697食目 愛と欲望の果てに
◆◆◆ プルル ◆◆◆
地球、というところから帰還してエルティナの結婚パーティーを再開。僕らモモガーディアンズメンバーは、飲めや食えやの大騒ぎだ。ここはフィリミシア城で、各国のお偉いさん方も沢山いるというのに。
「まったく……皆は少し自重というものを覚えるべきだねぇ」
僕はようやく新調したドレスに着替える事ができた。白と黒を基調としたシックなデザインのドレスだ。花嫁よりも目立つわけにはいかないからね。
「がっふふ? ふもっふうおっ!」
「食べ終えてから喋っておくれよ、ライオット」
僕の夫ライオットは、ハムスターのように口いっぱいに料理を詰め込んで話しかけてきた。戦いが無い時はいつもこんな感じの彼であるが、いざという時はとても頼りになる。
「んぐっ、ぷはぁ! あいつらに自重なんて無理だろ。それなら、俺たちも自重しない方がいいってもんだぞ? エルも、それを折り込み済みだろうし」
「まぁ、そうだろうけどさ。釈然としないねぇ」
「プルルは変なところでお堅いよな」
うちの旦那も一応は黒いタキシードに着替えての参加だ。でも、そのタキシードが似合わないという。やはり、ライオットはワイルドな服装しか似合わないもよう。
「それにしても、エルが結婚ねぇ……想像もしなかったな」
「ふぅん、そうなのかい?」
「あぁ、あいつの事だから、独身を通すもんかと」
「おや、それはどうしてだい?」
「いや、あいつ、寿命がないだろ?」
「あぁ……すっかり忘れてたよ。急激に大きくなったり、小さくなったりするものだから」
「それは……まぁ、エルらしいというか。その内、いきなり婆さんになったりしてな」
「いや、それは……あるかも」
エドワード陛下に合わせて年を取る、なんて平然とした顔でやりそうである。何せよ、今の彼女にできない事など殆どないのだ。
できない、とは彼女の方便であり、実際はありとあらゆる現象を引き起こすことが可能である、と僕は睨んでいた。
何故なら、彼女は陰陽を習得し、森羅万象を操る事ができるからだ。それは最早、神の領域と言っても過言ではない。普段の彼女を見ている限りでは、とてもそのような存在には感じられないが。
「でもまぁ、綺麗だな、エル」
「そうだねぇ、馬子にも衣裳、って本人は言っていたけど」
僕が嫉妬を覚えるほどには綺麗だ。彼女は自分の容姿を謙遜し過ぎている嫌いがある。
そんなエルティナを見て、もし僕が行動を起こしていなければ、彼女の隣に立っていたのはライオットかもしれない、と想像し背筋がぞわっとする。
幼い頃からライオットの事が気に掛かり、それが恋だと知る、と心が抑えきれなくなっていった。でも、僕のアピールは押しが弱かったのか、はたまたライオットが鈍かったかは分からないが効果が薄かった。
やがて、成長してゆき、男女の体の差がはっきりしてきた頃、ライオットにも変化の兆しが訪れた。なんというか、異性に興味を持ち始めた。というか、エッチになった。
それは自然な成長と言える。ロフトたちのように、物心着いた瞬間からスケベな存在など滅多にいるものではない。心と身体が成長して初めて芽生えるものだ。
僕とて例外ではない。彼の逞しい腕や、厚い胸板に身体が熱くなるのを何度も経験している。彼の熱い言葉は、僕の心をいつも勇気付けた。だから、僕は、ライオットを誰にも渡したくなかった。
だから……僕はずるをした。僕の桃力の特性は【集】。ありとあらゆるものを集める。
皆と飲み会を終えたある日の事、僕は偶々ライオットと二人っきりになった。このチャンスをものにするんだ、と意気込みライオットを自宅へと招き入れる。彼は酒を飲んで気が大きくなっているはずだと算段したのだ。
その目論見は正しく、ちょっとだけお呼ばれしようかな、という流れになった。
あぁ、そうさ。僕は心の中でガッツポーズを取ったさ。後は流れのまま、既成事実を掴む。彼とキスをすれば、この作戦は成功だ、と心躍っていた。
事前に家は片付けておいた。以前のような悲惨な状態になどしては置けないからだ。お祖父ちゃんにも散らかすな、ときつく言っておいたので家は綺麗な状態が続いている。
ライオットは水が欲しい、といったのでコップに水を汲んで差し出した。水を男らしく一気飲みする彼を見て、やはり頭がぼうとする。少し酔っているみたいだ、と認識した……気がした。
「ねぇ、ライオット」
「ん? なんだ、プルル」
「食いしん坊のこと、どう思っているんだい?」
違う、聞きたいのはそんな事ではない。何故、エルティナの事を聞いたんだ。当時を振り返れば支離滅裂な言葉を彼に投げ掛けていた気がする。
