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食いしん坊エルフ  作者: なっとうごはん
第十八章 地球
680/800

680食目 彼の地より~愛と勇気と努力を込めて~4

 トウカの下で一夜を明かした誠司郎たち。慣れない場所での睡眠だったためか、誠司郎はなかなか寝付けず、若干ながら寝不足となっていた。対して史俊は持ち前の図太さで快眠である。


「おはよう、きちんと眠れたかしら?」

「おはようございます、トウカさん。えっと、あまり眠れませんでした」

「素直ね。もう少し、寝ていても構わないわよ? どうせここには、美千留しか来ないし」


 トウカは眠たそうに目を擦っているソファーの上の誠司郎にそう告げる、とインスタントコーヒーを淹れて通信機器と向き合った。今日も彼女の一日が始まる。


 暫しの間、ぼぅと呆けていた誠司郎であったが、意識が覚醒してゆくにつれて違和感を感じ始める。その違和感を感じる場所は腹部だ。

 別に痛くはない。でも、何かがいるような、それでいてむず痒いような感覚もある。何事か、と腹部を擦ってみても、そこはよく引き締まっており適度な柔らかさを持つ、いつもの腹部であった。やはり、誠司郎は首を傾げる。


『ほう、するどさが、きらりと、かがやくが、どこも、おかしくはない』


 明らかにおかしな声が、誠司郎の腹部から聞こえ出した。声質は幼児のものだ。だが、この独特の言い回しは、誠司郎の記憶の中に確かに刻まれている。

 それは大切な記憶の中、恩人の喋り方に極めて類似していた。


「え、えっ? な、何?」

『わからないなら、おしえてやるのが、よのなさけ』


 混乱を極める誠司郎。そんな彼女を目の当たりにして、キョトンとする史俊と時雨。トウカも誠司郎を観察し見極める体勢に入った。そんな誠司郎に変化が起る。


「ひゃん!?」


 誠司郎が突然、自身の股間部を手で押さえつけた次の瞬間、その手をすり抜けて何かが飛び出してきた。誠司郎の身体に外傷は認められない。

 飛び出してきた存在は、かなり小さな存在であった。それはテーブルの上に全裸で仁王立ちする、と求めてもいないのに名乗りを上げ出す。


『おれ、さんじょう!』


 それは、名乗りでもなんでもなかった。だが、この小さな存在を目に留めた誠司郎、史俊、時雨は一様に目を見開いて驚愕の表情を浮かべる。


「え、ええ~っ!?」

『ひとのかおをみて、おどろくとか、おまえ、にんじゃだろ』


 小さき者は人にして人に人にあらぬ者。その身長僅か十センチメートル、金髪碧眼の眠たそうな表情の小人がこれでもか、とふんぞり返っていた。

 その容姿、性格は紛れもなくヤツであった。ぴこぴこと動く大きな耳が、本人と瓜二つである。


「エ、エルティナさん!?」

『ほぅ……おれの、おおもとをしるとか、ももせんせいを、おごってやろう。だせないけど』

「出せないのかよ」


 史俊の鋭いツッコミに、エルティナもどきは満足げな表情を浮かべる。お気付きの方もいるであろうが、こいつはエルティナではなく、彼女から生れ出た治癒の精霊である。

 しかし、他の治癒の精霊とは違い、こいつは限りなくエルティナに近い性質を持って生まれてきた、いわゆるイレギュラー個体であった。

 その強大な力を持っているためか、生みの親以外にも姿を確認する事ができ、且つ会話も可能である。


『ふきゅん、さぁ、おにたいじに、ゆくぞ。おれは、ちょういっきゅうの、ももつかいだからな』

「えっ、桃力まで使えるの?」

『つかえない』

「え?」

『つかえない、といったさるぅ』


 小さなエルティナに振り回され、困惑する誠司郎たち。この子珍獣は親よりもフリーダムな性格をしているようだ。

 このように、支離滅裂な発言を繰り返す小さき者の対応に難儀している、とトウカから提案が上がった。


「取り敢えず、本部のトウヤ中佐に連絡を入れておきましょうか。彼なら、何かしらの対応をしてくれるでしょうし」

『ひえっ』

「その名前でビクビクするのは、本人と一緒なのね」


 トウヤの名を聞き、頭を抱えて蹲る子珍獣を見て、時雨はころころと笑った。だが、この小さなイレギュラーが全ての鍵を握っている、とはこの時は誰も知るよしもなかったのである。


