687食目 彼の地より~愛と勇気と努力を込めて~11
開け放たれる超鬼竜の咢、そこに収縮されてゆく膨大な陰の力に、マイクは誰よりも早く反応した。
「政さん! 面舵っ!」
「おうっ!」
年月を重ね過ぎた漁船が悲鳴を上げる。超鬼竜の移動によって海は波立ち、時化と同様の状況を作り出していた。その荒れ狂う海は、老いし船を確実に蝕んだ。
「こらえろや! 送希丸!」
ぎしぎしと船体が音を立てる。それは船の悲鳴に相違なかった。僅かに遅れて、超極太の陰の光線が海を焼き払う。
マイクの判断が少しでも遅れていれば、彼らはこの世から消滅していたであろう。その一撃に、誠司郎たちは顔を青ざめさせた。
「逃げ回っているだけじゃあ、どうにもならんぜ! マイクの旦那!」
「分かってるYO! 右前脚の関節、狙えるか!?」
「狙えるかじゃねぇ、狙うんだよ!」
率先して老いし戦士たちが重火器を構え、超鬼竜の右前脚の関節部分を狙い、一斉に砲撃を開始し始めた。まだまだ、若い者には負けぬ、という気迫に圧倒される誠司郎たちだったが、すぐに我に返り攻撃に加わる。
「うぐぐ! 重過ぎる!」
「誠司郎は無茶すんな! デザートイーグルを使え!」
誠司郎は【RPG‐7】という携帯式対戦車擲弾発射器を構えようとするも、それを支えきれずに後ろに倒れてしまった。代わりに史俊がそれを手にし、同じく自分が持っていたRPG‐7も構え、同時に弾頭を発射する。
「おぉ! やるなぁ、若ぇの!」
「わしらも負けてられんぞ!」
史俊たちの怒涛の攻撃に、右前脚の関節、という局部を蹂躙された超鬼竜は堪らず悲鳴を上げた。
「ちっ、【キングオーガ】の足止めが目的か。これでは計画に支障が出るわい。香里!」
超鬼竜キングオーガの額に陣取るドクター・スウェカーの傍の空間が歪んだ。その歪みからズルリ、と姿を現すのは中里香里だ。
ロボマイクに吹き飛ばされた腕は、ドクター・スウェカー製の機械の腕に置き換えられている。
「ひひっ! 復讐の機会がこんなに早く訪れるだなんてねぇ! 嬉しいわぁ!」
「ヤツらを始末せい。今は小蠅どもに構ってやる時間はないんでの」
「任せてちょうだい。今、ぐちゃぐちゃにしてあげるんだからぁ!」
香里の背中が割け、そこから蝙蝠のような羽が生えてきた。二度、三度、動作を確認し黒煙が充満する空へと飛翔する。
ドクター・スウェカーは、香里だけでは不十分だ、と判断したのか、前方に手を掲げ歪みを作り出した。その歪みから、次々に姿を現す奇妙な物体。それはバスケットボールサイズの小鬼だ。
しかし、その小鬼は手足が無く、単眼で大きな口を備え、香里のように蝙蝠の翼を備えた奇妙な存在であった。
「ゆけい、【イーターボール】ども。邪魔者を食い散らかしてくるのじゃ」
「ぎきぃぃぃぃぃっ!」
耳障りな金切り声を上げながら、無数の奇怪な球体が宙を舞う。その光景はまさに、この世ならざる戦いが起ろうとしている証であった。
「ちぃ、この反応は……仕掛けてきやがったZE!」
ロボマイクは、桃仙術〈桃視顕現〉を発動。船体を引き裂かん、とする黒い手を発見する。手にするM93Rの弾丸に、桃力【散】の力を込めて発射。黒い手を霧散させる。
「あっはぁ! やっぱりこっちにいたのね!」
「来やがったな、クレイジーガール!」
黒煙立ち込める空に黒いドレスを身に纏う少女の姿。人の姿をしてはいる、しかし、至る所に人ならざる部分が見て取れた。蝙蝠の羽、機械の腕、ねじれた角に蛇のような尾までもが生えている。彼女に一番近い姿の存在は、簡単に言ってしまえば【悪魔】であろう。
「香里っ!?」
「あっはぁ! 誠司郎、みぃつけたっ!」
香里は誠司郎の姿を発見し、機械の腕を彼女に突き付ける。と機械音を立てながら腕は形状を変化させ、その身を大砲へと変化させた。
「私と遊ぼうよっ! PVPでいいでしょっ!?」
「これはゲームなんかじゃないよ! 香里っ!」
中里香里の大砲から放たれる陰の力で構成された砲弾。誠司郎はデザートイーグルを構え、高速で迫り来る砲弾を狙い撃った。
それは命中、空中にて爆散する両者の弾。厳しい眼差しで香里を見つめる誠司郎、一方で恍惚の表情を浮かべる香里。
「本当に香里……なんだね?」
「そうよぉ、あなたたちに殺された、中里香里よぉ」
