644食目 鬼化
◆◆◆ 誠司郎 ◆◆◆
エルティナさんが倒れた。別に手傷は負っていなかったそうだ。
鬼の種捜索に置いて、最後の鬼の種と思われる物を自らの手で粉砕。直後に胸を押さえて意識を失ったそらしい。
僕らはエルティナさんが運び込まれた、というモモガーディアンズ本部に急行する。
そこにはベッドに横たわる苦し気なエルティナさんがおり、そんな彼女をモモガーディアンズメンバーが心配そうに見守っていた。
こんな表情のエルティナさんを見るのは初めてだ。見ているのが辛くなる。
「どうなってるんだ? トウヤさん」
「分からん、ソウルリンクもできん状態だ」
プルルさんの口からトウヤさんの声が発せられる。エルティナさん以上の違和感に僕は戸惑うことになった。
「トウヤ少佐、エルティナちゃんの桃力に異変が」
「何?」
そして、彼女の口からもう一人の声。プルルさんの本来のパートナー、トウミさんの声だ。
トウミさんもトウヤさんと同じく、桃先輩の一人であり、同室で仕事をこなす仲間であるそうだ。
トウヤさんと彼女の関係は上司と部下らしい。
「桃力に異物が混じっているんですよ……これです」
といっても、僕らには彼女らが何をやっているかさっぱり理解できない。
桃師匠は先ほどから厳しい表情をしたまま微動だにもしていなかった。
「こ、これは!?」
「気が付いたか、トウヤ」
ここでようやく桃師匠が口を開く。その目には、ある種の覚悟のようなものが秘められていた。
「桃使いの……鬼化の兆候」
「そのとおりだ」
トウヤさんの言葉に、モモガーディアンズ本部は激震した。
あってはならない事態、そして悲劇に、モモガーディアンズメンバーは僕ら以上に動揺した。
「エルが鬼になるっていうのかい、トウヤさん」
「落ち着け、エドワード。まだ、そうと決まったわけじゃない」
取り乱すエドワードさんを。トウヤさんがなんとか宥める。
しかし、言葉とは裏腹に厳しい表情を崩すことはなかった。
「連戦に継ぐ連戦。危惧はしていたが……やはり、起るべくして起こったか」
「それは……エルティナも覚悟していた事でしょう。軍団と化した鬼との戦いは、桃使いが最低でも三十名は必須になります。それを殆ど一人で戦い続けてきたのです。無理が生じるのも無理はないかと」
「その無理をして鬼と化し、親友にとどめを求めた桃太郎がいたことを、おまえは知らぬわけではあるまい」
「……はい」
沈黙。しかし、それより他に手段がなかった、ということは、僕らが見せてもらったデータでも詳しく書かれている。
それは無茶の連続だった。常人であるならば諦めるであろう数々の戦いを、エルティナさんは先頭に立って引っ張ってきた。その無茶が、こうしてエルティナさんを蝕んでいる。
「な、何か方法はないのかい?」
「プルル、万が一の事は覚悟しておいてくれ」
「そ……そんな!?」
よろよろとプルルさんはふらつき、ライオット君に支えられる形となった。
考えたくはないが、エルティナさんがもし鬼化してしまったら、桃使いはプルルさんしかいなくなってしまうのだ。正直、きつすぎる。
「うそ、嘘だよ。僕は食いしん坊が……エルティナがいてくれたから、こうして生きていられるんだ」
「プルル……!」
プルルさんは。ぽろぽろと涙を零し震え出した。そんな彼女を、ライオット君がしっかりと抱きしめる。
「こんなのって……こんなのって!」
重い空気、そして彼女の悲しみは他のメンバーに伝染し、所々からすすり泣く声が聞こえてくる。
本当に、エルティナさんは皆の中心にいたのだ、と納得させられた。
『かっかっか、仕込みは順調そのもののようじゃな』
そして、空気を読まない人物の声。それはモモガーディアンズ本部正面モニターから聞こえてきた。
「貴様はっ!」
『おやおや、これはこれは、マスターピーチ君ではないか。それとも、桃師匠と呼べばいいかな? かっかっか!』
「ふん! 貴様などに師匠呼ばわりされたくもない! なんのようだ!」
『いやなに、エルティナ君が倒れたらしくてなぁ? わしの助手、兼愛人? 嫁でもいいかのう。心配するのは当然じゃろ?』
高笑いするドクター・スウェカーに桃師匠は普段は見せない激昂した顔を見せる。
その形相に恐怖を覚えると同時に、憤る師匠の姿に悲しみを覚えた。
きっと、誰よりも悔しいのだろう。エルティナさんを手塩にかけて育ててきた彼だからこそ。
「エルティナが倒れた原因は貴様だな!?」
