620食目 甘かった考え
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
大神殿の私室に緊急報告が入ったのはその日の夜の事だ。
俺はテーブルの上に供えたもぐもぐどもを生贄に、超大邪神【キングべひひんモッコス】の召喚ごっこ中であったが、もれなく飛び込んできたノイッシュさんに邪魔される形となった。
生贄役のもぐもぐは残念そうに一鳴きしてテーブルから下りてゆく。
「そんなに残念そうな顔をするなぁ。ちゃんと桃先生はごちそうしてやるから」
「もぐ~!」
もぐもぐたちは桃先生を受け取ると一目散に退室していった。
現金なもので、桃先生を受け取った瞬間に機嫌は元どおりである。
「ノイッシュさん、それで、こんな時間に何用なんだぁ? 夜這い?」
「ははっ! 夜這い……じゃなくて! 緊急事態でございます!」
つい本音を漏らしたノイッシュさんは照れ隠しの為か、何故か激しくダンシングしながら状況を説明しだした。
「今から五分ほど前にカサレイムから緊急連絡が入りました! ほうっ!」
「ふきゅん! カサレイムからだと! ぽうっ!」
ノイッシュさんに釣られて俺もダンシングを開始する。
これはなかなかエキサイティングだよ。ボウドスさんには教えられない快感だね!
「いぇあっ! どうやら獄炎の迷宮から魔物が溢れたらしいのです! ふぅぅぅっ!」
「稀によくある事っ! お~、いぇい!」
「いぐざくとりぃ! ですが、その中に鬼が混じっているとのことっ!」
「おぅ、じーざす! ノイッシュさん、まじでぃすかぁ!?」
「マジでぇす!」
びしぃっ!
……すっ。……すっ。
無駄に熱い想いを込めたダンスを終えた俺たちは、流れるような動作で静かに席に就いた。
こうして、ダンシングな緊急連絡は終わりを見せたのだ。
なかなか息がぴったりなダンスで俺も上機嫌である。
しかし、鬼が出たとなるとこうしてはいられない。更なる情報をノイッシュさんから引き出すことにする。
「現地にいるガイとキュウトはなんと?」
「はっ、彼らも応戦に当たっているようなのですが、鬼の数が多くて苦戦中とのことです」
「ふきゅん」
踊ったことにより冷静さを取り戻したノイッシュさんと共にテーブルに就き対策を練ること五分。緊急事態時には迅速な行動が求められる。
「よし、モモガーディアンズ本部の動ける連中を招集。到着し次第、大神殿のテレポーター施設からカサレイムに転移させてくれ」
「承知したしました。エルティナ様は、どういたしますか?」
「俺は聖光騎兵団を率いて現地へ飛ぶ。ノイッシュさんはボウドスさんに代わり、聖都リトリルタースの警護に当たってくれ。いつ、鬼が動くか分からないからな」
「ははっ! お任せください!」
一礼してノイッシュさんは部屋から退室した。最近はボウドスさんに代わり、仕事の大部分を彼が受け持ってくれている。
ゆっくりではあるが確実に、仕事の世代交代がおこなわれているのだ。
「俺も、モタモタはしていられんな。おいでませ、桃先輩!」
俺は桃先輩の果実を召喚し身魂融合をおこなう。聖女から桃使いへと転じたのである。
「ソウル・フュージョン・リンクシステム起動。シンクロ率90%。各ステータス、オールグリーン。いけるぞ、エルティナ」
トウヤがいつものようにGOサインを出し、俺は桃使いエルティナへと至った。
「応! カサレイムに鬼が出たらしい。でも、妙なんだ」
「あぁ、事情は把握した。確かに妙だな。獄炎の迷宮から鬼が出現するとは」
気になる事は多々あるが、今はそんな事よりも町の住人を護る方が大事だ。
トウヤとの短い情報のやり取りが終わった頃にドアがノックされ、桃色の鎧を身に纏う魅惑の騎士が入ってきた。
「エルティナ! 聖光騎兵団五十名、出撃準備整いました!」
「ルドルフさん、分かった。カサレイムに向かおう!」
聖光騎兵団五十名はベテラン二十名、新人三十名の混成部隊だ。
新人といっても、日々、鬼教官となったルドルフさんにしごかれている騎士たちなので、腕前に不足はない。
今の彼らに足りないのは経験だ。だから、ルドルフさんは今回の鬼退治に彼らを参加させたのだろう。
ほのかな魔導器具の照明に照らされる通路を俺たちは早歩きで歩いた。その際に情報をルドルフさんから聞いておく。時間短縮テクニックである。
「ミカエルは?」
「はい、彼は残る騎士たちと共に聖都リトリルタースを守護していただきます。クリューテル様も同伴するようなので、万が一の事はないでしょう」
「ふきゅん、寧ろ、万が一のことがあってもいい気がするがな。いっそ、合体しろ」
「あの二人に限っては、ですがね」
ルドルフさんもクリューテルの事情を知っているので俺の意見には苦笑いながらも同意してくれた。
これで聖都リトリルタースの守りは十分であろう。
大神殿の右区画に設けられたテレポーター施設には精悍な顔つきの騎士が五十名待機していた。ミリタナス神聖国が誇る聖光騎兵団の騎士たちである。
彼らは俺の到着と同時に一糸乱れぬ敬礼の姿勢を取った。これからも、練度の度合いが分かるというものだ。これならば、安心して彼らを洗浄へ連れて行くことができる。
時間がないので前口上はカットだ! いつもどおりだな!
