇぞ、おいぃ」
純然なる怒り、それと対になる純然なる【憎しみ】。陰と陽を備えるエルティナは、この二つの力を心で回す。それは桃力を生み出す奥義にして基本。
「これが……百代目桃太郎」
初代桃太郎が自慢げに語るわけだ、とツクヨミは納得した。そして、終わらぬ鬼と桃使いとの戦いに終止符が訪れるであろうことも。
「(姉上、我らがおこなってきたことは、無駄にならなさそうです)」
ツクヨミはリルフを椅子に座らせた後に、ルナキャノンの操縦席へと着いた。そこには銃の形をしたレバーが備わっており、正面にスクリーンが設置されている。
「ええっと……確かこれですね。あ、動いた。次は……これ」
タッチパネルを人差し指だけを用いてポチポチと押してゆく姿は、機械に慣れないお姉さんを彷彿させる。たどたどしくはあるが、ルナキャノンは素直に発射準備を整えていった。
地響きと共に月面が開き、巨大な砲塔が姿を現す。銀色の装甲に包まれたその姿は、威容を惜しむ事なく放っている。
「最終システム起動。セーフティー解除、全装甲を破棄」
爆発と共に銀色の装甲が剥がれ落ちてゆく、その下から姿を現したのは神々しいまでの色をした装甲であった。
「もう、後には退けませんね」
黄金に輝く姿は、その全てがヒヒイロカネで構築された巨大な銃だ。このとんでもない量のヒヒイロカネは、ツクヨミが長い年月を掛けて集めてきた物である。
全ては女神マイアスを欺くための芝居。これを完成させるために、ツクヨミは長い年月を姉から離れて生きてきた。
「ルナキャノン発射準備完了。後は引き金を引くだけです」
ツクヨミの発射レバーを握る手に汗が浮く。実はツクヨミ、戦いとは無縁である。そしてこの一撃は、確実に責任が伴うものになろう。
理解してはいても手の震えを止めることは叶わなかった。それを見抜いたエルティナは、ツクヨミと交代することを提案する。
「ツクヨミ様、代わるんだぜ」
「……お願いします」
己に引き金を引く勇気がない事を見抜かれたツクヨミは、素直に席を明け渡した。
代わりに席に着き、発射レバーを握る竜人エルティナは確信する。
「尻尾があると座りにくい」
「汝は相も変わらず締まらぬな」
最後まで、グダグダになるのはモモガーディアンズの伝統か。慌てて竜信合体を解除し、白エルフへと戻った。右肩に乗る子竜は、そんな彼女の覚悟を見届ける。
「んじゃ、改めましてっと。ララァ、サポートできるか?」
「……ききき……勿論。既に、この機器の性能は把握したわ……」
キーボードタイプだけではなく、タッチパネル方式の機器をも自在に操るララァは、エルティナが座る席にサポート用の立体画面を出現させる。
これはツクヨミがドクター・モモに渡されたプログラムを組み込んだものの、どうやって表示させるか最後まで分からなかったものだ。それを簡単に表示され、ツクヨミはほんのりと凹んだ。
「おっ、いいぞぉ、これ。アポロンは射線軸に入りそうか?」
「……もう少し……」
ララァの言葉どおり、エルティナの正面スクリーンには赤いラインが伸びており、その部分にアポロンがおびき寄せられているのが確認できた。
「ふきゅん、でも……これじゃあ、ヒーちゃんごと巻き込んじまうな」
「……大丈夫じゃないかしら? だって、あなたの桃力でしょう……?」
「それもそっか、桃力だし、それに……」
エルティナは予感めいたものを感じていた。それは数年ぶりに再会した親友を目の当たりにした瞬間。彼女は、彼女と繋がるのを感じたのだ。
『エルティナ』
『ふきゅん、トウヤ。フォルテの説得は終わったか?』
『いや、強制的に意識を刈り取ってブランナに回収させた』
『無茶するなぁ』
『お互い様だろう。それに、あのままだとフォルテの寿命が尽きていた』
『あの状況だと強くは言えないし……困ったもんだぁ』
ここまで沈黙を守っていたトウヤはフォルテの説得に当たっていた。しかし、怒りの心に支配された彼は耳を傾けようとはしない。
そこで、散々にアポロンを痛めつけていた彼の意識を桃仙術で強制的に刈り取り、個人スキル【ソウル・イーター・ブースト】を強制終了させたのだ。
「お、射線軸にアポロンのヤツが入ったな」
「……ききき……ルナキャノン、オールグリーン……」
「エネルギーも安定だ。いつでもいけるぞ、エルティナ」
「応、いっちょやってやるか」
エルティナのレバーを握る手に力が籠る。一度、大きく息を吸い込み、静かに吐きだす。
正面スクリーンには黄金の矢を放つヒュリティアの姿と、彼女を護るエドワードの姿。
「ヒーちゃん」
親友の名を呟く。それは何かの発動キーのようなものであった。白と黒はその瞬間、繋がった。
「……エルっ!」
正しく【白の意志】を受け取った【黒き受け皿】は己が使命に目覚める。
何故、黒エルフは同じくカーンテヒルに創造されし眷属であるのに、魔法も使えぬ不完全な存在であったのか。
その全ての答えは、今、明かされんとしていた。
「アルテミス! 私に力をっ!」
ヒュリティアの黄金の弓が彼女に応えんと輝きを帯びる。その傍にいたエドワードは妻エルティナの膨大な力を感じ取る。しかし、それは彼がいつも感じている彼女の力とは別種のものであった。
「この力は……そうか、始祖竜の望んだ姿がようやく」
