637食目 鬼の卵?
「まずは、【おさらい】じゃ。エルティナ君、【鬼穴】とは何かね?」
獄炎の迷宮入り口の岩山に腰を下ろした少年は、唐突にそのようなことを訊ねてきた。
桃使い、であるなら知っていて当然の事であるが、敢えてヤツの口車に乗ってやる。
「鬼を現世に召喚する穴ポコのことだろ」
「うむ、正解じゃ。では、その発生条件とは?」
老人のような声を発する片腕の少年は俺の答えに満足し、次なる問いを持ちかけた。
「負の感情を凝縮し、陰の力を発生させる」
「ちと、説明不足じゃが……いいじゃろう。正しくは、鬼の種に規格外の陰の力を込めて爆発させるじゃ」
そいつは初耳だ。どうやら、トウヤも知らなかった情報であるらしい。カタカタとタイピングする音速が無駄に早まってゆく。
「従来の鬼の種は蓄積できる陰の力が膨大過ぎての。鬼穴を開くにはどうにも向かん。過剰過ぎる陰の力を無駄に消費するのはもったいないとは思わんかね?」
「知るか。俺は桃使いだ。陰の力なんぞ、心の隅でひっそりと寝てればいい」
俺の答えにドクター・スウェカーはにんまりと笑みを作る。
その顔は、いったいなんだぁ! 良い顔しても、俺は鬼であるおまえを見逃さないぞぉ!
「陰の力自体は否定しないのじゃな?」
「陰の力、陽の力は性質こそ違うものの同じ力。そして、心の一部だ。忌み嫌っても否定などするわけがない」
「そのとおりじゃ。陰も陽もしょせんは性質が違うだけで同じ力じゃ」
ドクター・スウェカーは拍手をしようとして片腕が欠損していることに気が付き、バツの悪そうな表情を見せた。
「きみは実に優秀だ。凡愚どもは、ここで躓くのでな」
「そりゃどうも」
「話を戻そう。わしはの、鬼穴を直接改良するよりも、種の方を品種改良することを思い立ったんじゃよ。説明したとおり、無駄に陰の力を集めなくてはならんかったからのう」
ヤツは白衣のポケットから小さな卵を取り出した。どう見ても鬼の種には見えない。
「卵みたいじゃろ? これが鬼の種じゃ」
それを見たザインが絶句した。それはルドルフさんもである。寧ろ、ここにいる全員が既に気が付いているのかもしれない。
「あはは! たまごるれろ? たったま! あははは!」
アルアは……ま、ええわ。いつものことだし。
卵を指差し大爆笑する彼女をシーマに押し付ける。外宇宙的恐怖に規格外の耐性を持つ彼女なら、全く問題はないだろう。
「てけ・り・り!」
「あぁ、ショゴスは今日も元気だな」
そして、このフレンドリーぶりよ。完全にシーマに懐いているショゴスたちを生暖かい眼差しで見守りつつも、俺はドクター・スウェカーの持っている鬼の種を注視した。
やはり、ブラッドが引き籠っていた巨大な卵と瓜二つだ。
「この鬼の種には複数の能力を持たせてある。ある一定の陰の力を込めると巨大化し、その力を行使できるようになるわけじゃ」
「ブラッドは、その能力を利用していたってわけか」
「さよう。アレはその能力に使われていただけじゃがな」
ドクター・スウェカーはやれやれと首を振る。ヤツ自身もブラッドには期待していなかったようだ。都合の良い使い捨て程度にしか見ていなかったのだろう。
「ふきゅん?」
ここで俺は違和感を感じた。何がおかしいかは分からない。
『どうした? エルティナ』
『いや、なんでもない』
俺を心配したトウヤが魂会話で語りかけてきた。自分で自分の違和感を理解できない俺は、彼に曖昧な返事を返すことしかできなかった。
「一つはシェルター機能じゃ。まだまだ、耐久力に難があるようじゃがの」
「脆かったぞ」
「ほっほっほ、言い訳もできんわい」
嫌味を言ったというのにドクター・スウェカーは嬉しげに笑う。
まさか……こいつMか? ドMなのか!? だとしたら、厄介だぞ。
「二つ目に、魂をデータ化し保管、管理できることじゃ」
