723食目 導かれし者たち
だが、全てが揃う時を待っていたのは、何もナイアルラトホテップだけではない。彼の怨敵たる旧神もまた、条件が揃うのを待っていた。それも、彼のすぐ傍にてだ。
「っ!」
「(まて、今おまえが飛び出してどうするんだ)」
「(しかし……あのままではっ!)」
彼女は二人で一人であった。片方が死んでも、もう片方が生きていれば何度でも復活できる。そうやって、彼女たちはこの戦いを潜りぬけてきた。
そして、ずっと監視していたのだ。アルアを、ナイアルラトホテップを。
彼女は人間たちの味方であり、彼女も彼女を理解し協力していた。それも、彼女が幼い頃からだ。
道化を演じ、屈辱も甘んじて受け入れてきた。また、いくら困難に直面しようとも絶対にプライドを捨てることがない。彼女はプライドの塊のような人物であった。
彼女は、それが愛おしくてたまらない。自分のために、果ては未来のために己を使えと申し出てくれた彼女に。
「(とにかく表へ出るな。ヤツに勘付かれる)」
「(わ、わかった)」
彼女は彼女の心中を痛いほどに察した。アルアを殺す事など、いつでもできた。
しかし、それをしなかったのは、彼女にアルアに対する情が湧いたからだ。
「辛いな」
彼女は決断を迫られていた。その時は刻一刻と近付いてきている。世界を取るか、友人を取るか。世界と一個人を天秤に掛ける……馬鹿げた問題だ。
だが、彼女にとって、それはとても重く計りきれるものではなかったのだ。
「(できるのか……? アルアとアザトースの因果を断つなど)」
彼女は銀の剣を掲げ、降り注いできた赤黒い蛇を切り裂いた。紫色の髪をなびかせて、仲間たちと共に白い大地を駆け抜ける。
その先に、望む未来があると信じて。
「ふきゅん!? なんじゃありゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「灰が舞っているね」
「ちげぇ、そうじゃねぇよ」
エルティナは上空の赤黒い蛇が一瞬で灰へと帰しているさまを見て、戦慄を禁じ得なかった。それは否応も無く一つの存在を思い出したからだ。
そして、地上をよちよちと、ぎこちなく歩く異形の存在を目の当たりにし確信する。
「おいバカやめろ、クァチル・ウタウスじゃねぇか!」
「なんだい、それ?」
「邪神っぽいやつ」
「へぇ、切り捨てる?」
「いや、やめておこう。触らぬなんとやらだぁ」
エルティナはヤドカリ君に跳躍してもらうようにお願いした。彼はそれを承諾し、力いっぱい跳躍をおこなう。
予想外に高く飛んだことに、エルティナならずとも跳躍した本人も驚いた様子を見せた。
「重力が軽い!? 場所によって違うのか!」
「エル! 上っ!」
「ちぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
想定外な結果に戸惑う一同に、更なる困難が降り注いできた。それは言うまでもなく赤黒い蛇たちだ。その数は減ることがなく、増えてゆく一方である。
「シグルドっ!」
「おう!」
エルティナの右肩から黄金の小竜が、ようやくか、という表情で出現した。
「喰らえい!〈暴虐の音玉〉!」
小さな黄金の竜は桃色の音玉を口から放ち、迫り来る赤黒い蛇にぶつけた。瞬間、度し難い音と衝撃波が誰かれ構わず蹂躙を開始する。
「百連多重魔法障壁!」
エルティナは即座に魔法障壁を展開、音と衝撃波を防ぐと共に、その勢いを利用して距離を稼ぐ。吹き飛ぶ蛇たちの姿が瞬く間に小さくなっていった。
「今回はシャレにならねぇな」
「そうだね、数で圧されるのは慣れっこだけど、相手が小さい上に即死級の攻撃力じゃあ、いつまでも捌ききれない。何か手を打たないと」
その時の事だ、エルティナに囁き掛ける声がした。
彼女は大きな耳をピコピコと動かし、その声の主を探る。しかし、その声はあまりにか細く弱々しいものであった。
「どうした、エルティナ」
「シグルド、声がするんだ」
「声だと……確かに、微かにだが聞こえるな」
このままでは聞き取る事ができない、そう察したエルティナはシグルドとの竜信合体を決行、輝ける竜人へと至った。その際に獣臣合体は解除される。
「……聞こえた! ヤドカリ君! ここから北東に向かってくれ! エドはルドルフさんたちに北東へ向かうように〈テレパス〉を送ってくれ!」
「了解だよ」
か細い声は竜信合体による竜人化により、身体機能を強化することによって聞き取る事を可能にした。その声は確かに聞いたことがある声だ。それもかなり昔に。
「あれは……蝶か?」
「あぁ、間違いない、シグルド。あれはピカチョウだ!」
エルティナたちを迎えに来たかのように舞う、十羽の月光蝶の姿がそこにあった。虹色に輝く翅で宙を舞いエルティナを彼の地へと導く。
『いもっ!』
『いもちゃん、いもちゃん。おかあさんが、よんでるよ、よんでるよ』
