632食目 キュウトの過去
彼女は語った。かつて、その身に起った悲劇を。
「俺の死に悲観したのは両親だけじゃなかった。妖狐族の長も同様だったそうだ」
キュウトさんは豊満な乳房を抱き寄せた。その顔は哀愁に満ち満ちている。
普段は決して、このような表情を見せない彼女を、ここまでさせる彼女の過去とはいったい。
「妖狐族の長は狐獣人の長と古くからの友人で、俺が生まれた暁には自分の孫と結婚させるつもりだったらしい。といっても相手は妖気を持つ獣だがな」
「つまり、妖狐の長は狐と人を結婚させようと? そりゃ無茶だぜ」
史俊はバリバリと頭を掻きつつ呆れた表情を見せた。僕も彼と同様の意見だ。
時雨は何故か頬を赤く染めて「いしゅかん」とぶつぶつ呟いている。いったい、彼女の身に何があったのだろうか。
「ところが、無茶じゃないんだ。妖狐は人に化けれるからな」
「あぁ、それでオッケーなのか」
「そういうことだ。それに、狼と人とが交わって狼獣人が誕生しているから、愛さえあれば、なんだってできる……らしいな」
「ロマンがいっぱいな世界ねぇ」
時雨がうっとりとした表情で近くを歩いていた野良犬を見た。
時雨に見られた犬は、ビクン、と身体を震わせ慌てて逃げ出してしまった。本能的に危険を察知したのだろう。
「ロマンばかりじゃねぇのが、この世界さ。悲観しちまった妖狐族の長は禁忌に手を出しちまった。自分の孫を予定通り俺と結婚させる、と言いだしてな」
段々と嫌な予感がしてきた。それは史俊も時雨も同様のようだ。
「そもそも、妖狐族の長には子やら孫やら曾孫やらが沢山いる。一匹くらいは何も問題ない、と考えていたんだろうな。妖狐族の長は自分の孫を生贄にして俺を蘇生させよう、と企んで俺の遺体を盗み出し、霊山と名高いが無名の山の山頂へと赴いた。もちろん、孫も伴ってだ」
そこまで言って、キュウトさんは眉間にしわを寄せた。思い出したくない記憶でも思い出してしまったのだろうか。
それでも、彼女は語り続けた。蘇生には代償が伴うことを、僕らに諭すために。
「結論は今目の前にいる俺だ。俺は妖狐族の長の手によって蘇生した。孫の命と引き換えにな」
「話の流れからして、そんな気がしました」
「まぁ、ここまで話せば理解できるよな。でも、俺は普通に蘇生したわけじゃなかった。禁忌とされる理由は確かにあったんだ」
そう言って、キュウトさんは自身の胸を乱暴にわし掴んだ。豊かな乳房がぐにぐにと変形しさまざまな顔を見せる。
わわっ、おっぱいって、そんな形にもなるんだ。
「これだこれ、確かに蘇ったが、俺は孫と融合した形となった。それもとても複雑に絡み付いて二度と分離できない。俺は結果として男の俺と、女の俺が一つの身体を共有する存在へと変わってしまった。酷い話さ」
壮絶なキュウトさんの誕生秘話に僕らは呆気に取られてしまった。
代償どころか厄介な呪いのようなものまで背負わされ、彼女は蘇生させられてしまったのだ。
「うはぁ、壮絶な代償だな。でも、蘇ったんだから御の字なんじゃないのか?」
「史俊、おまえなぁ……蘇生の危険性、代償の話はまだ終わってないんだぞ?」
「え?」
続けて彼女は妖狐族の長の顛末を語った。それは禁忌に手を出した者の末路だ。
「禁忌の術をおこなった妖狐族の長はその日以来、姿を見た者はいない」
「それは禁忌の術に手を出してしまったことを悔いてのことですか?」
時雨の問いにキュウトさんは極めて邪悪な笑みを浮かべた。その質問が予め来ることを察していたかのような、そんな表情だった。
「ははっ、わしが悔いる? 冗談を言ってはいけないよ」
僕らはギョッとした。姿形は確かにキュウトさんだ。だが、纏う雰囲気というかオーラのようなものが違う。
「ていうか! マジにオーラが溢れてるじゃねぇか!」
「なんなの!? ライオット君のような気とは違うわ!」
そう、ライオット君のオーラは太陽のごとき黄金の色をしている。でも、キュウトさんが纏うオーラは暗い青色をしている。それを見ていると心を掻き乱され沈んでゆくように思えた。
人が見てはいけない、そう本能的に感じる危険なオーラだ。
「わしはこの結果に大変満足しておる。見よ、この瑞々しい肉体を。十代の肉体は、なんと尊いことか」
キュウトさん? は自身の魅力を最大限に引き出す蠱惑的なポーズを取った。
瞬間、屋台のおじさんたちや、並んでいた冒険者たちが鼻血を吹き出して倒れてゆく。
「かっかっか、愉快痛快なり」
「話の途中で出てくんじゃねぇ、ババァ」
「こりゃ、ババァとはなんじゃ。お婆様とお言い」
「まったく……油断するとこれだ。これが妖狐族の長の末路だ。蘇生の術に引っ張られた挙句に、俺の魂に取り込まれちまったのさ」
とんでもない顛末だ。孫だけではなく、自身も術に取り込まれ肉体を失ってしまうとは。
死者を蘇らせる事とは、それほどまでに大きな代償を支払うことになるのか。
だとしたら、香里の支払った代償とはいったいなんだ、というのだろうか。見た感じは、どこも異常は見当たらない。
「かっかっか、キュウトの力が高まったので、最近は僅かばかり表に出られるようになったのよ。流石は、わしが見込んだ者じゃて」
「妖怪ってのは、とんでもなくしぶとくてな。肉体が滅んだだけじゃ消滅しねぇのよ。これも代償の一つってわけさ。俺がこうなった理由も婆様から聞いたんだ」
これは酷い、一つの身体に二つの性、二つの魂が宿っているとは。不便極まりないのではないだろうか。
「これで分かったろう? 死からの蘇生は大きな代償が必要になると」
「あぁ。でも、それだと、かおりんの支払った代償ってなんだ?」
「そうね、もしかしたら……生えてたり?」
「それは、やめてほしい。本気で」
あの可愛らしい顔の股間に、アレが生えているのは想像したくない。僕も人の事はいえないが。
「あれ、そういえば、キュウトさんって、元々どっちの性別で生まれたの?」
ここで、ふと思い出したかのように時雨がキュウトさんに問うた。キュウトさんは答えた。
「ん? 俺は男だって両親に聞かされてたけど?」
しかし、更に答える者がいた。妖狐族の長である。
「女子じゃ」
「え?」
「じゃから、女子じゃと言っておる。あまりの可愛らしさに、わしが即座に蘇生を決めたほどじゃぞ? かっかっか!」
妖狐族の長からもたらされた真実は、キュウトさんを打ちのめすには十分過ぎた。
彼女は「きゅおん」と鳴いた後、後ろに向かって倒れてしまった。彼女から流れる涙は弧を描き小さな虹を作る。
こうして、キュウトさんの壮絶な過去と、蘇生にまつわる代償の話は終わったのであった。
合掌。