639食目 儚い輝き
「冒険者達がカサレイムの住人を襲っている!?」
ブランナが胸に手を突き入れ、そこからずるりと長い棒のようなものを取り出した。
血に塗れた黄金の棒は彼女の血液を瞬時に吸い取り、艶めかしく輝く赤い刃を発生させ、魂を刈り取る大鎌へと変じた。
「……鬼ね。人間ではないわ」
ユウユウの目付きが鋭くなった。同時にリンダも交戦態勢へと移行する。
「やっちゃっていいんでしょ?」
「まて、連中は取り押さえてくれ! 俺たちが彼らを仕留めては、残ったエンドレスグラウンドのプレイヤーに悪影響を与えてしまう!」
リンダの殺る気満々な態度に、俺は「待った!!」を掛ける。
「異議あり!」
「お願いだから話を聞いてくだしぁ、リンダさん」
「鬼は退治するものでしょう? だったら、死ななきゃぁ」
にこぉ……と暗黒微笑を浮かべるリンダは紛う事なき鬼であった。
鬼が鬼を鬼退治するとか、どこをどうツッコめばいいのか、これもうわっかんねぇなぁ?
「いい判断じゃ。確かに、彼らを始末する事は容易い。しかし、忘れているようじゃが、彼らは死んでも復活する。データに生かされておるからのう」
そう言ったドクター・スウェカーの姿が朧げになってゆく。逃げる気だ。
「まてっ! ドクター・スウェカー!」
「また会おうぞ、エルティナ君。次に会う時は、きみをいただくとしよう。きっと、いい感じに仕上がっているはずじゃて」
「な、なんだと!?」
ヤツは高笑いを残して大気へ混じるように姿を消した。
俺はドクター・スウェカーの残した言葉が心に引っかかっていることに気が付いた。
仕上がるとはいったいなんだ。
気になる事は多々あるが、今は鬼と化した冒険者たちを抑え込む事が先決だ。
迷っている暇などない。動け。
「誠司郎! 史俊! 時雨! かおりんのところへ!」
「は、はい!」
「ガイも頼む!」
「任せろ、聖女」
とんでもない事態となった。中でも最も気を付けなければならないのは、エンドレスグラウンドのプレイヤー同士で殺し合うことだ。
片方が死んでもいけない、たちまちの内に鬼と化してしまう。
おまけに、彼らは一度死んでも復活することを覚えてしまった。死ぬことを恐れないようになっているのである。
「〈ワイドヒール〉!」
そら、早速無茶をするヤツが。
腹に剣が刺さったまま戦闘を継続するヤツがどこにいるんだ。少しは考えてどうぞ。
「うっしゃあ! 回復役にすげぇヤツがいるぞ!」
「よぉし! ガンガン行こうぜ!」
いくんじゃねぇよ。自重してくれ。頼むから。
鬼と化した冒険者たちとの戦いは危険な領域へと突入しようとしていた。
そんな中で、俺は苦し気に胸を押さえる冒険者を発見した。彼は一度死んで復活したプレイヤーの一人だ。
「が……かはっ! お、おれはっ!」
俺は慌てて彼の下へと駆け付ける。目は虚ろ、だが彼の魂は必死に何かに抗っていた。
「おれはっ! にんげんっ! だっ!」
聞く者が聞けば、何を言っているんだ、と嘲るであろう。だが、俺は分かった。
「おい、しっかりしろ! 陰の力に引きずり込まれるな!」
俺はダメ元で桃力を彼に流し込んだ。
あまり流し込むと身体が崩壊しかねないので少量を流し込む。上手く陰の力を抑え込めればいいのだが。
「が、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
やべっ! 流し込み過ぎたか!?
俺のやっちゃった感が、場の空気を重々しくさせてしまった。しかし……。
「あ、あぁ……」
悲鳴を上げた冒険者は次第に落ち着きを取り戻してゆくではないか。そして、ほんのりと胸の部分が輝いている。これは桃力の輝きだ。
「こ、この力は……桃先生?」
そう、桃先生だ。桃先生の慈悲の力だ。俺が見間違えるはずもなかった。
やがて、鬼と化した冒険者の陰の力が限りなく小さくなってゆく。
この分であるなら、余程に感知能力に優れた桃使いでなければ、この冒険者が鬼である事が分からないであろう。
プルルじゃ、たぶん、まだ無理。
しかし、何故、桃先生が……と考えたところで俺は思い出した。
俺は生き返った冒険者たちに桃先生を奢ってやっていたではないか。
「施しの心は、やはり奇跡を呼ぶって、それ一番言われてっから!」
俺は立ち上がり、桃先生を信じて桃力を解き放った。
「桃力よ! 陰の力に操られし者たちの心に安息を! 鎮まれ、陰の力よ!」
俺から溢れ出る桃色の輝きはカサレイムの町全域を覆い尽くす。
次々と倒れてゆく鬼化した冒険者たち。それを呆然と見つめるエンドレスグラウンドのプレイヤーたちは、その原因となった俺を見て呟いた。
「聖女……いや、女神なのか?」
いいえ、珍獣です。
俺の桃力を感じ取った鬼化した冒険者の中に宿る桃先生は、放たれた桃力を取り込んでゆく。
そして、荒ぶる陰の力を包み込み優しく添い寝してあげるのだ。
良い子だ、ゆっくり休もうね、と。
「取り敢えずはなんとかなったか?」
事態は収拾したかのように思えた。だが、終わりではなかったのだ。 轟音が鳴り響き、民家が吹き飛んだ。
あの方向は……確か、かおりんが贔屓にしている宿屋がある方角だったはず。
「まさかっ! ライ! プルル!」
俺の声に応える元祖モモガーディアンズのメンバー。俺たちは駆け出した。
「間に合ってくれよ!」
俺はビーストモードへと移行する。そして、ライオット頭部へと跳躍した。
ブッピガン! もふもふ。
ポンでリングな彼の頭は、なかなかに居心地が良かった。
俺たちは疾風のごとく町を走り抜ける。もう、惨劇は繰り返させない。
「やめて、カオリ!」
「は……な……せ……!」
そこには傷だらけになった誠司郎たちと宿屋の女将さん、そして、桁違いの陰の力を放っている香里の姿があった。
その彼女の身体にしがみ付いているのは女将さんだ。彼女もまた、全身から血を流している。
宿屋の壁にもたれ掛かっているのは誠司郎たちだ。
血に塗れピクリともしないが、胸が上下していることから死んではいないようだ。恐らくは気を失っているのだろう。
「殺す! 殺せ! ころ……して!」
香里の表情は見ていられなかった。殺意、憎悪、そして愛情が混じり合った凄惨なものだ。
辛うじて愛情が負の感情を抑え込んでいるのだろう。誠司郎たちが生きているのはそれが大いに働いていたからだ。だが、それも限界だ。
『エルティナ』
『分かってる』
香里はもうダメだ。完全に鬼と化している。彼女の中にいるであろう桃先生の力も感じることができない。
どうして香里だけが、これほどまでに強力な鬼と化してしまったのだろうか。考えても思い付く事はない。彼女は極々普通の少女だったはず。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「あぁっ!?」
女将さんが振りほどかれた。最早一刻の猶予もならない。香里の変化した凶暴な腕が誠司郎の顔に迫る。当たれば粉々に砕け散るであろう。
ゴウン!
