658食目 エルティナの勇者様
◆◆◆ マイ ◆◆◆
ここは医療室なのだろうか。医薬品のにおいが充満しているように感じる。
白で統一されているそれほど大きくない部屋には、少年が一人、少女が二人いた。
少年は獅子の獣人、少女の一人は金髪の人間。もう一人は白エルフの少女だった。
「おいおい、マイ。勝手に入ったら……」
と言いつつ、堂々と部屋に入ってくるゲオルググさん。そして、ベッドに横たわる少女を見た途端に眉を顰める。
「こりゃあ、聖女エルティナじゃねぇか。なんで病室なんぞで寝てるんだぁ?」
『そりゃあ、病気だからだろ?』
「あ? んなこたぁ、わかっ……!?」
ゲオルググさんの目が驚愕で大きく見開かれた。彼と私の目の前には、青い衣服を身に纏っている青髪の男性冒険者が立っていたからだ。
先ほどまでは、確かに青髪の冒険者はいなかったはず。いつの間に私達の前に現れたのだろうか。
それに、この部屋にいる少年少女達は皆、一様に瞳を閉じ反応を示さない。なんだか妙だ。
「シ、シグルド! おめぇ、生きてやがったのか!?」
『いや、生きてはいないさ。この姿も幻影みたいなもので実体はない』
「んあ? そうなのか?」
『バカ野郎、確かめるからって、人の鼻の穴に指を突っ込むんじゃねぇよ』
完全にすり抜けてしまった自分の指を見て不思議そうに、でも悲しげな表情を、ゲオルググさんは見せた。
彼は粗野で常識が無い男性だが、情に厚い人物であるようだ。
「そっか、俺にはよく分からんが、元気そうでなりよりだ」
『ところが、今大ピンチなのさ』
「どういうこった?」
『見て分かるだろう? 俺がどこから出てきているか』
「どこって……あぁっ!?」
私達は彼の足下を見て驚きの声を上げた。彼の足下というか足が無い。その代わりに光の糸のようなものが伸びており、それは昏々と眠りに就いている少女と繋がっていたのだ。
『分かったろ? 俺はエルティナに厄介になっているのさ。だが、今、この少女は危機に陥っている。俺じゃあどうにもできないし、この子の仲間たちも解決方法を探して跳び回っている。でもな、もう時間が無い』
「時間が無いんですか?」
『きみは?』
「私はマイ。ゲオルググさんと一緒に、私が何者であるかの手掛かりを探して、ここにやってきました」
『そうか……残念ながら、今は誰も取り合ってはくれないだろうな』
やはり、そうだろう。人の命が掛かっているのに、命に別条のない者の要件を優先するわけがない。
私は眠り続ける白エルフの少女を観察した。
まるで神の気紛れで作り出されたかのような造形美だ。私も容姿に結構自信を持っているが、ほんのちょっぴり気圧される感じを覚える。というか、白エルフなのに色々と実り過ぎだと思う。
確か私の記憶の中の白エルフたちは、がりがりで貧弱な身体を……。
なんで私は白エルフの姿を明確に思い出せるのだろうか。
彼らは古き伝承に登場する民であり、人前にはほとんど姿を見えないはず。
それに、彼らは既に数名を残して滅亡している。
え? 滅亡? 数名? なんで、そんな事を私は知って……!?