「よし、聖光騎兵団、出撃っ!」
俺の出陣の声に騎士たちは雄叫びをもって応えた。
テレポーターが起動し、俺たちは光と共に戦場となっているカサレイムへと転移したのだ。
◆◆◆ 誠司郎 ◆◆◆
手が震える。ガクガクと膝が笑う。止めどもなく溢れ出る冷や汗。大きな心臓の音は止まることなく鳴り響き、僕の頭の中を白く染めてゆく。
「う……あ……」
死んでゆく。人が死んでゆく。それも、呆気なくだ。
頭の中は真っ白に、でも……視界は赤く染まってゆく。
「誠司郎! ぼうっとするな! 死にたいのか!」
「ふ、史俊?」
友人の切羽詰まった声に僕は意識を取り戻した。
敵の攻撃を受けた史俊が大きく弾かれる。盾のスキルが効果を発揮していないのだ。
「ち、ちくしょう! スキルが効果を発揮しないなんて、どうなっていやがんだよ!?」
「史俊! 誠司郎! 伏せて!〈アイスボム〉!」
間髪入れずに時雨の氷の爆弾が異形の存在へと投げ込まれた。
着弾と同時に氷の爆弾は弾け、バキバキと音を立てながら氷の花を咲かせる。
「長くは拘束できない! 走って!」
「うぐぐ! これが鬼か! 考えが甘かった!」
僕らは無様に異形の存在……【鬼】に背を向けて走る。
鬼と実際に戦ってみて初めて分かる彼らの理不尽さ。確かに、彼らはモモガーディアンズの面々を容易く殺せるであろう力を備えていた。
「坊主ども! それでいい! 脇目を振らずに逃げろ!」
漆黒の鎧を纏った野獣のような顔つきの冒険者が僕らに向かってそう叫んだ。
僕らは彼の言葉に従って、一時戦場を離脱することにする。
戦火が遠くにあることを確認した僕らは、地べたに座り込み作戦会議を開いた。
あれだけのタメ口を言っておいて、ダメでした、となんて言えない。
尚、ラグエイは冒険者の仲間の下に戻り、彼らと共に戦っている。
あとで再び会おうと約束したので無茶はしないと思うのだけども。
「はぁはぁ、装備を整えて。今のままじゃ、防御も攻撃も通じないわ」
「ぶはぁっ! そ、そうだな。重鎧じゃ、いい的にしかならねぇ」
「で、でもっ! それじゃあ、時雨をカバーできなくなるよ!?」
鬼にはとにかく防御が通用しなかった。
僕と史俊で時雨を護ろうにも、鬼からの攻撃をあっても防ぎきれないのだ。
「防御することは捨てて、回避に専念するのよ。もうあれは防げる範囲ではないわ。二人は鬼を攪乱してちょうだい。その隙に魔法を叩き込むから」
今のところ、鬼に対して効果を発揮しているのが時雨の攻撃魔法のみ。
僕らの攻撃は鬼に鬱陶しがられるに留まっていた。
「でも、時雨は?」
僕の顔を見て彼女は微笑みを作った。傍目からしても、それは無理をして作っていることが丸分かりだ。
それでも、顔の女は微笑んだのだ。
「大丈夫よ、こう見えても運動能力は向上しているんだから」
彼女の言葉に対して僕らは無言になった。それは決して彼女が嘘を言っているわけではなく、彼女の提案に賛同しかねているからだ。
「あぁ、もう! 私たちが悩んでいる間にも鬼たちは暴れてるのよ! 町の人たちが襲われてるの! 分かるでしょう?」
「「っ!」」
分かりきったことだった。確かに僕らは戦力外に近い。
でも……僕らが鬼を足止めして助かった命があったことも確かなのだ。
「分かった。でも、無理すんじゃねぇぞ」
史俊は決心したかのように立ち上がる。僕もそれに続いた。
その様子を見た時雨が元気よく立ち上がり若干よろめく。
「とと、締まらないわね。大丈夫、少し気が緩んだだけだから。さぁ、行きましょう!」
時雨の気合いが入った声に勇気づけられた僕らは再び戦場へと舞い戻る。
一人でも多くの命を救うために。