「魂をだと?」
「無論、肉体をデータ化することも可能じゃ。カラクリが読めてきたじゃろ」
「肉体を電子化して異世界に送り、その卵で復元させていたのか?」
これまで沈黙を保っていたトウヤが満を持してドクター・スウェカーに話しかけた。
「そのとおりじゃ。じゃが、幾ら安全性を語っても転移に志願する者などおらんじゃろ」
「当然だな。前例がない実験だ」
「かっかっか、前例ならおるじゃろ。目の前にな」
こいつ……自分自身を実験台にしていたのか。度胸があるんだか、バカなのか分からん。
「実験は成功。じゃが、わしは肉体を失ったまま。わしがわしとして活動するにはどうしても肉体が必要じゃった」
にたにたとヤツは笑う。とても嫌らしい笑みだ。姿が子供であるがゆえに不自然さはうなぎ登り。今日はうな丼と洒落込もう。そうしよう。
「奪ったのか?」
トウヤの底冷えするような声に、モモガーディアンズの女性陣はビクリと肩を震わせた。
当然だが、ユウユウ閣下は一ミリたりともびくつかない。マジパネェっす。
「さよう、最初は低知能な虫に始まり、徐々に奪う体をグレードアップさせていった。生物の進化過程のようでなかなか楽しかったわい」
「外道め」
「かっかっか、そう褒めるでないわ。まだまだ話はこれからじゃぞ?」
ドクター・スウェカーはいよいよもって饒舌になり始めていた。もしかしたら、話が通じる相手がいなかったのかもしれない。
孤独な老人……鳴けるぜ、ふきゅん!
「と思うたが……ま、わしの事はどうでもいいわい」
「そこで話を切るのかよ!?」
「話が長くなって鬼の種の話ができなかったら本末転倒じゃろうが」
「ふきゅん。いや、まぁ、そうなんだが」
意外と自分のことには無頓着な男らしい。自分を実験台に使用するくらいなのだから、当然といえば当然であった。
「つまり、その卵と転移装置を組み合わせたものが【ハザマ】というわけだな」
「そうじゃ。こっちが転移装置じゃな。ブラッド博士が情報を漏らしておったから、薄々は気付いておったじゃろう?」
ドクター・スウェカーは白衣のポケットからもう一つの種を取り出した。それは黒い卵だ。
「この卵は……っと、諸君らに釣られてしもうたわい」
「自分でも卵だと思っていたのかぁ」
「多少はのう。話を戻すが、この種は二つで一つ。片方を潰しても両方を潰さん限り、自己再生する。ほれ、見てみるがいい」
ヤツが促した先には砕け散った卵の残骸。それがカタカタと音を立てながら再生していた。
「な、なんだと!?」
「かっかっか、再生速度はお世辞にも早いとは言えん。ほれほれ、走れば間に合うかもしれんぞ?」
「本当か!? 俺が行く!」
「まてまて、間に合うわけないだろ」
俺はもうダッシュし掛けたライオットの頭をわし掴んだ。チゲの右腕で。
「あちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃっ!?」
「ふきゅん、すまん」
なんということでしょう。ライオットの頭がポンでリングのような獅子になってしまったではありませんか。ぷ~くすくす。
「ぶはっ!」
そして、腹を抱えて大爆笑するドクター・スウェカー。どうやらツボにはまったらしい。
「やるのう、わしの腹にダメージを与えるとは」
「やったな、ライ」
「ちくしょう! ちくしょう!」
もこもこヘアーライオットの爆誕であった。意外と……好きかも。
「エルティナさん!」
そこに異世界転移組が、虚ろな表情のキュウトを抱えて駆け付けてきた。
どうやら、キュウトは放心したままのようだ。走る度にがっくんがっくんと揺れる首がなんとも痛々しい。
「おぉ、役者がそろったようじゃの。では、鬼の種の最後の能力を説明しようぞ」
ドクター・スウェカーは、駆け付けた誠司郎を見ると、狂気とも言える表情を露わにした。