724食目 いつか再誕の日まで
モモガーディアンズが導かれた場所、そこは闇の世界であった。
だが、闇であっても不安は生じない。温かく、そして優しさすら感じる空間であった。例えるなら母親の胎内といえようか。
そのような原初の安心感を覚える少年少女たちは戸惑いながらも、この状況を確認しようとする。
「ふきゅん、ここは……」
大小さまざまの光が点いては消える。それはエルティナに、ここが宇宙空間であるように思わせた。しかし、地面を踏みしめる感触がある。ゆえに、ここは宇宙空間ではないことを認識させた。
他のモモガーディアンズたちも、エルティナと同様の認識を示す。ついでにクァチル・ウタウスも同じ認識をしたもよう。
「おいぃ……アルア。クァチル・ウタウスはしまっとけ。危ないから」
「あはは! くくあるるるるるるる! あははは! ひっく」
アルアは酔っているがエルティナのいうことには理解を示し、名残惜しそうにクァチル・ウタウスを帰還させた。
「くち~」
「あはは! ばいばばい! あははは! ひっく」
アルアがクァチル・ウタウスたちを帰還させたのを見届けたエルティナは、治癒魔法〈クリアランス〉にて彼女のアルコールを除去。酔いを醒まさせた。
尚、背中のバイアクヘーは問題無し、と判断したようだ。
「くへ~」
「悔しい……親近感を感じる」
そんな蠅もどきのバイアクヘーに、ガイリンクードに宿る大悪魔ベルゼブブが反応する。
似て異なる存在であるのだが、彼女としては気になるようだ。対して、バイアクヘーの方は、まったく気にしてはいない様子を見せた。
「それで……ここは、どこなんだ? 宝石箱をひっくり返したような空間だけど」
マフティは周囲を見渡しながら、率直な感想を述べた。彼女の大きな兎耳はひっきりなしに動き、かすかな音をも拾い上げんとする。
ぷぅ。
彼女が拾い上げた音は、聞きたくもない音であった。
「誰だよ! 屁をこいたのはっ!?」
「ふっきゅんきゅんきゅん……ごめりんこ」
緊迫した状況下に置いて、緊迫感がまるでない音を発生させたエルティナは、これを素直に謝罪。このまさかの珍行動に、モモガーディアンズたちの緊張は一気に消滅してしまった。
「食いしん坊は、大人になっても全く行動が変わらないねぇ」
「それほどでもない」
「褒めてないよ」
プルルに呆れられる珍獣は、頭上でひらひらと舞う月光蝶たちを認めた。
最初は十羽程度だった虹色に輝く蝶たちは、次第にその数を増やしてゆき、やがて星空に流れる虹の川と見紛う群れを作り出した。
「ピカチョウたちが、いっぱいだぁ」
「月光蝶がこんなに……信じられないような光景だよ」
エドワードが言うように、それは決して地上では見られない光景だった。
伝説として伝えられてきた輝ける蝶が織りなす川の流れは、やがてモモガーディアンズたちを飲み込む。
ふわりと浮く身体。温かいとすら感じる輝きに包まれて、彼らは輝ける蝶の母の下へと運ばれる。
そこは、闇の中にあって光の世界であった。輝ける蝶たちは思い思いの場所にて、その虹色の翅を休ませている。その場所とは鉢に植えられている若木だ。
その若木を目撃し、反応を示した者が二名。エルティナとプルルである。
「これは……神桃の若木?」
「ふきゅん、間違いねぇな。桃力を感じ取る事ができる」
二人が感じ取ったように、この若木たちは未来の神桃の大樹の候補たちであった。彼らは吟味に吟味を重ねられて、やがてこの地に根を据えるか、桃使いたちの下へ行くかを決められる。
「こ、ここはいったい、どこなんだい? あまりに空気が澄み過ぎていて肌が痛いくらいだよ」
プルルは保温効果に優れたGDスーツ越しに、その細い二の腕を擦る。このスーツを身に纏っての寒気などあり得ないというのに。
それもそのはずで、彼女が寒気を感じているのは肉体ではなく、その魂だからだ。
「神気の性質なんだろうなぁ。この部屋は神気で満たされてるんだ」
エルティナは流れてくる神気の大本を探し当てた。そこに居る神を感覚的に捉えたのである。
その神気の穢れの無さは処女性を思わせた。であるなら、彼女しかいない。
「そうだろ? ヒーちゃん」
「……エル、ようやく会えた」
