656食目 カオスの真なる約束の子
戦場は障害物が一切ない円形の広場だった。コロシアムの闘技場といった感じだ。
大方、ここで生物兵器のテストでもおこなっていたのだろう。
「身を隠す場所がないわ!」
「そう言いながら俺の後ろに隠れているじゃねぇか」
「ごめん、僕もお願い!」
「ぬわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
爆風に煽られて吹き飛ぶ僕ら。魔導騎兵ジャッジメントから放たれたミサイルが、史俊の黄金の盾に命中したのだ。
「ヒュリティアさんがくれた力がなかったら、木っ端微塵だったぞ!」
「し、死ぬるぅ……」
「しっかりして! 時雨っ!」
顔面から床に突っ伏している時雨が泣き言を言い始めた。正直、僕も泣きたい。
全高十五メートルほどの機動兵器相手に、生身で戦うとか無理にもほどがある。
ゴォォォォォォォォォォォォォォォッ! ボシュッ!
その戦闘兵器が宙を滑空している件について。
あ、またミサイルが来た。
「助けてっ! 史俊っ!」
僕は慌てて史俊の腕に抱き付いた。彼の腕はカーンテヒル転移直後よりも太くなっており、逞しさが感じられるようになっていた。
こんな時でなんだけど、少しドキッとしたのは内緒だ。
「おっぱい! ありがとう! 誠司郎!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ! 来た来た!」
同様に時雨も史俊に抱き付いた。だが、史俊はなんとも言えない表情を浮かべる。
「わぁい、おっぱいが感じられねぇ」
「歯を食いしばれ」
時雨に殴られて無駄なダメージを負った史俊であったが、黄金の盾と鎧のお陰でミサイルの直撃にも耐えた。でも、いつまでもこうして凌げるわけでもない。
それに、僕らの目的はドクター・スウェカーを退治することだ。肝心のそれが、みつどもえになってしまい、とても難しい状態に陥っている。
「ちぃっ! あれはラグナロクの量産型か!? 冗談ではない!」
「かっかっか! アレも欲しいのう!」
桃吉郎さんの赤黒大蛇が魔導騎兵ジャッジメントの手にする大型ライフルの閃光に貫かれ千切れ飛ぶ。
あの恐るべき大蛇を意図も容易く撃破する攻撃力、そして正確無比な狙い。僕らの勝てる要素はどこにあるというのだろうか。僕らは防戦一方だ。
「時雨さんっ!」
「モーベンさん!?」
遂にこちらに犠牲者が現れた。時雨を庇ったモーベンさんが、魔導騎兵ジャッジメントの放つ閃光に貫かれて跡形もなく蒸発してしまったのだ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ちくしょう! モーベンさんが!」
「モーベンは気にするな! 平気だ!」
桃吉郎さんのまさかの発言に僕らは耳を疑う。
確かに彼は僕らの目の前で蒸発してしまったのだ。無事なわけがない。
そんな薄情とも言える桃吉郎さんの表情ががらりと変わった。
一言でいえば、表情が無くなった、といえる。
一気に彼の周りの温度が低下したように感じられるのは気のせいではないはずだ。
「やれやれ、これは疲れるから、やりたくはないんだがな……そうも言ってられんか」
ゆらり、と桃吉郎さんから力が抜けた。そう見えた。
ゆらり、ゆらり、と真紅の巨人へ向かってゆっくりと歩く。
『この私を前にそのふざけた行動……万死に値する』
魔導騎兵ジャッジメントは容赦なく大型ライフルで桃吉郎さんを狙い撃った。
「桃吉郎さん! 危ない!」
しかし、彼は避けようとしない。やがて、閃光が彼を覆い尽くした。
「そ、そんな……え?」
しかし、そこには平然と立っている桃吉郎さんの姿。
あの赤黒い大蛇では魔導騎兵ジャッジメントの閃光は防げないはず。いったい何をしたのだろうか。
だが、その理由はすぐに判明した。彼を取り巻くようにとぐろを巻く、獄炎の大蛇の姿があったのだ。
「ご無事で? 桃吉郎様」
「あぁ、問題ない」
獄炎の大蛇が人の言葉を発した。その声は僕の知っている声で……先ほど消滅してしまった声の主であった。
「え……その声はモーベンさん?」
「はい、モーベンです。桃吉郎様が大丈夫と申しましたでしょう? こういうことなんです」
モーベンさんは、人外の姿となっても物腰が低いようだ。
丁寧な口調のままの彼に、僕らはひとまずの安堵を覚えた。
「誠司郎、史俊、時雨、離れていろ」
底冷えするような声。桃吉郎さんの瞳はあまりにも濃い闇に染まっている。
あれは人の眼ではない、そう直感した。
悲鳴を上げたくなる衝動を抑え込み、僕らは彼から離れる。
「来たれ、殉ずる者」
僕らは見た、カオス教団八司祭が光の粒子となり霧散してゆくのを。それを桃吉郎さんが食べている姿を。
「あ……あれが、桃吉郎さんの本当の姿……!」
「じょ、冗談だろ?」
「……!」
壁際まで逃げた僕らが見たもの、それは桃吉郎さんの全てを喰らう者だ。
「久しぶりだよ……俺が【全てを喰らう者】を呼び出すのは」
『カオス神……その断片か』
桃吉郎さんから八種八匹の大蛇が首を伸ばす。その姿は古の怪物を想起させた。
「ヤ、ヤマタノオロチ……!」
ドクター・スウェカーもいつの間にか壁際まで逃げてきていた。
彼の呟き通りあれは八岐大蛇。日本神話に登場する複数の首を持つ大蛇だ。
『だが、無駄なこと。この魔導騎兵ジャッジメントに私が乗っている限り、たとえ全てを喰らう者であっても勝つことは叶わぬ』
「何を勘違いしている。勝負はもう付いている」
『何……?』
ゴトン、と魔導騎兵ジャッジメントの右腕が落ちた。続いて左腕も落ちる。
『こ、これは……!?』
「その魔導騎兵の腕部を接続した、という【過程】を【食った】」
桃吉郎さんは静かに前へ歩き出す。なんという重圧であろうか。
常人であれば即座に発狂するであろう威圧を放ち続けている。
堪らず真紅の巨人は後退りした。
『あ、あり得ない。過程を喰らうだなんて!』
真紅の巨人は腹部から巨大な光線を桃吉郎さんに目掛けて放った。
ジュオっ!
