611食目 転移組の力試し
それから、また少しの時間が過ぎた。季節は夏。七月上旬となる。
僕らは朝食後、エルティナさんの私室に呼び出され、お茶を振る舞ってもらっていた。
紅茶と共に添えられていた物は、アマンダさんが送ってきた試作クッキーだ。
「これを見て、どう思う?」
「凄く……毒々しいです」
皿に盛られたクッキーは濃い紫色と深緑色がマーブル状になった物だ。
話によれば、紫芋とヨモギを絶妙な割合で混ぜたものらしいが、出来上がってみれば、このような有様になっていたらしい。
「味だけはいいんだがなぁ」
「ということは、食べれるんですね?」
「あたりまえだろう。外見には目を瞑って食っておくれい」
禍々しいクッキーは食べてみると、意外に美味しかった。紫芋の素朴な味をヨモギの僅かな苦みが引き立てる。
また、出された紅茶ともよく合う。惜しむらくは、その外見であろう。
「美味いけど……やっぱ、外見がなぁ」
「俺も同意見だ。アマンダのヤツは失敗した物を知人に押し付けるから困ったものだぁ」
やがて、話は転移してくるプレイヤーの話題へと移ってゆく。こちらの方が本題だろう。
聞くところによると異世界転移してくるプレイヤーは遂に千人を突破したことがエルティナさんとの会話で判明した。
「各国で連絡をやり取りして転移者に自粛を促してはいるが……やはり、無謀な冒険をするヤツが後を絶たないらしいぞ」
「やっぱりか。いつまでもゲーム感覚が抜けない連中と、転移して間もないヤツらだな」
厳しい訓練も今日は休みだ。一週間に一度、日曜日は訓練が禁止され、休むように釘を刺されている。
それは、訓練だけをおこなっていると身体がまいってしまう事を、エルティナさんは良く理解していたからだ。
その割りには、彼女が休んでいる姿を見たことがないのだが。
ここミリタナス神聖国にも転移者が後を絶たない。彼らは騎士団預かりとなった後に事情を説明されて釈放となるのだが、その際に二つの選択肢を選ぶことになる。
一つは騎士団に残り訓練を受けながら地球に帰る方法が見つかるまで働く事。もう一つは冒険者として生きることである。
前者は訓練こそ厳しいものの安全と食生活が保障されている。後者は自由が約束されているものの安全の保障はないということだ。
「今のところは死者は出ていないが、こうも転移者が多いと時間の問題だろうな」
「そんなに無茶をしている連中が多いんですか?」
史俊の質問に、エルティナさんはヤケクソ気味に毒々しいクッキーを口に放り込んだ。
「多いも何も、殆どの転移者は騎士団に残る選択をしないな。危機感がないせいもあるが、自分を過信し過ぎているきらいがある」
「やっぱり、ここを現実のものだと認識できない連中が多いのね」
時雨は紅茶の味を堪能しながらエルティナさんに告げた。それを彼女は頷き肯定する。
「時雨の言うとおりだな。トウヤからの連絡がないところを見ると捜査に進展はなさそうだし、俺たちは俺たちで、できることをするしかなさそうだ」
ため息交じりでそう告げると、エルティナさんは気を取り直し一つの提案を申し出てきた。
それは僕らを驚かせるには十分な提案だったのだ。
「さて、話は変わるが……ここいらで、おまえたちにはテストを受けてもらおうかと思う」
「テストですか?」
「そうだぁ」
提示されたテストの内容とはミリタナス神聖国領カサレイムへ赴き、【獄炎の迷宮】内のフレイムゼリーを討伐しろ、という内容であった。
「俺たちの訓練を受けて、だいたい二ヶ月くらいか? 鍛えられた能力を測るついでに、クエストをやってもらってもらおうと思っている」
フレイムゼリーの詳しい説明を受けたところ、どうやらフレイムゼリーは火の属性の加護を受けた軟体生物である事が発覚した。倒すには水属性の魔法で凍らせる必要があるとも伝えられた。
「まぁ、おまえたちなら時雨の魔法か、あるいは攻撃スキルで、どうとでもなるだろう」
テストとはいえ、流石に僕らだけで挑ませるつもりはないらしい。エルティナさんはモモガーディアンズから数名を呼び出し、僕らに同伴するように願った。
フィリミシアのモモガーディアンズ本部からやってきた人物は二名、狐獣人のキュウトという少女と、ガイリンクードという少年だった。
「ほんじゃま、お守りをよろしく頼むんだぜ」
「なるべく手を出さない方針だったな? 了解した」
このうだるような暑さの中にあってガイリンクードさんは黒い帽子に黒いフードコートという姿であった。暑くはないのだろうか。
対して、キュウトさんは目のやり場に困るレベルで薄着だ。パッと見は、ほぼ水着を着ているようにしか見えない。
「きゅおん、エルティナ。早くグーヤの実をくれよ。暑くてたまらん」
くねくねと身体をよじらせるキュウトさんから大粒の汗が流れ落ちた。汗でしっとりと濡れた彼女は言葉では言い表せないほどの妖艶な色気を放っている。
