653食目 わたしはどこ? ここはだれ?
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あれれ? 私はどこ? ここは誰?
気が付くと、私は夜の海岸に横たわっていた。なんで横たわっていたかは不明。
「……!」
声を出そうとしても出ない。それに、なんだか身体が異様に重い。
いったい全体、何が起こっているのだろうか。そして、重要なことがひとつ。
私は誰だ?
名前も思い出せないとか、これはそう、もうあれだ。
わたしっ! 絶対的に! ヒ・ロ・イ・ン! やったね、私!
「……」
やだ、涙が出ちゃう、女の子だもん。
月の明かりだけの海岸に、波の音が虚しく響く。それは今の私の心の叫びと同義だ。
しかし参った。声が出せない上に記憶喪失とか虐め以外の何ものでもない。
これは絶対にアレだ、私の美貌に嫉妬した女神が意地悪したに違いない。きっとそう。
私は足に力を入れ立ち上がろうとした。だが、すぐに力は抜けて、お尻から砂に倒れ込む。
砂浜に私の尻型が刻まれた。
……意外にデカい。これは修正が必要だ。
私はこっそり、ひと回り小さくすることにした。よし、これでいい。
「……」
いやいや、こんなことをしている場合ではない。私は何かをするべきなのだ。
無意識に胸に手をやる。すると、温かい力が身体に流れ込んできた。
「……ぁぅ」
微かにだが声が出るようになった。身体にも力が湧く。これなら立って歩くこともできそうである。
でも、記憶までは蘇る事はなかった。
取り敢えず、私は立ち上がった。何をするべきかはわからない。どこへ向かうべきかも知らない。でも、取り敢えずは歩き出そうと思った。
独り、砂浜を歩く。ここはどこなのだろうか。
ねぇ、……ここはどこかしら?
私は振り向いた。でも、そこにいるはずの子はいなくて。いなくて……。
「……」
なんでだろう、とても心が痛い。
理由が分からないのに、涙が後から後から湧き出てくる。
どうして、どうして……。
そのまま歩き続ける。涙で視界がぼやけるけど気にしない。時々転ぶけど気にしない。
どれくらい歩いただろうか。歩き付かれた私は砂浜に座り込んで月を眺めていた。
不思議な輝きを放っている月だと思った。普通、月というのは冷たい輝きを感じさせるのだが、今日の月は妙に温かいと感じたのである。
だからどうした、といえばそれまでだが。
「ぐへへ、こんな時間、こんな場所に綺麗なお嬢ちゃんが一人かぁ?」
その時、一人の小汚い姿をした山賊風の男が現れた。手にはボロボロになった斧を持っている。明らかに不審人物だ。特に顔。
「……ぁぅ」
「あぁ? おめぇ声が出ねぇのかよ?」
「ぅ~」
「ぐへへ、こいつぁ運が向いてきたな。お嬢ちゃん、ヤらないか」
これは大ピンチだ! 私はこんな小汚いおっさんにヤられてしまうというの!?
あ~れ~! 誰かたすけてっ! へるぷ・み~!
「……」
「わりぃなぁ、嬢ちゃん。手伝ってもらってよぉ」
今、私はお墓の掃除を手伝っている。見晴らしの良い丘に立つ小さな小さなお墓だ。
そこからは海が一望できる。夜の海も良いが、日中はまた違った印象になるのだろう。
「げっへっへ、これで、あの良い格好しいも喜んでるだろうぜ」
「……ぅ?」
「無理に喋らんでいいぜ」
お墓にはお酒が供えられていた。凄く安い酒だ、と彼は言う。
「あいつは、この安い酒が好きだったのさ。俺もだがな」
彼の名はゲオルググといった。このお墓に眠るシグルドという人とは腐れ縁だったという。
「実際には、墓の中は誰もいないんだがな。あいつは金ピカ野郎に食われちまった」
「……」
その不細工な顔はとても悲しそうで、でもシグルドさんを誇るようでもあった。
「んで、お嬢ちゃんは、なんでまたあんな場所に? 見た感じ、良家のお嬢ちゃんのようだが」
「……」
「あぁ、声が出ねぇんだったな」
ガシガシとゲオルググさんは頭を掻いた。ふけが飛び散るからやめてほしい。
「しゃあねぇ、取り敢えずはマーベットのババァに任せるか」
彼はふらつく私を抱えて砂浜を歩き出した。
物凄く男臭い。というか、お風呂に入っているのだろうか。
既に人の臭い、というよりは獣の臭いだ。
ゼグラクトという港町に連れてこられた私は、マーベットというおばあさんのお世話になる事になった。
彼女は造船場のオーナーで今は船作りに忙しいらしい。そこで、声が出るまでは彼女の手伝いをしながら暮らすことになった。
「もたもたすんじゃないよ!」
「だぁぁぁぁぁっ! こき使い過ぎだろ、ババァ!」
ゲオルググさんは、そこの従業員だった。朝早くから大工道具を手にして船を建造している。
彼は元々は冒険者だったらしいが限界を感じ引退。腕力もあり手先も器用であることから、知人の勧めもあってここに就職したらしい。
「……ぁぃ」
「おぉ、済まないねぇ。マイ」
私はマーベットさんにお茶を差し出す。彼女は緑茶が好みだった。
声も出せず、記憶もない私に【マイ】という名を与えてくれた彼女は、得体のしれない美少女を快く受け入れてくれた。
マーベットさんが私にマイという名を付けたのは、私が女神マイアスに似ているからだそうだ。
ふひっ、ふひひひひひひひ! やっぱり、私はヒロインで間違いないわ! 美少女だし!