なんということであろうか、それは桃吉郎さんの足首を残し蒸発させてしまったではないか。
あのような場所に武装が仕込んであると想像していなかったためか、桃吉郎さんは回避することができなかったのだろう。
「な、なんてこと……えぇっ!?」
どういうことだろうか。足首を残して蒸発したはずの桃吉郎さんがそこに立っている。
僕は一瞬、瞬きをしただけだというのに……どういうことなのか理解が追いつかない。
『馬鹿な、おまえは死んだはずだろう!?』
「あぁ、死んだな」
『ならっ! 何故そこに立っている! おまえは死んだのだろう!?』
「俺が【死んだ】という【結果】を食った」
『……!?』
「もう悟れ。俺に【全てを喰らう者】を出させた時点で、おまえは敗れているんだ」
無茶苦茶だ。【僕の考えた最強の存在】を地で行っている。
殺すことができない存在をどうすれというんだ。
それは魔導騎兵ジャッジメントを駆る女神マイアスも理解しているようだ。
にもかかわらず、彼女は桃吉郎さんに抵抗を続ける。でも、その全ては無駄に終わった。
『私は女神マイアスなのだぞ!』
「そりゃあ、大したものだ。だが……無意味だ」
八匹の大蛇が首をもたげた。その瞳に明らかなる殺意を持って。
蛇に睨まれた蛙、あながち嘘ではないらしい。蛙が女神でなければだが。
『……!』
「我が父の下へと還るがいい、仮初めの命よ。我が父は全てを受け入れよう」
『ぐ……女神マイアスに……栄光あれっ!』
真紅の巨人は大蛇たちに貪り喰われた。ちぎれ飛ぶ足、食い破られる腹、それがロボットと分かっていても見るのは躊躇われた。
あまりに凄惨な光景の後には何も残らない。全てがなかったかのように静寂のみが残る。
「こ……これが本当の【全てを喰らう者】だというの?」
僕らは絶句するしかなかった。この能力をエルティナさんも持っているという事実。揺れ動く心。
こんな力を持つ者が二人もいたら……仮に彼らが暴走でもしたら……!
でも、僕は桃吉郎さんの悲し気な眼差しに気付く。
それは、とても儚くて、頼り気がなくて、今にも霧散してしまいそうなものだった。
「桃吉郎さん!」
僕は慌てて桃吉郎さんに駆け寄る。彼に辿り着いたと同時に、彼の身体が僕の倒れ込んできた。
僕は彼を優しく受け止める……あ、少し失敗しちゃった。
ぽにゅん。
「……おっぱい、ありがとうございます」
「そんな事を言っている場合じゃないでしょう!?」
僕の胸に顔を埋めた桃吉郎さんは、ふざけた言葉とは裏腹に苦し気だ。
「少し……無理をした。過程と死んだ結果を食ったのはいいが、それを消化するまで、まともに動けん。後は任せる」
そう言い残し、桃吉郎さんは目を閉じ、すやすやと眠りに落ちてしまった。
同時に八匹の大蛇たちも桃吉郎さんの中へと戻ってしまう。
「誠司郎!」
すぐに史俊と時雨も駆け寄ってくる。心配そうに桃吉郎さんの顔を覗き込み、大丈夫そうなことを確認すると「ほぅ」と胸を撫で下ろした。
「史俊、時雨。ここからは僕らの出番だ」
僕は桃吉郎さんを横たわらせ、パチパチと拍手をするドクター・スウェカーに対峙する。
「いやいや、素晴らしい! これは予期せぬ収穫じゃ! 真なる約束の子! 欲しい、今すぐに研究したい!」
「何を勝った気でいるんですか?」
「かっかっか! これはわしの勝ちじゃろう。諸君らではわしに勝つことはできん」
にんまりとほくそ笑みながら近付いてくるドクター・スウェカー。
その彼の嫌らしい顔に、史俊が怒りの鉄拳を叩き込んだ。
彼の拳に合わせて、ぐにゃり、と陥没するドクター・スウェカーの顔。
「ぶべっ!?」
「くそジジイ! 俺達を今までの俺と一緒にするなよ!」
ふっ飛ばされて床に叩きつけられたドクター・スウェカーは、一瞬何が起こったのか理解できず、暫く天井を眺めていた。
やがて、彼は自分のみに何が起こったのかを理解し、大笑いをし始めたではないか。
「いやぁ、これは失礼をしたようじゃの! 少しは楽しませてくれるようじゃ!」
むくりと起き上がる狂気の科学者。陥没していた顔は見る見るうちに再生を果たしてゆく。
彼は笑ってはいるが目は笑っていない。まるで獲物を狩る鷹の眼だ。
「上等だぜ、吠え面描かせてやるから楽しみにしておけよ! 誠司郎、時雨!」
「うん!」
「えぇ、やるわよっ!」
僕らは武器を構えドクター・スウェカーとの決戦に挑んだ。
泣いても笑ってもこれが最後。僕らで決めるんだ、絶対に!