631食目 蘇生のカラクリ
部屋を出ると食堂の方から話し声が聞こえてきた。どうやら、皆はそちらの方に集まっているらしい。
僕は食堂と書かれたプレートを見つけ中に入る。すると、大きなテーブルに皆が就き、紅茶を飲みながら話を交わしていた。
食堂も、やはり年季が入って古めかしいが、清掃がよく行き届いており不快感はまったくない。
「えっと、ラグエイちゃん……じゃなくて、カオリちゃんは?」
「香里は疲れていたようで、すぐに寝ちゃいました。暫くしたら目を覚ますと思いますよ」
「そうかい、それはよかった」
女将さんは僕の姿を見た瞬間、香里の様子を窺ってきた。そして、僕の説明を受けて安堵した様子を見せる。
その姿は、まるで彼女の母親のようにも見えた。
「まぁ、誠司郎。突っ立ってないで座りなさいよ」
「うん」
時雨に促されて僕は空いている席に座る。すると女将さんが美味しそうな紅茶を淹れてくれた。
地球ではあまり馴染みがなかった紅茶であるが、こちらに来てからは毎日飲まないと落ち着かない。
史俊に至っては「俺、紅茶、キメてくるわ」という言葉が自然に出てくるほどの中毒症状に陥っている。紅茶で「キメる」ってなんなのだろうか。
「では、誠司郎も来たことだし、女将さん、話をしてくれるかしら?」
「えぇ、何故、香里ちゃんにこだわるか、ですよね」
「えぇ」
「簡単な理由ですよ。あの子が死んだ娘にそっくりだった」
そう簡単に言うが、彼女がこの言葉を出すには、それ相応の覚悟があったに違いない。
彼女の自嘲するかのような表情がそれを物語っていた。
「カオリちゃんを使って自分を慰めていただけなんですよ。でも……いつしか、それは死んだ娘を求めてのことではなく、ラグエイちゃん……いえ、カオリちゃんを愛する気持ちに変わっていった」
「そうか。なら、それは心にしまっておくことだ。墓までもって行くつもりでな」
ガイリンクードさんは帽子を深く被り直し、女将さんに告げた。
「でも……私はカオリちゃんを騙して」
「世の中にゃあ、言わなくてもいいこと、がある」
「……はい」
「おまえらも口外はするな。興味本心で彼女に訊ねたのだからな」
「はい、もちろんです」
切っ掛けはどうにせよ、女将さんが香里を大切に思っていることは確かのようだ。 ならば、わざわざ真実を香里に伝える必要はないだろう。
ガイリンクードさんはぶっきらぼうだけど、こういう気遣いはハッキリとする人のようだ。
こういうのをクールというのだろうか。
「さて、香里の事だが、女将は彼女をどうするつもりでいる。ここにいる誠司郎たちのように、いつかは自分の世界に戻る時が来るだろう」
「えぇ、あの子が異世界から来たことは本人から窺っております。だから、私はカオリちゃんの意思を尊重いたします。それまでは、帰るその時までは、あの子の面倒を見てやりたいと」
「そうか……なら、もういう事はない」
「はい、お気遣い、ありがとうございます」
女将さんはガイリンクードさんに深々と頭を下げた。それを見届けた彼は席を立つ。
「少し気になることがある」
「きゅおん、どこにいくんだよ?」
「ガッサームさんのところだ。きっと、何か情報を掴んでいる」
「まぁ、そうだろうな。でも、エルティナも向かっているんじゃないのか?」
「いや、彼女はまだ、冒険者ギルドの方だろう。それに、ガッサームさんも聖女には話しにくい事もある」
「そっか、そうだよな。んじゃ、お守りは任せろ」
「精々、される方にはならんようにな」
「言ってろ」
キュウトさんと軽口を叩き合い、ガイリンクードさんは宿屋を後にした。
会話だけでも二人の仲は良好である事が分かる。それを羨ましがる自分がいることもだ。本当に、良い関係だと思う。
「さて、それじゃあ。俺たちもお暇しようぜ」