「……う」
「お、おい、どうした! マイ!」
頭が痛い。鈍器で殴られたかのようだ。それに頭の中が針で刺されているかのようにチクチクと痛む。
これ以上、何も思い出すな、と警告させているかのようにも感じる、
遂に立っていられなくなって、私はよろよろと白エルフの少女の下へと近付き倒れ込む。
もにゅん、と柔らかいものを掴んだ。たぶん、これは彼女のおっぱいだ。
なんという弾力と柔らかさ。掴み心地も最高レベルだ。
いやいや、今はそれどころではないはずだろうに。私は何を考えて……。
そこまで考えたところで、私は身体が何かに引っ張られている感覚を覚える。
いや違う、身体じゃない。私の意志だ。
抗う事ができない力、それに引きずり込まれる際に、私は私の肉体を目撃した。
私は倒れた拍子に輝く緑色の糸に触れていたのだ。きっとそれが原因だったのだろう。
『ゲオルググ! 俺は彼女を追う! 彼女の身体を見張っていてくれ!』
「え、あ、お、おうっ! なんだか分からんが、分かった!」
九割方理解していないゲオルググさんの返事。そして、私の手を掴む大きな手の感触を感じながら、私は意識を手放してしまった。
襲い掛かってくる痛みに耐えることができなかったのだ。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。私はふと目を覚ます。隣には心配そうに見つめる青髪の青年シグルドさんがいた。
彼は結構なイケメンだ。こんな彼氏がいたら、幸せな毎日を送ることができるだろうに。既に鬼籍に入っていることが残念でならない。
「こ、ここは?」
「エルティナの心の中だと思う。俺も来るのは初めてだ」
周りを見渡す。ほんのりと明るい桃色の空間という印象を覚えた。そこかしこに輝く球体がふわふわと浮いている。その中の一つが近付いて来た。
私は恐る恐る触れてみる。
『どうも、ラングステンの白き珍獣エルティナです。目標は『世界食べ歩きの旅』です。コンゴトモヨロシク……』
この球体は、どうやら少女の記憶の断片であるようだ。この記憶はクラスメイトたちへの自己紹介の記憶なのだろう。色取り取りの幼い子供たちの顔が私にも伝わってくる。
「あ……」
また、ズキリと痛む。今度は頭ではなく胸。胸というよりは心。
「私はこの子たちを知っている……」
私は再び輝く球体に触れる。今度は小さな芋虫たちとの触れ合い、そして悲しい別れの記憶。こんな虫にさえ、この子は変わらぬ愛を注ぐのか。
「違う、命に貴賤などない。私はそれを知っていたはず」
「どうしたんだ、顔が青ざめているぞ!?」
シグルドさんが私を心配してくれている。だけど、今私は逃げてはいけない。
この子の事をもっと知らなければ。
強まる痛みを堪え、次なる記憶に手を伸ばす。ピシリ、と私の身体にひびが入った。
「マイ、きみの身体にひびが!」
「大丈夫です。私は知らなければ……行きましょう」
自分で何を言っているのか理解できない。
私でない私が言葉を操り、私が、私でない私を導く。奥に、奥に進まなければ、と。
奥に進むと打って変わって薄暗い空間となってゆく。
大切な記憶がしまわれているのだろう。そんな気がした。
ここでも記憶に触れる。やはり、私の身体に亀裂が走った。負荷に耐えれなくなった左腕が砕けて落ち、音を立てて粉々に砕け散る。
「まだ……まだ……」
「もういい、きみの身に何が起きているんだ!」
「私は知らなくてはならない」
私を止めようとするシグルドさんから、するりと逃げて奥へと進む。
もう明るさは無い。記憶の断片の輝きのみが頼りとなっている。私はその断片に触れる。
ピシリ、と音が聞こえ、視界の半分が見えなくなった。つまりは、そういう事なのだろう。
でも、私は止める事はない。記憶を求める。足を出し、前へと進む、進む……。
◆◆◆ エドワード ◆◆◆
そこにいたのは六本の角、三対の翼、白銀の鱗を持つ神秘的な美しさを持つ巨竜だった。
彼は僕に対し厳かに語りかける。
「よく来た、エドワード・ラ・ラングステンよ」