エドワードは手にする剣からカーンテヒルの意志を感じ取り、ヒュリティアから離れていった。そして、今から起る全てを目に焼き付けんとする。
その時は、遂に来た。
「目標をセンターに置いて、ターゲット……ロック! ルナキャノン、発射っ!」
エルティナがルナキャノンの引き金を引いた。莫大な桃力の奔流が黄金の銃から発射され、赤黒い巨人アポロンへと迫る。
背後より迫った桃力の奔流に包まれる巨人は悲鳴を上げながら、蛇の集合体である肉体を崩壊させていった。その凄まじいエネルギーは巨人を突き抜けてヒュリティアをも飲み込む。
「やったか!?」
超一級のフラグ柄を立てた者がいた。余計な事をすることで話題となっているトチだ。
「おいばかやめろ」
「だから、といって乳首はやめろ」
セクハラチックなツッコミをおこなってきたロフトにツッコミを返したが、時すでに遅し。
アポロンは完全消滅には至らず、肉体を崩壊させつつもアルテミスを求めて手を伸ばす。
「……!?」
だが、その手の動きが止まる。それは困惑からだ。手を伸ばした先にいた者はアルテミスではなく、黒エルフのヒュリティアでもない。
白き者の姿であった。
「……我、カーンテヒルの代行者なり」
そこには白い肌、金髪碧眼の少女の姿があった。桃力に包まれし桃使いの姿があった。
「え? あれって……ヒュリティア!? どうなって……」
「いや、なんで白くなってんだよ!」
困惑するモモガーディアンズ。だが、そんな事はどうでもいい、とユウユウが窘める。
「問題は、なんでヒュリティアが【エルティナ】と同じ規模の桃力と魔力を生み出しているか、よ!」
ユウユウは鬼であるがゆえに戦慄していた。
現実問題として、エルティナと同じ規模の桃力と魔力を、ヒュリティアが生み出してる。あってはならないし、あってはほくなかった。鬼としては、だが。
「これが、当初の目的……カーンテヒルの代行者。強靭な肉体と莫大な魔力を持つ神の代行者か」
エドワードは、この結果に満足するカーンテヒルの意志を感じ取る。
黒エルフは魔法を代償にして、強靭な肉体を獲得していた。呪いによるものだというのは、権力者が都合のいいように彼らに吹き込んだものであり正しくはない。
対して、白エルフは莫大な魔力を保有するが、肉体が貧弱過ぎた。カーンテヒルはこの両者の長所を組み合わせた眷属を創造したかったのだが、どうしても上手く行かなかった。
そこで彼は考えを変えた。元々彼らは一つの存在であったではないか、と。
黒エルフは白エルフと対になるように生み出された。そこに上下関係はない。白が望めば黒は白になり、黒が望めば白は黒になる。その二つの心が重なった時、白と黒は真なる存在へと至るのだ。
だが、今の今まで、白と黒の心が交わる事はなかった。互いの長所を羨み妬んだからだ。しかし、ここに白と黒の心は重なり新たなる道は示される。
ヒュリティアが黄金の弓を構えた。輝ける弦が姿を現す。彼女はそれを引いた。ゆっくりと引かれてゆく弦に合わせ、彼女の髪がプラチナへと変化する。
その姿にモモガーディアンズたちは思わず「あっ」と声を出してしまった。
「……これが、私たち黒エルフが存在する理由。私たちだけでも、白エルフたちだけでも完全ではない理由。私たちは……二人で一つの存在」
繋がる心は桃力の矢を生み出す。先ほどの莫大な桃力の全て吸収し、それを凝縮した救済の矢だ。
その輝きに赤黒い巨人は竦み上がり、豆粒のような大きさの少女を恐れた。後ろに下がる足、それは飢えを上回る恐怖によるものだ。
エドワードは確かに見た。ヒュリティアに重なるエルティナの姿を。そして、彼女から現れる全てを喰らう者たちの姿。ヒュリティアを守護するその姿は、まさに……。
「「……私が、私たちが! 全てを喰らう者だっ!」」
ヒュリティアの声にエルティナの声が重なり、桃力の矢は放たれた。光の軌跡を残しながら莫大な力でもって巨人を逃さない。最早、巨人は成す術がないのだ。
そして音も無く、光の矢は怯え竦む巨人の心臓を射抜いた。即ち、アポロン本体をだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!」
それは巨人の悲鳴であっただろうか。それとも解放される喜びであっただろうか。かくして、巨人は桃色の粒子に解されて霧散してゆく。
最後にアポロンの本体が姿を見せる。醜悪な姿はそこにはなく、かつてあった太陽神の姿がそこにあった。
「すまない、ありがとう……」
顔を上げた彼に邪気は見受けられない。ヒュリティアに、アルテミスに謝罪と感謝のみを伝え輪廻の輪の中へと還っていった。
「……アルテミス……これで、よかったのよね」
ヒュリティアが黄金の弓を下ろした。彼女の目から滴が一滴流れ落ちる。それは、アルテミスの涙であっただろうか。
神が輪廻の輪の中に還る。これは一大事件である。世界の摂理が崩壊している証であるのだから。
聞こえる者には聞こえるであろう、終末を知らせる音が。まさに、それは訪れんとしているのだ。全ての命を巻き込む最終戦争、その靴音が。
「始まるのだな……全てを賭けた最終戦争が」
そこには昼行燈を装う男の姿はなく、温存していた力を解放した天空神の姿があった。