「そうだな、かおりんの面倒は女将さんに丸投げだ」
「かおりん、って……史俊、馴れ馴れし過ぎないかしら」
「はは、史俊が、ふーみん、って呼ばれるのと同じだね」
「ふーみん、はやめろ。繰り返す、ふーみん、はやめろ」
涙目になって、ふーみん、という愛称を否定する史俊。彼の過去に何かあったのだろうか。
興味深くはあるが、本人が嫌がっているので深入りするのは止めておいた方が良さそうだ。
「それじゃあ、女将さん、また来るわね」
「えぇ、いつでもいらしてくださいな」
玄関まで見送ってくれた彼女に手を振って、僕らは宿屋を後にした。
「さぁて、これからどうするかな?」
「なんだ、キュウトさんは何か考えがあって宿屋を出たんじゃないのか?」
「お邪魔虫は退散なのさ」
彼女は蕩けるような笑顔をこちらに向けた。その余波は道行く通行人たちにも向けられ、「ぬふぅ」との断末魔を上げながら倒れてゆく。まさに無差別テロだ。
「その格好で、その笑顔は拙いって」
「きゅおん、何を言っているのか理解できん」
「天然はこれだから……」
本人は至ってお構いなしだ。特に目的地もなく、ふらふらと彷徨うこと数分。僕らは、いつの間にか獄炎の迷宮の入り口に立っていた。
生き返った香里が立っていたであろう場所に、僕らも立っていたのだ。
「ここが香里が言っていた場所だね」
「みたいだな。別段、どうという事はなさそうだが?」
「う~ん、ちょっとまって。もしかしたら……」
僕と史俊は何も思い付くことはなかったが、時雨は何か思いついたことがあったようだ。
尚、キュウトさんは入り口付近の露店を覗きに行ってしまった。自由な人だなぁ。
「ねぇ、仮定としてだけど。私たちって、死んでもデスペナルティが発動して蘇るんじゃない?」
「えっ? そんな、ゲームじゃないんだ……し……?」
時雨の発言は、今の僕らにとっては違和感しかない。それはこの世界のルールに馴染んでしまったからだろう。
だからこそ、気が付かなかった盲点。
「ああっ! そっか! セーブポイントだ!」
史俊の言葉で僕もハッキリと理解できた。香里がいつの間にか、この場所に立っていた理由はただ一つ。
死亡し、デスペナルティの処理を終えてセーブポイントに戻されたのだ。これならば、説明は付くはず。
【エンドレスグラウンド】は町やダンジョンなどに侵入する際、その入り口がゼーブポイントとして更新されるのである。
そして、死亡したりログアウトした場合、セーブポイントからの再スタートとなるのだ。
「なんてことはないカラクリだったのね」
「そうだね。でも、トウヤさんが気付かないものかな」
「トウヤさんって、結構お堅い部分があるから、ゲームの設定を信じるかどうかだな」
でも、彼はあの時、香里の立っていた方角を気にしていた。ゲームシステム云々ではなく、向き、をだ。
「問題はデスペナルティだよな。いったい何を失ったのやら」
「そこよね。まだわからないから、迂闊に死ぬわけにはいかないわ。原因さえ分かれば【ゾンビアタック】もできるのに」
時雨の言う【ゾンビアタック】とはデスペナルティを気にせずにおこなう特攻である。
特にレベルが上がって経験値バーが0の時におこなうと効率がいい。理由はデスペナルティで失う経験値がないため、実質いくら死んでも失う物が無いからである。
「死ぬ前提の考えはダメだよ。生き返ると分かっていてもきついよ」
僕はすかさず時雨に釘を刺しておいた。たとえ生き返るとしても、死ぬ前提で戦ってはダメだと感じたからだ。
きっと、エルティナさんも同じことを言ったはず。うん、きっとそう。
「あぁ、うん、分かってるわよ。以前のようには戦えないし……ね」
「そうだよなぁ。もう、こっちでの戦い方が染みついちまってるし」
「お? なんの話だ? ほれ、アイスクリーム買ってきたぞ」