「エル、か。あいつは俺の大切な……ん~、なんていえばいいのやら」
ライオットは「うんうん」言いながら顔を顰めた。いい言葉が浮かんでこないらしい。
辛抱強く待つこと数分、実際は数秒だったのかもしれない。そんな彼の口から出た言葉は「傍にいてほしいヤツ」だった。
その言葉を聞いた瞬間、頭が沸騰した。今になっても直後の言葉が思い出せない。僕は彼に何を言ったのだろうか。何をどうしたのかが思い出せない。
たぶん、泣いてたのだろう、激しく何かを言ったのだろう。後になってライオットに問い質しても「俺も覚えてないさ」と優しい言葉を投げ掛けられるのみだ。きっと、酷い事を言っていたに違いない。
僕の心は嫉妬で真っ黒に染まっていたのだと思う。そんな僕が桃力を使えばどうなるのか。答えは簡単だ。鬼に堕ちる。
そんな簡単な答えすら分からないで、僕は桃力を使った。集めるのは【酒気】、それをライオットに集めた。当然、彼はべろんべろんに酔っぱらうはず。
続けて【性欲】を集める。それを彼に集めた。抗えるはずはない、僕は服を脱ぎ、素肌を晒す。これでもスタイルには自信があった。
既成事実を作ってしまえばこちらのものだ、と舌なめずりすらしていたはず。
心が黒く染まってゆく感じは今でも思い出せる。とても寒くて痛かった。それでも、当時の僕はライオットを求めたのだ。
「ライオット、僕を好きにしていいんだよ? 我慢、出来ないでしょう?」
「あぁ、そうだな。我慢できない」
「なら……」
「プルル、なんでおまえは、笑いながら泣いてるんだ?」
「……え?」
自覚などなかった、僕は彼が手に入る喜びで笑っていたはずなのだ。なのに彼は涙を流していると言う。そして、相当量の酒気と性欲を集めていたはずの彼の眼差しに理性の光があった。
そして、僕は己の過ちに気が付いた。取り返しのつかない事をしてしまった、と。
身体が震える、室内は温かいというのに凍り付きそうなほど寒い。それは心が黒く染まっている証拠。桃力の輝きは失せ、赤黒い輝きに取って代わられた。
「あ……あぁ……僕は取り返しのつかない事を」
「プルル」
「ライオ……!?」
彼は鬼に堕ちようとしている僕の唇を奪った。そして、そのまま僕を押し倒す。
「おまえが、そこまでして俺を求めるなら、俺はそれに応えよう。だが、一つ約束しろ」
「な……に……?」
「もう、辛い事を一人で抱え込むな」
そこから先は思い出したくても思い出せない。これが桃力の課した罰なのだろう。大きな力に救い上げられたことだけは理解できた。暖かな温もりが僕を包んでくれていた事は理解できる。でも、彼との初めては永遠に思い出すことはできないのだろう。
黒く染まった心が解き放たれるのを感じた時、僕の意識は覚醒した。チッ、チッ、とモーニングバードたちのさえずりが聞こえる。
朝だ。気怠い体を起こす。シーツがこぼれ落ちた。
「あ……」
僕は裸で、ライオットも裸。彼の腕枕で僕は寝ていたのだ。そして、痛みを感じ取る。それによって昨日の出来事を思い出し、僕の身体はカタカタと震え出した。
次はありませんよ。彼に感謝なさい。
その声は、きっと桃力そのものだったのだろう。僕に桃力の輝きが戻っていた。
僕はわんわんと泣いた。その声でライオットが目を覚ます。僕は彼に襲い掛かったはずなのに、逆に助けてもらったのだ。
自責の念で言葉にならない僕を、ライオットは黙って抱き締めてくれた。「おまえは悪くない」と優しく頭を撫でてくれた。
ガチャ。
「……んあ?」
「あっ」
「びえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!」
そして、僕らは朝帰りのお祖父ちゃんに目撃された。当然、大騒ぎに発展。そこからライオットの両親を交えての話し合いとなり、ライオットが我慢できなくなった、という話で折り合いを付けた。
実際は僕が彼を襲ったのだが、それでは世間体が拙い、ということで、全部ライオットが被ってくれたのだ。何から何まで、僕はライオットに守られたことになる。
「ん? どうした、プルル」
「なんでもないよ、僕の素敵な旦那様」
「?」
首を傾げる夫の頬に米粒が付いていた。それをひょいと摘まみ、パクリ、と自分の口に放り込む。幸せを感じる。彼が僕を救ってくれなければ味わえなかった幸せだ。
僕はライオットの腕を胸元に抱き寄せ甘えることにした。エルティナ王妃とエドワード陛下に感化されたのだろう、と適当な理由を脳裏に浮かべつつ彼の温もりを味わう。
「今日は妙に甘えん坊だな」
「んふふ、そうだね」
今日は誰しもが幸せでいられるはず。賑やかな結婚パーティーは、まだまだ終わりを見せそうにもなかった。