638食目 ハザマ
「かっかっか、順調にデータの肉体化が進んでいるようじゃのう?」
「えっ?」
ドクター・スウェカーに突然話しかけられた誠司郎はビクリと身体を震わせた。
彼、あるいは彼女の長いまつ毛が不安気に揺れる。それは誠司郎の心情そのもの。
「初めまして、ではないのう。久しぶりかな? 誠司郎君」
「あ、あなたはっ!」
誠司郎は腰のホルスターから拳銃を引き抜き、ドクター・スウェカーに狙いを定めた。
その姿を見たヤツは残った片腕を誠司郎に向けた。そして、待て、とのジェスチャーを送る。
「わしは、きみと事を構えるつもりはない」
「今更っ!」
「本当じゃよ。なにせ、わしときみは【地球人】なのじゃからのう」
「……え?」
明らかな動揺。それは身構えていた史俊も時雨も同様だった。だからといって、キュウトを手放すのはどうかと。
ごっ!
「きゅ……お……ん」
キュウトは強かに頭部を地面にぶつけ、そのまま白目を剥いて失神した。これは酷い。
「うわぁ」
ドクター・スウェカーが痛そうにキュウトを見やった。鬼にすら同情されるキュウトは鳴いていい。
「鬼じゃな」
「おまえが言うな」
「かっかっか、心地いいツッコミじゃわい」
俺の鋭いツッコミに満足したドクター・スウェカーは話を続ける。
「こほん、あの時は、不幸な事故、というやつじゃよ。このコピー体も完全ではないのでなぁ。強力な陰の力に引っ張られて半ば暴走していたんじゃよ」
「信用しろというのですか?」
「信用はせんでもいい。ただ、きみらを地球へ送り返す準備が整いつつあることを伝えたくてのう」
「なんだって?」
史俊は一歩前に出てドクター・スウェカーに訊ねた。
「帰れるのか、地球に?」
「もちろんじゃとも。わしが開発した物を、わしがいなくなった後に、私欲に塗れた連中が開発を継続しテレビゲームに組み込んだ物じゃからのう。一目見て分かったわい」
その笑顔は自分が誠司郎たちの味方であることを理解させるものであった。
だからこそ、誠司郎たちは抗えない。そして、目の前にいる子供の邪悪さにも。
「どうせ、裏があるんだろ? 狂科学者」
ガイリンクードの威圧をさらりと受け流したヤツは、高笑いしながら要求を伝えてきた。
「さよう。なに、難しいことではない。きみたちは希少金属を一定量集めてほしいのだ」
「希少金属ですか?」
ドクター・スウェカーはニヤリと笑みを作る。そして、残った手から希少金属のイメージを宙に映し出す。
「ミスリル、アダマンタイト、オリハルコン、フェザーライト、これらをどれか一つ。そうじゃな……五百グラムでええわい。持ってきてくれればええ」
「え? たったそれだけで?」
「それだけ、とはいうがのう。年寄りにはきつい、ダンジョンの奥深くに潜らんと採取できんのじゃ」
ドクター・スウェカーの言葉に偽りはない。確かに、これらの希少金属はダンジョンの奥深くに眠っていることが多い。
他にも採取手段はあるが、それは山を掘り進む、という人も経費も莫大に掛かる方法だ。とても一冒険者がおこなえる手段ではない。
「それを地球に送るつもりか?」
「無論じゃ。これらは地球にて解析され、今まで作ることが不可能だった機器を作ることができるようになろう。今まで治せなかった病気すらも治せるようになるじゃろうて」
俺の質問にヤツはあっけらかんと答えた。そして、その利用方法もだ。
「鬼になったヤツの考え方ではないな」
「かっかっか、鬼の能力なぞ、とうの昔に管理下に置いているわい。わしは科学者、わしを支配できるものは未知なるもの、それを解明できるのであれば、わしは善にも悪にでもなる」
なるほど、こいつは自分の欲に従うだけの科学者だ。いわゆる、純粋なる悪。
放っておけば、自分の知的欲求のためにどれだけの犠牲者が出るか分からない。
「いや、おまえは十分、鬼だよ」
「ならば、わしを退治するかね? 桃使いエルティナ」
「おう」
俺は桃力を解放した。桃色に輝く桃力が可視化し巨大な中華包丁へと変化する。
だが、俺の前に立ち塞がる者がいた。誠司郎たちである。
「待ってください!」
「どくんだ、誠司郎。おまえたちはアイツに唆されている」
「そ、それでも……地球に帰るには、エンドレスグラウンドのプレイヤーを救うには、彼の要求を聞くしかないんです!」
