63食目 きめぇ
「ふきゅん、むにゃむにゃ」
柔らかな朝日が部屋に差し込み、俺の覚醒を促す。しかし、俺の周りには俺以外の温もりが存在しており、まだ覚めるんじゃねぇぞ、と睡眠を後押しする。
朝だよ~朝ごはん食べて、学校に行くよ~。
間延びした声による幻聴により、強烈に覚醒を促されるも、これを全力で拒否。今日の俺は一味違うぜ。
「エルティナ、朝だ!」
「はい! 起きましゅっ!」
しかし、スラストさんに二度寝を阻止される。悲しいなぁ。
そんなわけで、夏休みのだらだらした朝は、ヒーラー協会では堪能できないのだ。
仕方なく、服を着ようとタンスをごそごそするも、どういうわけか服が無い。
「ふきゅん? はて……あっ!」
なんということでしょう、残すべき服も纏めてクリーニングに出してしまったではありませんかバカ野郎。
「着る服がないとか、迂闊にも程があるでしょう。馬鹿なの? 死ぬの?」
取り敢えずは現実逃避するために全裸で風呂に突撃、エキサイティングな洗浄をおこない、軽やかに全裸で部屋に帰還……することは叶わず、スラストさんに発見されて、げんこつをいただく羽目になった。俺は鳴いていい、ふきゅん。
「お~いて、容赦ねぇな、スラストさんは」
しかし、この程度は〈ヒール〉で即解決。だからこそ、彼は俺にげんこつを落すのであろう。もっと優しくしてくれていいのよ?
「しかし、なんだろうな? このなんとも言えない感情は?」
お説教最中のスラストさんの「おまえは女なのだから」という言葉が、妙に頭に残った。
そして、成長すればそれに伴う危険が増える、とのお小言にしょぼんと耳が下がる。
「成長か……この身体が成長を遂げる事なんてあるのだろうか」
圧倒的に未成熟な肉体は、同年代と思われる子供たちの半分以下だ。下手をすれば三歳児にも見られる、という肉体に女は感じる事などできやしない。
「ううむ、成長した俺か……ちょっと妄想してみるか」
ここで、脳内シミュレーションを開始、ケースBで実行する。
暖かな日差しを、ルンルン気分で歩く成長した私。背は高くなり、控えめな胸とお尻にスラリとした長い脚。折れそうなくらい華奢な腰は私の自慢だ。
その腰まで長く伸ばしたプラチナブロンドの髪は、太陽の日刺しに当てられキラキラと輝いている。大きな耳は相も変わらず垂れているけど、すぐに私と気付いてくれるから、今ではお気に入り。
服は緑を基調にしたロリータファッションで気合も十分! 似合ってるでしょ?
「あぁ、今日も良い天気。小鳥たちも嬉しそうに囀っているわ」
高まる興奮を隠しきれず思わず「きゃはっ」という声を上げる。ラングステン学園を卒業して早三年、今日は久しぶりに皆に会えるのだ。
「楽しみ! 皆、変わってないかしら?」
今日は待ちに待った同窓会。成長したライオットやヒュリティアが、どんな姿になったか心待ちにしていたのである。
私は十年間通った母校に、足取りも軽く駆けていった。
「……きめぇ! くっそ、きめぇ! ゲロ以下の匂いが、ぷんぷんしやがるぜぇぇぇっ!」
想像を絶するほどの吐き気を催す。我が魂は男、このような事はあってはならない。
しかし、現実問題として、これはいつか訪れる未来なのだ、という事。永遠にこの姿であるなら問題は無い。しかし、ほんの少しではあるが、この肉体は成長しているのだ。
「これは重大な問題だ。仮にこのようになってしまったら、俺は裏の空き地に無断で生えるミントを鼻に詰めて自決するより他にない」
悲壮な覚悟を胸に秘めて現実に還る。目下の問題は着る服が無い、ということだ。それどころか、汗に塗れた下着しかないという不具合。
これでは、朝飯すら食いに行けないではないか、と全裸で頭を抱える。そこで考えたのが野良ビーストどもを身に纏って服の代わりにすることであった。
しかし、計画は失敗。積載量過多による歩行不能である。なんてこったい。
「ふきゅん、本格的に拙い。これでは飢え死にして死ぬ」
がここで俺に電流走る。昨日、ヤッシュパパンに手渡された紙袋に、一縷の望みを見出したのである。
机の上に置いてあった少しお高めの紙袋の中身を取り出す。それは、巨大なにゃんこの毛皮であった。ただしくは、虎猫の着ぐるみである。
見るからに幼児が親にわけも分からず着させられるタイプの服であるが、ここまで追い詰められた俺は、本格的な珍獣と化すことを強いられている。
したがって、俺は速やかに着ぐるみとドッキング、ブッピガン、という金属的な接続を完了させて、紛う事なき珍獣と化した。究極珍獣【エルタイガー】爆誕である。
「がお~」
「にゃ~」
俺は同じく虎猫である、もんじゃに威嚇を決行。しかし、効果は無いもよう。
「ふきゅん、想定の範囲か……」
あとは着ぐるみのフードを被れば、完全体エルタイガーの完成である。フードには大きな猫耳が付いており可愛らしさを増大させる効果があった。
普通のお子様が着る分には微笑ましいが、中身がおっさんである俺では効果は半減であろう。
「ま、いいか……そんな事よりも朝飯だ」
きゅぴっ。
「!?」
なんということでしょう、足の裏の肉球は、音が鳴る仕込みが施されているではありませんかバカ野郎。
流石の俺も、このギミックには顔を覆い隠してむせび泣いた。
しかし、背に腹は代えられない。意を決して、きゅぴきゅぴと喧しく音を立てながら、ヒーラー協会食堂を目指す。
おらおら、きゅぴきゅぴ族だ! 怖かろう! ふっきゅんきゅんきゅん!