 取り敢えず全裸は拙い、との旨を子珍獣に伝える、と彼女は一瞬の輝きを放た後に衣服を身に纏っていた。どうやら、任意で衣装を着脱可能らしい。

 これはチユーズも同じ能力も持っている点からも予測はできるだろう。


 子珍獣が選んだ服は何故かセーラー服。その服を見て、なるほど、と誠司郎は納得顔になる。そのセーラー服は、誠司郎の学校の指定された制服であったからだ。


『さぁ、せんかんに、のりこめ~』

「戦艦なんてないよ。それよりも、この子に名前を付けないといけないね」

「そうよねぇ。名前がないと不便だし」

「小さいエルティナさんだから【コルティナ】でいいんじゃね?」

『おいぃ……その、ひねりのない、なまえを、いったのは、どいつだぁ』


 子珍獣は、あまりに捻りの無い名前を上げた史俊に憤慨した。抗議のために、彼の顔の周りをびゅんびゅんと結構な速度で跳び回る。まるで鬱陶しい蠅のようだ。


「あぁ、もう、落ち着いてくれ」

『ふきゅん』


 子珍獣は鬱陶しがる史俊に捕獲されてしまった。どうやら、力を持ち過ぎたために半実体化しているもようである。

 実のところ、この現象は精霊にとってデメリットと言えた。それは、実体化してしまうと精霊も【死】を迎えることになるからだ。


 基本的に精霊に死はない。死んだように見えても、時間が経つとツクシのように、にょっきり、と生えてくるがごとく再生するのだ。

 しかし、実体を持ってしまう、と世界に一個の生命と認識されて死の概念を与えられてしまう。即ち、輪廻の輪との縁が結ばれてしまうのだ。


『ふきゅ~ん、ふきゅ~ん』

「こいつ、すっげぇ柔らかいな」

「史俊、乱暴に扱ったら可哀想だよ」


 情けない声で鳴く子珍獣を見て、誠司郎は史俊を咎めた。彼はバツが悪そうな表情を浮かべて子珍獣を釈放する。


『ゆるされた!』

「あぁ、もう。こっちにおいで」

『わぁい』


 誠司郎に飛びつく子珍獣。どうしたものか、と誠司郎は子珍獣を豊満な胸に抱きしめて悩む。そんな彼女を見て、時雨は取り敢えず名前を付けてしまおう、と促した。


「う~ん、エルティコ、はどうかな?」

『お、おう』


 残念ながら、誠司郎のネーミングセンスも、史俊同様に、がっかりであった。見るに見かねた時雨が、満を期して子珍獣に名を授けようとする。


「う~ん、えるてぃな、てぃの、てぃん……」

『てぃんてぃん』

「続けて言わないの」


 邪悪な表情を浮かべる子珍獣は確信犯だ。時雨は、そんな悪い子には【ちんちん】と名付ける、と脅すと彼女は口を噤んだ。流石に、その名は嫌なようだ。


「い、意外と思い浮かばないものね」

「うん、名付けって、一生ものだからきちんと考えてあげないと」

「そういうもんか。もう面倒だから、エルティナさんのティナの字を貰っちまえば?」


 面倒になったのか、史俊はかなり投げやりな提案を示す。しかし、その適当な提案は他ならぬ子珍獣に受け入れられた。


『おれ、てぃな! こんごとも、よろしく!』

「ありゃ、どうやら気に入っちゃったようね」

「難しく考え過ぎていたのかな」


 史俊が子珍獣の名付け親になってしまったのが余程残念だったのか、誠司郎と時雨は頬を膨らませて彼に抗議した。当然、そんな事をされても対応に困る史俊は、二人の頬を突いて沈静化を図る。

