645食目 たった一人のために
フィリミシア城の来客室を宛がわれ、僕らは休息を取ることになった。
とてもまともに休息を取れるような状態ではないが、他にできることは何もない、とのことで無理にでも体を休めることになった。
「どうなっちゃうんだろうな……エルティナさん」
史俊がベッドの上で膝を抱えながらポツリと呟いた。
窓から覗く月は穏やかな輝きを部屋に流し込んでいる。僕らがモモガーディアンズと模擬戦をして散々に打ち負かされて悔し泣きしていた時も、月は丁度こんな感じだった。
「そんなの……分からないわよ」
窓際に腰かけ憂鬱そうに月を眺める時雨は僕らの答えを代弁してくれた。
分からない、分からないのだ。僕らには手が余る。できることは何もない。
「それで……それで、本当にいいのかな」
彼女は僕らがどんな状態にあろうとも手を差し伸べてくれた。得体の知れない僕らを受け入れ、色々と世話を焼いてくれた。
打算も何もない、心からの親切、思いやりに僕らは生かされてきた。
「いいわけ……ねぇだろ」
「そう……よね」
でも、僕らは力を持たない。鬼に抗うには非力過ぎた。
高レベル冒険者、その肩書はただの幻想、現余の夢だ。今から強くなろうにも、時間があまりに足りない。
トウヤさんが言うには、エルティナさんの鬼化までの猶予は僅か一週間らしい。あまりに短すぎる。
そして、鬼化が迫れば決断しなくてはならない。彼女の鬼化を見届けるか、それとも……人として殺すかを。
「そんなの、ダメに決まってる……動かなくちゃ。何ができるか分からないけど!」
そう、僕の心が叫んでいる。止まっちゃダメだ、と。彼女を救わなくちゃ、と。
だから僕は、起ち上がった。立ち上がらなくちゃならなかった。
「僕らはあの時、諦めない心を確かに貰ったんだ!」
僕のパートナー、ガルム666が魔力に呼応して低い唸り声を上げる。
「あぁ、そうだな。何がやれるかはわからねぇけど、足掻いてみるか」
「えぇ、恩返し、になるかどうかは分からないけど、やりましょう」
「ならば、あなたたちに力を授けましょう」
鈴の鳴るような声、幻想的で儚げな声の持ち主は月明かりに包まれ、いつの間にかそこにいた。
黒エルフと呼ばれる種族の女性だ。しかし、彼女は尋常ではなかった。
銀色の髪は光の角度に合わせて七色に輝き、褐色の肌は吸い込まれるような闇を感じさせる。
エメラルドのような美しい瞳には、人とは思えないような神性を湛えていた。
そして、その背に背負う黄金の弓、否応なくもある存在を連想させる。
「私の名は、ヒュリティア・アルテミス。エルティナの影」
「エルティナさんの影……? それに、アルテミスって……」
ヒュリティアの名で思い出した。彼女はエルティナさんの親友であり、ラングステン王国戦争時に行方知れずとなっていた人物だ。
それに、アルテミスといえば地球のギリシア神話に登場する女神の名だ。何か、関係あるのだろうか。
しかし、それを聞きだす前に彼女は語り始める。完全に質問をするタイミングを逸してしまった。
「エルティナはかつてない危機に落ちいている。彼女を救うにはあなた方の力がいるわ」
「何故、僕らなんですか? あなたがエルティナさんを……」
そこまで言って、彼女は悲し気に首を振る。何かしらの事情がある事が否応無しにも理解できた。
何故なら、彼女の身体は半分透けていたからだ。
「私がこの世界に干渉できる時間はあまりに少ない。今、私は月にいるのです」
「え?」
窓から差す月の光、それこそがヒュリティアさんの正体なのだろう。月に雲がかかる度に彼女の姿が揺らぐ。
「事情は理解しました。でも、何故、僕らに? モモガーディアンズの皆ではダメなんですか?」
「えぇ、彼らは自分の力に目覚めてしまっている。私の力が入り込む余地がないのです」
「つまり、弱い俺らなら、入り込む余地があるんだな?」
史俊の自虐とも呼べる回答に、ヒュリティアさんは笑顔で頷いた。
「あなた方は幼き日のエルティナに似ています。力が無くて友を失い、涙を流しても尚立ち上がり前に進んだ……あの頃の彼女と」
ヒュリティアさんは胸に手を当て輝きを放ち始める。その手には三つの桃色の輝きが静かに湛えられていたではないか。
僕は、僕らは……この力の正体を知っている。知らないわけがない!