……話を戻します。はい。だから、そんな、残念そうな目で見ないでください。
ええっと、私がここに置いてもらえることになったのは、ゲオルググさんの口添えが大きかったこともあるが、何よりもシグルドさんのお墓の清掃を嫌がらずにおこなった、ということが彼女の琴線に触れたらしい。
「うおぉい!? なんで、ばぁさんだけ休んでんだ!」
「やかましぃ! 歳寄りは労わりやがれ!」
「ちくしょう!」
なんとも騒がしいコンビであるが、ゼグラクトでは一、二を争うほどの船大工らしい。
マーベットさんが徹底的に技術をゲオルググさんに伝授し、彼が血肉と変えた結果だ。
「ふん、あたしもあと何年、こうして現場に立ってられるかねぇ」
「……ぇ?」
そう言ったマーベットさんの手は小刻みに震えていた。
「言うんじゃないよ」
私は小さく頷いた。それを見た彼女はやるせなさそうに微笑む。
「よりにもよって、託すヤツがゲオルググたぁねぇ……」
その視線の向こうにはヤケクソ気味に船を作っているゲオルググさんの姿。
でも、作業は緻密で丁寧だ。
「人生、分からないもんさ。なぁ、マイ」
私は頷くより他になかった。分からない、そうだ、分からないのだ。
何故、私はここにいて、彼女らを手伝って、【マイ】という名を与えられたのか。
怖かった。何も思い出せない事が。
怖かった。騒がしいが、平穏で幸福な日常が。
このまま、生きてゆけばいいんじゃないのか、と囁く私が怖かった。
その日の夜、私はベッドの中で夢を見た。それは夢だったのだろうか。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
苦しい、胸が張り裂けそうだ。
それは小さな天使だった。癖毛が可愛らしい金髪碧眼の天使。
その彼が私に向けて輝ける弓矢を向けている。そして……放った。
それは私の胸に深々と刺さり、私は天から堕ちる。
「……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「マイっ!」
私は悲鳴を上げ跳び起きた。錯乱する私を、隣で寝ていたマーベットさんが抱きしめて落ち着かせてくれる。
「ぁ、ぅぅ……」
「大丈夫だ、大丈夫。ここにゃあ、マイを苛めるヤツなんかいやしないよ」
優しく背を撫でてくれる。溢れる涙は止まる事がなかった。
そして、夜は明け、再び日は昇る。それを何度か繰り返す。
私はこのままでいいのだろうか。いや、そんなわけない。あの夢は日を追うごとに鮮明になってゆく。いつまでもここにはいてはいけない、と囁き掛けるのだ。
ここに来てから四日、私の声はようやくまともになってきた。
「おはようございます、マーベットさん」
「あぁ、おはよう、マイ」
大声こそ出せないが、なんとか形にはなっている。あとは一歩を踏み出すのみだ。
私は休憩時間を利用して、世話になったここを出る旨を話す。
意外にもマーベットさんとゲオルググさんは、この日が来ることを察していた様子だった。
「行くんだね?」
「はい、自分が何者なのか知りたいのです」
「そうか、そうだね……自分が分からないってのは辛いもんだ」
マーベットさんは湯呑をコトリと置き、胸ポケットから紙切れを取り出した。
「これは紹介状さ。ラングステン王国首都フィリミシアのモモガーディアンズという集団が、高性能な情報収集装置を持っていてね、それを使わせてもらえるよう認めておいた」
「モモガーディアンズ……」
ズキリ、と頭が痛む。何か思い出せそうで、でも一歩及ばない。
「ゲオルググ! マイをフィリミシアにまで連れていってやりな!」
「あぁ!? この船はどうすんだ!? 納期が迫ってんだろうが!」
「はん! それくらい、あたし一人で間に合わせてみせるよ! いいから、連れてゆけ!」
「このクソババァ! 間に合わねぇっ、てボヤいてたのはどこのどいつだっ!」