「あなたは……?」
「我が名はカーンテヒル」
「カ、カーンテヒル!?」
何故、エルティナの心の中に神がいるのだろうか。それも、古の伝承にしか伝わらない古き神だ。
その姿も諸説あり、人の姿や、得体の知れない姿で描かれることもあるほどに謎が多い。
フィリミシア城の古い書物にも、カーンテヒル神の姿が描かれている書物がいくつか存在するが、いずれも目の前の巨竜のような姿ではなかった。
「我が娘、エルティナは危機に瀕している。そなたは、娘を救いに来たのだろう?」
「エルがあなたの娘?」
「そうだ、エルティナは私の全てを注ぎ込んだ【真なる約束の子】。それは私の娘に他ならない」
カーンテヒル神は語った。全ての始まりと終わりの物語を。
そして、再生の物語とエルティナの誕生の秘密を。
エルティナの話に入る、と神特有の傲慢さが僕の心をざわつかせる。
カーンテヒル神は僕の愛する女性を、まるで【世界再生装置】のような扱いで語るのだ。これは許せない。
「エルティナは、あなたの道具ではないはずだ」
「道具……か」
白銀の巨竜は思うところがあるのか、静かに目を閉じ暫し沈黙した。そして、ゆっくりと瞼を上げる。
「確かに……当初、エルティナは私の道具としての生を授けた。だが、あの子は私の想像を遥かに超え、今や私の及ばぬ場所へ飛び立とうとしている。私の道具としてのあの子は、もうどこにもいないのだ」
その水晶のような瞳は僕の姿を映し出していた。
暫し僕を見据え、何かを決意した白銀の巨竜は自ら己の牙を一本へし折る。
そして、そのへし折った牙を僕に差し出してきたではないか。
「今はエルティナの行く末を見届けたい。我が娘として。だから、きみに、これを託そう」
僕はふわふわと向かってくる牙を、恐る恐る受け取った。すると、眩い輝きと共に牙は姿を変えてゆき、一本の剣へと変化したではないか。
「始祖竜の剣だ。私のなけなしの力をそれに込めた」
「始祖竜カーンテヒルの剣……そんなものを僕に?」
「きみだから、だ。エルティナのために、神たる私に怒りを示す、きみだからこそ……」
白銀の巨竜の姿が徐々に薄れてゆく。それは別れの意味を持っていた。
「娘を君に託す。行くがいい、エルティナの勇者、エドワードよ」
「この剣に誓って……必ず!」
僕は始祖竜の剣を掲げ誓った。必ずエルティナを救ってみせると。
それは誰でもない、僕の望みだからだ。
僕は始祖竜の剣を携え、奥へと進む。その途中で黄金色の饅頭と遭遇した。
「ふきゅん!」
「エ、エルっ!?」
黄金の饅頭は問答無用で僕に飛びついてくる。僕は彼女をしっかりと受け止めた。
「エド、どうやってここまできたんだぁ? ただいま、絶賛大ピンチなので助けて」
「もちろんさ。僕はそのために、ここまで来たんだから」
「おぉ、心の友ぉ~」
「できれば恋人の方がよかったかな?」
「鯉人? 魚人かな?」
「違うよ」
大ピンチ、という割にはどこかに余裕がある彼女。
だが、余程、危機が迫っていなければ、彼女は「助けて」などとは言わない。
これは急ぐ必要があるようだ。
「エル、もう鬼の因子が迫っているんだね?」
「あぁ、本体がやばい。この珍獣モードじゃ、手も足も出ないんだ」
「分かった、急ごう」
僕はエルティナを腕に抱えて先を急ぐ。すると突然、視界が明るくなった。
一面が真っ白だ。薄暗かった空間に慣れていた僕は眩しくて目を開けていられない。
暫くしてようやく目が慣れてきた頃、ようやく、ここがエルティナの心の最奥であることを認識する。
そこには気味の悪い蔓に絡み取られているエルティナの本体がいたからだ。
彼女の豊満な肉体に絡み付く卑猥な蔓どもの姿。その様子を見た瞬間、僕の怒りが沸点に到達する。
「エルに、そんな事をしていいのは、僕だけだっ! 代われっ!」
「あえぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!? 欲望丸出しなんですがっ!」
僕は始祖竜の剣を振りかざし、気味の悪い蔓に切り掛かった。