「誠司郎、あなたには全てを包み込む愛の力を」
ヒュリティアさんから離れた桃色の輝きは僕の胸へするりと入り込んだ。
ドクンと胸が高鳴り、温かい輝きに包まれる。
「史俊、あなたには何事にも屈しぬ勇気を。そして、時雨には弛まぬ努力を」
かつてないほどの力が湧き出るのを感じる。温かい力、それは幾度となくエルティナから感じ取っていた。
これはまさに、エルティナさんの力、そのものではないか。
「私にできることは、これだけです。私は、私の成すべきことを続けましょう」
ヒュリティアさんの姿がどんどん薄れてゆく、別れの時が来たようだ。
最後に彼女の神性が完全に薄れた時、彼女は言った。
「……エルを……救って……」
その言葉は【彼女】の本当の言葉だったのだろう。
エルティナさんの親友、ヒュリティアさんの切なる願いだ。受け止めざるを得ない。
いや、受け止めるんだ。それは、僕らの願いでもある。
「やろう。僕らに何ができるか分からない……でも!」
「彼女の言葉を聞いたら、やらないとダメだろ。男が廃る」
「力も貰っちゃったしね。がんばりましょ」
僕らはお互いの手を重ね合った。すると、桃色の輝きが重ね合った手から放たれ、僕らを包み込んだではないか。
「これは……これが、僕らの力?」
僕は黄金の髪飾りを。史俊は黄金の鎧と盾、そして剣を。時雨は黄金のロッドを身に着けていたのだ。
「凄い、凄い力が身体中を駆け巡っている」
「ちょっと、史俊だけ豪華すぎるんじゃないの?」
「わはは、羨ましいだろ」
絶対に肉壁にする気満々な装備構成とは言えなかった。絶対にあとで不平を口にするだろうな。
「どうやら、上手く力を取り込めたようだな」
「あなたは!?」
一切気配を感じなかったのだが、彼はそこにいた。
漆黒のローブに身を包んだ一人の少年。肌が見える箇所は無数の傷跡が走り、無事な個所を探す方が大変だ。
黒髪に黒い瞳だが、どことなくエルティナさんの面影が過る。何よりも、その耳が彼女と同じではないか。
「俺の名は桃吉郎。木花桃吉郎だ」
「え? 日本人? じゃあ、エンドレスグラウンドのプレイヤー?」
彼は首を振った。そして、決意の表情の後に語る。かつての自分を。
「俺はかつて桃使いであり、桃太郎を襲名した……その残照だ」
衝撃の告白に僕らは絶句した。しかし、更なる衝撃の告白が僕らに襲い掛かったのだ。
「そして、鬼化した桃太郎とは、かつての俺のことだ」
「っ!?」
「それが今、妹であるエルティナに起ころうとしている。俺はなんとしてでも、妹を救いたい」
衝撃による衝撃。まさか、エルティナに実のお兄さんがいるとは思わなかった。
義理の兄であるエティル兄弟には何度か会っているので余計に驚きであった。
「エルティナのパートナー、トウヤは俺のかつてのパートナーだ。あいつには辛い役目を押し付けちまってな……もう、同じ思いはさせてやりたくない」
「桃吉郎さん……」
彼のあまりに悲し気な表情に僕らは言葉が詰まった。彼が自身の秘密を打ち明けている覚悟、そして、僕らに求めるものも理解できた。
「もう分かっているだろう。俺には桃力はない、あるのは陰の力、鬼力のみだ。これではエルティナを救ってやることはできない」
「僕らにはその力があると?」
桃吉郎さんは頷いた。そして腕をゆっくりとかざす、と黒い大穴が突如として出現したではないか。
その大穴は僕らを戦いへと誘う入り口だ。静かに、静かに、僕らを招いている。
「きみらをカオス教団本部へと招こう。知ってほしい、この世界の理を。何故、全てを喰らう者が存在するかを」
僕らに断る理由はなかった。僕らのことは心配しないでほしい、との書置きを残し、僕らは征く。
エルティナさんを救うための戦いへと。
ゲームのクエストのためじゃない、レベリングのためじゃない。
たった一人の少女を救うための命懸けの戦いにへだ。
「行こう」
「あぁ」
「えぇ」
それは、戦士として第一歩だったに違いない。僕らは戦いへと至る黒い大穴に身を委ねた。