651食目 繋がる心
◆◆◆ エドワード ◆◆◆
エルティナが鬼化してしまうまで、あと三日しかない。
その間に何もしていなかったわけではない。皆で手分けして鬼化を止める術を模索していた。
ある者はドクター・スウェカーの所在を探し、ある者は魂に入り込む方法を求めて旅立った。だが、時間が足りない、足りな過ぎる。
「ちくしょう、なんとかならねぇのかよ」
獅子の獣人ライオットが悔し気にテーブルを叩いた。
テーブルはひび割れてしばらくした後に砕け散る。
「物に当たってもどうにもならないよ、ライ」
「でもよ、プルル!」
そんな彼をプルルが窘める。彼女の眼の下には隈が出来上がっていた。
エルティナ救出の糸口を掴むため、不眠不休で調べ物をしているのだ。
「ダメだよ……見つからない……こんなことって……」
ぶつぶつと呟きながら、パーソナルコンピューターのキーボードをカタカタと打ち込む彼女の眼は虚ろだ。もう限界は近い。
それを悟ったライオットは彼女の首元に一撃を加えて失神させた。
「無茶をする」
「こうでもしねぇと休まねぇだろ」
「きみだって同じような状態じゃないか」
「その言葉、そっくりお返しするぜ」
お互いに無言になる。モモガーディアンズ本部の医療室の簡易ベッドに寝かされたエルティナは、静かな寝息を立ててた。
これから鬼になってしまうとは到底思えないような寝顔だ。
最初こそ苦し気に呻いていたが今は安定している。
だが、それは浸食を受け入れているのと同義だ。確実に彼女の魂を蝕んでいる。
「なんでこんなことに……運命は残酷だ」
僕は思わず、その言葉を口にしてしまった。誰しもが思い、それでも口にしてこなかった言葉だ。
言えば挫けてしまう、だからこそ誰も口にはしなかった。
「運命か……エルは真っ向から立ち向かっていった。そして今も戦っている。情けねぇことを言うんじゃねぇよ、エド」
「すまない……ライ」
そう言ったライオットだたが、彼もいつもの覇気は見受けられない。大の男二人が情けないことだ。
こういう時は寧ろ、女性の方が逞しく雄々しい。
「あ」
「ん? どうしたんだい、ライ」
「昔、エルから魂の中に巣食っていたソウルイーターを退治したって話を聞かされたことを思い出してな」
「えぇっ!? それって、重要なことじゃないか!」
「いや、でもよ。そのことをトウヤさんが知らないわけないじゃないか」
「……それもそうか」
一瞬、解決の糸口が見つかった気がしたが、そんな事はなかった。
ぬか喜びにがっかりした僕は簡素なパイプ椅子に腰を下ろす。
「しかし、直接魂に乗り込むのは悪くないんじゃないのか?」
「それは無理だ。鬼の因子は魂にいない」
プルルが使用していた医療室のパーソナルコンピューターの脇に鎮座していた桃が語り始めた。トウヤさんが憑依している果実だ。
「鬼の因子が巣食っているのはエルティナの心だ。魂に赴いても鬼の因子は存在しないことが判明した」
「心ですか?」
「そうだ、彼女の心だ。桃使いであっても心に入り込むことは難しい」
トウヤさんでも難しいと言われれば成す術なし、と諦めるしかないだろう。
だが、このエドワード・ラ・ラングステンは諦めが悪いのだ。
「ライオット、きみの個人スキルはなんだったかな?」
「え、個人スキル? えっと、【繋ぐ】だ。何かと何かを繋ぐ能力。はっきり言って使い道が分からんから放置してたスキルだ」
「そうか、僕の個人スキルは【想う】だ。誰かを想う能力、僕もこの能力は使い道が分らないと放置していた」
僕らの個人スキルは絶望的に使い道がなかった。
地力が高いため個人スキルに頼る必要性がなかったこともあるが、個人スキルがこのように使い道がない物だ、と発覚した時は多少なりともショックを覚えた。
「でも……今はこの力に目覚めたことを感謝している」
「何故だ?」
僕はライオットの胸に拳を押し付けた。
「きみの【繋ぐ】能力で僕の【想い】をエルに繋げてほしい」
「想いをエルに届けるのか?」
「あぁ、僕にしかできないことだからね」
「そっか」
ライオットは僕の胸に拳を押し付ける。
「任せた」
「あぁ」
ライオットが手と手を合わせる。そして、その手の平に力が宿った。
手を離す、とそこから淡い緑色の紐のようなものが生れ出ていたではないか。
「これが俺の個人スキル【繋ぐ糸】だ」
彼は片方をエルティナの胸に……おい、どさくさに紛れて揉むんじゃない。後で感想を聞かせてもらうぞ。
そして、もう片方を僕の胸に押し付けた。
「さあ、これで準備はいいぞ。俺はこの力を維持するために動くことはできない。今まで放置していたツケだな」