 口から、ぷひっ、と空気が漏れて事態は解決を見せた。


「さて、突然の事で驚いたけど、そろそろ本筋に戻りましょうか。美千留からメールが届いているわ」


 トウカは正面スクリーンを見るように諭す、と美千留からのメールが表示された。内容は昨日の殺傷事件の顛末に付いてだ。

 やはり、誠司郎たちは重要参考人として指名手配されていた。だが、顔写真などは公開の予定はなく、早急に出頭するように呼び掛けているらしい。


「これって、あんまりだよなぁ。俺達が犯人みたいじゃねぇか」

「警察は面子が丸つぶれだから躍起になってるわね。出頭しても、あの手この手で取り込もうとするわよ」

「え、犯人に仕立て上げるんじゃないんですか?」

「逆よ、逆。取り込んで、特殊警官でした、って報告したいのよ。バカバカしい」


 トウカは美千留のメールから警察の意図を読み取った。恐らくは近日中に、警察から親族に連絡が入るであろう、と誠司郎たちに伝える。


「大事になっちゃった」

「とはいえ、避けてはいけない案件だったし、しょうがないじゃない」

「そうそう。まぁ、俺の場合は、親に「またか」って言われてお終いな気もするけどな」


 一人だけ、どんよりとした表情になる、史俊。そんな友人を見て、誠司郎は苦笑すると同時に少しだけ元気を分けてもらった。済んでしまったことを嘆くよりも、今は前を向いて、これからの事を考えた方が前衛的である、と確信していたのである。


「ま、取り敢えずは、ここで暫く待機ね。自宅も、もう無理だわ」

「そうですね、警察なら僕らのことくらい、すぐに調べ上げちゃうでしょうし」

「そのとおりよ。でも、安心してちょうだい。こちらで【圧力】を掛けておくから」


 暗黒微笑を浮かべるトウカに、嫌な予感を感じ取る三人。それは正しく、数日後には彼女たちの指名手配は解かれることになる。桃アカデミーは既に、国に太いパイプを築き上げているのだ。


 そんなわけで、数日間をトウカと共に過ごした誠司郎たちは、久々に外へ出かけた。時刻は午後十一時。人目を避けるには頃合いの時間帯だ。

 既に各々の自宅へは今日帰る、と連絡を入れてあるので事はスムーズに運ぶと思われた。


「一応は美千留に監視させているから大丈夫だと思うけど、無駄な寄り道はしないようにね」

「はい、トウカさんも、ありがとうございました」

「いいえ、こっちは仕事ですからね。それよりも、桃使いと縁ができたという事は、これから先も巻き込まれるも同然よ。一応は覚悟をしておいてちょうだい」

「分かってます、向こうから来るんでしょう?」

「本当に、あなたたちは逞しいというか、図太いというか」


 トウカは誠司郎たちの逞しさに感心し、図太さに若干ながらの心配をした。出来る事ならば、このまま事態が沈静化し、再び穏やかな日々が訪れることを願う。


 心配をするトウカに見送られ三人は出発した。子珍獣ことティナは誠司郎が世話をすることになっている。ティナも誠司郎に厄介になるつもり満々であった。この小人の方が、誠司郎たちよりも何倍も図太いのは言うまでもないだろう。


「それじゃあ、ここで。史俊、時雨も気を付けて帰ってね」

「本当に一人で大丈夫か? 送ってゆくぞ」

「大丈夫だよ。並の人よりも運動能力がある自信があるから」


 誠司郎の言うとおり、彼女は人並み以上の運動能力を持っている。しかし、腕を見ればお分かりであろうが、誠司郎は一般女性よりも多少筋力がある程度だ。男に取り押さえられてしまえば抵抗することはできないであろう。

 史俊はそのことを言いたげであったが、彼と誠司郎とでは家が真逆である。結局はその点を誠司郎に突かれ、まんまと言いくるめられてしまった。


「それじゃあ、時雨をお願いね」

「分かってるって。時雨には指一本【出させない】って」

「なんですって?」


 口より先に拳が出る時雨は、既に地に伏している史俊を踏み付けた。殴る、と思った瞬間、既に行動は終了しているのである。

 そんな彼女の行動を目撃し、史俊の言わんとしていることが、よく理解できた誠司郎であった。






『しぐれ、まじきち』

「それ、本人の前で絶対に言っちゃダメだよ?」

『はぁい』


 史俊たちと別れ、暗い夜道を行く誠司郎。子珍獣ティナは、時雨の姿が完全に見えなくなったタイミングで本心を暴露した。気持ちは分かるが、口にするのはどうかと思われる。

 それは誠司郎も思っていたのであろう、ティナをやんわりと窘めた。素直な反応を示したティナは、するすると誠司郎の胸の谷間へと不法侵入を果たし、そこに納まった。


『おもったとおり、じゃすとふぃっと』

「ティナったら、そんなところにいたら潰れちゃうよ?」

『だいじょうぶだ、もんだいない』


 何が大丈夫かは分からないが、子珍獣は謎の自信を覗かせた。恐らくは大丈夫ではない、と判断した誠司郎は、子珍獣が潰れてしまわぬように気を測らいながら家路に就く。暫く歩く、と見慣れた道へと出る。