そこにキュウトさんが乱入してきた。両手にはアイスクリームを持っている。カサレイムの暑さによって、既にいい感じに溶け始めていた。
「お、美味そう。じゃなくて、なんで胸にアイスクリームを挟めてるんだ?」
「店のおっちゃんがおまけでくれた。なんでも、がんぷくりょう、だってよ。なんのことやら」
「そのおっちゃん、絶対に狙ってやってるだろ」
キュウトさんからアイスクリームを受け取った僕は、早速口に運んだ。
バニラアイスのひんやりとした甘みが口いっぱいに広がる。暑い時はやはりアイスクリームに限るなぁ。
「キュウトさん、って意外に食べ方が豪快よね」
「はもはも……きゅおん? もたもた食べてたら溶けちまうだろ」
「いや、豪快というか、汚い。もう、ぽたぼた落ちてるじゃねぇか」
そこまで言って、史俊はハッと何かに気が付き、露店の方角を見た。そこには親指を立てて満ち足りた表情の店主がいたではないか。
「あの親父、これを狙って……? だとしたら、相当の策士だ」
「いや、そこまで考えてはいないんじゃないかな」
「なら、今のキュウトさんの姿をどう説明するんだ!」
「え、えぇ……」
今の彼女は、とろとろと溶けるバニラアイス塗れになっていた。特に胸のが白く染まっている。
水着によって胸の谷間が出来上がっているので、そこに溶けたバニラアイスが溜まっている状態だ。つまり、エッチである。
「きゅおん、うめぇ」
ああっ! 彼女が乳房を持ち上げて胸の谷間のバニラアイスを啜り始めた!
「ヴォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
瞬間、露店のおじさんたちが咆えだした。何これ……怖い。
「やられたぜ……俺たちは彼に惜しみない敬意を払わなければならない」
史俊は何故か、アイスクリーム屋のおじさんに敬礼をしていた。その彼もまた、史俊に対して敬礼をしていたではないか。もう、わけが分からないよ。
「あぁ、もう! キュウトさんも、自分の胸をペロペロしない!」
「きゅ~ん、もったいないじゃないか」
時雨の必死の説得があって、キュウトさんは渋々ながら、身体に付着したバニラアイスを舐めるのを中断した。
もちろん、即座に水でもって彼女を洗い流す。キュウトさんが水着を着用していることもあって、時雨は一切躊躇しなかった。
「ぷはぁ、気持ち良い」
「はぁ、手の掛かる妹って、こんな感じなのかしら」
プルプルと身体を振って水気を飛ばすキュウトさん。色々な部分が激しく揺れてとんでもなかった。
こういうところは獣の性質を持っているんだなぁ。
「で、話を戻すけど、何を話してたんだ?」
「あぁ、それは……」
三人で出した結論をキュウトさんにも説明した。
彼女は話を興味深く聞いていたが、次第に表情を険してゆく。
「生き返る仕組みは置いといて、失う物がある、というのは聞き捨てならないな」
彼女は腕を組み、宙を見上げて考え事をし出した。時間にして一分、いや、それよりも短かっただろうか。彼女は自論を告げる。
「失う物はたぶん記憶じゃなくて【魂】あるいは【肉体】だろうな」
「えっ?」
「でも、失う物は経験値であって……」
「それはゲームの話だろ? ここはゲームじゃない」
僕らはキュウトさんの言葉に反論することができなかった。確かに、彼女の言うとおりである。
「でも、現実に香里は生き返っているんです」
「確かにな。実はここだけの話なんだが、俺の生まれた狐獣人の里にも、死亡した者を生き返らせる禁呪が存在する」
彼女の表情は更に険しくなった。そして、しばしの沈黙の後、彼女は語った。
「俺は生まれて、すぐに死んだそうだ」
その衝撃の告白に僕らは固まってしまう。そして、彼女の語ったことは、僕らを戦慄させることになった。