ふわり、と光のカーテンが開くような感じで空間が歪み開けてゆく。そこには成長した姿のヒュリティアが、黄金の弓を抱いてモモガーディアンズを待ちわびていたのである。
「ヒュリティアっ!」
「……皆も、よく無事で」
ヒュリティアの下に駆け寄るモモガーディアンズたち。ここにようやく、全てのクラスメイトたちが揃ったのである。嬉しくないはずがなかった。涙もろい者は涙を流し再会を喜んだ。
「……再会を喜ぶのは後で。今はアポロンを止めることを先決させましょう」
「ふきゅん、そうだな。それからでも遅くはないんだぜ」
といいつつ、ちゃっかりヒュリティアを抱きしめて満足そうな表情を浮かべるエルティナは、まさに邪悪そのものであった。許されざる行為である。
しかし、エルティナは名残惜しそうに彼女から離れる。彼女から神気の高まりを感じ取ったからだ。
それは、ヒュリティアの内に宿る神の顕現を感じ取っての事。即ち、女神アルテミスが表に出てきたのである。
「全てを喰らう者よ、私の名はアルテミス。かつて女神と謳われし者」
「今はヒーちゃんの紐か?」
「辛辣な言葉ですね。でも、そのとおりです」
アルテミスは語った。どうして、ヒュリティアと神魂融合するに至ったかを。
事の発端は、彼女の兄であるアポロンが力を欲したことによるものだ。
彼はいずれ訪れる終末に恐れを抱いた。この、やがて訪れるであろう終末は、神々の間でもトップクラスである主神のみに情報が共有されていたにもかかわらず、アポロンは終末を予期していたのである。
それもそのはずで、彼には百パーセント的中する予言の能力を持っていたのだ。その力こそが、彼を狂わせてゆく。この予言は、彼にとって死刑宣告と同義だからだ。
だからこそ、彼は力を欲した。何者にも屈せぬ圧倒的な力を。しかし、ここで思わぬ落とし穴を発見することになった。神は衰えることはあっても成長することがないのだ。
彼は悩んだ。己を鍛え上げても成長しないのでは意味がない。外的要因で己の力を増強するしか手段がないからだ。だからこそ、神は信仰を求める。
ここに至り、ようやく神が信仰を欲する理由を理解したアポロンであったが、時すでに遅し。信仰はすっかり廃れて久しい。
それでも彼は悩み苦しんだ。そこで相談を持ちかけたのは彼の双子の妹、女神アルテミスだ。
彼女は兄たるアポロンの苦悩を察し、二人で力を合わせてこの苦難を乗り越えよう、と手を差し伸べる。それが、間違いの始まりであった。
ここで、父たる天空神に相談を持ちかけていれば未来は変わったであろう。彼は手の掛かるアポロンに難色を示していたが憎んではいないのだから。寧ろ、手の掛かる子ほど可愛らしいとすら思っていた。
しかし、子の方はそうは思っていない。父に疎まれている、という被害妄想によりどんどん卑屈になっていった。歯車は狂いに狂い、いよいよアルテミスではどうにもならなくなった時、彼女は遂にゼウスに相談しようと兄に持ちかけた。
それが決定的となり、兄妹の仲に亀裂が入る。それは瞬く間に広がり、修正が不可能な状態へと至った。
業を煮やしたアポロンは、ここで暴挙に出る。妹であるアルテミスの力を奪おうと彼女に襲い掛かったのだ。
アポロンとアルテミスは双子。元々は一つであった神気は二つに分かれ、力を弱めてそれぞれに宿った。
しかし、それでいても尚も強力。この二つの力が合わさった場合、途方もない力になる事は天空神も認めるところだ。アポロンは、その力を我が物にせん、と妹に手を掛けたのである。
それにより致命傷を負ったアルテミスは死に物狂いでなんとか逃走し、とある人物を頼った。人間に火を与え、天空神に罪を問われ、およそ三万年もの罰を与えられたプロメテウスである。
彼はゼウスの娘であるアルテミスを救う気などなかった。しかし、ここで彼はとある縁で知り合った島国の神ツクヨミの相談を思い出す。三貴人の一柱である彼女は人手を求めていたのである。
プロメテウスは彼女に対して借りがあった。それは三万年もの拷問の最中、彼はツクヨミに拷問による苦痛の一部を肩代わりしてもらっていたのだ。それは月が顔を覗かせる僅かな時間であったが、これこそが三万年の苦痛を耐えうる要因になったのである。
プロメテウスはアルテミスに応急処置を施し、転移装置を用いて地球外へと送り出す。その場所こそが異世界カーンテヒルであった。