『えるちん、えるちん。ひーちゃんが、よんでるよ、よんでるよ』
エルティナの左肩からいもいも坊やが飛び出し、仲間たちとの再会を喜んだ。
そして、彼らから伝えられる懐かしき友の名を聞き、エルティナの鼓動はひときわ高く音を立てた。
それは、運命が激しく動き出す切っ掛け。今、運命の扉は開かれようとしている。
モモガーディアンズたちを追いかける赤黒い蛇たちは密集し、一つの形を模った。それは人型だ。
「おぉ……おお……」
人ならざる者たちによって、巨人と化した存在は呻き声とも悲鳴ともつかない声を上げた。
そのおぞましい声は生きとし生ける者の心を汚染する。
「こあいよぉ」
「大丈夫だ、リルフ。私が付いている」
ルリティティスは、怯える我が子をきつく抱きしめ、赤黒い巨人の声を娘に聞かせまいとする。迫り来る絶望は、そんな彼女などお構いなしに、怨念の声を上げ続けた。
「これは、堪えるな。クラーク、耳栓してもいいか?」
「リック、あれはそんな物じゃ防ぎようがないよ」
リザードマンの騎士リックはゴーレノイド・クラークに軽口を叩いた。それは、本心からのものではない。
クラークも、それを理解していた。二人は無二の親友であるがゆえに。
「とにかく、走るんだ! エルティナの指示した方角に!」
「ひほほ! こういう時は剣士って役立たずですわっ! 銃でも習おうかしらっ!」
双子の姉妹剣士は全力で白い大地を駆け抜ける。ランフェイはそれほど気にしていないが、ルーフェイは走る際に揺れる乳房にいまだ慣れなかった。
「(あぁ、もう! 邪魔くさい!)」
ここに、彼女は乳房を手で押さえて走る事を選択。若干ながら速度が向上した。
「やれやれ、走るのはぁ、苦手なんだがよぉ」
「ガンズロックは体格的に走り辛いからね。ドクター・モモにGDでも作ってもらうかい?」
「やめてくれ、フォク。俺ぁ、どうもGDが苦手でよぉ。ケツがむず痒くならぁな」
やれやれ、とフォクベルトはガンズロックを肩に乗せて、黄金のGDのブースターを吹かした。彼はホバリングの要領で、大地を滑るように疾走する。
「あ~! ガンズロック君、ずるい! フォクベルトは私のなのにっ!」
「へっへっへ、わりぃな。今だけは俺専用だ」
二人のその姿を見たアマンダが嫉妬の炎を燃やす。元々、月の魔力の影響で獣化するアマンダであるが、その例に漏れず彼女は赤い狼へと変化を果たしていた。
四肢で白い大地を力強く疾走する彼女の背には、運動神経皆無の情けない獣人乙女、キュウトが死にそうな表情で乗っていた。
「うぷっ、は、吐きそう」
「ちょっと! 背中で吐いたら叩き落すわよ!?」
「た、助けて……マッスルブラザーズ」
「誰っ!?」
ちなみに、キュウトの言うマッスルブラザーズとは、エルティナが幼き日にGGMの予選で対決した、ボディビルダーチームのことである。彼女は筋肉フェチでもあるのだ。
「おっ? ヤドカリ君が見えてきたぞ!」
「おや、あれは月光蝶ですね、ぷるぷる」
「お~、ほんとだ。飛ばすから、振り落とされんなよ!」
オフォールの背に乗るのはスライムのゲルロイドと、フェアリーのケイオックだ。
白い大地を駆ける鶏……もとい鷲の鳥人オフォールの現在速度は、なんと驚愕の時速百十キロメートル。彼は何を目指しているのであろうか。
そして、彼は宣言どおり更に加速した。時速百三十キロメートルで疾走する変態生物の誕生である。
「ふきゅん? あれは……鶏?」
「鶏言うな、蹴りを入れるぞ」
「おいばかやめろ、お前の蹴りを受けたら肉塊になるわ」
エルティナは、紅白の鶏が突然、目の前に現れたかのような錯覚を覚える。それはオフォールが彼女の前で緊急停止をしたためだ。
だが、それによってゲルロイドとケイオックは、強烈な反動で遥か彼方に吹っ飛んでいってしまった。
「ひぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「ぷるぷるぅぅぅぅぅぅぅ……」
「あ、やっべ!」
「回収してきてどうぞ」
慌ただしくオフォールは二人を回収すべく駆け出した。二人が地面に叩き付けられる前にキャッチする辺り、紛う事なき変態である。
ただ、ゲルロイドは地面に衝突してもダメージは皆無であるし、ケイオックに至っては自前の翅を使用して飛ぶことが可能であったりする。
「うう……酷いよ、オフォール」
「まことに以って遺憾です、ぷるぷる」
「わりぃ、わりぃ。気を付けるよ」
二人の苦情に謝罪しつつ、紅白鶏はエルティナの元へと帰還する。それから、少し遅れてモモガーディアンズの面々が合流を果たした。
『みんなそろった、みんなそろった』
『おかあさん、おかあさん。あけて、あけて』
十羽の月光蝶が円を描くように宙を舞う。その中心から光が溢れ、戸惑うモモガーディアンズたちを飲み込んだ。