 ここまで来れば家まではあと少しだ。両親には随分と心配を掛けてしまった。いろいろ話すべきことはあるが、まずは顔を見せて安心させよう、と誠司郎は考え事をしながら夜道を歩いていた。

 だからこそ、背後から迫ってくる男の存在に気が付かなかったのだ。

 背後から口を抑えられ腕を掴まれる。鍛えているのであろうか、誠司郎は男の手を振り解くことは叶わなかった。


「はぁはぁ、大人しくしろ。騒がなければ優しくしてやるから」

「ん~! んん~!」


 男は強姦目的で誠司郎の後を付けていた。年の頃は四十代、体躯の良い男だ。だが、褒められる部分はその点だけであり、後は全てに置いて落第点である。


 男は人気のない路地に誠司郎を連れ込み押し倒す。そして、腰からタオルを取り出して誠司郎の口へ突っ込み、悲鳴を上げさせないようにした。手慣れているところを見ると、犯行は今回だけではないようだ。


「へへっ、思ったとおり、良い身体をしてやがる。俺を誘惑した、おまえが悪いんだ」


 一方的な欲望を突き付ける男に、誠司郎は嫌悪感を示した。しかし、行動の自由を奪われ、声さえ出せない彼女に反撃の手段はない。男の手が誠司郎の胸へと伸びた。


「それじゃあ、ごたいめ~ん」


 Tシャツが引き裂かれ、豊かな胸元が曝け出された。その全貌を見んがために、残る布地も引き千切らんと手を伸ばす。

 だがその時、正義の怒りが込められた声が高々と響く。


『その、あさはかさは、おろかしい』

「……あ?」


 男が伸ばした手を止めた。誰かに見られている、と判断した男は、咄嗟に忍ばせておいた折り畳みナイフを取り出し警戒する仕草を見せた。荒い呼吸音はこういう展開を予想していなかった証拠だ。

 想定外の出来事に男は焦りだしていた。そして、再び声がする。


『かよわいおとめのぴんちに、おれは、ばっくすてっぽぅ、で、かかつ、ととうちゃくするだろうな』

「だ、だれだ! どこにいる!?」


 男は声を荒げて周囲を見渡す。しかし、人間の目は夜の暗闇に対して、十分な機能を果たさない。極至近距離のみ僅かに見渡せるのみだ。

 そして、その範囲内に人影は確認できない。ただの空耳であったのか、と男は思い込もうとした。


『そろそろ、おれのいかりが、うちょうてんになる』

「っ! いい加減にしろっ! ぶっ殺すぞ!?」


 男は自分がナイフを持ている事に優位性を確信し虚勢を張る。本来は小心者で卑屈な人物である。だが、得てしてこういった輩は得物を持つと急に性格が一変するものだ。

 それに加えて、現在は人質となり得る存在を確保している。自分に敗北は無い、と確信していた。だが、それは慢心。一石を投じられれば、瞬時にして崩壊する砂の城。

 一瞬の隙を突いて、子珍獣が誠司郎の胸から飛び出した。


『めがとんぱんちっ!』

「えべっ!?」


 ティナは咄嗟に誠司郎の胸の谷間の奥へ身を隠し、男の隙を窺っていたのである。そして、その時はやって来た。

 溜めに溜めた怒りを拳に籠めて、必殺の一撃を男の眼球に叩き込む。自分の数十倍はあろうか、という存在に対しても、一切の恐れを抱かないのは親譲りか。

 たとえ、小さき者の拳であっても、鍛えようがない眼球に叩き込まれては耐えようがない。男は悲鳴を上げてのたうち回った。


 戒めを解かれた誠司郎は、すぐさま立ち上がり、ドヤ顔をしてふんぞり返っている小さな勇者を回収して逃げ出した。

 途中で口に詰められていたタオルを吐き捨てる。それが、男の所持していたものだと思うと、口の中が穢されたように感じたらしく、彼女は忌々し気な表情になった。

 それでも、ティナに感謝すべく表情を整える。


「はぁはぁ……ありがとう、ティナ! 助かったよ!」

『ふきゅん、それほどでもない』


 謙虚な姿勢を示す子珍獣に恩人の姿を見た誠司郎は、やはり小さくても彼女の一部なのだな、と感心すると同時に心から感謝した。


 あの時、誠司郎は恐怖で身体が思うように動かなかった。しかし、窮地に響く啖呵に、悪を許さぬ正義の心に、立ち向かう気迫を、立ち上がる気力を、駆け出す勇気をもらったのだ。間違えようもなく、ティナが誠司郎の窮地を救ったのである。

