610食目 転移先は天国か地獄か
「おまえら、そんなしけた顔をして、どうしたんだぁ?」
そこに、騎士たちの夕食を作り終えたエルティナさんがやってきた。
彼女がテーブルに就くと、少し遅れて騎士の一人が、冗談か、というレベルのカツカレーをテーブルの上に置いたではないか。
そのお化けカツカレーはエルティナさんの目の前に置かれている。まさかとは思うが、彼女が食べるのであろうか。
ざっと目測したところで十人前はあろうかという量だ。それに加えてヤケクソ気味に目玉焼きがトッピングされている。
「ふきゅん、腹が減っているから、まずは食べてからだぁ。いただきま~す」
彼女は先割れスプーンを手に取り、お化けカツカレーに挑んだ。猛然と食べ進めてゆく彼女を見て僕らは唖然とする。
会う度に何かを食べていた彼女であったが、まさかここまで食いしん坊だとは思ってもみなかったからだ。
「おいおい、大丈夫か、彼女」
大食漢の史俊であっても、流石にカツカレーの十人前は無理だ。それを、あんな細身の体のエルティナさんが食べている、という事実に僕らは戦慄した。
「はむはむ、んぐんぐ、むしゃむしゃ、げふぅ。ごくごく」
エルティナさんの食べ方は汚いが、恐ろしい速度でカツカレーを食べ進めている。食事開始から僅か五分で三分の一を平らげてしまたのだ。
その勢いは止まることなく、遂には完食するまで続いた。
特筆すべきは彼女の食べ方だ。テレビ番組にあるような大食い大会の選手のように、ただ胃袋に詰め込む作業ではなく、本当に食事を楽しんでいるのだ。
ある程度食べ進めた後に目玉焼きの黄身を突き崩し、カツレツと絡めて味の変化を楽しんでいたし、食卓に置いてあったウスターソースを掛けて味を変化させて食事を楽しんでいる。
よくよく見れば、こっそりタルタルソースまでカツレツに掛けてあった。
「しっかし、美味そうに平らげたなぁ」
「うん……あの量を残さずに食べきるって相当だよ」
やがて彼女は手を合わせて「ごちそうさま」と深々と頭を下げた。食に対する感謝の念から、どうにも彼女からは日本人のそれが窺えた。
不思議な事に、あれだけの量を食べたにもかかわらず、エルティナさんのお腹は一切膨らんでいないことだろう。
いったい、どうなっているのか分からない。彼女の胃袋は別空間と繋がっているのでは、という馬鹿げた発想すら浮かんでくる。
「さて、それでおまえらは、なんでまたションボリしてんだぁ?」
彼女は食後のデザートにまで手を出していた。
彼女がチョイスした物はバニラアイスクリームだ。お洒落なガラスの容器に上品に盛られている。それを僕らにも用意してくれた。
「グリシーヌの自信作だぁ。よく味わって、むしゃむしゃ、れろれろして差し上げろ」
「ぺろぺろですよね?」
「そうともいう」
エルティナさんの本気なのか勘違いなのか分からない言葉にツッコミを入れて、僕らはバニラアイスクリームを口に運んだ。
「うめぇ! こんな濃厚なアイスクリームを食うのは初めてだ!」
「本当に……こんな上品なアイスは食べたことがないよ」
圧倒的な牛乳の濃さが口いっぱいに広がる。そして、それを追いかけるように程よい甘さが舌を喜ばせてくれる。しかも、いつまでも口の中に甘ったるさが残らないのだ。
だから、ついつい次に手が伸びてしまう。気が付いた時にはアイスクリームはその姿を消してしまっていた。
「ふきゅん、どうやら、気にいったようだな。グリシーヌも喜ぶことだろう」
どうやら、エルティナさんが作ったわけではないようだった。彼女以外にもこのような料理を作れる者がいることを知り僕らは驚く。
「グリシーヌさんって、あの、むっちむちボインの、もこもこヘアー娘だよな?」
史俊はモモガーディアンズの女性たちの名前と姿だけは憶えていた。非常に失礼なヤツだけど、それは昔からなので仕方がない。
もちろん、僕は全員を記憶している。失礼がないようにするのは当然だから。
「そうだぁ、グリシーヌはオーク族の中でも料理上手。俺の料理の弟子でもある」
それを聞いた僕らは目を丸くして驚いた。彼女がエルティナさんの料理の弟子という部分ではなく、オーク族だという点についてだ。
【エンドレスグラウンド】でもオーク族は存在し、人類の敵という設定で登場する。その姿は醜悪であり、人型の豚を容易に想像させる。
性別も男女存在し【オーク】と【オークレディ】とで分けられていた。
当然、彼らは冒険者に狩られる敵キャラクターとして扱われており、初心者を対象にした雑魚キャラとして、いろいろな意味で親しまれている。
「ちょっ!? あの人がオーク族って冗談だろ! どう見ても、ただのむっちり美少女だ!」
「僕も信じられない。僕らのオーク像って、でっぷりと太った醜い存在なんだから」