奇しくも、当時のカーンテヒルはラングステン英雄戦争の真っ只中。アルテミスは死に掛けの状態でフィリミシアの町へと送られたのだ。そこで、彼女は一人の少女と出会った。
少女はアルテミスとの神気の波長が異常なほどに重なった。これ以上の相性の存在はいない、と悟ったアルテミスは、彼女との神魂融合を決断する。
話を持ちかけられた少女は困惑した。当時の彼女は一大決戦の最中にあり、戦線から離脱する事など許されなかったからだ。
しかし、アルテミスもここで引き下がるわけにはいかなかった。それこそ、命が掛かっているのだ。ここで、諦めるという事は滅びることと同じである。
困っている親友を助ける、という条件を飲み、ようやくアルテミスは黒エルフの少女ヒュリティアとの神魂融合を果たす。
しかし、アルテミスは力を失い過ぎた。そのため主格の座をヒュリティアに奪われてしまったのだ。だが、これこそがアルテミスを救う事になる。
アポロンはアルテミスを諦めたわけではなかった。執拗にアルテミス、否、残りの力を求めて僕を放ち続けた。しかし、ヒュリティアの内に沈む事になったアルテミスは、その力を内に留め、外に放つことはなくなったのである。
後はカーンテヒルの月にいるツクヨミにヒュリティアは回収され、多忙な彼女の手伝いをすることになった。主に、新桃の若木とキャタピノンたちの世話である。
ヒュリティアは特にキャタピノンの世話は非常に手慣れており、これにツクヨミはいたく満足し、プロメテウスに礼状を送るほどであった。
暫くは月にて、穏やかな日々を送るヒュリティアとアルテミス。二人はやがて、親友の間柄となっていった。
アルテミスは自由に動けない分、暗く静かで温かい空間にて、思考の海に埋没する事ができた。そこから導き出される世界の行く末。それは決して、兄アポロンが視た悲惨な終末ではないと確信する。
『ねぇ、ヒュリティア』
『……なぁに、アルテミス』
新桃の若木に桃水を与える黒エルフの少女に、アルテミスは残る力の全てを託すことを提案した。
それは、己が神であることを辞める事を意味する。この申し出にヒュリティアは酷く驚くも、彼女の想いを受けてこれを承諾。アルテミスの神気の全てを引き継いだ。
「兄は残る力を求めて、ここにまで押し寄せました。ツクヨミ様も、これは定めである、と仰り対策を講じてくれました。しかし、それが達成されるには、どうしてもあなたたちの力が必要不可欠。勝手な願いだとは存じ上げます。ですが……」
「おいぃ」
アルテミスの言葉を遮り、エルティナが口を開いた。アルテミスはびくりと肩を震わせて情けない表情を見せる。
しかし、エルティナは穏やかな表情を作り、力ある言葉を彼女に送った。
「桃使いは救うんじゃない、【救ってしまう】んだ。俺達に任せておけぇ」
「そのとおりだよ、細かい事情なんて抜きでいいのさ。そこに鬼がいるのであればね」
若き桃使いたちの救いの言葉に、アルテミスは涙を流す。神でなくなった分、人の情けが心に沁みた。
「ありがとうございます。どうか、どうか……兄を救ってください」
そう言い残し、アルテミスはヒュリティアの魂の中で眠りに就いた。この頼みのためだけに残していた僅かな神気を使い果たしたのである。
「……おやすみ、アルテミス。いつか、再誕の日まで」
ヒュリティアの穏やかで力強い言葉と共に、彼女から新しき神気が溢れ出してきた。
それは彼女が真なる新たな女神へと至った証。新たなるアルテミスの誕生であった。
「……女神アルテミスの代理、ヒュリティア・アルテミス。モモガーディアンズに復帰します」
「おかえり、ヒーちゃん」
「……ただいま、エル」
ここに元祖モモガーディアンズは集結を果たした。だが、喜びを分かち合う間もなく、鬼と化した神が押し寄せてくる。
彼らは禍々しき者に立ち向かう。それは、乞われたからではない、願われたからではない。ましてや運命というものですらない。彼らが前に進むのに邪魔だから立ち向かうのだ。
彼らにバックギアは装備されていないし、方向を変えるハンドルすらない。あるのはアクセルペダルのみ。
「ふっきゅんきゅんきゅん……来やがったなぁ? もう許さねぇぞ、おいぃ」
エルティナは不敵な笑みを浮かべ、戦意を増大させていった。