「ありがとう。まぁ、僕も変わらないんだけどね。それじゃあ、行ってくるよ」
「あぁ、行ってこい!」
僕は個人スキルを発動し、想いをエルティナに届ける。瞬間、身体と意志とが切り離された。これが僕の【想う】スキルだ。
通常なら想いを届けても届けられた相手は、なんとなく、しか感じられないようだ。
しかし、相手と繋がった状態で想いを届ければどうなるか。僕の予想なら……。
ライオットの作り出した【繋ぐ糸】に想いを乗せてエルティナに届ける。
すると、するりと彼女の中に入り込めた。不思議な感覚だ。
「温かい……これがエルティナの心の中か」
それは温かく優しい空間だった。桃色の空間というのは桃使いであるエルティナらしい。
ところどころに、ふわふわと発光する球体が存在した。そっと手を触れてみる。
「これは……」
それはヤドカリ君と過ごした、あの夏の日の思い出だ。
懐かしてく、切なくて、涙がこぼれ落ちる。決して戻る事はない掛け替えのない日常の一コマが、発光する球体に大切に保管されていたのだ。
「こんなに、いっぱい……これが全てエルの大切な記憶なのか?」
一つに手を触れると、あとからあとから発光する球体が湧き出てきた。まるで僕に触れてほしいかのように。
それは、いもいも坊やとの記憶。それは、勇者タカアキとの記憶。掛け替えのない大切な人々との記憶の断片たちだ。
僕はそれらを壊さぬように気を付けながら手を触れてゆく。
「シグルド……」
それは大きな、大きな球体だった。それは雄々しく輝き異彩を放っている。
彼との戦いが、どれほどエルティナに大切だったかを伝えるには十分過ぎた。
そんな中、黒く輝く球体もいくつか存在する。恐る恐る手を触れる。
「アラン・ズラクティ……」
彼女の宿敵の記憶だ。忌まわしき敵の記憶を彼女は大切にしていた。
アランだけじゃない、エルティナが退治してきた鬼たちの記憶。それらも次々と湧き出てくる。そして、いつの間にか、空間は輝きで満ち溢れた。
その中を僕は進む。奥に進むにつれて球体の輝きは小さいけれども強くなっていった。
「これは……プルルの? これはダナンだ。扱いが酷いな」
やがて、ライオットの記憶が詰まった小さな小さな球体を発見した。眩し過ぎて直視できない。それほどまでに凝縮した想いが詰まっているのだろう。僕は自分が嫉妬していることに気が付いた。
「いけない、いけない。こんなところで嫉妬している場合じゃないんだ」
気を取り直してさらに奥へと進む。そこは更に不思議な空間だった。
桃色ではなく銀とも白ともつかない輝きに満ち溢れる空間だったのだ。
「ここは……?」
先ほどの空間よりも更に温かい。気を抜くと眠ってしまいそうになる。
ここにも、やはり発光する球体がふわふわと浮かんでいた。そっと手を触れてみる。
「……父上。ミレニア様」
彼らに大切にされ、そして怒られたり褒められたりした記憶だ。他にもエティル家の面々の記憶。ヒーラー協会の仲間たちの記憶もここにはあった。
「ここにも鬼の因子は存在しない。もっと奥なのか?」
僕は更にエルティナの心の中を突き進んだ。不思議なことに、僕はここが彼女の心の中だと認識している。それは正しい直感だと信じていたのだ。
暫く進むと今度は突然真っ暗になった。温かさも何も感じられない。
ただ、そこには力があった。何者にも侵させない、という強い意志が感じられる。
「足取りが重い」
きっと、そういう事なのだろう。見られたくない記憶、ここがそういった記憶をしまっておく場所なのだ。
やはり、発光する球体がふわふわと浮いている。その一つに触れてみた。
「これは……エルティナの記憶じゃない?」
赤毛の女性が乱暴されている記憶が流れ込んできた。
確かエルティナの元となった女性だったはず。エルティナは継承の術を用いて二代目となった経緯を聞かされていたが、こういった辛い記憶も引き継いでしまったのだろう。
僕はここの球体には触れない方が良いと判断した。しかし、運悪くその中の一つに触れてしまったのだ。
「え……? これは……僕の記憶?」
その記憶は僕の記憶だった。小さい頃から今に至るまでの記憶。
誰にも触れられたくない領域に僕の記憶が封じられていたのだ。だが、その理由が僕には分かった。
「必ず助けるからね、エル」
その記憶が流れ込んで来る度に僕に力が湧いてくる。負の感情じゃない、照れくささと感謝の感情。そして、彼女の想いが込められていたのだ。
きっと、自分でも理解できていないのだろう。それが愛だという事に。
再び歩き出す。暗闇の中を。心に勇気と彼女の愛を持って。
そして、闇の終わりに、僕は偉大な輝ける竜に出会った。