しかし、砕けたのは誠司郎ではなく、香里の異形の腕であった。
「ちっ、不覚ぜ」
宿の中からの閃光が香里の腕を粉々に吹き飛ばしたのだ。大きく開いた壁の向こう側には血に塗れたガイリンクードの姿。左腕は折れているのか不自然な方向に曲がっていた。
「聖女、香里は、もう助けてやれん。せめて、安眠を」
「……あぁ、それが俺の役目だ」
悲鳴を上げて苦しむ香里。彼女に駆け付けようとする女将さんをライオットが抑え込む。
「つれぇよなぁ」
「うん……でも、それが桃使いとしての宿命なんだ」
ライオットは女将さんの首に当て身をし、彼女の意識を刈り取った。プルルは香里のために祈りを捧げる。来世で幸せになれますように、と。
「来たれ! 我が半身たち! 獣臣召喚!」
俺はビーストモードを解除し本来の姿へと戻る。そこに三つの輝きが集結した。うずめ、雪希、炎楽である。
彼らはどんなに離れていようとも、魂で繋がった俺の下へ一瞬で駆け付けることができるのだ。
もっとも、うずめだけは常に俺の頭の上にいるのだが。
「エルティナ!【吉備津システム】起動!」
「応!【吉備津システム】起動! 雪希、炎楽、うずめ!」
「ひゃんひゃん!」「うっきー!」「ちゅんちゅん!」
俺の呼び掛けに三匹の【獣臣】が応えた。その身を光の粒子へと変え周囲を飛び回ったのである。
その光の粒子に導かれるように俺の身体はふわりと宙に浮く。
『いくぞ! 魂で結ばれし獣臣たちよ!【獣臣合体】!』
「努力の鉢巻き引き締めて!」
トウヤが口上を開始し始めた。これは儀式だ。全ての言葉は意味を成す。
炎楽が白き鉢巻きへと姿を変えて俺の額に装着された。その白い鉢巻きには桃の姿があしらわれている。
これこそ、彼の弛まぬ努力が具現化した【努力の鉢巻き】なり。
「勇気の鎧に身を包み!」
雪希が赤い武者鎧に姿を変え俺に装着される。これによって俺は見事な若武者へと変貌した。
彼女の尽きぬ勇気が形になりしは【勇気の鎧】。たとえ、その身が小さくとも内に秘めたる勇気は大いなるものなり。
「愛の羽織を纏いしは!」
うずめが白銀に輝く羽織へと変異し俺に装着された。
彼女の無限ともいえる愛情は穢れなき白銀となりて俺を温かく包み込む。それは、あらゆる困難から大切な者を護る【愛の羽織】なり。
この獣臣たちを身に着けし者こそ、桃使いの到達点たる偉大な戦士。即ち。
「日本一のぉ! 桃太郎っ!!」
トウヤが口上を言い切った。次は俺の番だ。
「百代目桃太郎、エルティナ・ランフォーリ・エティル見参っ! 我らが桃使いの神【吉備津彦命】よ! 百代目の戦いを、とくと御照覧あれ!!」
俺は輝夜を力強く握りしめ桃力の刃を形成した。
今はまだ月は出ていない。【月光輝夜】は使用不可能。しかし、これだけで十分だ。十分なのだ。
「あ、あぁ……」
香里の苦し気な目から大粒の涙が流れている。それは、救いを求める最後の理性。
彼女が暴れ狂う陰に力を抑え込んでいる今を以って他にはない。
だから……。
「今、救ってやるからな」
俺は無造作に輝夜を上段に構えた。そして、最大級の慈悲の心を刃に籠め振り下ろす。
「桃戦技が最終奥義……【輪廻転生斬】」
「やめてっ!」
誠司郎の声、どうやら意識を取り戻してしまったようだ。
だが、もう遅い。
桃色の刃は香里を断ち斬り、彼女を桃色の粒子へと変えてゆく。
「香里……汝に罪無し。希望と共に逝け」
「あり……がと……う……」
彼女は最後に笑った。そして、儚く散っていった。
それは空に浮かぶシャボン玉のように、舞い散る花のように。
それは、香里の魂が見せる最後の輝きであった。