僕らはテーブルを鼻歌交じりで拭いているグリシーヌさんをまじまじと見た。
確かに、よくよく見れば頭の上には豚のような耳、そしてむっちりとしたお尻にはくるくると丸まった尻尾が見える。
だが、【オークレディ】とは比較にならない美貌とスタイルの持ち主だ。ぽっちゃりとしているがデブというわけじゃない。腰はくびれているし、何よりも胸とお尻が大きいせいで、腰が余計に細く見える。
何よりも、彼女のあどけない顔は非常に整っており、更に愛嬌があって親しみやすい。
「マジで信じられねぇ、あんな娘が【エンドレスグラウンド】のオークレディだったら、即座にお持ち帰りだぜ」
【エンドレスグラウンド】にはモンスターをペットにできるシステムが搭載されている。
捕獲確率は低いが、一度ペットにしてしまえばさまざまな事ができるようになるので、人気のシステムの一つである。
主に人気なのはペガサスやグリフォンなどという人を乗せて空を飛べるモンスター、そして女性型のモンスターだ。
女性型は主に男性プレイヤーの欲望を満たす用途で使用されているようだ。史俊もこっそり捕獲して楽しんでいるらしい。僕は持っていない。
「まぁ、ゲーム内での扱いはそうだろうな。ちなみに、模擬戦で戦ったブルトンもオーク族だぞ」
ブルトンさんは、最初の模擬戦で戦った巨人の人だ。僕らはエルティナさんから話を聞くまでは、ずっと巨人族だと思っていたので、この話を聞いて衝撃を受けた。
「あんなのがオーク族って……脂肪のしの字もねぇじゃねぇか」
「カーンテヒルのオークは、みんなあんな感じだぞ? こちらのオークは戦闘民族だ、と思った方がいいな。彼ら相手に調子ぶっこくと病院食を食べるハメになる」
「マジで震えてきやがった」
「まぁ、男があの分、女オークはだいたい、ふくよかで大人しいがな」
「きょ、極端ですね」
まだまだデータでは知り得ない情報が山のようにあるらしい。次第に会話は新たにやってくる【エンドレスグラウンド】の冒険者の件へと移行した。
やはり、エルティナさんもそのことに頭を悩ませているらしい。話によれば、少し前に訪れたラングステン王国にも【エンドレスグラウンド】のプレイヤーが姿を現して騒動を起こしたようだ。
「流石に、あのバカちん共のように暴れなかったそうだが、いろいろとやらかしてくれたそうだぞ?」
その言葉に僕らは苦笑した。きっと、僕らのように民家に押し入ったのだろう。
「流石に王様も考えあぐねてなぁ。衛兵たちに【エンドレスグラウンド】のプレイヤーらしき者は見つけ次第に【たいーほ】せよ、とお触れを出した始末だ」
「そ、それは流石に横暴では?」
「いや、そうでもしないと、勝手に町の外に出ちまうだろ。逮捕して一ヶ所に集めた後に事情を説明して釈放した方がプレイヤーのためにもなる」
「なるほど……でも、衛兵の監視をすり抜けるヤツもいるだろ」
「そいつらは知らん、運がなかったと思えってもんだ」
流石にそこまでは面倒を見れない、と彼女は言った。僕もそう思う。
そもそもが、そういう事は運営がおこなうものであって、この世界の住人たる彼らがおこなうべきものではないのだ。
「だが、それはラングステン王国での話だ。あそこにいるモンスターどもはクッソ弱い上に人懐っこい。ダンジョンに生息しているスケルトンですら激烈に友好的という有様」
「なにそれ……」
「問題なのはラングステン王国以外の国に飛ばされたプレイヤーたちだな。そこでは、ガチのモンスターが縄張りを荒らす者に容赦なく襲いかかってくる」
「強いのか?」
史俊の質問にエルティナさんは顎に手を添えて考えた。やがて結論を出したのか、彼女は桃色の唇を開き答える。
「おまえらにとっては地獄の宴だろうな。特にドロバンス帝国は鬼が支配している国だ。そこに飛ばされたプレイヤーは運が悪いとしか言いようがない」
その言葉を聞き、僕らは沈黙した。どうやら、僕らはたまたま運が良かっただけだったようだ。
もし、彼女の言うとおり、僕らの転移先が鬼がいるというドロバンス帝国であったなら、今頃はどうなっていたものか。
「まぁ、こればかりは考えたってどうしようもない。もしも、なんて考えるだけ無意味だ」
そう言うとエルティナさんは席を立った。空になった食器を洗いに行くようだ。
彼女は国のトップであるが決してふんぞり返らない。自分のできる事は全て自分でおこなっている。
確固たる自分を確立しているのだ、彼女は。
そこが魅力的であり、そして心配の種であるのは明白だ。
エルティナさんは多くを抱え込み過ぎていることが、新参者の僕ですら分かってしまうのだから。
「いこっか、史俊」
「あぁ、それじゃ、エルティナさん」
「おう、ゆっくり休めよ」
僕らはエルティナさんたちに挨拶をしてから、時雨の待つ自室へと戻ったのであった。