二人は散々口喧嘩した後に、ゲオルググさんが私を護衛しつつフィリミシアにまで送ってくれることになった。
「それじゃあ、元気でな。いつでも、ここに戻て来てもいいんだよ」
「ありがとう、マーベットさん。いってきます」
「あぁ、行ってきな。ゲオルググ、頼んだよ」
「おう、任せときな」
こうして、私は僅かばかりお世話になったマーベット造船所を後にする。
目指すはラングステン王国首都フィリミシア。そこには船に乗って渡る。
空は澄み渡り波は穏やかだ。潮風が心地良い。
ウミネコたちも空を気持ちよさそうに飛んでいる。
「みぃ、みぃ」「みぃ、みぃ」「み~んみんみんみ~」
……若干、違うのが混じっているらしい。
「船は造っても滅多に乗るこたぁねぇなぁ」
ゲオルググさんが手すりに肘を乗せて、穏やか過ぎる海を眺めながらポツリと呟く。
「そうなんですか?」
「乗る時間がねぇ」
「あぁ……そうですよねぇ」
相変わらず山賊風の格好であるが、どうにもこれが彼なりの正装であるらしい。
以前、身形を整えて友人に会ったところ、自分を認識してくれず追い返されたらしい。
それ以来、ゲオルググさんは、この姿を貫いているそうだ。何気に酷い。
船に揺られて丸一日。私の予想よりも遥かに早くラングステン王国に到着。
ラングステン王国最南端の港町に、私達は降り立った。
船旅でお世話になった船員たちに手を振って別れを惜しむ。
手……降り過ぎなんじゃないですかね? あの人たち。
「フィリミシアにはテレポーターで移動だ。あのばぁさん、随分と奮発したもんだ」
「そうなんですか?」
「おう、俺だけなら歩けって言われんぞ」
ゲオルググさんに誘導されて、テレポーター施設に並ぶこと三十分弱、私達はフィリミシアに転移した。
物凄く早い、テレポーターとはなんと便利なのだろうか。
これさえなければ。
「えろろろろろろろろろ……」
「お嬢ちゃん、転移酔いするのかよ」
私は転移後、気持ちが悪くなって吐いた。
なんということ、こんな美少女が民衆の眼前で嘔吐するとは。恥ずかしくて穴に入りたい。
まさか、この私が【ゲロイン】デビューを果たしてしまうとは、かの有名な軍師でも見抜けまい。
「まぁ、気にすんな。割と普通だからよ」
「うぅ……だから、こんなエチケットボックスがあるんですかぁ?」
「まぁな。ほれ、水。うがいしておけ」
どうやら、この症状に陥る者は私だけではないらしい。そう言う理由もあってか、転移施設にはトイレやエチケットボックスなる嘔吐専用のスペースが用意されていた。
一応は個室になっているが顔だけが隠れる仕組みになっている。
これって、殆ど丸見えなんじゃないですかねぇ?
「がはは、気にすんな。俺なんざ、堂々とそこら辺に吐くぞ」
「それって、捕まりますよね」
「あぁ、捕まった」
ダメだこの人。船を作る以外は、まったくどうしようもない。
こうして、ひと騒動あったわけだが、私達は無事にフィリミシアのモモガーディアンズ本部へと到着した。
フィリミシア城という大きなお城の中に本部があるらしい。
ゲオルググさんが受付と思われる兵士と話し合っている。すると私を手招きした。
どうやら、私の持つ紹介状を見せろ、とのことだ。
「はい、確かに。ですが、現在、立て込んでおりますので、ぱそ~なるこんぴーたー、を扱える方がいらっしゃるかどうか」
「うん? そうなのか……そいつは参ったな」
ゲオルググさんは困った顔をした。どうやら、不測の事態がおこり、モモガーディアンズ本部が慌ただしいとのこと。
「仕方がねぇなぁ、出直すか? って、おい!」
私は自分でも気が付かない内に歩き出していた。モモガーディアンズ本部へと。
慌てて、ゲオルググさんが付いてくる。私は何かに導かれるように歩を進める。それがどこにあるか、まるで分っているかのように。
そして……私は彼女に出会った。