「そ、それに、無茶な要求でもないじゃないか」
「そうよ、ダンジョンの宝箱は何度でも復活するんだから。少しくらいは……」
そういう問題ではない。ドクター・スウェカーの目的は別にある。
「希少金属はダンジョンの奥深く。当然、死亡確率は跳ね上がる」
「……」
「それを知っていて、おまえはエンドレスグラウンドの冒険者に採りに行かせるのか」
「さよう」
「鬼の種」
「……」
「最後の能力に関係することだな?」
「かっかっか!」
俺の指摘にドクター・スウェカーは立ち上がり、狂ったように笑い出した。そんなヤツを誠司郎たちは呆然と見つめていた。
「実にきみは優秀だ! わしの助手に欲しい! いや、手に入れて見せようぞ!」
「露骨な求愛はNG。俺は、お爺ちゃん趣味じゃないんだぜ」
「姿なんぞ、幾らでも変えられるわい」
「そう言う問題じゃねぇ」
やはり、こいつは生かしては置けない。即座に退治して輪廻の輪の中に還す。
「ここで鬼穴の話に戻る」
中華包丁でぶった切ってやろうと手に力を込めたところで、ドクター・スウェカーは気になっていた話を切り出した。
こいつ……狙ってやがったな。
こう切り出されたらヤツの話を聞くしかない。おれは「ふきゅん」と一鳴きして、中華包丁を下ろした。
「鬼穴とは鬼のみが通ることが許される道じゃ。それは知っておろう?」
「あぁ、トウヤから聞いた」
「じゃが、誠司郎君たちはここを通ってきたのじゃ。何故だと思う?」
ぞくりと背中に悪寒が走った。それは嫌な予感。確信的に最悪な事態。悪夢の確定事項。
言い出せばキリがないほどの悪い言葉が脳裏に浮かび上がり、わっしょいわっしょい、と阿波踊りをおっぱじめた。おまえら帰ってどうぞ。
「きみは人が死を迎えると【鬼籍】に入った、と呼ばれることを知っておるかね」
「おまえっ!」
「かっかっか! 聡い、聡いのう! そうじゃ、エンドレスグラウンドのプレイヤーたちは一度死んでいるのじゃよ! 魂をデータ化してアバターキャラに一時的に封じ込めたんじゃ! 滑稽、滑稽!」
こいつ、なんということを、なんという装置を開発していたんだ!
そして、それを復元してゲームに組み込んだヤツも!
「じゃから、魂がその記憶を頼りに元の肉体を再現していったのじゃ。完全とは言えないようじゃがの」
「それで、徐々にアバターキャラの姿が変化していったのか」
「さよう、もっとも、わしが作った転移装置にはそのような機能はなかったがの」
無茶苦茶もいいところだ。こいつには死という恐怖がないのであろうか。
「ただ、気になることもある。アレはわしが飛んだ後に、使い物にならんように弄っておったんじゃがの」
「なんだと?」
「わしよりも優れた科学者がいたとは思えんのじゃが……まぁ、いいわい」
それはつまり、ドクター・スウェカーが遺していった転送機を復元し利用した者がいると。
「人間の欲は度し難い、とは思わんかね? 鬼なぞよりも、余程に深い闇じゃて」
俺は心が揺れ動くのを感じた。人間が欲深いことなんぞ百も承知している、にもかかわらずだ。
『エルティナ、どうした!? さっきから様子がおかしいぞ!』
『トウヤ……俺は……』
どうにも胸のあたりが苦しい。いったい、なんだというのだ。
「じゃが、幸いなことに、わしはこっちに来てから【ハザマ】の完成に漕ぎ着けた。これは生きた人間をデータに変えて、生きたまま鬼穴を通すというものじゃ。要するに、死ぬことなく鬼穴を通れる装置じゃ。無論、肉体も瞬時に元どおりに戻る」
「つまり、魂が傷付く確率が低くなると?」
「そのとおりじゃ。それは鬼化を防ぐ、という事にも繋がる」
発想自体は狂気の沙汰だ。発明はまともであるように見えるが……いずれにしても、これを認めるわけにもいかないし、世に出すことも許すわけにはいかない。
「それでも、認められん」
「それは何故かね?」
「ちょっと弄っただけで、鬼を大量生産できる転移装置なんぞ認められるか」
「かっかっか! 良い答えじゃ! そのとおり! こいつを使えば、鬼を増やすことなぞ朝飯前じゃ! あのようにのう!」
悲鳴が上がった。それは町の方からだ。剣を掲げた冒険者たちが、それを無慈悲に振り下ろす。その先には無力な一般市民の姿。
「あれはっ!」
そう、彼らは一度死んだはずの冒険者たちだった。