「……そうだとして、なんでこんなことを?」
「うふっ、私ね、ドクター・スウェカーの道具として蘇る事ができたの。そして、現実を知っちゃった」
香里は黒煙の中、くねくねと身体をくねらせた。恍惚の表情の中に、どす黒い感情が生まれる。それは違わず狂気だ。
「この世界は蘇った者を受け入れない。葬式を終えてしまったら、もう、その人は存在してはいけないの。鳴いても叫んでも、ダメなものはダメなんだってさぁ! きゃははははははははははははははっ!」
香里の身体から溢れ出る陰の力は、あまりにも寂しく悲しいものだ。その悲しみを感じ取り、誠司郎は押し潰されそうになる。しかし、そんな彼女を誠十郎、美波が支える。
「誠司郎!」
「誠ちゃん、しっかりして!」
「お、お父さん、お母さん。うん、僕は大丈夫」
尚も増大する香里の陰の力。そこに憎悪と妬み、そして葛藤が混ざり始める。
「いいわねぇ、良い両親を持って。私も、そんな両親が欲しかったわぁ」
「香里っ! 陰の力に引っ張られちゃダメだ!」
「誠司郎には分からないわ。私の気持ちなんてね。分かってくれるのはドクター・スウェカーだけ。彼だけが、私を、本当の私を見てくれたっ!」
再び香里の大砲に陰の力が籠められ誠司郎に向けて放たれる。しかし、誠司郎は反応が遅れた。迫り来る砲弾が着弾する。しかし、誠司郎は健在。爆炎から姿を現すは、傷だらけのアクリル製の盾を構える史俊だ。
「やらせねぇよ! 誠司郎はっ!」
「香里っ! あんたって娘はぁ!」
続いて時雨の〈ファイアボルト〉の雨が香里に襲い掛かる。香里は薄ら笑みを浮かべながら、炎の矢を回避していった。
「分からないのよ、あなたたちは【満たされている】から。欠けたものが無いから」
そう告げる彼女の右頬が割け、赤い一筋が伝う。滴り落ちる血を指で拭い、ペロりと舐める仕草は官能的だ。
「あぁ、分からねぇな。欠けていても、ちっともわかりゃあしないZE」
「うふっ、あなた、桃使いなんて辞めて、こっちに来なさいよ。そんなに憎悪を溜め込める桃使いなんて聞いたことないわ」
香里の頬を割いたのは、ロボマイクの放ったM93Rの弾丸だ。チタン合金の戦士は一切の感情を水底に鎮め、中里香里に告げる。
「憎悪か……おまえさんは何か勘違いしているようだな」
「なんですって?」
「こいつはな、憎悪じゃない。ブラザーは言った。純然なる怒りだ、ってYO!」
放たれるM93Rの弾丸。それは、とてつもなく濃厚な桃力が籠った輝ける弾丸だ。
これには香里も堪らず回避を選択。しかし、その行動こそロボマイクが狙っていたものだ。
「桃力【散】!」
濃厚な桃力が籠った弾丸が弾け桃力が散り広がる。そして、空を瞬く間に桃色の空間へと変貌させた。
「うぐっ!? 何、この空間はっ!」
「鬼にゃあ、きつい空間だろ? 桃仙術〈桃結界陣〉さ。何も攻撃を防ぐだけが結界の役割じゃないんだぜ」
桃色の空間に囚われた香里は明らかに動きが鈍っていた。彼女を覆っていた陰の力も徐々に弱まり角や羽もボロボロと崩壊してゆく。
「終わらせてやるよ、中里香里」
ロボマイクが狙いを香里の眉間に定める。しかし、今まさに弾丸が放たれんとしていた時、それはやってきた。
「ぎきぃぃぃぃぃっ!」
「ちっ!」
咄嗟に、ロボマイクは迫り来る大量の飛行物体に狙いを変更、迎撃を開始した。誠司郎たちも得体の知れない物体の迎撃を余儀なくされた。
「な、なんだぁ!? こいつらはっ!」
「ぎぃぃぃぃぃっ!」
バスケットボールの化け物、イーターボールの姿を目撃した者は、その異形の姿に一時的ではあるが恐慌状態に陥る。特に怪物に免疫の無い女性陣は顕著であった。
「邪魔だよ!」
「ぴぎぃ!?」
一部を除いてであるが。
「ひひっ! イーターボールだぁ! やっぱり、ドクター・スウェカーは私の事を想ってくれているのよぉ!」
「違う! 香里は利用されているだけだよ!」
「誠司郎、そんなことなんてどうでもいいのよ。利用されていることなんて知ってるんだから。重要なのは【そこ】じゃない」
香里の鬼力がマイクの桃結界陣を吹き飛ばした。時間を与え過ぎた結果だ。
「重要なのは……私を必要としてくれているか、どうかなのよぉぉぉぉぉっ!」
「香里っ!」