これで同年代だというのだから信じられない。
「ふきゅん、キュウトは暑がりさんだなぁ」
「もう、これ以上は脱げないんだから」
そう言ったキュウトさんは申し訳程度に乳房を隠す布に手を当てた。彼女の豊かな乳房が手で押し当てられ、更に大きく見える。
「まだ残っているじゃないか」
エルティナさんが、キュウトさんの着ている申し訳程度の衣服要素を指摘した。容赦のない人だ。
「これを脱いだら全裸になるだろうがっ」
顔を上気させてキュウトさんはほっぺを膨らませる。その仕草が妙に可愛らしい。
そのくせ身体はしっかりと女性のそれを主張している、というアンバランスさにクラクラときてしまう。しかも狐の要素も持っているので反則レベルだ。
狐耳……可愛いなぁ。
「うおぉ……これはクエスト云々よりも理性が試されるな」
史俊も彼女の姿にくらくらしているようだ。
不思議なもので、キュウトさんと同じような姿をしているエルティナさんには、そのような感情は湧き出てこない。どうしてだろうか。
「そうね……これは難しいクエストだわ。だって、もふもふなのよ?」
キュウトさんのゆらゆらと揺れるふさふさの尻尾に、時雨は今にも飛び付きそうである。
流石に失礼なので実行には移さないとは思うが。そう願いたい。
色々な意味で僕らはこの世界に慣れ始めてきていた。だから、今が一番危ない時期だと思う。
そんな時期にこのクエストだ。そこら辺も考慮して僕らにクエストを課してきた可能性も否定できない。
「きゅお~ん、グーヤくれよ、グーヤ。もう我慢できねぇ」
もふもふの尻尾を振って、まるで主におねだりする犬のように催促してくる彼女に圧し負けたのか、エルティナさんはため息をひとつ吐いて、テーブルの上にある洒落た飾りの台の上に安置されていた枝……いや、葉の付き方からして幼い樹とでも言おうか、を手に取った。
僕らが出会った当初から、彼女が常に手に持っている物である。
「分かった、分かった。どうせ、獄炎の迷宮に行かせるんだから渡すつもりだったしな」
僕がそのようなことを考えているとエルティナさんがキュウトさんの要望に折れた様子を見せた。
「きゅおん、やったぜ」
「でも、脱いでもいいのよ?」
でも、すかさず脱がしにかかるのはどうかと思う。エルティナさんは悪い顔をしてキュウトさんの大きな胸をわし掴んでいた。
それじゃあ、まるでスケベ親父です。エルティナさん。
「やなこった。女だけならともかく、男がいるじゃないか」
それに全く動じないキュウトさん。日常茶飯事の行動なのかもしれない。
「俺は男がいようとお構いなしなんだぜ。ふきゅん、また大きくなったな」
「それはエルティナだけだ。俺は恥ずかしい。二つほど増えた。ブラが高くて困る」
ニヤニヤするエルティナさんは、そっとキュウトさんの胸から手を離した。どうやら満足したようだ。
「ふきゅん、修行が足りん。それでは立派な裸族にはなれんぞぉ」
「なりたくない」
キュウトさんとの酷いやり取りをおこなったエルティナさんは、いつも手に持っている幼い樹に力を注ぎ込んだ。
その力は魔力ともオーラとも違う桃色に輝く温かなものであった。
不思議なことに、その輝きはいつまでも眺めていられるような気がする。心を惹き付けられてならないのだ。
まるで、今の僕の心がその力を求めているかのように。欠けてしまった心の一部を埋めんとしようともがいている気がするのだ。
やがて、エルティナさんがいつも手にしている幼い樹は、青々と茂る枝先に水色の実を付け始めた。
それはどんどんと増えてゆき、最終的には二十個ほどの実を付ける形となる。
その不思議な実の大きさは梅程度の大きさであろうか。やろうと思えば一口で食べてしまえるだろう。
「ほれ、グーヤの実だぞう。輝夜に感謝して差し上げるのだぁ」
「へへ~、ありがとうございます、輝夜様」
どうやら、彼女の手にしている幼い樹は、輝夜という名を与えられているようだ。
キュウトさんはエルティナさんの手にしている幼い樹に深々と頭を下げた。すると、幼い樹はほんのりと桃色に輝き反応を示したではないか。
幼い樹がまるで、くるしゅうない、とでも言っているかのようで、思わずくすりとしてしまう。
「変わった実だな……っていうか、エルティナさんがいつも持っている枝って、そんな能力を持っていたのか」
「ふっきゅんきゅんきゅん、これだけじゃないがな。こいつは輝夜。桃使いのパートナーたる神桃の枝だぁ」
ほのかに輝く幼い樹【輝夜】を、僕らに自慢げに突き付けた彼女は満面の笑みを見せた。
この後、僕らは出発準備を整えエルティナさんたちに見送られて聖都リトリルタースを出発した。出発したのは昼前の事だ。
向かうはカサレイムの獄炎の迷宮。どんな冒険が僕らを待っているのだろうか。