ヒーラー協会食堂は朝であっても賑わいを見せる。ヒーラーは体力商売でもあるのだ。
魔力も必要不可欠であるが、体力が充実していなければ魔法の行使もままならない。だからこそ、ヒーラーたちは食事を多く摂取する。
「ふっきゅんにゃ~ん、おはよう」
「おはようございます……にゃ?」
「おはよう、エルティ……にゃ?」
皆の目が点になる。そりゃそうだ、俺がこんなトチ狂った格好でヒーラー協会食堂に出現したのだから。ツチノコ張りに珍獣やぞ。
が彼らが驚いたのもほんの数秒、詳しく言うと僅か二秒の出来事である。次の瞬間には全員にゃんこ言葉で接してくるようになった。皆の優しさが痛い。
「あはは、どうしたんですかにゃ? そのにゃんこ服」
「ふきゅん、実は着る服を全てクリーニングに出してしまったんだぜ」
「あ~それで、その服しか残っていにゃかったと」
ぽっちゃりヒーラーのエミールが腹を抱えて笑ってくれたので、その腹をマッサージしてやった。 ぷにぷにした腹を蹂躙し現実を知らしめると、彼女は幽鬼のような表情になり「ダイエット」と謎の呪詛を呟きながら朝食を受け取りに向かう。
このことから、絶対に彼女は痩せないであろう、と推測。的中率は驚異の百パーセントだ。こんなんじゃ、勝負にならないよ~。
「まぁいいか、朝食をいただいてしまおう」
いつまでも突っ立てはいられない。エミール姉のように、ガツガツと朝食を平らげてしまおう。
献立は、焼き立てのトースト、目玉焼き、カリカリベーコン、サラダに牛乳。そして、オレンジだ。正に朝食と言った感じである。
「基本に忠実だけど……」
ヒーラー協会食堂の前料理長ミランダさんの後釜を受け継いだエチル・ネルントーシャという女性は、少しばかり頭の固い人物であった。
少し痩せ気味のほっそりとした女性で、紫の髪を肩で揃えており、切れ長の目、形の良い眉、筋の通った鼻、ふっくらとした唇、と間違い無く美人の要素を多分に持っていた。
欠点としては、生真面目で堅物な性格。それゆえに、定番の朝食しか出さないということであろうか。
味付けは悪くない、寧ろ美味しい。しかし、違和感を感じるのは栄養重視の料理ばかりだからだろう。楽しさが無いのだ。
しかし、本人も分かっているようで、なんとか脱却しようともがいている最中である。
こればかりは、未熟な俺が口を出せる領分ではない。静かに彼女を見守るより他にないのだ。
「ごちそうさまでした」
血肉になってくれた食材たちに合掌、祈りを捧げる。空になった食器は返却口に持ってゆく。食べたら下げる、当たり前だなぁ。
「……あら、おはよう」
「ヒーちゃん、ここでもバイトかぁ」
「……報酬は、ホットドッグよ」
ヒュリティアは、ホットドッグのためなら神すら殺害しそうだ。彼女のホットドッグに掛ける情熱に脅威を感じつつも空いた食器を手渡す。
彼女は「ホットドッグ」と叫びながら食器を洗っていった。まさに狂気である。
死の淵より蘇った彼女は変わってしまったのであろうか。在りし日の彼女は、もういない。悲しいなぁ。
「美味しかったよ、エチルさん」
「お粗末さまです、聖女様」
そんなヒュリティアを、そっとスルーしつつ、エチルさんに労いの言葉を掛ける。
やはり、彼女の表情は冴えない。色々と重圧を抱えているようだ。
「ふきゅん、いろいろと大変だろうけど、応援するんだぜ」
「……ありがとう、エル」
「おいぃ」
違う、そうじゃない。確かにヒュリティアも応援してるけど、今はエチルさんに話しかけてるから。
「ふふ、ありがとうございます、聖女様」
今まで表情を崩すことが無かったエチルさん。そんな彼女が見せる初めての笑顔に、ヒーラーたちは思わず見とれる。そして、この笑顔が自然に出る時が来ることを祈った。
そして、俺はヒーラー協会食堂を後にする。直後に聞こえたヒュリティアの歓声はホットドッグにあり付けた証明であろう。
「桃先生の種はどうなったかな?」
朝食を摂り一息ついたところで、昨晩埋めた桃先生の種の様子が気に掛かる。なので、俺はきゅぴきゅぴ、と騒音を立てながら裏の空地へと急いだのであった。