香里から放たれた黒手が、誠司郎の四肢を掴み引き千切らんとした。しかし、そのような事はさせぬ、とロボマイクが黒手へ弾丸を放つ。
「邪魔しないでちょうだい! 誠司郎の悲鳴が聞きたいのよぉぉぉぉっ!」
「自分自身の悲鳴で我慢しやがれ! ファック!」
誠司郎の危機を救うことはできたが、その間にロボマイクはイーターボールの攻撃に晒された。チタン合金製のスーツであってもダメージを免れることはできない。至る部分が食い千切られ、バチバチと音を立てている。
「大丈夫か、マイクさん!」
「史俊ボーイは爺さんとご婦人をガードしろ! 誠司郎、ぼさっとしている暇はねぇぞ!」
「は、はいっ!」
マイクはダメージも顧みず迎撃に専念した。老いし戦士たちは己の役目を知っているかのように、オーガキングの関節部分を執拗に攻撃している。多少の怪我には目もくれない。
「おらおらぁ! 銃身が焼き付くまでぶっ放してやるわい!」
「弾持ってこい! 弾っ!」
砲撃は熾烈さを増し、オーガキングも堪らず立ち止まる。これに危機感を抱いたドクター・スウェカーはオーガキングの口部怪光線にての決着を付けん、と送希丸を狙う。海が荒れて移動がままならない小さな漁船は回避不可能だ。
「消えるがいい、忌まわしき者どもよ!」
「そうはいかん」
送希丸とは反対側からの砲撃がキングオーガの左前脚の関節を襲った。着弾の衝撃で口部に溜まった陰の力が霧散する。
「うぬっ、この砲撃には力があるわい! 桃使いが乗り込みおったか!」
ドクター・スウェカーは自身の鬼力を使い、オーガキングに赤黒い防御膜を張った。桃結界陣に対を成す〈鬼結界陣〉である。
「よくもまぁ、こんな古い船が遺っていたものだ」
「はっ! 博物館に展示される予定でしたので船体を修理していたのです。緊急とのことでしたので、そのまま出港させました」
「それは上の判断ではないだろう? 無茶をする」
「恐縮であります!」
「褒めてはいない。こんごう、54口径127㎜単装速射砲、放て」
「うち~かた~始めっ!」
トウヤの命令によって、自衛隊の旧式イージス艦こんごうの砲塔が火を噴く。既に退役して久しい自衛隊初のイージス艦は、危機的状況にある日本を護るために、再び戦場へと戻ってきていた。
最新型の艦が轟沈してゆく中、最古の日本イージスは文字通り国の盾となるべく、最後まで奮闘していたのだ。
「ちぃ! 桃使いが乗り込むと流石に厄介じゃて」
漁船からの攻撃も馬鹿にならない、と判断したドクター・スウェカーは遂に自らも戦闘に加わる。狙いは漁船だ。仕留めやすい方を先に仕留めてから、じっくりと腰を据えてイージス艦の相手をする腹積もりであった。
「艦長、こんごうの残弾は?」
「残り僅かです」
「よし、一時撤退だ。十分に打撃を与えた。進攻も遅らせる事ができるだろう」
「はっ! これより、こんごうは、この海域から離脱する!」
間髪入れず、トウヤはマイクに連絡を入れた。作戦は達成、速やかにこの海域から離脱せよ、と。
対するマイクは対応に迫られた。香里との交戦に決着を付けるべきか、否かを。ここで、彼女を仕留めなければ、大きな脅威となって再び立ち塞がる事は明白だ。
しかし、漁船は球状の怪生物によって深刻なダメージを被っていた。最早、考えるまでもない、と判断したマイクは撤退を指示する。
「ファック! 政さん! 作戦成功、撤退だ!」
「あいよぉ! ちっとばかし無茶すっから、船から落とされんじゃねぇぞ!」
イーターボールによって食い散らされた漁船は、ダメージを負いつつも黒煙を吐きだしながら海域を離脱、辛くも追撃を振り切って海の向こう側へと消えていった。
「ちぇっ、食べ損ねちゃった」
「かっかっか、いいではないか。どうせ、すぐに来る。それよりも、キングオーガの治療を手伝うのじゃ」
「はぁい」
ドクター・スウェカーは香里にキングオーガの治療を手伝うように指示し、イーターボールを回収する。その眼差しは姿を消した桃使いたちの背を見据えていた。
「邪魔はさせぬ、わしの【ワールドフュージョン計画】はのう」
この時、世界は知らなかった。地球に迫る未曽有の危機を。たった一人の狂科学者の手によって引き起こされようとしていることに。
晴れぬ黒煙は、未来を閉ざさんとしている地球そのものだ、というのか。その空は、あまりに黒かった。