『そうとも言えるし、そうとも言えんよ。倒れた原因は諸君らが一番知っておろう?』
モニター画面に映る少年の姿のドクター・スウェカーは愉快そうに笑った。
ゲラゲラと、ゲラゲラと。
不快そのもの、その集合体のような人物だと思った。そして、それは間違いではなかった。
『まぁ、仕込んでいたのは事実じゃがの。ほれ、だいぶ昔、まだエルティナ君が小さかった頃じゃ。諸君らは海水浴に行ったはずじゃ』
「何故、それを?」
リンダさんがドクター・スウェカーを睨み付けた。その表情はまさに鬼の形相だ。よくよく見れば彼女の左頭部から黄金の角がメリメリと生えてきている。
『かっかっか! 楽しんでもらえたかな?』
「おまえっ!」
「やめろ、リンダ!」
モニターに殴り掛からんとするリンダさんをアルフォンスさんが止めた。しかし、彼の表情もかなり厳しい。必死に怒りを堪えているようだ。
「よう、おまえさんか? 洋館にゾンビどもをうじゃうじゃと詰め込んでいた悪趣味な野郎は」
『悪趣味とは聞き捨てならんのう。最高にスリリングじゃったろう?』
「そのお陰で、子供たちは辛い目に遭ったんだ! バカ野郎!」
『その分、成長したじゃろう。成長には犠牲も必要じゃ』
「そんな物が無くても、子供は成長する!」
『どうであろうかのう? そこの鬼のお嬢さんはどう思うかね?』
ドクター・スウェカーが顎で指名した人物はもう一人の鬼、ユウユウさんだ。彼女もまた、右の頭部から黄金の角を生やし、不愉快さを隠すこともなくモニターに映る人物を睨み付けている。
「回りくどいのよ、あなた。私の一番嫌いなタイプよ」
『かっかっか! これは恐縮じゃ』
「その顔面を握り潰してあげるから、楽しみにしていることね」
『顔はやめてほしいのう。こう見えてもわし、イケメンじゃから』
ドクター・スウェカーはユウユウさんを挑発し楽しんでいた。それは、自身に危害が及ばない事を理解しているため。貴重な情報を得られるかもしれないという、僕らの心情を掌握しているためだ。
「エルティナに仕込みをしたのは、あの得体のしれない生物を消し掛けた時か?」
『さよう。音無しのトウヤ、きみは有能な桃使いではあるが、桃先輩としてはまだまだじゃのう。あの一度の接触時に気が付いておくべきじゃったぞ?』
「くっ!」
ぎりぎりと歯を噛みしめる音が聞こえてくるかのようだ。それはプルルさんと気持ちが同調しているからだろう。
「おめぇさえ、いなけりゃあ……ヤドカリ君はぁ!」
『その可能性もあったかのう。じゃが、エルティナ君の覚醒もなかった。あのヤドカリは出会うべくして出会い、そして死んだんじゃよ。寧ろ、わしに感謝してほしいくらいだがね』
「ここまでの腐れ外道は始めてだ。虫唾が走るよ」
ガンズロックさんと、フォクベルトさんは冷徹な眼差しをドクター・スウェカーに送るも、当の本人はどこ吹く風だ。まったく気にした様子を見せない。
「あぁ、今まで出会った鬼たちは確かに許せないが、譲れない信念のようなものを持っていた。だが、こいつは違う」
「自分が楽しければ、他はどうでもいい。それこそが、こいつの掲げる信念だ」
トウヤさんと桃師匠の指摘に、ドクター・スウェカーは口角を釣り上げ愉悦の表情を浮かべる。まるで、心の底から楽しそうにだ。
『その表情が見たかった。愉快、愉快! 愉快至極!』
これ以上ないほどに彼は笑い狂った。本当に狂っている、そう言い表すことしかできない。これほどの狂気があっていいのだろうか。
『時期にエルティナ君は鬼と化す! かつてないほどの強さ、美しさ、凶暴さを持ってのう! それが、わしの物になるのじゃ! これほど愉快なことはあるまい?』
「そんなことはさせない! エルは僕が、僕らが救ってみせる!」
『小僧ごときに、それができると? 面白い冗談じゃ』
「なら、その冗談を現実にして、おまえの鼻を明かしてやる」
『……かっかっか! 若さゆえの過ちを知るのじゃな!』
エドワードさんの宣言を冗談と取ったのかどうかは分からない。ドクター・スウェカーは彼と暫し睨み合って、モニター画面から姿を消した。
あとに残るのは真っ暗な四角い画面のみだ。
「絶対に僕は諦めないぞ。エルを救ってみせる」
エドワードさんの強く握りしめた拳から真っ赤な血が流れ落ちた。それは彼の心情そのものだったのだろう。
熱く、熱く、燃え上がる闘志と決意。それは全て、昏昏と眠り続けるエルティナさんに注がれる。
「エルティナさん……」
対して僕らは、ただ彼女を見守ることしかできないでいた。