 そんな子珍獣は、再び誠司郎の胸の谷間へと埋まった。この場所が気に入ったもようである。


「見えた……僕の家!」


 誠司郎はポケットから家の鍵を取り出し、素早くカギ穴に差し込んで中に入り込み鍵を閉める。そして、安全を確保できたことを認識すると腰が抜けてしまい、ずるずるとへたり込んでしまった。


『みっちょん、こんぷりーと』

「はぁはぁ……こ、怖かった」


 すると物音を聞き付けたのか足音が近付いてくる。足音は二つ。それは誠司郎の両親のもので間違いなかった。


「誠司郎!? どうしたんだ!」

「誠ちゃん!?」

「はぁはぁ……た、ただいま、お父さん、お母さん」


 ただ事ではない娘を目撃した父、誠十郎、母、美波は慌てて誠司郎を介抱する。取り急ぎ、リビングへと娘を抱きかかえて運ぶ誠十郎。普段は見せないパワフルな夫に美波は驚くも、それどころではない、と自身も行動に移った。

 急いで救急セットを取り出して娘を診察する。事態は大事へとなりつつあった。


「ま、まって。ピンチだったけど、大丈夫だったから」

「ピンチって……どういうことだ、誠司郎」


 呼吸を整えて両親に事情を説明する誠司郎。話が先ほどの強姦魔の話に移る、と誠十郎の態度が一変した。無言で立ち上がり自室へと向かい、暫しの間を置いて戻ってくる、と妻、美波に告げる。


「美波、出陣する」

「吉報をお待ちしております」


 手には太刀が握られていた。彼は日本刀の所持免許を保有しており、示現流の免許皆伝者でもあった。

 そんな彼が明らかな殺意を撒き散らし、出陣する、と言っているのだ。誠司郎は慌てて父親を止めに掛かる。


「だ、大丈夫だよ! 撃退したから、もうこの付近にはいないはずだから!」

「誠司郎、お父さんに任せておきなさい。きっちりと、首を刎ねてくるから」

「ひえっ」


 普段は見せない父親の怒りの姿に誠司郎は腰が抜けそうになった。母親もそんな夫を止めようともせず、あつまでさえ、吉報を待つ、とまで言い放った。彼女も相当に鶏冠に来ている証明であろう。

 そんな二人を諫めたのも、やはり小さな勇者であった。


『いかりで、じぶんを、みうしなう。へいとを、ためすぎたものは、このよから、ひっそりと、ろすとする。きをつけるべき、そうするべき』


 誠司郎の胸の谷間からひょこんと飛び出した子珍獣は、分かりそうで分からない、謎の説得を誠司郎の両親に試みた。説得は効果がなかったが、彼女の存在自体が効果覿面であった。

 ずれていた眼鏡の位置を修正しつつ、子珍獣の姿を見つめる誠十郎。美波も彼同様にティナを見つめている。


『ふきゅん、あまりみられると、はずかしいんだぜ』


 もじもじ、と恥じらう小さな勇者に、すっかり毒気を抜かれてしまった誠十郎は刀をおろし、大きく息を吸い込んで吐きだした。どす黒い感情も共に吐きだしたもようである。


「不覚、子供に諭されるとは。これも精進を怠った報いか」

「あなた……」


 誠十郎は部屋に刀を戻して娘の話を聞く態勢へと移った。妻の美波も彼に倣う。


「それで……その子はいったい、どうしたんだい?」

「うん、この子はティナって名付けたんだけど、僕のお腹から出てきたんだ」

『まま~』

「あ、相手は誰だっ!? お父さん、許しませんよっ!」

「ひえっ、この歳でおばあちゃんにっ!?」

「ちょっ、ティナ! 色々と勘違いされるから変なことを言わないでっ!」

『わりと、どこも、おかしくはない』


 事態は更なる混沌へと陥った。この騒ぎは日付が変わるまで続くことになる。野良犬の遠吠えは、夜空に浮かぶ月へ届いたであろうか。

 誰一人、それを知る者はいなかった。

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